せめて波は私の味方でいてよ。

スカート
せめて波は私の味方でいてよ。
2019年1月23日に“スカート”が2ndシングルをリリースしました。そのタイトル曲「君がいるなら」は、1月25日から公開されている映画『そらのレストラン』の主題歌。収録曲「花束にかえて」は挿入歌として書き下ろされた楽曲です。北海道を舞台に、笑顔も、涙も、おいしいも、ひとつにとけあい、分かち合うことをテーマにしたこの映画。 主人公(大泉洋)は“海が見える牧場”で酪農を営み、妻と娘と仲間たちに囲まれ、楽しい日々を送っております。彼の夢は、自分の牧場の牛乳で、師匠のようなチーズを作ること。しかし、なかなか納得ゆく味は完成しません。一方で、あるきっかけからこの大地のおいしいものをみんなに届けるため、レストランを開くことを思いつくのですが…。 窓から月が見える夜 なにもない夜 君になんて話せばいい 時間は過ぎる 「遠くまで行こうよ」 黙り込む二人 それでも青い鳥は そこにはいない 「花束にかえて」/スカート 決して簡単には叶わないのが夢というもの。ときには、挫折や逆境で途方に暮れることもあるでしょう。主人公然り、わたしたち然り。そんな心模様を描いているのが、挿入歌の「花束にかえて」です。窓から月が見える夜。それを見つめる二人。どこか【月が綺麗ですね】=【I love you】を意味するという、かの有名なお話も思い出します。 でも、おそらく歌の主人公は今、月を見つめながら愛を感じられるような状況ではありません。だからこそそばに<君>がいるのに、そこに愛だけはあるはずなのに、あえて<なにもない夜>だと綴られているのではないでしょうか。なにもない自分。なにもない現状。それゆえの不安。それを<君になんて話せばいい>かもわからずにいるのです。 そして、ポツリと放つ「遠くまで行こうよ」というひと言は、やけになった現実逃避の提案でもあるのでしょう。だけど<黙り込む二人>。それが逃げだと、諦めだと、淋しい選択肢だとお互いに知っているから。妥協した未来の<遠く>には“幸せ”の<青い鳥>なんていないのだと気づいているから。今はただ現実に打ちひしがれるしかありません。 花束も枯れそうな 潮風の中 二人は何を なくしたのだろう 波の音で 彼女の声は かき消されて 防波堤の影に腰おろす二人 せめて波は私の味方でいてよ 変わらずにいれたなら 誰も背中を押してくれるな 淡い夜だ 波の音で 彼女の言葉はかき消され 二人はどこへも行けないのか 「花束にかえて」/スカート そんな二人が<何をなくした>のか。笑顔、余裕、希望、可能性、いろんなワードが浮かびますが、何より失いそうになっているのは“相手を信じ、頼る心”である気がします。隣り合っていても<せめて波は私の味方でいてよ>と思っているのです。つまり<君>を味方だとは思い切れないまま、本音も伝えられずにそばにいるということ。 さらに「花束にかえて」というタイトルにも、こうして“相手を信じ、頼る心”を失ってまで、幸せな<花束>の“代わり”に手に入れようとしているものは何? というメッセージが含まれているのかもしれません。その前に身近にある大切なものを見失ってはいませんか? どこへも行けないこのままで良いのですか? と、この歌は伝えているのだと思います。 何もなくても 君がいるなら 僕はまた歩いてゆける はじまりなら いつでも傍に 転がってるような気がするよ 「君がいるなら」/スカート ただし<二人はどこへも行けないのか>と答えのないまま幕を閉じてゆく、挿入歌「花束にかえて」へ向けて、ひとつの答えを届けるような役割を果すのが、主題歌の「君がいるなら」なんです。先ほどは<なにもない夜>に未来を見出せなかった主人公が、この歌では<何もなくても 君がいるなら 僕はまた歩いてゆける>と歌っております。 愛を見失えば、どこへも行けないかもしれない。逆に愛に気づいたなら、どこへだって行ける。挿入歌「花束にかえて」と主題歌「君がいるなら」は“対”になって大切なことを教えてくれているのです。どちらの楽曲も、物語の中でやさしく心に響くはず。是非、劇場で映画『そらのレストラン』もスカートの音楽もじっくりお楽しみください…! ◆紹介曲「 花束にかえて 」 作詞:澤部渡 作曲:澤部渡 ◆紹介曲「 君がいるなら 」 作詞:澤部渡 作曲:澤部渡 ◆メジャー2ndシングル「君がいるなら」 2019年1月23日発売 PCCA-04753 ¥\1,200+税 <収録曲> M1.君がいるなら(映画『そらのレストラン』主題歌) M2.花束にかえて(映画『そらのレストラン』挿入歌) M3.すみか