木村徹二 2nd シングル『みだれ咲き』インタビュー!

木村徹二 スペシャル インタビュー!「鳥羽一郎が "木村徹二の父親" と言われるように…」デビュー曲『二代目』に続く 2nd シングル『みだれ咲き』が 2024年2月28日に発売! 兄・木村竜蔵が作詞・作曲したマイナー調アップテンポの耳に残る応援歌! 鳥羽一郎の次男!

 


インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり!

 



Kimura  Tetsuji
木村 徹二

2nd Single『 みだれ咲き



★ 歌手・鳥羽一郎の次男という "二代目"!
★ 2022年11月にシングル『二代目』で演歌歌手としてソロデビュー!
★ 2023年「第65回 輝く!日本レコード大賞」で「新人賞」を受賞!
★ 2024年「第38回 日本ゴールドディスク大賞」で
  「
ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」受賞!

★ 2nd シングル『みだれ咲き』は、マイナー調アップテンポの耳に残る応援歌!
★ デビュー曲に続き、兄・木村竜蔵が作詞・作曲!
★ 2023年9月に行われたコンサートの模様を収録した DVD も同日発売!

★ 2016年に結成した兄とのポップス・デュオ「竜徹日記」でも活動中!
★ もともと歌手になるつもりはなかった…!?
★「鳥羽一郎が "木村徹二の父親" と言われるように…」  

 

 

 

木村徹二「みだれ咲き」MUSIC VIDEO
 
 
木村徹二「最後の酒」(Audio)
 
 
木村徹二 「二代目」 LIVE DVD『木村徹二 ファーストライブ~ファーストアイアンぶちこむぜ!~』
 
 
 
 
 

■ シングル リリース情報
 
 
 
木村徹二 『みだれ咲き』
シングル CD / Digital (2月21日 先行配信)
2024年 2月28日 発売
CRCN-8639
¥1,500
日本クラウン
 
<収録曲>
1. みだれ咲き(作詞:木村竜蔵 / 作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)
2. 最後の酒 (作詞:木村竜蔵 / 作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)
3. みだれ咲き(オリジナル・カラオケ)
4. 最後の酒 (オリジナル・カラオケ)
 
 
 
 
 
 
 

 

■ コンサート DVD リリース情報

 

 



木村徹二『木村徹二 ファーストライブ ~ファーストアイアンぶちこむぜ!~』

DVD

2024年 2月28日 発売

CRBN-134

¥5,000

日本クラウン

 

<収録内容>

01. 二代目

02. つむじ風

03. 兄弟船      (鳥羽一郎カバー)

04. 北の鴎唄    (鳥羽一郎カバー)

05. 龍神        (鳥羽一郎カバー)

06. 函館本線    (山川豊カバー)

07. 流氷子守歌  (山川豊カバー)

08. アメリカ橋  (山川豊カバー)

09. めぐりめぐる(竜徹日記)

10. 花が笑う  (竜徹日記 / 歌唱:木村竜蔵)

11. 夢芝居   (梅沢富美男カバー / アルバム収録曲)

12. 柳ヶ瀬ブルース     (美川憲一カバー / アルバム収録曲)

13. よこはま・たそがれ (五木ひろしカバー / アルバム収録曲)

14. 津軽平野    (千昌夫カバー / アルバム収録曲)

15. 矢切の渡し   (細川たかしカバー / アルバム収録曲)

16. for you…    (髙橋真梨子カバー)

17. 勝手にしやがれ(沢田研二カバー)

18. 夢の花道

19. 海の祈り    (鳥羽一郎カバー)

20. 二代目

21. 酒と泪と男と女(ギター弾き語り)

22. オフショット&スペシャルトーク (特典映像)

 

*2023年 9月19日 東京・なかのZERO (小ホール) にて収録

 

 

 

木村徹二 日本クラウン

木村徹二 オフィシャルサイト

木村徹二 YouTube


木村徹二 歌詞一覧

 

 



 


■ 木村徹二 2nd シングル『みだれ咲き』インタビュー!



