いろいろわかる… 夏川りみ スペシャルインタビュー!
夏川りみ、スペシャルインタビュー! 25年目の『涙そうそう』とも言える新曲『詩、歌、唄』が 2024年5月22日に配信リリース! 自身の音楽人生を歌った歌詞に、歌声の魅力が詰まったバラード!「そこから全てが始まりました…」 歌手デビューまでのヒストリーに『涙そうそう』のエピソードも! デビュー25周年! インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり! Natsukawa Rimi 夏川 りみ Digital Single 『 詩、歌、唄 』 (うた、うた、うた) ★『涙そうそう』『童神』などで知られる 石垣島出身の歌手! ★ 1989年に 星 美里 としてデビュー、1999年に 夏川りみ として再デビュー! ★ 夏川りみ としてデビューしてから 25周年! ★ 25年目の『涙そうそう』とも言える新曲『詩、歌、唄』! ★ 自身の音楽人生を歌った歌詞に、歌声の魅力が詰まったメジャー調のバラード! ★ 歌手デビューまでのヒストリーに、『涙そうそう』のエピソードも! ★「そこから全てが始まりました…」 夏川りみ 「詩、歌、唄」 (Lyric video) ■ 配信シングル リリース情報 夏川りみ 『詩、歌、唄』 (うた、うた、うた) Digital 2024年 5月22日 配信 Victor Entertainment <収録曲> 1 詩、歌、唄(作詞:鮎川めぐみ / 作曲:平井夏美 / 編曲:星 勝) 各配信サイト 歌詞を見る 夏川りみ ビクターエンタテインメント 夏川りみ オフィシャルサイト 夏川りみ YouTube 夏川りみ 歌詞一覧(人気順) ■ 写真集 発売情報 夏川りみ 25周年記念ファンブック『たびぐくる』 写真集 2024年 6月26日 発売 ISBN : 978-4-8470-7452-3 ¥5,000(税込) ワニブックス ワニブックス ワニブックス通販 amazon ■ コンサート / イベント出演 情報 夏川りみ 25th Anniversary “たびぐくる“プレミアムコンサート 6月29日(土)【神奈川】 関内ホール 開場 15:30 / 開演 16:00 7月15日(月祝)【大阪】 森ノ宮ピロティホール 開場 15:45 / 開演 16:30 7月20日(土) 【兵庫】 神戸新聞松方ホール 開場 15:45 / 開演 16:30 7月26日(金) 【東京】 渋谷区文化総合センター大和田さくらホール 開場 18:00 / 開演 18:30 夏川りみ 25th Anniversary “たびぐくる“アコースティックコンサート 8月18日(日) 【佐賀】 佐賀市文化会館 開場 14:00 / 開演 14:30 9月07日(土) 【埼玉】 大宮ソニックシティ 小ホール 開場 15:00 / 開演 15:30 9月08日(日) 【静岡】 焼津文化会館・大ホール 開場 14:30 / 開演 15:00 9月15日(日) 【福島】 須賀川市文化センター 開場 14:30 / 開演 15:00 9月28日(土) 【広島】 はつかいち文化ホール ウッドワンさくらぴあ 大ホール 開場 14:30 / 開演 15:00 9月29日(日) 【島根】 大田市民会館 開場14:30 / 開演15:00 10月12日(土) 【徳島】 藍住町総合文化ホール 開場14:15 / 開演 15:00 10月13日(日) 【福岡】 宗像ユリックス ハーモニーホール 開場 14:30 / 開演 15:00 10月27日(日) 【福井】 パレア若狭 音楽ホール 開場14:00 / 開演 14:30 ※ 2024/7/16 現在(追加予定あり) 夏川りみ コンサート情報 ■ いろいろわかる… 夏川りみ スペシャルインタビュー! おそらく、ほとんどの人がそう感じたと思うが、2001年に発売された 夏川りみ の『涙そうそう(なだ そうそう)』(作詞:森山良子 / 作曲:BEGIN)を初めて聴いたとき、「なんてきれいな声なんだろう」と思った。 言葉のエッジが効いていて、明るくクリアな響きなのにやわらかく、肩のチカラがす〜っと抜けるような、まさに癒しの歌声だ。どんな形容詞を使っても陳腐になってしまうくらいで、まさに、沖縄の空のように明るい響きと、沖縄の海のような透明感を感じさせる。あの 藤山一郎 も「40年に一人出るか出ないかの歌手」と称したと言う。 『涙そうそう』は、もちろん、もともと素晴らしい楽曲だし、オリジナルの 森山良子 や BEGIN が歌ったバージョンもいいが、夏川りみ の歌声があったからこそ、あれほど売れて国民的な楽曲になったのだろう。2006年には『日本の歌百選』にも選ばれている。また、2003年に発売された『童神〜ヤマトグチ〜(わらびがみ)』(作詞:古謝美佐子 / 作曲:佐原一哉)が、「胎教にいい」と話題になったのも、まさに、あの歌声だったからだろう。 2006年には、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、韓国、アジアの 5か国で、日本では未発売のアジア・オリジナルのベストアルバム『Rimi Natsukawa Selection』が発売され、その後、中国、台湾、韓国、シンガポール、ベトナム、ブラジル、ペルーなど、アジアを中心に海外でのコンサートも積極的に展開し、いまや、日本のみならず、中国や台湾などでも人気が高い。 とくに、今年、2024年の2月に 25周年アジアツアーとして訪れ、6,000人を動員した台湾では、これまで通算15回のコンサートの開催を積み重ねており、台湾のメディアによると、海外アーティトとしては史上最多の公演数になるそうだ。 1989年、16歳、高校生の時に 星 美里(ほし みさと)の芸名でデビューして35年、1999年に 夏川りみ として再デビューしてから、今年、2024年の5月で25年となった。 