平気と晴れた空にあたしは今日も上を向く、昔あなたがしてたから。

 2019年3月8日に“aiko”が新曲「愛した日」を配信リリースしました。金曜ナイトドラマ『私のおじさん~WATAOJI~』主題歌として書き下ろされたこの歌。タイトルは“愛する日”という現在進行形ではなく「愛した日」と過去形であることから、おそらくすでに二人の“わかりやすい関係”は終わっているであろうことが予想されますよね。

たまにあなたがとても恋しくなるよ
随分逢ってないせいかな
それは仕方ないし 自然とそうなったし
あなたもあたしも止めなかったし
「愛した日」/aiko


 しかし、人と人の繋がりは必ずしも、逢ったり、触れたり、愛したりすることでしか感じられないものではありません。たとえば、ふと<たまにあなたがとても恋しくなる>こと。それは、まだ愛しているからでも、まだ好きだからでも、やり直したいからでもない気がします。あまりに<あなた>が<あたし>の日常だったからではないでしょうか。

 離れたこと自体は、きっと<仕方ないし 自然とそうなったし あなたもあたしも止めなかった>くらい必然だった。でも、長く一緒にいた大切なひとと<随分逢ってない>と、迷ったとき「あなたならどうする?」と訊けないこと、嬉しいとき気持ちを共有できないことなどを“心の穴”として実感することって、ありますよね。ああそうか、もう逢えないんだった、と。そんなとき<あなた>は“いないけれど、いる”のだと思います。

あなたの姿が見えない日も
触ってあげられない日も心の底から大好きだった
平気と晴れた空にあたしは今日も上を向く
昔あなたがしてたから
「愛した日」/aiko


 そして、その“いないけれど、いる”状態は、かつての「愛した日」にも通じているのでしょう。それが表れているのが<あなたの姿が見えない日も 触ってあげられない日も心の底から大好きだった>というフレーズ。つまり“あなたがいてもいなくても、いつでも愛していた”状態です。呼吸するように、日常に当たり前に「愛した日」はあった。
 
 だからこそ“愛する”とか<大好き>という感情がなくなっても、まだ<あなた>は<あたし>の心のなかにしっかり存在しているのです。尚かつ「愛した日」に残してくれた、素敵な<あなた>の生き方は今<あたし>の一部にもなっております。たとえば<平気と晴れた空にあたしは今日も上を>向いてみたり。そうやって人と人の繋がりは消えてしまうことなく、いろんな形で“今”に続いていくものなのでしょう。

約束はただの約束 あの場所もただのあの場所

些細なしぐさと混じる雲に
さようならも言えないまま
ふたり手を離してしまったのね
重なる笑い甘えた言葉は
あなたの心のどこかに今日もありますか

今のあたしの目と今のあなたの目が
合ったら合ったら泣いてしまうのかな
「愛した日」/aiko

 ちなみに、この歌には強い後悔や未練が綴られているわけではありません。何かをしたいと言っているわけでもありません。ただ強いて言うのなら、良くも悪くも<さようならも言えないまま ふたり手を離してしまった>ことによって、今の<あたし>の心はよりいっそう<あなた>が“いないけれど、いる”状態になっている、ということです。

 最後らしい最後じゃなかった。それゆえに<約束はただの約束>として、破られることも果されることもなく残っています。<あの場所もただのあの場所>として、思い出が更新されることなく存在しています。<重なる笑い甘えた言葉>だって、忘れていない<あたし>の心のどこかには、今日もちゃんとあります。
 
 では<あなたの心のどこかに今日もありますか>と問いかけたくなる感情や、<今のあたしの目と今のあなたの目が合ったら>と考えてしまう感情は、何と名づければいいものなのでしょうか。それは<あたし>自身にもわからないのでしょう。ただ「愛した日」が終わっても、こうして「愛した日」を携えながら生きている。“いないけれど、いる”<あなた>と生きている。それだけが今の<あたし>の“確か”なのです。

あなたの姿が見えない日も
触ってあげられない日も心の底から大好きだった
平気と晴れた空にあたしは今日も上を向く
昔あなたがしてたから
「愛した日」/aiko


 恋人だとか、友達だとか、わかりやすい関係は終わってしまったとしても、かけがえないひとの存在は自分の心身に少なからず残ってゆく。その切なくもあたたかい温もりを描いているのが、aikoの「愛した日」という楽曲。今は遠く離れている、あなたにとっての大切な誰かを思い浮かべながら、是非この歌を聴いてみてください。

◆紹介曲「愛した日
2019年3月8日配信
作詞:AIKO
作曲:AIKO