 

 

 2022年11月にソロとして歌手デビューした 木村徹二 は、昨年、2023年末の「第65回 輝く!日本レコード大賞」で「新人賞」を受賞、さらに、先日、2024年3月に発表された「第38回 日本ゴールドディスク大賞」でも、「ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」を受賞した。

 

 父は 鳥羽一郎(本名:木村嘉平)、鳥羽一郎の弟である叔父は 山川豊(本名:木村春次)という、ヒット曲を持つ演歌歌手の親族として育ちながらも、木村徹二 には、そういういやらしさが全くない。

 

 まさに、その曲名どおり、木村徹二 の境遇を歌ったデビュー曲『二代目』では、「♪俺は二代目 継いだ心意気」と歌い、自身「X」(旧 twitter)では、「二代目というのは抗えない運命」「親の七光りのおかげ」とコメントしている。歌手・鳥羽一郎である父をリスペクトし、子供の頃は父親を誇らしく思っていたと話し、「目指す歌手は鳥羽一郎」と言う。実に潔く、清々しさ さえ感じる。

 

 堂々とした雰囲気と、その恵まれた体格もあり、テレビの画面ごしでは、少し生意気そうに見えるかもしれないが、実際は、誠実で、礼儀正しく、謙虚、さわやかな気持ちのいい好青年だ。語り口も歯切れ良く、話す声も魅力的だ。

 

 「鳥羽一郎の息子」という看板を背負いながらの歌手活動では、色眼鏡で見られたり、きっと、嫌な思いをすることもあったのではないかと思う。しかし、もちろん、そんなことは決して口にはしないし、そんなことは微塵も感じさせない。

 

 父・鳥羽一郎 は、息子が演歌歌手になることを望んでいたが、木村徹二 は、もともとは歌手になるつもりはなかった。大学4年生のとき、3歳上の兄、木村竜蔵 から「一緒に音楽をやらないか」と誘われたことが、歌手への道への第一歩だった。

 

 そして、すでに 2012年に ソロのポップス系シンガーソングライターとしてメジャー・デビューしていた 兄の 木村竜蔵 とともに、2016年に 兄弟でのポップス・デュオ「竜徹日記」としてデビューした。2枚のミニアルバムに加え、2021年には「JF共済 70周年記念ソング」(JF=漁業協同組合)としてシングル『めぐりめぐる』もリリースされている。

 

 その「竜徹日記」の活動と並行して、兄の 木村竜蔵 は、鳥羽一郎 や 美川憲一 らに、作詞・作曲家として楽曲提供をしていたが、その時、デモテープで仮歌を歌っていたのが 木村徹二 だった。歌声の評判が良かったことに加え、木村竜蔵 の尽力で、木村徹二 は、ソロ歌手としてデビューすることになった。

 

 「運命には抗えない」と考え、いい意味で「流れに逆らわない」という生き方が、父の願いでもあった演歌歌手になることに繋がった。

 

 今年、2024年2月28日に発売された 木村徹二 のデビュー 2作目となるシングル『みだれ咲き』も、デビュー曲『二代目』と同じく、兄である 木村竜蔵 が作詞・作曲した。マイナー調アップテンポの曲で、一度、聴いただけでサビの「♪花も命も咲けば散るのさ」が耳に残る力強い応援歌。いい歌だ。

 

 その歌声は、素直で、まっすぐで、さわやか。しかも、力強さとともに、しなやかさもある。もともと輪郭はっきりした歌声ということもあり、ヌケがよく言葉がクリアに聴こえてくるから、歌詞が伝わってくる。  

 

 また、シングル『みだれ咲き』と同日に、昨年、2023年9月に行われたコンサートの模様を収録した DVD『木村徹二 ファーストライブ ~ファーストアイアンぶちこむぜ!〜』も発売された。コンサートでは、自身の曲はもちろん、「竜徹日記」の曲や、自身のカバー・アルバムに収録されている演歌・歌謡曲の名曲カバー、そして、鳥羽一郎、山川豊 のヒット曲のカバーも歌っている。

 

 今は、「鳥羽一郎の息子」と言われるが、いつか、鳥羽一郎が「木村徹二の父親」と言われるようになりたいと言う。

 

 ちなみに、「竜徹日記」は、現在も、月1回のライブ活動を続けている。

 



<もくじ>

1 デビュー曲『二代目』に続く新曲『みだれ咲き』

  〜「文句の付け所がないと言いますか…」〜

 

2 カップリングの『最後の酒』も A面になりそうな曲

  〜「もったいないんですよね〜…」〜

 

3 レコーディングでは、父・鳥羽一郎がディレクション

  〜「めちゃくちゃ言われます…」〜

 

4 偉大な先輩歌手、父・鳥羽一郎の背中

  〜「どこまで行っても、まだまだ全然だな…」〜

 

