堀内孝雄(アリス)スペシャルインタビュー!「なんにもこの先変わっていかないんで…」最新シングル『青二才~わが友よ』が2024年4月17日に発売! アリス を彷彿とさせるメジャー調の8ビート!カップリングの『ユズリハ』は 谷村新司 へのレクイエム! 谷村新司 の思い出、アリス 時代の話も!
インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり!
Horiuchi Takao (ALICE)
堀内 孝雄(アリス)
56th Single『 青二才 ~わが友よ 』
★ 1972年、国民的な人気となった「アリス」でデビューして 52年!
★ ソロ 56作目のシングル『青二才 ~わが友よ』は「アリス」のような曲!
★ カップリングの『ユズリハ』は、谷村新司へのレクイエム!
★ 東京と大阪で「アリス」の最後となるかもしれないコンサートが開催!
★ 昨年、10月に亡くなった谷村新司 の思い出や、「アリス」時代の話も!
★「なんにもこの先変わっていかないんで…」
■ シングル リリース情報
各配信サイト
歌詞を見る『青二才~わが友よ』
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堀内孝雄 アップフロントワークス
堀内孝雄 オフィシャルサイト
堀内孝雄 YouTube(アップフロントチャンネル)
アリス ユニバーサルミュージック
アリス オフィシャルサイト
■ アリス コンサート 情報
谷村新司追悼特別企画 アリスコンサート 2024 ALICE FOREVER ~アリガトウ~
東京「日本武道館」
2024年 9月18日(水)19:00 開演(予定)
大阪「大阪城ホール」
2024年 10月13日(日)17:00 開演(予定)
出演:谷村新司(音声/映像)、堀内孝雄、矢沢透
全席指定:¥11,000(税込)※未就学児童入場不可
■ アリス 番組情報
「生中継!アリス コンサート2024 ALICE FOREVER ~アリガトウ~」
2024年 10月13日(日)17:00 〜
WOWOW プライム(放送) / WOWOW オンデマンド(配信)
※ 放送終了後~ 30日間アーカイブ配信あり
収録:大阪城ホールから 生中継
「アリス・イン・武道館 〜日本武道館最終公演より〜」
2024年 10月20日 (日) 22:00 〜 23:00
CS「TBS チャンネル 2」
収録:1979年 9月4日 日本武道館
<放送予定曲目>
Wild Wind -野性の疾風-
逃亡者 - Young Man(YMCA)
帰らざる日々
冬の稲妻
君のひとみは10000ボルト
今はもうだれも
涙の誓い
秋止符
遠くで汽笛を聞きながら
チャンピオン
美しき絆 -ハンド・イン・ハンド-
(一部ダイジェスト含む)
■ 堀内孝雄(アリス) スペシャルインタビュー!
1970年代に国民的な人気を誇った「アリス」が、デビュー10年目の1981年、絶頂期だったにも関わらず活動一時停止を発表した理由はいろいろと言われているが、ひとつには、詞を書かない 堀内孝雄 が、谷村新司 以外の作詞家が作った歌詞にも曲を書きたかったということがある。
堀内孝雄 が「アリス」の活動と並行してソロ活動を始めたのは1975年。1978年に「資生堂」のキャンペーンソングとして書き下ろされた『君のひとみは10000ボルト』(作詞:谷村新司 / 作曲:堀内孝雄)や、1980年に、滝ともはる とのデュエットで発表され、「サントリービール」のCMソングとなった『南回帰線』(作詞: 山川啓介 / 作曲: 堀内孝雄)などのヒットで知られている。また、1979年には、山口百恵 の28枚目のシングルとして『愛染橋』(作詞:松本隆 / 作曲:堀内孝雄)を提供している。
そういう、ソロとして活動を始めた初期のころは、『君のひとみは10000ボルト』や『南回帰線』のような、「アリス」のサウンドに近い、当時で言ういわゆる「ニューミュージック」という雰囲気の曲が多かったが、1981年の「アリス」活動停止後、ソロ歌手となってからは、「ニューアダルトミュージック」と言われたり、「演歌・歌謡曲に転向した」などとよく言われている。
しかし、堀内孝雄 本人に、そういう「転向した」などという意識は全くない。
1986年に日本テレビ系の年末時代劇『白虎隊』の主題歌として書き下ろされた『愛しき日々』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)や、1988年から2009年まで放送されたテレビ朝日・東映制作の刑事ドラマのシリーズ『はぐれ刑事純情派』で、全18シリーズ全ての主題歌を作曲・歌唱するというオーダーがあったからで、そこでは「アリス風の曲」を求められていたわけではない。
『はぐれ刑事純情派』シリーズでは、『ガキの頃のように』(作詞:荒木とよひさ、1988年)、『恋唄綴り』(作詞:荒木とよひさ、1990年)、『さよならだけの人生に』(作詞:石原信一、1991年)、『都会の天使たち』(作詞:荒木とよひさ、1992年、桂銀淑とのデュエット)、『影法師』(作詞:荒木とよひさ、1993年)、『竹とんぼ』(作詞:荒木とよひさ、1998年)など、ヒット曲も数多くあることから、そういう歌謡曲っぽいイメージが強く付いたのだろう。
また、堀内孝雄 自身も、以前のインタビューで「井沢八郎や三橋美智也がルーツ」と言っているように、もともと歌謡曲も大好きだったということもある。(音楽のルーツに関しては、2010年のインタビューで話してくれているので、そちらをお読みください。最下部にリンクをつけておきます。)
「アリス」が1981年に活動停止をしたときは、解散のイメージに近いものだったが、実は、「アリス」は、一度も「解散」と言ったことはない。実際、1987年、2000年、2005年の一時的な再始動を経て、2009年には、完全に再始動している。