そして、25周年イヤーの今年、2024年5月22日に配信シングルとしてリリースされたメジャー調のバラード『詩、歌、唄(うた うた うた)』(作詞:鮎川めぐみ / 作曲:平井夏美 / 編曲:星 勝)は、『涙そうそう』と同じく沖縄音階が使われた曲ではないが、沖縄の雰囲気を感じる「これぞ、夏川りみ!」と言える曲だ。夏川りみ 自身の音楽人生を歌ったような歌詞と、夏川りみ の歌声のいいところが全部出ているメロディで、心地よく、疲れた心を癒してくれる。 年を重ね、抜群の歌声は変わらないまま、より響きが豊かに、やわらかくなっていて、まさに、「25年目の『涙そうそう』」と言ってもいいような、夏川りみ らしい素敵な曲になっている。この集大成のような新曲『詩、歌、唄』は、『涙そうそう』に並ぶ代表曲になるのではないかと思う。 そのイメージどおり、明るく、おおらかで、自由な 夏川りみ は、「食べて、飲んで、寝る」が健康法だと話すが、一方、「そこから全てが変わった」と話す『涙そうそう』も、カバーしたいと自ら直接交渉するなど、歌に対する情熱と芯の強さも感じさせる。 夏川りみ には、いい歌がたくさんある。ぜひ、この『詩、歌、唄』をきっかけに、たとえば、Kiroro の 玉城千春 が書き下ろした『道しるべ』や、THE BOOM の 宮沢和史 が書き下ろした『愛よ 愛よ(かなよ かなよ)』、吉幾三 による『愛』、夏川りみ 本人が「RIMI」名義で作詞した『サ・ラ・ラ』、同じく自身が作詞だけでなく作曲も手がけた『愛さ生まり島(かなさうまりじま)』なども聴いてほしい。 <もくじ> 1 25年目の『涙そうそう』とも言える新曲『詩、歌、唄』 〜「"25年詰まっちゃったじゃん" みたいな…(笑)」〜 2 自身の音楽人生を歌ったような歌詞 〜「もう自分で交渉しに行くみたいな…」〜 3 夏川りみ としてデビュー 25周年 〜「全てが大きく変わったなって思ってます…」〜 4 演歌・歌謡曲を歌って「のど自慢 荒らし」、16歳で歌手デビュー 〜「やっぱりすごく嬉しかったですね…」〜 5 一度は引退、そして、夏川りみ として再デビュー 〜「自分にも言い聞かせながら…」〜 6 『涙そうそう』と出会い人気歌手に 〜「そこから全てが始まりました…」〜 7 ワールドワイドに活動、「日本の歌姫」から「アジアの歌姫」に 〜「すごく嬉しかったですね…」〜 1 25年目の『涙そうそう』とも言える新曲『詩、歌、唄』 〜「"25年詰まっちゃったじゃん" みたいな…(笑)」〜 ーー 1999年に 夏川りみ として再デビューしてから 25周年となる今年、2024年5月22日に配信シングルとしてリリースされた『詩、歌、唄(うた うた うた)』(作詞:鮎川めぐみ / 作曲:平井夏美 / 編曲:星 勝)は、メジャー調のバラードで、『涙そうそう』と同じく沖縄音階が使われた曲ではないが、沖縄の雰囲気を感じる。夏川りみ 自身の音楽人生を歌ったような歌詞と、夏川りみ の歌声のいいところが全部出ているメロディで、まさに、25年の集大成のような曲だ。 夏川: ありがとうございます。でも、出来たときは、そこまでは考えてなかったんです。今までも私の楽曲を何度か書いてもらっている作詞家の 鮎川(めぐみ)さんと最初に話したときに、「やっぱり、今まで『涙そうそう』が大きいんだけど、25周年なので、オリジナルでヒット曲が欲しいよね〜」っていう話から、今回のこのチームができたんです。 夏川: そういうふうに、「りみ の25周年だから、なんかいい曲を作りたいね」っていうことで、このチームを作って、作詞家、作曲家の先生とも何度もご飯食べながら、いろんな話をしながら、「どういう歌が歌いたいのか?」とか……、たとえば、歌詞の内容だったりとか……、ま、アルバムを作るときとかもそうなんですけど、「テーマは何にしよう?」みたいな、そんな話を何度もしました。 ーー 谷村有美 や 高橋真梨子 らの作詞で知られ、これまでにも、夏川りみ の『鳥よ』や『いとしい人へ』などを作詞している作詞家の 鮎川めぐみ による『詩、歌、唄』の歌詞では、「歌に救われて今がある」というようなことが歌われている。まさに、夏川りみ の歌人生そのものだと感じる。 夏川: そうですね〜。で、今回、私が皆さんに伝えたいなと思ったのは、いつもコンサートのときもそうなんですけども、来てくれる皆さんが、私の歌を聴いてすごく元気になったり、幸せになれる曲をたくさん届けていきたいっていうのをずっと伝えてきたんですけど……。で、もちろん、それもあるし、人生の中で、私の歌がその人に寄り添ってくれたらすごく幸せだなっていう気持ちを作詞家の先生とお話ししたんです。 夏川: それで、「私にとって歌とは?」みたいな話をしながら、そういう流れで、(『詩、歌、唄』の歌詞の中にある)「♪いつも裏切らない友達」とかの歌詞も出てきたんです。 夏川: で、それまでも何度も「ここはちょっと違う」とか、「ここまでは好きだけど、ここの部分は、もうちょっと何かないですかね」とか……(笑)、そうやって、結構、そうですね、何回も、もらったり返したりしながら、最終的に決まったのがこの歌詞なんです。 ーー 松田聖子 の『瑠璃色の地球』や 井上陽水 の『少年時代』(井上陽水 との共作)などの作曲で知られ、夏川りみ の曲でも『サ・ラ・ラ』や『明日の君へ』を書いている 作曲家の 平井夏美 によるメロディは、夏川りみ の歌声のいいところが出るように作られている。 夏川: ありがとうございます。歌入れのときも、もちろんこの作曲家の方は、これまでにも私の曲も書いてくれたりしてる方なんですけども、やっぱり、さっきおっしゃっていただいたように、すごく私のいいところを知ってくれてて、このメロディだったらいいだろうっていう感じでした。 夏川: で、詞が先にできて、曲がその後だったんですけども、そのときに曲の何となくのイメージがあって、それを当てはめたときに、「ココがちょっと字余りになっちゃうから」と修正に入って、詞と曲と、お互いのいいところをとって、最終的に出来上がったのがこの『詩、歌、唄』になったということなんです。 