5 物心ついた時から、父は有名歌手

  〜「やっぱ誇らしかったですね、すごく…」〜

 

6 兄が売り込んでソロ歌手デビュー

  〜「全部そこに乗っかってっていうような感じで…」〜

 

7 目指す歌手は鳥羽一郎

  〜「鳥羽一郎が "木村徹二の父親" と言われるように…」〜

 



 

1 デビュー曲『二代目』に続く新曲『みだれ咲き』 〜「文句の付け所がないと言いますか…」〜

 

 

ーー 2022年11月16日に、シングル『二代目』(作詞・作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)でソロ歌手としてデビューし、昨年、2023年7月26日には、カップリング曲とジャケットを変えた『二代目』(特別盤)が発売。その年、2023年末の「第65回 輝く!日本レコード大賞」では「新人賞」を受賞、さらに、先日、2024年3月に発表された「第38回 日本ゴールドディスク大賞」でも、「ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」を受賞した。

 

ーー 兄である 木村竜蔵 が作詞・作曲したデビュー曲『二代目』は、どこか、鳥羽一郎 の曲を彷彿とさせるような、トランペットで始まるマイナー調の力強い王道演歌。その曲名どおり、二代目ということを前面に押し出し、「♪いつか おやじを超えてやる」と歌われている。 

 

ーー そして、今年、2024年2月28日に発売された 2作目となるシングル『みだれ咲き』(作詞・作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)も、兄・木村竜蔵 が作詞・作曲を担当。マイナー調アップテンポの曲で、力強い応援歌。おそらく、好き嫌いは別として、誰もがいいと思うような曲だ。とにかく、一度、聴いただけで、サビの「♪花も命も咲けば散るのさ」の部分など、言葉がメロディと一緒に耳に残る。

 

木村: ありがとうございます。「覚えやすい」っていうのが、売れる曲の共通点かなと思うので、やっぱり、それが大事ですよね。

 

ーー キャッチーで耳に残るメロディもさることながら、『みだれ咲き』は歌詞もいい。サビの「♪花も命も 咲けば散るのさ」もいいが、たとえば、2番 Aメロの「♪生まれた時代を恨むなら お前が時代となればいい」「♪挑んだ負けと挑まぬ負けでは あすの景色も変わるだろう」が印象的だ。

 

木村: これ、たぶん……、ほぼ全員がそこですね、ひっかかるのは。めちゃめちゃみなさんに言ってもらえます、「2番の最初がいいよね」って。今回、兄貴も、結構、「悩んで」と言いますか、1年くらい曲を作るのに時間かけてくれて、本当にいいものになりました。

 

木村: もともと、「竜徹日記」で曲を作る時も、作曲はそんなに時間かかんないんですけど、やっぱり作詞にとにかく時間をかけるタイプなんです。(「竜徹日記」では)僕と一緒に作詞をするんですけど、本当に、夜な夜なパズルなんですよ……(笑)。

 

木村: 「ここの 7文字を埋める」っていうだけで、本当に 2日かかったりとかしますし……、それも、やっぱり何百候補と出るわけですよね、それまでの間に。「これどうかな? どうかな?」っていうので。でも、もうバチっと気持ちよく「これだ!」っていうのが決まるまでは、「なんとなくこれでいいかな」は絶対に許さない人なので、そのこだわりがちゃんと時間かけて出たのかなとは思いますね。

 

ーー 木村徹二 は、大学4年生のとき、すでに、高校の頃からソロで音楽活動をしていた 3歳上の兄・木村竜蔵 から、「一緒に音楽をやろう」と誘われ、ソロ・デビュー前、兄弟デュオとして活動していた。2016年には、ポップス・デュオ「竜徹日記」としてデビューしている。「竜徹日記」では、2012年にソロのポップス系シンガーソングライターとしてメジャー・デビューしていた 兄の 木村竜蔵 が、作詞・作曲を担当していたが、木村徹二 も曲作りに参加している。

 

ーー 木村徹二 のセカンド・シングル『みだれ咲き』は、兄・木村竜蔵 が作ったデモの段階から気にいっていた。

 

木村: えっとですね……、(兄は)あらかた自分で打ち込みをするので、本当に簡単な「Garage Band」(Mac用の作曲ソフト)とかでやるやつなんですけど、僕は、最初、それの状態で聴きました。

 