2022年には、約33年半ぶりとなるシングル『告白 / キセキフルヨル』をリリースし、その年の11月には、活動50年を記念して、東京「有明アリーナ」で『ALICE GREAT 50 (FIFTY)』を開催。同時に、「ALICE SDGs」をコンセプトに、その後10年続ける努力目標『ALICE 10 YEARS 2023 ~PAGE 1~』を発表し、昨年、2023年6月からは、全国ツアー『ALICE 10 YEARS 2023 ~ PAGE1』スタートさせる予定だった。
しかし、昨年、2023年3月に 谷村新司 が急性腸炎のため入院しドクターストップがかかったことで、そのツアーは実現しなかった。そして、2023年10月8日、74歳という若さで、谷村新司 は亡くなった。
谷村新司 亡きあと、今年、2024年4月17日に発売された、堀内孝雄 のソロ56作目、5年8か月ぶりの最新シングル『青二才~わが友よ』(作詞:石原信一 / 作曲:堀内孝雄 / 編曲:和田春彦)は、まさしく「アリス」そのものと言えるような楽曲だ。メジャー調のミディアムアップで、メロディはもちろん、歌詞も 谷村新司 が書いたかのようなものになっているし、アレンジやサウンドも「アリス」を彷彿とさせる。
さらに、カップリング曲には、2013年4月に発売された「アリス」のアルバム『ALICE XI(イレブン)』に収録されていた『ユズリハ』(作詞:谷村新司 / 作曲:堀内孝雄 / 編曲:和田春彦)を収録。「アリス」のバージョンでは、谷村新司 と二人で歌われていたが、今回、一人で歌い直したセルフカバー・バージョンとなっている。「命」「生と死」を歌ったこの曲は、谷村新司 の遺言のようでもあり、まさに、谷村新司 へのレクイエムのようになっていて、涙なしでは聴けない。
そして、1972年の「アリス」のデビューから52年目となる今年、2024年9月18日と10月13日には、東京の「日本武道館」と、大阪の「大阪城ホール」で、『谷村新司 追悼特別企画 アリスコンサート 2024 ALICE FOREVER ~アリガトウ~』が開催される。
谷村新司 の映像や音声と合わせて歌い演奏されるこのコンサートは、おそらく、「アリス」としての最後のコンサートになるのではないだろうか。今回のインタビューで 堀内孝雄 も話しているように、おそらく、「アリス」の終止符であり、『秋止符』となるのだろう。
<もくじ>
1 最新シングル『青二才~わが友よ』は、往年の「アリス」のような曲
〜「そうそう、そのものなんですよ…」〜
2 涙なしには聴けないカップリング曲の『ユズリハ』
〜「なんか、谷村新司 の遺書みたいな感じでね…」〜
3 作詞家としての 谷村新司 と、小椋佳、阿久悠
〜「でも、それが精一杯だったんですよ…」〜
4 アリスの最後となるかもしれないコンサートが開催予定
〜「もう終止符に近いっていうか…」〜
5 谷村新司 の思い出
〜「それはもう暗黙の了解ですよね…」〜
6 アリス10年目での活動停止の裏側
〜「なんにもこの先変わっていかないんで…」〜
7 多くの作詞家との出会い
〜「自分が面白いように変わっていって…」〜
1 最新シングル『青二才~わが友よ』は、往年の「アリス」のような曲 〜「そうそう、そのものなんですよ…」〜
ーー 今年、2024年4月17日に発売された、堀内孝雄 のソロ56作目、5年8か月ぶりの最新シングル『青二才~わが友よ』(作詞:石原信一 / 作曲:堀内孝雄 / 編曲:和田春彦)は、まさしく「アリス」そのものと言えるような楽曲だ。メジャー調のミディアムアップで、1981年の「アリス」活動停止後、ソロになってからは、歌謡曲寄りの曲が多かっただけに、今回のようなストレートな8ビートのロックは珍しい。
堀内: そうなんですよ〜、意外とないんですよ。
ーー 完全なソロでは、『君のひとみは10000ボルト』(作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄、1978年)以来かもしれない。
堀内: まあ、あの頃は、量産してましたけど、ソロでは、僕、(作詞家の)荒木(とよひさ)さんとのコンビの曲が一番多いので……、それで、『はぐれ刑事純情派』シリーズとかもあったので、どうしてもちょっと歌謡曲寄りの感じなんですよね。
ーー 『青二才~わが友よ』は、アレンジも「アリス」っぽい。エレキギター、オルガン、スネアの音など、サウンドも「アリス」を彷彿とさせる。
堀内: そうそう、そのものなんですよ。(アレンジャーは)相当意識してると思います。いまは、ちょっと止まってますけど、「ブラザース5(ファイブ)」っていうのをやってるんですけど、そのキーボードとギターの人がやってくれてるんですよ。だから、もうツーカーの二人なんです。
ーー 「ブラザース5(ファイブ)」は、2014年に、フォーク・ニューミュージック界を代表するアーティストたち、杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃 の5人で結成されたフォークグループだ。
堀内: そうです。で、(ギターの)尾崎くんっていうのは、お父さんがスティールギターの名手なんですけど、その影響もあってか、ギターもやっぱり独特のいいメロディラインを弾いてくれてますね。で、(今回、編曲を担当した)和田(春彦)くんなんかは、一番話しやすいんでね。
ーー 『青二才~わが友よ』は、2018年8月22日 『みんな少年だった』(作詞:田久保真見)以来、5年8か月ぶりの新曲で、谷村新司 が亡くなってから初のソロ・シングルとなったが、「こういうものにしよう」というコンセプトみたいなものは何かあったのだろうか?
