まさか僕ら愛し合った?
あなた僕だけを見てるの?
すれ違わない確信が持てないと見返せない
「ほころびごっこ」/indigo la End
そんな映画の世界にピタリと寄り添うのが主題歌です。タイトル「ほころびごっこ」の【ほころび】とは【縫い糸が切れて合わせ目が開いた状態】や【変化が生じて整合性を失うこと】を表す言葉。さらに【ごっこ】は【誰かと一緒に何かのマネごとをすること】ですね。まず、この歌の<僕>にとっての【ほころび】は<愛し合った>ことでしょう。
冒頭の<まさか>という一言から「そんなことあるはずないのに」という動揺が伝わってきます。だけどそこに否定や拒絶の気持ちはありません。むしろ【ごっこ】ではなく“真実”であってほしい。だから<僕ら愛し合った?><あなた僕だけを見てるの?>と恐る恐る相手に訊ねているのです。何度も確認して<すれ違わない確信>が欲しいから。
軽んじた人生を送るしかないって
誰が決めたのか知らないまま付き合ってる
急な温かいムードは痛みに似て痒い
慣れてない幸福の合図は似合わない
救われたことないから
救い方がわからない
ヒーローになれたら ヒーローになれたら
やっときた幸福そうな結末に綻びたい
そんな気持ちはあるけど
「ほころびごっこ」/indigo la End
歌詞を読み進めていくと、なぜ<僕>は愛に対して極端に臆病なのか、その理由が明らかになってゆきます。これまで<僕>は、何にも期待せずに生きてきた人間なのです。積み重ねてきた淀んだ“過去”が原因で<軽んじた人生を送るしかないって>思い込み、どこかで“不幸による整合性”を保ちながら、自分の人生と<付き合って>きたのです。
しかし<愛し合った>ことで変化が生まれ、保ってきた“不幸による整合性”が失われている状態が今なのではないでしょうか。つまり「何も期待しない」「どうせ救われない」そんな縫い糸で綴られてきた日々が<急な温かいムード>や<慣れてない幸福の合図>により合わせ目が開き、思いがけずほころんでいるのだと思います。
そして、バランスの取れない<幸福>のなかで、はじめて“愛するひと”のためにしてあげられることを考える主人公。ただし、適当に手を差し伸べて救った気になったり、簡単に<ヒーロー>を気取ったりはしません。何故なら<僕>は愛を知らないからこそ、人一倍、繊細に真剣に正しい愛を見つけようとしているからです。ゆえに<やっときた幸福そうな結末に綻びたい そんな気持ちはあるけど>…それもなかなか難しいのでしょう。
まさか僕ら愛し合った?
あなた僕だけを見てるの?
すれ違わない確信が持てないと見返せない
「バイバイ」「ごめん」「もうしないから」
後ろ向きな想像でごめんね
抜け出しはしたいんだ
あなたを見て一層思った
「ほころびごっこ」/indigo la End
まさか僕ら愛し合った?
あなた僕だけを見てるの?
すれ違わない確信が持てないと見返せない
どんな愛情も無駄にしないように
拾い続けることでいいの?
あなたを見ては確信に変わるようで
変わらないようで
「ほころびごっこ」/indigo la End
これまでの<軽んじた人生>を変えてくれた<あなた>がそばにいる今。想像もしなかった<まさか>の幸福な可能性が広がっていきそうな今。でも<僕>はまだ何より“いつか失うかもしれない”という恐怖が拭えません。だから<「バイバイ」「ごめん」「もうしないから」>と<後ろ向きな想像>をして悲しみに先回りをしてしまいます。
だけど歌が進むにつれ<抜け出しはしたいんだ あなたを見て一層思った>、<どんな愛情も無駄にしないように 拾い続けることでいいの?>、<あなたを見ては確信に変わるようで 変わらないようで>と、不安定ながらも<幸福そうな結末>の方を選ぼうとしている気持ちがどんどん強さを増して伝わってくるのです。きっともう、想いはとっくに固まっているのでしょう。
愛情ごっこで手を打とう
その内本物になるかもしれない
最初は大体真似事よ
ずっとそうなのかもしれないけど
「ほころびごっこ」/indigo la End
そして歌のラスト、主人公は<愛情ごっこで手を打とう>という結論にたどり着きます。<その内本物になるかもしれない>という期待を持って。ずっと<真似事>かもしれないけど…と、また<後ろ向きな想像>で予防線を張ってはいますが、人生に期待できるようになったこと自体が<僕>の大変化です。それに<愛情ごっこ>と言いながらも、歌のなかにはもう『ごっこ』ではない“愛情”が満ちておりますよね…!
さて、映画『ごっこ』と主題歌のindigo la End「ほころびごっこ」。どちらの世界も、劇場でじっくりとご堪能ください!
◆紹介曲「ほころびごっこ」
2018年10月20日配信
作詞:川谷絵音
作曲:川谷絵音