木村: いや、あの……、「やってくれたな!」っていう感じですね、はい……(笑)。偉そうですけど、文句の付け所がないと言いますか、「こうした方がいいんじゃない」「ああした方がいいんじゃない」っていうのはもう全くなくて。まあ、もともと「竜徹日記」の曲しかり、なんでもそうなんですけど、彼が作るものに対してのリスペクトと、信頼と、シンプルに僕も「すごい(兄が作る)楽曲が好きで」っていうのがあるので、それも相まって、すごくすんなり入ってきましたね。

 

ーー アレンジもいい。歌から始まり、細川たかし の『望郷じょんから』のような津軽三味線からストリングスにつながり、梅沢富美男 の『夢芝居』のようなディストーションサウンドのエレキギターが入るというドラマティックなものになっている。作曲した兄・木村竜蔵 は、この曲をアレンジした 遠山 敦 に、そういうリクエストをしたのだろうか? 

 

木村: え〜っとですね、アレンジ自体は、兄貴は全く手を出してなくて、もう(アレンジャーの)遠山(敦)さんに本当にまるっと全部作ってもらってるんですけど、あらかた「こんな感じの曲」っていう……、たとえば「どんな感じの曲がいいか」っていうのは、例を出して「この人のこれっぽい感じ」とか、それこそ一番最初の部分に関しては、細川(たかし)さんの『望郷じょんから』だったりとか、藤あや子 さんの『雪 深深』とか、そのへんを例に出して伝えました。

 

ーー 作曲した兄・木村竜蔵 の中には、アレンジのイメージもあったということだ。

 

木村: あります、あります。なので、それを伝えて、(アレンジャーの)遠山(敦)さんが、それを咀嚼して、書き出してくれてる感じですね。もう、遠山(敦)さんがスゴすぎて……、僕らはもう……(笑)。もう〜、僕らはアレンジですね……(笑)、アレンジに救われてますね。



2 カップリングの『最後の酒』も A面になりそうな曲 〜「もったいないんですよね〜…」〜

 

 

ーー カップリング曲の『最後の酒』(作詞・作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)は、ムード歌謡曲風のマイナー調 3連のミディアムテンポ。シンプルな曲で、これも、A面になっても良さそうな耳に残るいい歌だ。

 

木村: そぉなんですよ〜、いい曲なんですよ〜。もったいないんですよね〜。ただ、僕ら……というか、兄が作る作品の共通点なんですけど……、『二代目』のときもそうだったんですけど、だいたい、その 1枚の CD を出すのに 2曲使うじゃないですか、A面と B面と。「そのために 2曲作る」っていうことをしないんですね。3曲作るんですよ。で、3曲作って、その中で一番いいものを選ぶっていうやり方をしてるので。

 

ーー ということは、A面候補の曲がもう 1曲あったということだ。

 

木村: そうなんです。で、しかも、どれがカップリングでどれが A面かを自分で決めずに作ってるんです。

 

ーー 3曲の A面候補の中から選ぶということだ。そして、今回、『みだれ咲き』が A面曲に決まった。

 

木村: これは、もう、全員の総意といいますか……、会議室みたいなところで何人かで聴いて、「(A面曲は)どれかな?」っていう話をして、もちろん「『最後の酒』がいい」っていう人もいれば、もう 1曲出てないやつがいいっていう人もいて、バラバラだったんですけど、結局、最終的には『みだれ咲き』が一番多かったかなっていうところで『みだれ咲き』が A面になって、「カップリングどうしようか?」ってなったときに、もう1曲の方は「後々、A面で出せそうだな」みたいなところから、『最後の酒』になってるんです。

 

木村: まあ、簡単に言うと、兄からしたら、どれが A面になってもおかしくないような作り方をしているので、おっしゃっていただいたように感じている人は、「もったいないな」って感じるぐらいのいいものができているのかなって思いますね。

 

ーー 今回、『みだれ咲き』と『最後の酒』の両A面でも良かったと思う。

 

木村: いや、ホント、そうっすね。お客さんも、今のところ、「『最後の酒』がいい」っていう人が多いんですよ……(笑)。

 

ーー だが、1曲に決めるとなると、やはり、タイトル曲は『みだれ咲き』だろう。

 

木村: そうなんですよ。A面っていうやり方をすると、どうしてもインパクト的にこっちになっちゃうんですけどね。

 

ーー カップリング曲の『最後の酒』は、サビの最後「♪酔いか涙か 最後の酒よ」「♪悔いか迷いか 最後の酒よ」の歌詞がメロディとともに耳に残る。どことなく、吉幾三が作る曲のような雰囲気もある。