堀内: いや、もう、僕、いつも何もないんですよ……(笑)。だから、作詞家の人が、今の自分で湧いてくるような感じをイメージして作ってくだされば、もうそれで十分です。で、今回、たまたま、ちょっと背伸びして、俺もまだ 40〜50代だったらまだぶら下がって「青くあれ」っていうのはいいけど、70代を飛び越えたら「無理してんじゃん!」って……(笑)。
ーー でも、逆に、だからこそ良いメッセージになってる。
堀内: なんか面白い感じがするんですけど、まあ、世代のエールになればと思いますね。だから、ざっくりあれを本当に真正面で受け止めると、「いや、無理してるよな〜」って思うんですけど、そうじゃなくて、気持ちはね、「そんなふうで」って、みんなもう遠い昔から言ってるじゃないですか。「気分だけでも若くいこう」って、まさしくそうですね。
ーー 今回、『青二才~わが友よ』の作詞を担当したのは、『Lui-Lui』(太川陽介)や『越冬つばめ』(森昌子)、堀内孝雄 のソロでも『さよならだけの人生に』(1991年)や『愛すべき男たち』(2010年) などを手がけた作詞家、石原信一 だ。
堀内: まあ、(石原信一 とは)昔からなんですけど……、ここのところは飛び飛びだったんですけど、で、頻繁になってきたのは、この最近なんですけどね。やっぱり、なんか、相性がいいっていうか……、うん。武藤(玲子)っていうプロデューサーがいるんですけど、その彼女が昔からず〜っと(作詞家の 石原信一 を)知ってるもんで、「久しぶりにどうかな?」ってことで決まりました。
ーー 「若い時の気持ちを忘れずに "青二才" のまま走り続けよう」という歌詞は、「アリス」の曲のような歌詞、つまり、谷村新司 が書いたかのようなものになっている。
堀内: そうですね。やっぱり(作詞家の)石原(信一)さんが、すごく意識されたみたいですね。だから、たまたま……、あの……、谷村(新司)がいなくなって余計それを感じたんですよね……。で、(歌詞の中で)「友よ いつまでも」とか言ってるんですよ。
ーー 歌詞の中の「友よ おまえと」「友よ いつまでも」の「友」とは、谷村新司 を思わせる。
堀内: そうです。「これ、絶対、谷村(新司)だな」って思いましたね。そのものでしたね。
ーー そういうふうに、歌詞が「アリス」っぽいから、メロディも自然と「アリス」っぽくなったのだろう。
堀内: うん、ああなっちゃうんだろうなと思いますねけどね〜。これは、ちょっと、しんみりなタイプではないわって思ってね。
ーー 堀内孝雄 は、歌詞からメロディの雰囲気をイメージしてから曲を作る。「言葉がメロディを持っている」というようなことを以前から言っている。
堀内: そうです。今回も全くそうですね。でも、まあ、何日か考えましたけどね。やっぱり、結局、一番しっくりくるのが、ああいう形のメロディというか……、うん。
ーー 歌詞を書かない 堀内孝雄 は、基本的に「歌詞がないと曲が書けない」と言っている。これまで、メロディ先行でできた曲は1曲もないのだろうか?
堀内: ですね。100%ないですね。だから、あの、(歌詞がなかなか)できてこない時は、「サビだけちょうだい」って言ったりしますね。何かとっかかりとかイメージが欲しいんですよ。
ーー 曲を作るときには、歌詞を、常に目に入るタンスの引き出しに挟んでおくとも、以前、話していた。
堀内: そうです、はさんでおいて……(笑)、相変わらずなことしてんですよ……(笑)。
ーー やはり、今回、サビの「♪青くあれ〜」からできたのだろうか?
堀内: あっ、今回はそうだったかもしれないですね。だから、一番インパクトのある言葉が、あそこにひとまとまりあるので、「ここをまとめたら、頭は自然に出てくるな」みたいな感じはありましたよね。でも、多分、順を追っては作ってると思います。
ーー お風呂に入っているときに、よくメロディが浮かぶとも話していたが、譜面を書かない 堀内孝雄 の場合、ギターを弾きながら歌って録音しておくのだろうか?
堀内: そうです。僕、譜面がダメだから、最近は、こういう「覚えてくれるヤツ」あるじゃないですか……、スマホの「ボイスメモ」ですね、それで録音しながら作ってますね。これが、最近、身近なんで使うこと多いですね。
堀内: それで、歌詞カードにコード書いて……、書いたヤツ、あるんじゃないかな……、必ず、僕、忘れるから……、「ドレミファソラシド」でこういうふうに書いてるんですよ。
ーー 手書きの歌詞の上に、コードとドレミファとカタカナで書かれている紙を見せてくれた。それが、堀内孝雄 にとっての譜面だ。
堀内: そうです、そうです。だから、いちいち、こうやって書くんですよ。忘れちゃうんでね〜。小椋(佳)さんとかは、歌詞のところに棒グラフで(メロディを)書いてるんですよ……、それでよくわかるな〜って……(笑)。ヘンな人なの。で、「それでわかるの?」って聞くと、「いや、僕はそれでわかるんだよね〜」って……(笑)。とても珍しい人です……(笑)。
ーー いずれにしろ、新曲『青二才~わが友よ』は、堀内孝雄 のソロのファンにとってはもちろんだが、往年の「アリス」のファンの人たちにとっても嬉しい曲だ。
2 涙なしには聴けないカップリング曲の『ユズリハ』〜「なんか、谷村新司 の遺書みたいな感じでね…」〜
ーー 最新シングル『青二才~わが友よ』のカップリングには、2013年4月に発売された「アリス」のアルバム『ALICE XI(イレブン)』に収録されていた『ユズリハ』(作詞:谷村新司 / 作曲:堀内孝雄 / 編曲:和田春彦)が収録されている。メジャー調のバラードで、「命」「生と死」を歌ったこの曲の歌詞は、谷村新司 の遺言のようでもあり、まさに、谷村新司 へのレクイエムのようになっている。
堀内: そうなんですよね。そういうバックボーンがあって、「何かそんなふさわしい曲ってないのかな?」って探したら、「あっ、1曲だけあった!」って言って入れたんですよ。
ーー 聴いていていると泣けてくる。
堀内: 泣けてきますね。(谷村新司 とは)ず〜っと長かったもんで……。それで、詞曲ともに……、僕は詞は書かないけど、僕が曲を作るときは、必ず、谷村(新司)が書いてたんでね。
ーー 11年以上前に書かれた曲だが、谷村新司 が、自身の人生を歌っているようにも感じる。
堀内: あ〜、相当、回想してますよ。
ーー 谷村新司 が、自分の先のことも読んでいるような歌詞だ。
堀内: うんうん。なんか予感させるような言葉が、一節一節に出てくるんですよね。なんか、谷村新司 の遺書みたいな感じでね……。
ーー 中でも、とくに「♪ひとりで生きる強さ ひとりで逝く寂しさ 覚悟を持つ者だけ やさしさを知っている」の部分が心に響く。
堀内: まあ、そのへんの心境っていうのは……、やっぱり、長くやってきたから、そりゃね……、もう遺言ですよね。
ーー この『ユズリハ』は、『ALICE XI(イレブン)』に収録されている「アリス」のバージョンでは、堀内孝雄 を中心に、2番からは 谷村新司 と2人で歌っているが、今回、「アリス」の音源ではなく、一人で歌い直したセルフカバー・バージョンとなっている。
堀内: はい、歌いなおしました。
ーー 今の歌声で歌いなおして、谷村新司 が亡くなったことも踏まえての今の歌唱だからこそ、説得力があり、泣けてくる。聴いてても泣けるほどだから、歌うのは大変だったのではないだろうか?