夏川: なので、レコーディングのときには、そこまでは意識してなかったんですけど、全部ができて、最後、アレンジの方にお任せして全部が出来上がって聴いたら、「めっちゃいいよな」って……(笑)。あらためて聴いたら、「なんか25年詰まっちゃったじゃん」という感じだったんですよ……(笑)。 2 自身の音楽人生を歌ったような歌詞 〜「そこに表してもらった感じですね…」〜 ーー 新曲『詩、歌、唄』では、サビの「♪詩を 歌を 唄を〜」の張ったところは、夏川りみ らしい心地よい声が聴けるが、たとえば、1番のAメロ「♪思い切り泣いていいよ」の「いいよ」などのやさしい歌い方のところもグッとくる。 夏川: ああ〜、ホントですか〜、ありがとうございます。うれしいです。 ーー 歌入れのレコーディングには、そういう歌い方のイメージを作って、歌い込んでいくのだろうか? 夏川: レコーディング前に歌い込んだりとかは、とくにはしないです。自分の中で、メロディと詞の置くところを確認するぐらいですね。もうそういう歌い込むとかというよりは集中型です。 夏川: 歌入れのときも、毎回、そうなんですけど、だいたい「何テイクか録って、その中でいいのを」って感じなんです。あとは、ちょっとこなれちゃうので……、だいたい、もう 6回か 7回ぐらい……、多く歌って 7テイクぐらい録りますけど、最後の 7テイク目ぐらいって、自分が自由に歌うと、なんかもう、よくわかんない……。 夏川: やっぱり、1テイク目か、2〜3回目ぐらいの最初のときの方が、すごく素直に歌ってるテイクがあるので、それをもとに作ったって感じなんです。あんまり作り込むというよりかは、本当に素直に歌いました。 ーー 『涙そうそう』CD と、今回の『詩、歌、唄』を聴き比べてみると、声の印象は変わらず、今回の方が、より響きが豊かでやわらかくなっている気がして、説得力も増している。 夏川: あっ、ホントですか! うれしいです。ありがとうございます! ーー 「♪人に傷付き人に 救われてここまで来た 歌えない日もあった だから今伝えたい」の部分などは、まさに、自身の経験と重なるところだろう。 夏川: そうですね。なんか、思い通りにいかない気持ちを、そこに表してもらった感じですね。 ーー 歌詞の中に、「♪私も泣きたい時 口ずさむうたがあるよ」「♪うたはいつもどこでも 裏切らない友達」とあるが、夏川りみ にとって、そういう歌は、たとえば、どんな歌なのだろう? 夏川: う〜ん……、なんか、私の中では、そういう歌って言うと、やっぱり『涙そうそう』が大きいですよね。やっぱり、本当に「その曲に出会ってなかったら、本当に今の私はない」っていつも言ってますし……。 夏川: う〜ん……、それまでは、歌うことが好きで、「私のために与えられた曲ならば喜んで歌う」っていう気持ちもあったけど、やっぱり大きかったのは、『涙そうそう』を聴いたときに、「うわ〜、こんな歌があるんだ! こういう歌が歌いたいな〜」ってやっぱり自分の中から出てきた想いっていうのが一番強かったですね。 夏川: なんか、それ以降も、本当にカバー……、どれもカバーなんですけど、たとえば、古謝 美佐子(こじゃ みさこ)さんが歌った『童神』とかも、古謝(美佐子)さんが歌ってるのを聴いて、「うわ、素敵な歌があるんだな〜、私もこれ歌いたいな〜」と思って、やっぱ古謝(美佐子)さんに「あの歌、歌いたいな」って伝えたりとか……。 夏川: もう、それからは、本当に、会社の人が動くとかじゃなくて、自分から、たとえば 宮沢和史 さんに「私に作って!」とか、もう自分で交渉しに行くみたいな……(笑)、そういう感じでしたね。 ーー 夏川りみ として再デビューした 2年後の 2001年に発売された 3枚目となるシングル『涙そうそう』が大ヒットしたことで一躍有名になったが、森山良子 や BEGIN が歌っていた『涙そうそう』をカバーさせてほしいと、夏川りみ が直接交渉した話はよく知られている。そして、その後、2003年に 6枚目のシングルとして発売され、『第45回 日本レコード大賞』で金賞を受賞した『童神〜ヤマトグチ〜』(作詞:古謝美佐子 / 作曲:佐原一哉)も自ら交渉したと言う。 ーー さらに、2004年に発売された 7枚目のシングルで、『第46回 日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞を受賞した『愛よ愛よ(かなよ かなよ)』(作詞・作曲:宮沢和史)も、『島唄』などで知られる THE BOOM の 宮沢和史 に、直接、書き下ろしを頼んだと言う。 夏川: はい、そうですね。「りみのために作って〜」とかって……(笑)。 3 夏川りみ としてデビュー 25周年 〜「全てが大きく変わったなって思ってます…」〜 ーー 誰もが認めるところだと思うが、夏川りみ の歌声は、本当になんと言っていいのかわからないくらいいい声だ。言葉のエッジが効いていて、明るくクリアな響きなのにやわらかく、肩のチカラがす〜っと抜けるような、まさに癒しの歌声だ。どんな形容詞を使っても陳腐になってしまうくらいで、まさに、沖縄の空のように明るい響きと、沖縄の海のような透明感を感じさせる。あの 藤山一郎 も「40年に一人出るか出ないかの歌手」と称したと言う。個人的には人間国宝にしたいくらいだ。 夏川: あははは……(笑)、ありがとうございます。う〜ん……、でも、自分の声が特別だとか、そういうことは思わないですね。 夏川: で、今まで、出産とかもしたけど、女性は子供ができると、ちょっとキーが変わったりとかっていう話とか、年を重ねていくとキーが変わるとかっていう話も聞くんですけど、あんまりそういう変化もなく……。 夏川: やっぱり、お酒も大好きで、「食べて、飲んで、寝る」っていうのが自分の健康法であって……(笑)、ノドもね、とくに何をするってわけではないので、強い方なのかもしれないですし……、だからそれは、もう両親に感謝だなって思いながらですね。あとは、やっぱり、歌っているときが、一番しあわせだなと思うだけで……。 