 

木村: そうですね。なんか、このへんも、やっぱり聴いてた音楽が……、まっ、演歌もそうですけど、歌謡曲とかポップスとかいろんな要素が頭の中に入ってるので、なんかそのへんの歌詞の……、まっ、演歌ではあるんですけど、歌詞のバランス的には、古すぎず、新しすぎずみたいなところをちゃんと押さえると言いますか、そのへんもやっぱり、感性というか、感覚が鋭いなという感じはしますね。

 

ーー 『みだれ咲き』も『最後の酒』も、2曲とも、2番の Aメロの歌詞がいい。『みだれ咲き』では、「♪生まれた時代を恨むなら お前が時代となればいい」「♪挑んだ負けと挑まぬ負けでは あすの景色も変わるだろう」、そして、『最後の酒』では、「♪恋から愛に変わらない人と 知っていたはず初めから」となっている。2番の Aメロに、そういうキラー・フレーズがある。

 

木村: あっ、そうなんですよ。昔からそうなんです。だいたい、曲の作り始めからそうなんすけど、1番から作り始めて、ちょっとずつ「作詞脳」になっていくんですよね。で、僕も、兄と一緒に(「竜徹日記」で作詞を)やってて思ったんですけど、一番最初って、作り始めてる一番最初の 1番の Aメロのときって、「これどうしようか?」ってやりながら、まだその「脳が起きてない状態」と言いますか……。で、ちょっとずつ何日もかけて、脳みそがその作詞をする脳に変わっていって、2番の Aメロぐらいで覚醒するっていうのが、だいたい、毎度の流れですね……(笑)。

 

ーー デビュー曲『二代目』も、新曲『みだれ咲き』も、作詞をした兄・木村竜蔵 が、二代目という 木村徹二 の立場を考えた上での「想い」が込められている。さらに、デビュー曲『二代目』のカップリング曲『つむじ風』(作詞:麻こよみ / 作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)(2022年11月16日 発売)でも「♪俺の人生 生きてやる」と歌い、2023年7月26日に発売された『二代目』の特別盤のカップリング曲『夢の花道』(作詞:麻こよみ / 作曲:木村竜蔵 / 編曲:遠山敦)でも「♪焦らずに ただひたすらに進むのさ 己を信じて」と歌われている。

 

木村: たぶん……、それ、すごいありまして、前回、『二代目』を作ったときに……、まっ、『二代目』は兄が作ったんですけど、カップリングで『つむじ風』『夢の花道』ってなったときに、なんとなく兄貴の中でも、「次の作品どうしようか」っていうところの、その方向性を、「『つむじ風』と『夢の花道』に(『みだれ咲き』を)見た」と言いますか……。

 

木村: まあ、ざっくり言うと、応援歌じゃないですけど「若者に対する応援歌的なものを目指して作っていこうかな」っていうのは、たぶん、頭の中に……、そこから、たぶん、頭の中で作り上げたのかなっていう気はしますね。

 

木村: やっぱり、『つむじ風』も『夢の花道』も、すごい評判が良かったので、僕が歌う上で、「どの方向を向いて歌ったらいいのか」っていうのを、ちょっと応援歌に寄せてって言いますか、「なにか背中を押してくれるようなものをお前が歌えばいいんじゃないか」っていうことで、今回、たぶん、『みだれ咲き』のあの歌詞になったのかなというふうには思いますね。

 

ーー 新曲『みだれ咲き』は、兄・木村竜蔵 から 弟・木村徹二への応援歌でもあり、木村徹二 が歌うことによって、聴く人への応援歌になる。

 

木村: そうです、そうです、まさにそういうことです。



3 レコーディングでは、父・鳥羽一郎がディレクション 〜「めちゃくちゃ言われます…」〜

 

 

ーー デビュー曲の『二代目』は力強く歌われていたのが印象的だったが、今回の『みだれ咲き』では、力強くも、余計なチカラが抜けて、響きの良さが際立ってきているように感じる。もともと、声自体も輪郭がはっきりしているから、ヌケがよく、言葉がクリアに聴こえてくる。

 

木村: ああ〜、ホントですか、うれしいです。ありがとうございます。

 

ーー 嫌味がなく、素直でまっすぐで、さわやかな歌唱もいい。しかも、やわらかさもある。

 

木村: ありがとうございます。

 

