愛には加減があるなんて、誰も教えてはくれなかったのに。

緑黄色社会
愛には加減があるなんて、誰も教えてはくれなかったのに。
2018年11月7日に“緑黄色社会”が最新ミニアルバム『溢れた水の行方』をリリースしました。今日のうたコラムでは、今作に収録されている新曲「サボテン」をご紹介いたします。サボテンと言えば【植物のなかでもとくに育てるのが簡単】というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。しかし実は、そうでもないみたいなんです。 ごめんね 私はサボテンさえ上手く育てられずに やりすぎた水が溢れていったよ ごめんね 今さら気付いたって元には戻らない 謝ることしかできなくなったよ 水だけあげてりゃいいなんて 間に受けてたらこうなった 愛には加減があるなんて 誰も教えてはくれなかったのに 「サボテン」/緑黄色社会 必要としてないのに水をやりすぎると腐ってしまう。何の管理もせずに放っておいても乾燥してダメになってしまう。それが<サボテン>です。もちろんどの植物にも通じることでしょうが、サボテンは<水だけあげてりゃいい>と思われがちだからこそ、その“水やり”に<加減があるなんて>知らずにいつのまにか枯らしてしまうのでしょう。 そして、この歌の<私>はそんな<サボテン>に似た“恋”を<上手く育てられずに>失ってしまいました。きっと“簡単に上手くやっていけるだろう”と思っていた恋。愛を注げば注ぐほど、尽くせば尽くすほど、長生きするに違いないと。でもそれはこの恋に“適量”ではなかったのです。結果、もう<あなた>とは<元には戻らない>のです。 溺れて枯れた窓際の愛は 間違っていたのかな 花が咲くのが見たかったから 良かれと思ってた ただただ私は私なりに育てました ただただ私は私なりに愛を注いだの 「サボテン」/緑黄色社会 ただただ<花が咲くのが見たかった>だけ。サビからは、いつも相手の笑顔を願い、幸せになってほしくて、一緒に幸せになりたくて、一途に<私なりに愛を注いだ>これまでの姿が伝わってきますね。だけど結局は“重い”だけだったのだろうかと“愛”に対する自信を失いそうな今…。では、本当に<私>の愛し方は<間違っていた>のでしょうか。 ごめんね 私は大丈夫と関係ないふりして いらない自信が溢れていったよ 「サボテン」/緑黄色社会 溺れて枯れた窓際の愛が 教えてくれたかな 知らない間にすれ違っていた 愛の育て方 ただただ私はあなたの喜ぶ顔が ただただ私はあなただけに愛を注いだの 「サボテン」/緑黄色社会 また、育てやすい<サボテン>のような恋だと思い込んでいた頃は、よくある恋人同士の問題なんて<私は大丈夫と関係ないふり>でした。その自信は<良かれと思って>たっぷり<あなた>に“愛”を注いできたゆえのもの。だけどそんな<愛の育て方>こそが<サボテン>には合わなかった。そのことに、手遅れになって初めて気がついたのです。 溺れて枯れた窓際の愛は 間違っていなかった 丁度良さなんて分かっていても 愛は止まらなかった 必ず無駄にはしないよ枯れたサボテン いつかいつか私の愛の花を咲かせよう 「サボテン」/緑黄色社会 そして、この恋における<愛の育て方>が合ってなかったと気がついたからこそ、わかったこともあります。それは、自分の一途な“愛”そのものは<間違っていなかった>ということ。つまり<サボテン>には、<あなた>には、<私の愛>が適していなかっただけなのです。一方で必ずどこかに<私の愛>を求めている<花>があるはずなのです。 そのことを教えてくれた<あなた>への、感謝も込めて綴られているのが<必ず無駄にはしないよ枯れたサボテン>というフレーズでしょう。もう<ごめんね>は“ありがとう”に変わろうとしております。こうして気持ちが少し前に進めたからこそ、最後の最後には<いつかいつか私の愛の花を咲かせよう>と希望的な意志が掲げられているんですね。 失恋して、自分の<愛の育て方>に自信を失っている方。上手くいかなかったのは、ただそのお相手とあなたの愛が合わなかっただけのこと。きっといつか別の誰かと<愛の花>を咲かせることができるはず。歌を聴き終えると心が上向きになる、緑黄色社会の「サボテン」を是非、聴いてみてください…! ◆紹介曲「 サボテン 」 作詞:長屋晴子 作曲:長屋晴子 ◆ミニアルバム『溢れた水の行方』 2018年11月7日発売 ESCL-5118 ¥2,000(税込) <収録曲> 1. あのころ見た光 2. 視線 3. Never Come Back 4. サボテン 5. Bitter 6. リトルシンガー
