ーー 本当に「歌うことが好き」ということが伝わってくる。 夏川: なんかね……、小さい頃からなんですけど、私が歌うと、とくに子供が歌うと大人は喜んで褒めてくれるじゃないですか……(笑)。それで、「そんなに喜んでもらえるんだ〜!」っていう気持ちのまま、どっちかっていうと、今もその延長線上で、なんか「私が歌うと喜んで聴いてくれる人がいる」じゃないですけど、それに近いかもしれないですね。 ーー 1989年、16歳、高校生の時に 星 美里(ほし みさと)の芸名でデビューして35年、1999年に 夏川りみ として、シングル『夕映えにゆれて』(作詞:及川眠子 / 作曲:都志見隆)で再デビューしてから、今年、2024年の5月で25年となり、25周年イヤーを迎えている。 夏川: そうですね〜……、いや、やっぱり、もう、歌手になることを夢見て……、もちろん、その 星 美里(ほし みさと)という名前でね、平成元年、高校生のときにデビューできたときも、もちろん嬉しかったんですけども、結果、そうやって「のど自慢荒らし」みたいなことをやってきて、なんか「いけるかもしれない!」と思って東京に上京してきて、やっと歌手になれたってなったときに、なんか「そんな自分が思ってるほどやっぱり全然人に響かないんだな〜」って思ったときもあったし……。 夏川: それで、うまくいかなくて、やっぱり諦めかけたときもあったんですけど、結局、そのときでも、歌は捨てきれずに……、「歌やめよう」って思ったときもあったけど、結局、なんか歌に本当に救われて……。 夏川: 歌を歌ってると、なんかその時代に戻れるとかあるじゃないですか……。そういう歌のチカラとかって本当にすごいなって思ったし、何よりも私自身がすごく歌に勇気づけられてきた部分っていうのがすごく大きかったなと思って、音楽には、そういうすごいチカラがあるんだから、そのチカラを、聴いてくれる人に、その思いを届けてあげられたらいいな〜って思いながら、ずっと好きで歌っていたら、再デビューの話が来たんです。 夏川: でも、最初は、「沖縄を(表に)出さずに」っていうのがあったんですけど、やっぱり『涙そうそう』に出会ったときに、そこからなんか自分の生まれた沖縄の歌をもっと歌いたいなと思ったし、それこそ三線を触りたいなって思ったし、もうそこから、全てが大きく変わったなって思ってます。 ーー まさに、『涙そうそう』は、夏川りみ にとって「人生の恩人」のような曲なのだろう。そして、歌唱も、『涙そうそう』から大きく変わった気がする。その前作、2000年に発売された 夏川りみ としての 2枚目のシングル『花になる』(作詞:田久保真見 / 作曲:都志見隆)は、楽曲も歌い方も今のイメージに近いが、その後の『涙そうそう』(3rd Single、2001年)、『道しるべ』(4th Single、2003年)、『鳥よ』(5th Single、2003年)、『童神〜ヤマトグチ〜』(6th Single、2003年)と聴くと、『涙そうそう』をきっかけに、歌の感じも変わったことがわかる。 夏川: そうですね……、はい。それくらい大きかったってことですね。 ーー 先日、2024年6月29日 からは、各公演にスペシャル・ゲストを迎える 25周年コンサートツアー『25th Anniversary Tour “たびぐくる” 2024~ Premium Concert with Special Guest ~』が始まっていて、7月26日まで、神奈川、大阪、兵庫、東京の 4都市での公演が予定されている。さらに、8月からは、『25th Anniversary Concert Tour“たびぐくる”2024』がスタートする。 夏川: 神奈川、大阪、兵庫、東京 の 4ヶ所は、ちょっとスペシャルライブってことで、シークレットゲストを呼んで、お祭りっぽくなんかやりたいな〜と思ってます。シークレットゲストは、毎回、違う人で、当日までシークレットです……(笑)。 夏川: 8月からのアコースティックコンサートの方は、これから決まってくるところもあるので、今後、来年のスケジュールも出てくると思います。 夏川: あとは、(今年の)前半に、上海(2024年4月26日)、杭州(2024年4月27日)、廣州(2024年4月28日)、あと台湾(2024年2月3日〜4日)も行ってきたんですけど、また海外公演も積極的にやっていきたいなと思っています。 夏川: それと、今回、夏川としては、『フジロック』(2024年7月28日「FUJI ROCK FESTIVAL’24」新潟県湯沢町苗場スキー場)が初ということと、あとは、旧暦の七夕に、毎年、石垣島で『南の島の星祭り』というイベントがあって、それは本当に、今回、夏川は久しぶりに石垣島のその星祭りのステージで歌います(2024年8月10日『南の島の星まつり2024』)。 4 演歌・歌謡曲を歌って「のど自慢 荒らし」、16歳で歌手デビュー 〜「やっぱりすごく嬉しかったですね…」〜 ーー 1973年に沖縄県石垣市で生まれた 夏川りみ は、子供のころ、古本、石垣島では、どんな歌を聴いていたのだろう? 夏川: えっとね……、やっぱり、ピンク・レディー でしたね。ピンク・レディー を見て「こういうふうに歌いたいな」と思ったんです。1コ下の妹と、よく縄跳びをマイク代わりにして、振り付けをやりながら、あちこち近所を「出張ライブ」みたいな感じで歩いてました……(笑)。 ーー 子供のころから、歌手になりたいと思っていて、小学校 2年生のころから、毎日、父親が歌の指導をしていた。 夏川: はい、そうですね。で、小学校 2年生のときに、石垣島の大会で歌った歌は、川中美幸 さんの『ふたり酒』(1980年)だったんですよ。でも、それは、父親が「この曲にしろ」みたいな感じだったんです。毎回、何か大会に出るときの選曲は父がやってたんですけど、なんか「演歌・歌謡曲の方が、どんなジャンルでも歌いこなせるから」っていうことで。 