堀内: いや、もう、つらかったですよ。キツかったですよ。もう何度も泣いてます。
ーー 以前、『ALICE XI(イレブン)』の時に、「アリス」の3人にインタビューしたことがある。その時、収録曲だったこの『ユズリハ』について 谷村新司 は、こんなことを言っていた(この時の「アリス」のインタビューは、最下部にリンクを付けておきます)。
ーー『この曲のテーマって、多分、みんな書きたくないテーマなんですよね。「残りの時間の数」を数えて、「あと何年こうやって生きられるだろう?」って、本当はみんな考えてるんだけど、いざ言葉にされると、結構生々しくなるんですよね。でも、ベーヤン(堀内孝雄)のメロディもやさしいんで、さらっと出てくると、なんとなく受け入れられるかなって思ってます。』
ーー その通りだと、今回、あらためてまた思った。メロディによっては、とても重たいものになってしまうが、メジャー調でメロディがやさしいから、言葉がスッと伝わってくる。また、フェンダー・ローズ(エレクトリックピアノ)を中心にしたやわらかなアレンジも、そこに一役買っている。
堀内: あ〜、そうですね〜。詞は重たいんですよ。だから、メジャー(キー)で作ってるんですよ。これ、マイナーで作ったらつらいですよ。
ーー メジャーだからこそ、この言葉の切なさが余計に沁みてくる。
堀内:うん……。このメロディは、結構、すぐに出来たと思いますね。詞の完成度がすごい高いから、わかりやすいんですよね。ただ、要するに、ブロックブロックによって、全部、変わっていくんで、すっと変わり目が出てくるんで、「あっ、これ、3種類ぐらいメロディ作らないと成立しないわ〜」という感じでね。後半にいたっては、もう、ガラッと変わるところが出てきたりするんですけどね。
ーー 1番と2番は「A-A-B」「A-A-B」という構成で、そのあとに、大サビとして「C」が出てくる。
堀内: そうなんですよね。だから、ちょっと凝らないと、この詞が生きてこないっていうか……、しかも、淡々としているんで……。だから、もう、まさしくフェンダー・ローズのために作ったような曲ですね。(生の)ピアノじゃ、ちょっともうこの感じ出ないんですよね。フェンダー・ローズみたいな、モヤ〜っとしたどっち付かずな感じがいいかなと。かと言って、オルゴールほど軽々しくはなくて、やっぱり、フェンダー・ローズですね。
3 作詞家としての 谷村新司 と、小椋佳、阿久悠 〜「でも、それが精一杯だったんですよ…」〜
ーー 堀内孝雄 は、ソロ活動を始めて以降、松本隆、山川啓介、小椋佳、荒木とよひさ、阿久悠、松井五郎、石原信一、田久保真見 ……ら、多くの作詞家とコンビを組んで曲を作ってきたが、「アリス」時代の10年間、「アリス」では、当然、谷村新司 が書いた歌詞だけだった。谷村新司 と、ほかの多くの作詞家たちとで、何か違いはあったのだろうか?
堀内: あ〜、僕、(谷村新司 とは)たくさん作りましたからね〜……。「(歌詞を)変えてくれ」って言えるのはあの人だけですね……(笑)。小椋(佳)さんにはなかなか言えないですよね……(笑)。ただ、あの、小椋(佳)さんが詞を書いた曲で、メロディが違う曲があるんですよ、『あなたが美しいのは』って曲なんですけどね。
ーー 1983年に発売された 堀内孝雄 のアルバム『I A.M. P.M.』に収録された『あなたが美しいのは』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)のことだ。1986年にも、シングル『愛しき日々』のカップリング曲としてニュー・ヴァージョンが収録されている。この曲は、1987年の 小椋佳 のアルバム『君を歌おうとして』にも収録されているが、サビのメロディ以外、別のメロディになっていて、クレジットも「作詞:小椋佳 / 作曲:小椋佳、堀内孝雄」となっている。
堀内: そうなんです。それで、最初、「堀内くん、これは僕のメロディじゃない方がいいよ」って作ったんですけど、その後、自分でお作りになったのを聴いたら、「こんなに違うんだ〜!」と思って、最初、聴いたときに、「これは俺じゃねぇわ」と思って……(笑)。
堀内: で、「ちょっと感じが……」って言ったら、「いや、もうそれは気にしなくていいですよ」って言って、「ご自分のでお歌いになったらどうですか」って言うから、「ぜひ、そうさせていただきます」って……(笑)。そういうことが、1回だけありましたね。
堀内: とにかく、小椋(佳)さんは、もう、終始一貫してもう決まってんですよね、パチッと。だから、変えようがないんですよ。それと、阿久悠 さんもそうでしたね。
ーー 昭和の大作詞家として知られる 阿久悠 は、歌詞を直さないことで知られている。
堀内: そうそう、絶対に変えないんですよ。それで、僕、1回だけ、「ここ、どう考えても、一文字多いんじゃないですか?」って言ったことがあるんですよ。要するに、小節にぴったり合わないんですよ。そしたら、「堀内くん、よく考えてごらん、それが合わないからいいんだよ」って言うんですよ。4つで終わるところを「5つで歌ってくれないと」って言うんですよ。
堀内: 「あっ、そうですかね……」って言ったんですけど、で、実際に歌ってみたら、「あっ、これの方が緊迫感がある」って……、「そうでしょう! 僕はそのために作ったんだから」って言ってましたね。
堀内: とにかく、ものすごいんですよ、先読みが。すごい作詞家ですね。だけど、全然、怖くないんですよ。みんな、「阿久悠でしょ!」って言うけど、冗談も言うし、そんな怖くないって……(笑)。(堀内孝雄が曲を書いたそれぞれの作詞家の印象については、以前のインタビューでも詳しく話してくれているので、興味のある方は、そちらをお読みください。最下部にリンクを付けておきます。)
ーー 堀内孝雄 は、1972年に発売された「アリス」の最初のアルバム『ALICE I(ワン)』のときから、谷村新司 の歌詞に曲を書いている。もちろん、谷村新司 自身も曲も書く。「アリス」のデビュー曲『走っておいで恋人よ』(作詞・作曲:谷村新司)をはじめ、『明日への讃歌』『あなたのために』『さよなら昨日までの悲しい思い出』『帰らざる日々』『さらば青春の時』『チャンピオン(King of Kings)』『エスピオナージ』……など、数多くの曲で、作詞・作曲の両方を担当している。
ーー にも関わらず、曲によっては、堀内孝雄 が作曲を担当するようになったのは、どういうきっかけがあったのだろうか?