夏川: 最初は……、なんだったんだろうな……、小学校 1年生のときに、近所のおばさんが「どこどこでお祭りがあって飛び入りできるからあんた歌いなさい」って感じで最初に連れてってくれたのがきっかけで、そのときにチャンピオンになってトロフィーもらったんですよ。なんか、めちゃくちゃそれが嬉しくて、そのとき 松村和子 さんの歌とか歌ったのかな、『お加代ちゃん』(1981年)とかだったと思うんですけど……。 夏川: で、その後に、ケーブルテレビ主催の「のど自慢」で、またチャンピオンになって、そこからはなんかゲスト扱いされて、普通に大会には出してもらえず……。その後に、今度は親戚から「沖縄本島でこんな番組があるよ」っていう情報をもらって、飛行機に乗って那覇まで行ってその大会に出るようになって、それで、沖縄県代表になったりとかで、だんだん全国的になっていったんです。 ーー 1982年、9歳の時に、地元、石垣ケーブルテレビが主催する『第1回 ちびっこのど自慢大会』で初代チャンピオンになってからは、1984年、大阪毎日放送の『素人名人ちびっこ大会』で優勝、1986年、日本テレビの『輝け!! 第8回 日本ちびっこ歌謡大賞』沖縄代表として出場し大賞を受賞するなど、水森かおり、島津亜矢、市川由紀乃、北山たけし らも出ていた全国各地の「ちびっこのど自慢大会」で優勝を重ねていた。 夏川: その頃は、えっと……、『兄弟船』(鳥羽一郎)とか、松原のぶえ さんの『おんなの出船』とか、森昌子 さんの『なみだの桟橋』とか、石川さゆり さんの『漁火挽歌』とか……、テレサ・テン さんとか、北原ミレイ さんとか歌ってましたね。 夏川: でも、その頃、私は 中森明菜 さんが好きでした。小学校の 5〜6年生は、(中森)明菜 さんが好きだったんですけど、歌わされた歌は、演歌・歌謡曲でしたね。なので、「中森明菜 さんみたいになりたい」っていうのもありました。 ーー そして、1986年、12歳、中学1年生の時に、松本伊代、本田美奈子.、島津亜矢、田川寿美、石嶺聡子 らを輩出した『第10回 長崎歌謡祭』に出場し、史上最年少でグランプリを獲得した。 夏川: はい、それまでは、沖縄の大会に出ていたことが多かった多かったので「琉球放送 推薦」っていうので出たんですよ。で、それが、初めて大人も交えての大会でした。それまでは、「ちびっこ大会」とかだったんですけど、その『長崎歌謡祭』は、大人も一緒に入った大会で、それで、中1で最年少の記録は、多分、そのときからまだ破られてないと思うんですけど……、っていうのがありましたね。そのときは、北原ミレイ さんの『石狩挽歌』を歌いました。 ーー その『第10回 長崎歌謡祭』でグランプリを取ったことで、レコード会社からスカウトされた。 夏川: はい、そのとき、ポニーキャニオンのディレクターだった 三井(健生)さんにスカウトされたんです。三井(健生)さんは、家でテレビで見ていたらしいんですけど、「絶対この子がグランプリ取るだろうな」って見てたら、やっぱり私が取って、それで、「この子、琉球放送推薦って言ってたな」って思って、琉球放送に連絡したらしいんです。そしたら、私の実家に電話かかってきたんですよ。 夏川: で、そのあと、1年は石垣にいたんですけど、中3 で上京しました。なによりも、「早く東京に行きたいな〜」って思ってたし、「歌手になれる」ってなったときに、やっぱりすごく嬉しかったですね。 ーー 上京後、念願の歌手デビューはすぐだった。16歳 高校1年のとき、星 美里(ほし みさと)の芸名で演歌・歌謡曲歌手として、1989年12月15日、シングル『しほり』(作詞:吉田旺 / 作曲:三木たかし / 編曲:竜崎孝路)でポニーキャニオンからデビューした。 ーー 星 美里 としてのデビュー曲『しほり』は、マイナー調ミディアムテンポの歌謡曲でいい曲だ。歌詞は演歌っぽい感じもあるが、『時の流れに身をまかせ』『つぐない』『別れの予感』など一連の テレサ・テン 作品や、『みずいろの手紙』(あべ静江)、『乙女のワルツ』(伊藤咲子)、『思秋期』(岩崎宏美)、『若き獅子たち』(西城秀樹)、『哀愁のシンフォニー』(キャンディーズ)、『津軽海峡・冬景色』(石川さゆり)、『遣らずの雨』(川中美幸)、『夜桜お七』(坂本冬美)……などの作曲で知られる 三木たかし による曲調は、必ずしも演歌とは言い切れない。 夏川: そうなんですよ〜。なんかね、やっぱり、森昌子 さんが、ポニーキャニオンにいらっしゃったので、そういうイメージでしたね。森昌子 さんの『せんせい』みたいな……。なので、森昌子 さんの『越冬つばめ』とかのデモテープも作ったりしてましたね。 ーー 最初、同じレコード会社の先輩、『越冬つばめ』『せんせい』『おかあさん』『哀しみ本線日本海』『なみだの桟橋』などのヒット曲で知られる 森昌子 のイメージで売り出そうとしていたようだ。しかし、一方で、中森明菜 にも憧れていた 夏川りみ は、それはイヤではなかったのだろうか? 夏川: なんか、私のために曲を作ってくれるとかって、それが、やっぱりすごく嬉しかったなって感じですね。 5 一度は引退、そして、夏川りみ として再デビュー 〜「自分にも言い聞かせながら…」〜 ーー 16歳で歌手デビューし、デビュー曲『しほり』のあと、翌1990年には、マイナー調ポップスの『夢色めまい』(作詞:阿久悠 / 作曲:都志見隆)、1992年には、マイナー調の演歌『港雨情』(作詞:たかたかし / 作曲:船村徹)と、計3枚のシングルが発売されたが、売れ行きは思わしくなく、デビューから約 7年後の 1996年に、一度、歌手を引退した。歌手をやめて沖縄に戻り、那覇市の姉のもとで、姉の飲食店を手伝いながら店で歌っていた。 夏川: はい。そのときは、もちろん、落ち込んでるときだったんですけど、大好きな「お酒」と「歌」があって、もう毎日がライブ状態で……(笑)。もうなんでも、演歌から洋楽まで、なんでも歌ってました。セリーヌ・ディオン とか ホイットニー・ヒューストン とか、そういうのも歌ってましたね。 ーー そんなとき、星 美里 としてデビューしたポニーキャニオン時代のディレクター 三井健生 が、音楽プロダクション(三井エージェンシー)を立ち上げるということで、再び、声がかかった。三井エージェンシーは、夏川りみ のために作られたと言われているが、そうではないらしい。 夏川: そう、違うんですよ。「金剛と榛名」っていう男性デュオがいたんですけど、多分、彼たちをやるためだったと思うんですけど……。 夏川: で、そのとき私は「なんかもう無理だ」と思って本当に離れてたときに、なんかね、うちのスナックに、ちょっと何者かわからない人が「キミ、うまいね」みたいな感じで来たんですよ。「もうすぐに来なさい、デビューさせるから」みたいなちょっと怪しい人だったんで、で、三井(健生)さんに、「なんかこういう人が来てたんです」って言って電話したんです。そしたら、三井(健生)さんから、「まだ歌いたい気持ちはあるの?」って言われて、「ありますよ」って言ったら、そのときは「ちょっと待ってて」みたいな感じだったんです。 夏川: で、その後、「ちょっと(東京に)来て」って言われて、なんかそれこそ 水森英夫(作曲家で 三井健生 の実弟)さんのお店だったかな……、そこにいろんなレコード会社の人とかが何人か来てくださってて、歌を聴いてもらったんです。で、「もしも、どこからも、もらい手がいなかったらもう駄目だけど」って言って、三井(健生)さんが 1回、そういう試聴会みたいなのを開いてくれたんです。それこそ、森昌子 さんの『越冬つばめ』とか……、あと、何歌ったかな〜……、美空ひばり さんの歌とかも歌ったし……。 夏川: でも、そのあと、それでもう何ヶ月後だったかな……、「もう、これ、連絡来ないな」って諦めかけてたときに、「ビクターさんに決まった」って連絡もらって、それからの再デビューだったんです。 ーー そうして、引退から約 3年後の 1999年5月21日、夏川りみ の芸名になり、シングル『夕映えにゆれて』(作詞:及川眠子 / 作曲:都志見隆)で、ビクターエンタテインメントから再デビューした。再デビューシングル『夕映えにゆれて』は、マイナー調、ポップス系の歌謡曲だった。 夏川: そうですね。だから、最初、演歌歌手でデビューしてダメだったからってことで、その……、なんかもうちょっと違うジャンルで、私に合うジャンルを探そうみたいなこともあったんですけど……、多分。でも、最初、「沖縄っていうのを出したくない」みたいなこともあって……。 ーー 最初は、沖縄出身ということや、沖縄色を出さない方針だったようだ。 夏川: はい。で、その『夕映えにゆれて』で再デビューして、でも、そのあと、『花になる』って曲を歌ったときに、「♪いつの日か花になる」「♪がんばれ」「♪だいじょうぶ」「♪負けないで」って自分にも言い聞かせながら歌ってました。 ーー 2000年に発売された 夏川りみ としての 2枚目のシングル『花になる』(作詞:田久保真見 / 作曲:都志見隆)は、メジャー調のポップスバラードで、夏川りみ の歌声が映えるいい歌だ。 夏川: そうなんですよ〜。で、そんなときに、ちょうど、BEGIN が歌う『涙そうそう』を聴いて、「何これ!」って思って、そこからですね……。 6 『涙そうそう』と出会い人気歌手に 〜「そこから全てが始まりました…」〜 夏川: で、うちのお姉ちゃんと BEGIN が同級生なんですよ。そういうのもあって、もう小さいころからすごく(BEGIN のメンバーには)かわいがってもらってたってのもあって、それで、BEGIN が歌う『涙そうそう』を聴いて、そのあとすぐに、渋谷のライブハウスに BEGIN を直接見に行って、聴いたんです。そのときに、楽屋に久しぶりだしってことで顔出して、「お〜、りみ、久しぶりだな〜。聴けたか〜? どんなだった〜?」って言われたときに、「とっても良かった〜。とくに、あの『涙そうそう』って歌さ〜……、あの歌ちょうだい!」って言って……(笑)、本当に、まさに、そこから全てが始まりました。 ーー しかし、最初は、夏川りみ のオリジナル曲として BEGIN が書き下ろす形で『あなたの風』(作詞・作曲:BEGIN)が提供された。『涙そうそう』(作詞:森山良子 / 作曲:BEGIN)は、もともと、森山良子 が BEGIN に作曲を依頼した曲で、1998年以降、森山良子 や BEGIN の CD として発売されていた。「カバーよりもオリジナルがいいんじゃないか?」という配慮か、あるいは、森山良子 から依頼された曲で、若くしてこの世を去った兄を想うという歌詞だったため、BEGIN の 比嘉栄昇 が 森山良子 に気をつかったのかもしれない。 夏川: あ〜、なんかね〜……、どうなんだろう……。なんか、そのときに、ヒトシ(上地 等、BEGIN のキーボード)とかも、「でも、なんか女性が『涙そうそう』歌うのもいいはずな〜」みたいな話をしてたんですけど、そこで(森山)良子 さんの話を私は聞いてないですよね。 夏川: なんかもう「良かった〜」って言ったら、「いいよ、自分なんかが作るよ」って言って、『あなたの風』っていうのができたときに、「もう 1曲は?」みたいな……。 夏川: それでも、「もう 1曲は、やっぱり『涙そうそう』カバーしたい」っていう話を、こっち側の意見を聞いてもらって、で、レコーディングのときに、「この曲は、こうやって、こんなしてできたよ〜」っていう話を聞いたときに、「あ〜、そうだったんだ〜」と思って……。で、「1回ちょっと歌詞を読ませて」って言って、(森山)良子 さんのお兄さんのことを書いてるっていうのをそこで初めて知って、「もう1回ちょっと歌詞を読み込んで、もう1回録るから」って言って歌ったら、みんなが「今の歌い方だったら、みんなに届くよ〜」って言ってくれたんです。 夏川: それで、まず、BEGIN 側から OK が出て、で、もうそのできたてホヤホヤの音を(森山)良子 さんの現場に持ってって、そしたら、(森山良子 とは)初めてだったんですけど、「BEGIN から聞いてるわよ〜。