堀内: それは……、やっぱり、アルバムでしょうね。「今度、(詞を)渡すから」とか言って。
ーー 谷村新司 は、自身の作曲だけでは、何か足らないと感じていたのだろうか?
堀内: うん、それによってお互いに触発されるっていうか……、触発してみたいって言うか、そう思ったんじゃないかと思うんですけどね。ただ、「べーやん(堀内孝雄)は、曲は作るけど、詞は書かないもんな」とか言うから、「だから、(詞を)ちょうだいよ」って言ったら、「じゃあ、今度、渡すから!」とか言って……、で、その繰り返しなんですけど……。まあ、旅が多かったんで、本当に「旅の空」でたくさん作りましたね。
堀内: でも、『ALICE I(ワン)』からずっと作ってるんですけど、詞も曲もそうですけど、どう考えても、全然、成熟してないですよね。だから、成熟しだしたのは、5年ぐらいかかってますよね。
ーー 「アリス」は、デビュー3年後に発売された7枚目のシングル『今はもうだれも』(作詞・作曲:佐竹俊郎)から徐々にファンが増え、続く『帰らざる日々』(作詞・作曲:谷村新司、1976年)、『遠くで汽笛を聞きながら』(作詞:谷村新司 / 作曲:堀内孝雄、1976年)、『さらば青春の時』(作詞・作曲:谷村新司、1977年)と着実に売り上げを伸ばし、1977年、11枚目のシングル『冬の稲妻』(作詞:谷村新司 / 作曲:堀内孝雄)で大ブレイクした。たしかに、楽曲のクオリティも、このあたりから大きく変わっている気がする。
堀内: 変わりましたよね〜、全然、もう。
ーー これらのヒット曲、『今はもうだれも』『遠くで汽笛を聞きながら』『帰らざる日々』などが収録された、1975年のアルバム『ALICE V(ファイブ)』も大ヒットした。
堀内: そうですね。だから、『ALICE V(ファイブ)』っていうのは、自分たちの……、あの、バンドとしてステップがやっと見えてきたときですよね。それまではね、拙いですよ、詞も曲も。でも、それが精一杯だったんですよ。あのハードルを超えないと、やっぱり「おっ、いい曲じゃない〜」とは言ってもらえないですよね。
ーー それでも、谷村新司 も、1978年に 山口百恵 に提供した『いい日旅立ち』をはじめ、『陽はまた昇る』、『昴 -すばる-』、『忘れていいの -愛の幕切れ-』(小川知子とのデェット)、『サライ』(加山雄三とのデェット)……などといったように、自身でもいい曲を書く。
堀内: そうなんですよ〜、いい曲、書くんですよね〜……。で、あれは、なんで、なんとなく作詞家ズラになってきたかって言うと、自分でソロを作り出したんですよ、僕もそうですよね、アルバムを。で、その中で、やっぱり個人の色合いが強くなる中で、「あっ、こんな感じ、堀内(孝雄)が書いたら面白いんじゃないのかな」ってそういうのでだいぶ変わってきましたよね。
堀内: で、僕も、「あっ、今までの(谷村新司 の)詞と全然タッチが違う」って思って……。多分、だから、読んだ本も変わってきたんでしょうね、チンペイさんの中で。結構、神田界隈をウロウロしたから……(笑)。
4 アリスの最後となるかもしれないコンサートが開催予定 〜「もう終止符に近いっていうか…」〜
ーー 2022年には、約33年半ぶりとなるシングル『告白 / キセキフルヨル』をリリースし、その年の11月には、活動50年を記念して、東京の「有明アリーナ」で『ALICE GREAT 50 (FIFTY)』を開催した「アリス」。同時に、「ALICE SDGs」をコンセプトに、その後10年続ける努力目標『ALICE 10 YEARS 2023 ~PAGE 1~』を発表し、昨年、2023年6月からは、全国ツアー『ALICE 10 YEARS 2023 ~ PAGE1』スタートさせる予定だったが、2023年3月に、谷村新司 が急性腸炎のため入院し、ドクターストップがかかったことで、そのツアーは実現しなかった。そして、2023年10月8日、74歳という若さで、谷村新司 は亡くなった。
ーー 1972年「アリス」のデビューから52年目となる今年、2024年9月18日と10月13日には、東京の「日本武道館」と、大阪の「大阪城ホール」で、『谷村新司 追悼特別企画 アリスコンサート 2024 ALICE FOREVER ~アリガトウ~』が開催される。このコンサートは、52年目にして初めて 谷村新司 がいない「二人のアリス」でのコンサートになる。
堀内: 初めてですね。もちろん、ご覧なる方も初めてでしょうし……。これね……、だから、想像がつかないですよね。9月入ってからですけど、リハーサルがあるんで、そのときに、ちょっといろんな発見があると思うんですよね。
ーー コンサートでは、谷村新司 の映像や音声をシンクロさせて、歌い演奏されるとのことだ。
堀内: まあ、多分、そういうふうに……、もうそれしか方法がないですよね。だから、あとは、その流れに沿った選曲ですよね。それがやっぱり台本になると思うんですよね。
ーー 実現しなかった、去年、2023年6月からの幻の「PAGE1」というツアーをやる感じになるのだろうか?
堀内: そうですね〜、叶わなかった10年の1ページ目なんですけど……、でも、今回ので、相当、もう終止符に近いっていうか……、バンドとしてはね。(谷村新司)本人が病弱であったとしても、ステージには立てないけどっていうことでも、元気でいてくれれば、なんか続きそうですけど、実際、もういないんでね、難しいだろうな〜って……。
堀内: いや、なんか、ヘンな感じですよね〜。想像を絶するというか……。やっぱり、本人いないんで、本人がいないコンサートを残ってるメンバーで補うんですけど、これ、そうそう(何回もは)できないと思うんですよ。「またそれ?」みたいな。じゃあ、今度、俺がいなくなるからってなったら、「じゃあ、チンペイさん(谷村新司)生き返って」って、物みたいに出来ないんで、多分、何回もはできないと思いますね。
堀内: だから、今回、もう、いいか悪いかは別にして、興味のある人は、絶対に見といた方がいいと思いますね。もう最後だと思いますね。
ーー まだコンサートの構成は出来上がっていないのだろうか?
堀内: いや、もう、この間、打ち合わせをして、第1稿は、なんか出来ましたね。
ーー 谷村新司 がいた最後の「アリス」のコンサートとなった、2022年11月の「有明アリーナ」でのコンサートは、全盛期、1978年の『栄光への脱出〜武道館ライブ』をアップデートしたような内容だったが、今回も、そういう感じになるのだろうか?