いっぱい、いっぱい、歌ってね」ってそのひと言で、「これはもう、たくさんの人に届けないといけないな」っていう気持ちになりました。 ーー そうして、『涙そうそう』は、夏川りみ 3枚目のシングルとして、2001年3月23日に発売され、書き下ろされた『あなたの風』もカップリング曲として収録された。 ーー 『涙そうそう』は、ロングヒットとなり、発売翌年の 2002年には、『第44回 日本レコード大賞』で金賞を受賞、さらに、『第53回 NHK紅白歌合戦』にも初出場し、一躍、人気歌手となった。 ーー 偶然、耳にした『涙そうそう』を「歌いたい!」と思い、自ら行動し、レコード会社や事務所も説得した結果だった。そういう意味で、自らが作り出したヒットであるとも言えるし、自分のチカラで自分の人生を大きく変えたとも言える。 ーー その後は、Kiroro の 玉城千春 が書き下ろした『道しるべ』(作詞・作曲:ちはる、4th Single)、夏川りみ には珍しいマイナー調の『鳥よ』(作詞:鮎川めぐみ / 作曲:上地正昭、5th Single)、『第45回 日本レコード大賞」で金賞を受賞した『童神〜ヤマトグチ〜』(作詞:古謝美佐子 / 作曲:佐原一哉、6th Single)、THE BOOM の 宮沢和史 が書き下ろし、『第46回 日本レコード大賞』で最優秀歌唱賞を受賞した『愛よ 愛よ(かなよ かなよ)』(作詞・作曲:宮沢和史、7th Single)、谷村新司 が書き下ろし、『第47回 日本レコード大賞』で金賞受賞した『ココロツタエ』(作詞・作曲:谷村新司、8th Single)などが次々とヒット。 ーー ほかにも、コブクロ の 小渕健太郎 による『さようなら ありがとう』、槇原敬之 による『フルサト』、財津和夫 による『虹のかけら』などや、東日本大震災後に、秋川雅史 と競作でそれぞれカバーして話題となった『あすという日が』など、いい歌がたくさんある。 ーー もちろん、これまで歌ってきた全ての曲に思い出も思い入れもあるとは思うが、あえて、とくに思い入れのある曲を聞いてみた。 夏川: う〜ん……、そうですね〜……、でも、たとえば、『愛よ愛よ』(かなよ かなよ)は、いまでも本当に、すごくみんなに愛されてる曲だなって感じますし、すごく、リクエストも多いですね。 7 ワールドワイドに活動、「日本の歌姫」から「アジアの歌姫」に 〜「すごく嬉しかったですね…」〜 ーー 最近、聴いている音楽を聞いた。 夏川: 最近、息子がね〜、13歳なんですけど、King Gnu(キング・ヌー)とか、MILLENNIUM PARADE(ミレニアムパレード)とか聴いてて、「お〜、いいね〜」とか……(笑)。あと、まあ KISS とかもそうなんですけど……、KISS は、ウチの旦那(パーカッション・プレイヤーの玉木正昭)がもともと好きだったんですけど、ライブも見に行ったりして……、それも、息子が聴いてるのを聴いて覚えたみたいな……(笑)。あとは、なんだろう……、誰かな〜……、すぐ出てこない……(笑)。 ーー 子供のころ、よく歌っていた 森昌子、北原ミレイ、松村和子、松原のぶえ、石川さゆり……といった演歌・歌謡曲は、今でも好きだと言う。 夏川: はい。あらためて聴くってことはないですけど、普通に、飲み友達とか、カラオケとか行って、「歌え〜!」とか言われると、普通に演歌も歌ったりします……(笑)。あと、今、家でもカラオケできるじゃないですか……(笑)、とくに、コロナのときとかは、もう家でずっとカラオケ歌ったりとかしてました……(笑)、洋楽も歌ったり、いろんなの歌ったりしてました〜。 ーー 2006年からは、海外でのコンサートも積極的に行っていて、これまで、台湾(台北、桃園、台南)、中国(香港、上海、北京、杭州、廣州、南京)、韓国(釜山)、シンガポール、ブラジル、ペルー、ベトナム、そして、米国、ワシントンDC でも 2014年の『全米 桜祭り』で歌っている。 ーー また、2006年、デヴィッド・フォスター のプロデュースによる、アンドレア・ボチェッリ のアルバム 『アモーレ』に参加し『ソモス・ノビオス ~愛の夢~』をスペイン語でデュエットしたり、2013年には、セルジオ・メンデス のアルバム「ランデヴー」にも参加しているほか、2006年には、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、韓国、アジアの 5か国で、日本では未発売のアジア・オリジナルのベストアルバム『Rimi Natsukawa Selection』が発売されていて、いまや、日本のみならず、中国や台湾などのアジア圏でも人気が高い。 ーー さらに、夏川りみ が歌った『涙そうそう』は、日本ではもちろん、ハワイ、シンガポール、ニュージーランド、韓国、台湾 らのアーティストにもカバーされている。 夏川: ありがとうございます。そうですね……、海外は、なんか皆さんやっぱり沖縄音楽もすごく好きなんだな〜ってって思いました。 ーー 沖縄出身ではないが、THE BOOM の『島唄』も人気がある。 夏川: そうそう、とくに南米とかはね。あとは、アジア……、中国とか台湾とかに関しては、やっぱり、きっかけは『涙そうそう』ですね。この曲で私のことを知ってもらって、前回、行ったのはその 20周年のときだったんですけど、そのときもなんかなんか「待ってた感」がすごかったんですけど、今回も、コロナもあったせいか、この間(今年、2024年に)行ったときに、ものすごかったんですよ。なんか、もうね、「すごい楽しみに待ってたよ〜!」みたいな……、すごく嬉しかったですね。 ーー これまで行っていない国にも行ってみたいと言う。 夏川: そうですね〜。だから、声かけてもらえたら、すぐに飛んで行きたいなと思います。 ーー 夏川りみ は、「RIMI」名義で、作詞・作曲もしている。 夏川: そうですね〜、はい。 ーー 『愛さ生まり島(かなさうまりじま)』(作詞:RIMI / 作曲:RIMI)、『美らさ愛さ(ちゅらさ かなさ)』(作詞:RIMI / 作曲:上地正昭)など、歌詞は「うちな〜ぐち」(沖縄言葉、沖縄の方言)が多い。 夏川: なんか、標準語で書くと、なんかちょっとこっぱずかしいな〜みたいな想いがあったんで……(笑)。 ーー 今回の新曲『詩、歌、唄』と同じく 平井夏美 が作曲した『サ・ラ・ラ』(作詞:RIMI / 作曲:平井夏美)は標準語で歌われている。 夏川: そうなんですよ。でも、あれも、なんか、自分の想いみたいなものを書いたりなんかして……。 ーー そして、『愛さ生まり島(かなさうまりじま)』では、作詞も作曲も担当している。 夏川: はい、最初にメロディを作って、歌詞を考えようって思ったときに、なんかやっぱり「うちな〜ぐち(沖縄言葉、沖縄の方言)で書きたいな〜」って思って、沖縄の辞典広げながら、「あっ、これはこうやって言うんだ〜」って、だいたい言いたいことを書き留めて、パズルみたいに、「この言葉より、この言葉の方がいいかな」とか、あと、沖縄の知り合いに「この言葉の使い方おかしい?」って聞いたりして、「それよりも、この使い方の方が美しいんじゃない?」って見てもらったりしながら書きました。 ーー 作詞・作曲も続けていきたいと話す。 ーー ほかに、今後、どんな歌が歌いたいかを聞いてみた。 夏川: そうですね〜、もちろん、カバーとかも、これからも「歌探し」が終わらないとは思うんですけど、私の目標は、「三線一丁で島歌を歌う」っていうのをやりたいですね。とくに、石垣島(出身)なので、八重山の古典民謡を私の声で録りたいなっていうのはありますね。 ーー 最後に、今後、やってみたいことを聞いた。 夏川: そうですね〜……、やってみたい……、なんか、でも、本当に沖縄の音楽はあちこちですごくみんな本当に好きだなって感じてるので……、東京でも「琉球フェスティバル」みたいなのがあるじゃないですか……、あんまり、私、呼ばれてないんですけど……(笑)。そういう沖縄の何か……、まだ何かわかんないですけど、これから先、私が「こういうの作ろうよ」とかって、仲間たちと作って、あちこちに持っていきたいな〜とは思います。 夏川: まあ、やってることは沖縄と同じなのかもしれないけど、やっぱり好きな沖縄の音楽っていうのを、あちこちの……、日本だけに限らず、本当に広めていきたいな〜と思います。 夏川: あと、25周年を記念して、『たびぐくる』って写真集が、ワニブックスさんから、ツアーに合わせて 6月26日に出ます。今回のツアーのタイトルも『たびぐくる』、「旅の心」なんですけどね。 夏川: その写真集は、ちょっと変わってて、QRコードをが付いてるんですけど、そこにアクセスしていただくと、私の声が聞こえてきて、「ここは、私にとってこういうところです」とか説明してて、だから、(石垣に)行けない人でも、これ見て聞いてたら「ああ、こういうところなんだ〜」っていうような、ちょっとした石垣ガイドにもなってるんです。 夏川: で、私のちょっとした弾き語りも聴けるし、もちろん、波の音だったり、風だったり、鳥の声だったりっていうのをこの写真集で体験できるみたいなのが……、それが出ます。そういうことをやりたいなと思ってたので。 (取材日:2024年 6月14日 / 取材・文:西山 寧) ■ 読者プレゼント! 夏川りみ 直筆サイン色紙 を 3名様にプレゼント! X(旧 twitter)で、大人の歌ネット(@MUSICGUIDE1003)を フォロー&下記リンクの投稿をリポスト(リツイート)して頂いた方の中から、抽選で3名様に、 りみさんが持っている 直筆サイン色紙を プレゼントさせていただきます。 締め切りは、2024年 7月30日 (火) まで! 投稿(ツイート)はコチラ! 【ご注意ください】 当選された方には、x(twitter)の DM(ダイレクトメッセージ)にて、ご連絡させていただきます。 (せっかくご当選されたのに連絡の取れない方がいらっしゃいます。) また、「大人の歌ネット @MUSICGUIDE1003」を名乗る偽アカウントからプレゼント当選のDMが送られてくる事例が発生しています。 公式アカウントは「@MUSICGUIDE1003」です。 締切前に、当選者を決めたりご連絡することはありません。 DMでアカウント登録やクーポンを配信することはありません。 偽アカウントからDMが届いても、個人情報を入力したり、リンクをクリックしないで下さい。 ■ インタビュー 関連動画 夏川りみ「夕映えにゆれて」(1999年)(夏川りみ としてのデビュー曲) 夏川りみ「花になる」(2000年、2nd Single) 夏川りみ「涙そうそう」(2001年、3rd Single) 夏川りみ「あなたの風」(2001年、3rd Single「涙そうそう」カップリング)(Audio) 夏川りみ「道しるべ」(2003年、4th Single) 夏川りみ「鳥よ」(2003年、5th Single) 夏川りみ「童神~ヤマトグチ~」(2003年、6th Single) 「サ・ラ・ラ(2003年、アルバム「空の風景」収録曲)(Audio) 夏川りみ「愛よ 愛よ」(2004年、7th Single) 夏川りみ「ココロツタエ」(2005年、9th Single) 『ソモス・ノビオス ~愛の夢~』Somos Novios (it's impossible) Andrea Bocelli / Rimi Natsukawa(2006年)(Audio) 夏川りみ「あすという日が」(2011年、15th Single) 「愛」(2014年、アルバム「虹」収録曲)(Audio) 「愛さ生まり島」(2022年、アルバム「会いたい ~かなさんどぉ~」収録曲)(Audio) <星美里 名義> 星美里「しほり」(1989年、星美里 デビュー曲)(Audio) 星美里「夢色めまい」(1990年、星美里 2nd Single)(Audio) 星美里「港雨情」(1992年、星美里 3rd Single)(Audio) 夏川りみ YouTube Uta-Net「大人の歌ネット」インタビュー 一覧 Uta-Net「大人の歌ネット」トップ