堀内: そうですね、だから、もう、なるべく、みんなが親しんでくれた曲たちっていうか……、多分、そういうような選曲になってると思いますね。
5 谷村新司 の思い出 〜「それはもう暗黙の了解ですよね…」〜
ーー 6月から新たなコンサートツアーを目前に予定していた2023年3月、谷村新司 は急性腸炎のため入院した。ドクターストップとなったため、ツアーは幻となり、その年、2023年10月8日に、74歳という若さで亡くなった。これまで、「アリス」時代を含め、何度も緊急入院をしたことのあった 谷村新司 だったから、最初、3月に入院したときには、堀内孝雄 は、そんなに悪いとは思っていなかったのだろうか?
堀内: いや……、相当、悪いと思ってました。誰も口に出さなかったですけど、すごい弱ってましたね。だから、たとえば、ラジオとかだと、ちょっとオン気味になれば(マイクに近寄ると)、小さい声でも、イコライジングかけたりとかしてなんとか、ごまかすわけじゃないけど、普段と変わりなく聞こえるんですけど……、でも、やっぱり声量とかも全然なかったしね。
堀内: で、その前も、いきなりもうなんか台車みたいな歩行器みたいなの引いて、スタジオに現れたんですよ。「どうしたの!」って言ったら、「いや、調子が……、こうしてるとラクなんで歩きやすいんだ」って言うから……(笑)。もう、そのへんあたりから、「あっ、いきなり弱ってきたな……」って思いましたね。
ーー 3月に入院した時点で、もう6月からのツアーは難しいだろうという感じはあったのだろうか?
堀内: ありましたね。だから、もう、リーダーシップ切って、いろんな演出も踏まえてそうですけど、必ず有言実行みたいなところで、出来もしないようなことも好きだから、あの人必ず言っちゃうんですよ、「10年をめどに!」とかって。そんな、もう明日のこともわかんないよって……(笑)。
堀内: 俺なんかは、もう、その場その場でアドリブで生きていくタイプだから……。でも、あの人は自分で書かないと、「書いたからその通りやるんだ」っていう思い込みがすごい強い人なんですよね。で、僕はもうそんな、「最近、どうなの?」って、いきなりそんなこと言われても困っちゃうタイプなんですよ。僕は、困る方が好きなんですよ、「そんなもん今言えないよ、バカヤロウ」って。
堀内: だから、そういうなんか、「あっ、これは今だな」っていうのが、チンペイさん(谷村新司)大好きだから。でも、杓子定規になんか流れに沿ってっていうのは、それが……、なんかもう、つらかったですね。でも、それをしないと、あの人できないんですよ。それは 2人とも知ってるんで、「あ〜、これ、相当、弱ってる」って思いましたね。
ーー もう復帰も無理だろうという予感も、どこかにあったのだろうか?
堀内: うん、やっぱり、それは、強く感じましたね。ものすごい残念ですけど……。ただ、あの人に関して言えば……、ものすごいプライドの高い人なんですよ。だから、それはもう 2人ともよく知ってるから、「もうこれ以上いじらない方がいいよ」と。それはもう暗黙の了解ですよね。長い……、まあ、たかだか 10年しかやってないグループなんですけど、濃密でしたからね。もう家族のような印象。だから、「普段、どっか行くんですか、3人で?」って言われますけど、1回も行ったことないです。会いたくないって……(笑)。
ーー 「アリス」時代、とくに初期のころは、1年間で303ものステージをこなした年もあり、「特急電車の止まる駅はほとんど行った」というくらい、ほぼ毎日、3人は一緒にいた。
堀内: そうです、もう、ほとんど毎日一緒でしたからね。
ーー そういう濃密な10年間だったから、谷村新司 との思い出はたくさんあるだろうとは思うが、今、思い出すことと言えば、どういうことなのだろう?
堀内: あります、あります。え〜っとね、(谷村新司が)結婚したての頃に、参宮橋の方かな……、その前は神宮前にいたんですけどね、まだ結婚はされてなくて、僕はその近所のところに住んでて、近いから行ったり来たりしてたんですけど……、すごい懐かしいんですけど……。
堀内: で、参宮橋に移ったあたりから、やたら「バトミントンしないか?」とか、「線、引いておいたから!」って……(笑)。「なに言ってんの?」って言ったら、「いや、あそこね、いいとこ見つけたんだよ」って……(笑)。で、それがね、そのうちにね、今度はテニスに移るんですよね……(笑)。
堀内: で、そうかと思えば、「ベーやん、これからはアレだよ、パイプだよ、パイプ!」って言ってきて、「俺ら 20代だよ!」って言ったら、「それがいいんだよ〜」とか言って……(笑)。それで、原宿の「パレフランス」へ連れて行かれて、「その3番目のやつ買え」って言うから、「いいって、オレは……」って言っても、「いや、絶対、似合うから」って言うから、で、仕方なく買って……、いろんな葉っぱもね、彼、凝り性だから。
堀内: で、気がついたら、(谷村新司 は)もう吸ってないんですよ……(笑)。「やめたの?」って聞いたら、「やめた!」って言うから、「おいっ!」って……(笑)。もう、次から次から、ホント、いろんなこと考える人です。
堀内: だから、ステージなんかの話題もそうですし、次から次から次から「よく考えるな〜」と思いますけどね。だけど、結局、流れている手法は、この52年で全部一緒なんですよ。「ここで、こう落とすな……」とか、それは変わらないんですよね。あの人のスタイルなんですよね。
ーー 堀内孝雄 にとって、谷村新司 はひとことで言うと、どういう存在なのだろうか?
堀内: いや、もう「超えられない兄貴」ですよね。
ーー どういうところが超えられないのだろう?
堀内: うん。なんか、勝手な意識なんですけど、自分を持ってるって言うか……。次から次から原動力というか、そういうのをしっかり持ってるから……。さっきも言ったように、僕はいつも「出たとこ勝負」なんですよ。でも、あの人は、もう緻密に考えて、「こう行った方がいいな」と。
堀内: 「そんなにね、ウインカーみたいに右左に行かないから! まっすぐ走ればいいの!」って言いたくなるんだけど、「いや、ここはもう左に行こう」とかね。「グラグラしすぎだよ!」とは思うんだけど、やっぱり自分の意思を持って、それを実際に有言実行で変えていってるんで、やっぱりすごい人だな〜と思って。
ーー 以前、谷村新司 にインタビューした時には、高僧と話しているような気分になった。
堀内: そんな感じしますよ。あの、話し口調もそうだし……(笑)。その、さらに上が、小椋佳さん……(笑)。軽くいなしちゃうんですよ。もう「かなわないわ」って……(笑)。おもしろい人なんですよ。
6 アリス10年目での活動停止の裏側 〜「なんにもこの先変わっていかないんで…」〜
ーー 1970年代に国民的な人気を誇った「アリス」が、デビュー10年目の1981年、絶頂期だったにも関わらず、活動一時停止を発表した理由はいろいろと言われているが、以前のインタビューで 堀内孝雄 は、その理由のひとつとして、「チンペイさん(谷村新司)への嫉妬心みたいなものもあった」というようなことも話していた。
ーー 「アリス」の活動と並行して、堀内孝雄 よりも先にソロ活動もしていた 谷村新司 は、1974年からソロ名義でのアルバムを毎年のようにリリースしたり、1978年に 山口百恵に提供した『いい日旅立ち』や、1979年のファーストソロシングル『陽はまた昇る』、1980年の2ndシングル『昴 -すばる-』がヒットするなどしていた。
ーー 同じように、ソロとして、『君のひとみは10000ボルト』(1978年)、『南回帰線』(1980年、滝ともはる とのデュエット)、1979年には、山口百恵 の28枚目のシングルとして『愛染橋』を提供していた 堀内孝雄 だったが、「オレも、もっとやれる」という気持ちもあったようだ。
堀内: うんうんうん、そうですそうです。仲が悪かったわけじゃなかったですけど、「オレもやれる」みたいなのはすごい強かったですね。でも、(谷村新司 には)太刀打ちできないから、自分でも、もう、結局、肩並べないとね……。で、僕は僕で、心の中で、「バンドって力がそれぞれに拮抗してないと、やっててもつまんないな」みたいなのもあって、「谷村新司とアリス」みたいな感じになるとね……。
ーー 「アリス」時代、谷村新司 にはかなわないなと思っていたのだろうか?
堀内: いや、そんなことは、実際には思ってないんですけど、表向きだけですよね、負けたふうな顔してんのは……(笑)。だけど、ディレクターとかもみんなは……、要するに彼はリーダーだから、結局、話が集まってくるところは、やっぱり彼なんですよね。やっぱり、「いつか、これを打破しないとな〜」とは思ってましたね。
堀内: で、何度か詰め寄って、ディレクターだけには、「僕は詞を書かないんでとくに思うんだけど、このまんまじゃなくて、外部から(誰か作家を)入れないですか?」と……、「そうすれば、アリスはもっと大きくなれる」って言ったんです。だけど、チンペイさん(谷村新司)は、「いや、それはダメだ」、「レノン・マッカートニー」じゃないけど、ず〜っと2人でやってく」と。
堀内: それは、形としてはいいですよね。だけどね、いつもいい作品が出ていればいいんですけど、そうもいかないし、「これ、何年か続きますよね、アリスって……、僕はやめるつもりないから」って言っても、「う〜ん……、そうだな〜……」って、結局、変わらなかったんですよね。
堀内: で、僕はもう10年を目処に、「やっぱり、もうこれを機に何か変わっていかないと、変わらないものは変わらないわ〜」と思って、それで、直談判じゃないけど、実際に話したんですよ、「もうやめようと思う」って。
堀内: だって、俺は詞を書かないし、自分自身の中で変わっていくものは……、「チンペイさん(谷村新司)の中では変わっていけるけど、俺自身はなんにもこの先変わっていかないんで、この辺でもういいかなと思うんだけど……」って言ったら、「そうかぁ〜……」って。でも、すぐわかったみたいで、「キンちゃん(矢沢透)にもいちいち言わなくていいよ」ってなったんです。
ーー その時、谷村新司 から、「一度、アリスをやめたら、そう簡単には戻れないぞ」というようなことを言われた。
堀内: うん、だから、「そのかわり、そうなんだよ……」って言われたとき、僕もボロボロ泣いて、「そうですよね……、でも、もう自分で決めたから。でないと、自分は、ずっと変われないんですよ」って言ったんですよ。
堀内: 僕は、やっぱり、いろんな人(作詞家)とコンビ組んで旅するのが、自分の残された使命だから、歌が好きなんで、そんだけ引き出しを出せって言うのは、ひとりの人からは無理なんですよね。で、あの人(谷村新司)の詞をず〜っとそばで待ってるわけですから、これはちょっとしんどいな〜と。いつも(詞を)お願いしてて……、「そんな形、ヘンでしょ」って言って。
堀内: で、それでもう、ここで終わらないと、自分自身のことを考えると……、キンちゃん(矢沢透)はドラマーだからいいんですけど、歌い手としてはもうおしまいだなと思って。あと、作曲家としても、おしまいだなと。だけど、もうディレクターは頑としてして譲らないんですよ、その形が好きだから、受け入れないんですよ。
ーー それは、絶頂期にあった「アリス」だっただけに、ディレクターは、反対するのが当然だろう。
堀内: そうなんですよ〜。だから「まいったな〜」と思って……。
ーー しかし、結果、絶頂期の1981年に「アリス」が活動停止となって良かったかもしれない。もしも、「アリス」をずっと続けていたら、もしかしたら、徐々に売れなくなっていったかもしれない。
堀内: いや〜、キツかったと思いますね。
ーー 堀内孝雄 のストレスも溜まっていっただろう。
堀内: いや〜、多分、そうなったと思いますね。
ーー 「アリス」は、絶頂期に活動停止したことで、今も「アリス」がこれだけ輝いて残っていられるのではないだろうか。
堀内: うん……、結果、そっちに繋がっているかな〜って思いますね。
7 多くの作詞家との出会い 〜「自分が面白いように変わっていって…」〜
ーー ソロ活動を始めて以降、松本隆 や 山川啓介、「アリス」解散後は、小椋佳、荒木とよひさ、阿久悠、松井五郎、石原信一、田久保真見 ……ら、多くの名作詞家とコンビを組んで楽曲を発表した。
堀内: で、たまたま、(アリスと並行しての)ソロの中で、CM とか作る中で、(作詞家の)山川啓介 さんが出てくるんですよ。そしたら、サントリーが乗ってきて、で、『南回帰線』(作詞: 山川啓介 / 作曲: 堀内孝雄、「滝ともはる&堀内孝雄」名義、1980年、『サントリービール』CMソング)っていうのを作ったんですよ。デュエットで歌ったんですけど、で、それがまあうまくいったりして、「あっ、こうやって大事にして歌っていけばいいんだ」と。
堀内: そこから、本当に、嘘のようにいろんな人といっぱい出会いましたね……(笑)。だから、小椋佳 さんなんて、本当に偶然ですよ。
ーー 自身のヒット曲だけでなく、『シクラメンのかほり』(布施明)、『俺たちの旅』(中村雅俊)、『愛燦燦』(美空ひばり)、『夢芝居』(梅沢富美男)……など、作詞・作曲家としても活躍していた 小椋佳 は、堀内孝雄 とのコンビで、堀内孝雄 の代表曲ともなっている『愛しき日々』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)や、五木ひろし に提供した『山河』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)などの他にも、『憧れ遊び』『遥かな轍』『諦めさえしなければ』などを作っている。
堀内: 小椋(佳)さんはね、もうノドから手が出るくらい会いたかった人なんだけど、そんなつてもないし、会えないじゃないですか。そしたら、たまたま映画の話があって、(東宝の)山本又一朗 さんって人が「(主題歌を)やらない?」ってきたんで、「なんですかそれ?」って聞いたら、『小説吉田学校』(1983年 公開)って映画の話だったんですよ。で、「これ、吉田茂の物語だから、詞はね、小椋(佳)くんに頼もうと思ってるんだ」って言うから、「小椋くんって誰ですか?」って聞いたら「小椋佳 だよ」って言うから、「いいですね〜! それ!」って……(笑)。
堀内: で、とりあえず、銀座のレストランで(小椋佳 と)会うことになったんですよ。小椋佳 さんは、まだその頃、銀行にお勤めになってたから、昼間しか来れないって言うんですよ。それで、走ってきてね、「カレーライスお願いします!」って……、「あっ、カレー食べるんだ……」って思って……(笑)。
堀内: そこが、小椋(佳)さんとの最初の出会いで、「いや、楽しい人だなぁ〜」と思って。で、僕は憧れの人だったので、「ずっと会いたかったです」って言ったら、「あ〜、そんなこと言ってもらえて嬉しいな〜」って言ってくださってね。
ーー そうして、堀内孝雄は、1983年に公開された映画『小説吉田学校』の主題歌として、『少年達よ』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)を書き下ろし歌った。
堀内: それから、ちょっと間を置いて、年末の時代劇スペシャルが来たので、「これはちょっと物語そのものを把握してる人じゃないと詞は書けないな」と思って、僕はそう踏んだんで、「ちょっと、小椋佳さんに頼まない?」って言ったら、「あっ、いいね〜」ってなって、で、頼んだら、気持ちよく承諾してくださったんです。
ーー 1986年に、日本テレビ系の年末時代劇『白虎隊』の主題歌として『愛しき日々』(作詞:小椋佳 / 作曲:堀内孝雄)を書き下ろした。1981年に「アリス」が活動を停止して以降、しばらく低迷を続けていた堀内孝雄のターニングポイントとなった曲が、この『愛しき日々』で、そのきっかけを作ったのが、映画『小説吉田学校』の主題歌『少年達よ』であり、小椋佳 だった。
堀内: そうです。で、僕は、そのあとも5〜6作、年末時代劇を歌ってるんですよね。あのへんから、自分の変化というか、自分が面白いように変わっていって、それで、なんかした拍子に、荒木(とよひさ)さんに会うんですよ。
堀内: で、荒木(とよひさ)さんが、「最近、小椋佳 さんと多いじゃない」って言うから、「いや、多いって、当たり前じゃないですか。お付き合いしてるんだから」って言ったら、「俺だって、あんな詞書けるんだよ」って、もうひがんでるんですよ……(笑)。
ーー 芹洋子が歌った『四季の歌』の作詞・作曲をはじめ、『時の流れに身をまかせ』『つぐない』『別れの予感』『愛人』など一連の テレサ・テン のヒット曲や、坂本九『心の瞳』、チョー・ヨンピル『想いで迷子』、高山厳『心凍らせて』、前川清『男と女の破片』、桂銀淑『すずめの涙』、森昌子『哀しみ本線日本海』など多くのヒット曲を作詞した 荒木とよひさ は、その後、堀内孝雄 が1988年から2009年まで全18シリーズ全ての主題歌を担当したテレビ朝日・東映制作の刑事ドラマのシリーズ『はぐれ刑事純情派』で、『恋唄綴り』『竹とんぼ』『都会の天使たち』『影法師』などを作詞した。小椋佳 とはまた違うが、荒木とよひさ の詞もまたいい。
堀内: そう、ものすごくいい! 誰でも書けそうな感じなのに書けない。で、荒木(とよひさ)さんと会ってやってたら『はぐれ刑事純情派』も軌道に乗り出したころ、チンペイさん(谷村新司)は、時々、そんなんで、僕がテレビに出たりしてる中で、違う仕事でも同じ(テレビ)局に来てる場合もあるんで、それで、ある時、ツカツカって来て、「べーやん、なんだあれ、お前、最近の。もう、あれ、歌謡曲じゃない!」って。「ああ、そうです」って言ったら、「もう病気になっちゃうよ、お前。ストレスたまるから、やめろ、あんなの」「いや、チンペイさん(谷村新司)、悪いけど、言っとくけど、俺、大好きなんだわ」、「えっ?」って……(笑)
ーー 堀内孝雄 は、以前のインタビューで「井沢八郎や三橋美智也がルーツ」と言っているように、もともと、歌謡曲も大好きだった。(音楽のルーツに関しては、2010年のインタビューで話してくれているので、そちらをお読みください。最下部にリンクをつけておきます。)
堀内: そうです。だから、それが好きで、また、その源流じゃないけど、また少しずつ戻っていっただけで、そのお手伝いで 荒木(とよひさ)さんがいたんで、ものすごいいい出会いだったですね。
(取材日:2024年 8月27日 / 取材・文:西山 寧)
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堀内孝雄 スペシャルインタビュー(2010年4月)
谷村新司 アルバム「今伝えたい」インタビュー(2011年8月)
アリス アルバム「ALICE XI」インタビュー(2013年3月)
ブラザーズ5 インタビュー(2014年5月)
堀内孝雄 50周年 スペシャルインタビュー(2022年5月)
締め切りは、2024年 9月29日 (日) まで!
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