ーー さらに、言葉の響き、声のトーンが明るいのもいい。どんな楽曲でも、声のトーンが明るくないと、聴く人に伝わらないものだ。木村徹二 の場合、とくに、語尾の母音の音が明るいから、言葉が聴こえてくるし、言葉が伝わってくる。『みだれ咲き』で言えば、たとえば、Aメロの「散る身なら」の「ら」(RA)の語尾の母音「あ」の響きや、Bメロなら「様(さま)を見て」の「さ」(SA)の語尾の母音「あ」の響きなどが特徴的だ。

 

木村: ああ〜、うれしっす。でも、わりかし、よく指摘されるところではありまして……。あの、あんまり、兄とかディレクターさんとかは言わないんですけど、ウチのオヤジ(鳥羽一郎)が、結構、発音にすごい厳しくてですね、はい。やっぱ、本人も、歌う上で一番気にしてるのはそこで、「歌唱力とかそんなのはどうでもいい」っていうタイプなので、やっぱり、(発音は)めちゃくちゃ言われます。なので、それぐらいしか意識してないぐらいですね、逆に言うと。

 

ーー 今回、初めて、父の 鳥羽一郎 が、木村徹二 の歌録りのレコーディングに来た。

 

木村: 来たんですよ〜、今回は。あの、たまたまなんですけど、僕らがレコーディングするスタジオの、僕らがやる時間帯の 1時間前に、ちょうど同じスタジオで「作詞大賞」の取材がありまして、3人(木村徹二、木村竜蔵、鳥羽一郎)での取材だったんですけど、そこで、そのまま取材終わりでレコーディングだったので、そのときに「時間がまだあるから、ちょっと見ていくわ」っていうことで、オヤジのディレクションが、がっつり入りました……(笑)。

 

木村: なので、その発音とかが、今回、結構、クリアになったりとかしてるんだと思いますね。しっかり 1回歌った上で「ここをこうした方がいい」とかっていうのは言ってたので、はい。

 

ーー 今回の歌録りのレコーディングは、時間がかかった。

 

木村: はい、今回は、かかりました。『二代目』のときは、たしか、2回か 3回くらいしか歌ってなくて、それを組み合わせてって感じだったんですけど、今回は、何テイクくらい録ったかな……、10テイク近く録ったんじゃないかな……、はい。

 

木村: なんか、本人(鳥羽一郎)的にも、「納得いくまで終わらない」的な空気感だったので……(笑)。もうしょうがないです、みんな付き合うしかないですよね……(笑)、誰もなんも言えないんで。もう、オヤジが思うがままの空間を作り上げて……(笑)。

 

木村: で、そのうち、僕が歌ってると……、よく言い出すんですけど、「キーが合ってない」とかって言い出すんですよ。でも、オケ録りは、もう前の日に終わってるんで、「その時点で言われても」って感じなんですけど……、ただ、その場で、それ言われちゃうと、もうやるしかないんですよ。

 

木村: なので、無理やり(機械で)キーを上げてくれて、「1回それで歌ってみろ」とか言われて、1回歌ってみて、全員に「どうだ?」って聞くんですよね。で、感想を聞いて、最終的に僕のところに来て、「お前どうだ? 歌いやすいか?」って言われたんで、たぶん、このまま僕が「歌いやすい」って言うと、このままになっちゃうんすよ。でも、せっかくオケ録りで、もとのキーで録ったやつを、機械であげるのはもったいないじゃないですか。

 

ーー 機械的にオケのキーを変更することはできるが、オケの音質も変わってしまう。

 

木村: そうなんですよ。なので、やっぱり下げてもとのキーに戻したかったので、オヤジに「ひとつ(キーを)上げて歌ったことで、少し正解が見えた気がするから戻してくれ」って言って……(笑)。そしたら、オヤジも気持ちよく……(笑)、で、戻して今の状態に結局戻りました……(笑)。

 

木村: そんなんで、結構、わりと「こうした方がいいよ」とかっていうのは、今回のレコーディングに関してはすごい言ってましたね。わりと細かく言ってました。でも、それが、また、ちゃんと「理にかなっている」と言いますか、その現場にいる他の人が気づかないところで、「この部分の発音が弱い」とかっていうのをボソッと普通に言ったりするので、あとから、「お前、ちょっと聴いてみろ」とかって言われて聴くと、「たしかにそうだな」っていう瞬間が結構多いので、そこをなおしたりとかしました。

 

ーー そういうふうに、鳥羽一郎から教えられることや、歌の指導をされたのは初めてだった。

 

木村: はい、ほぼ初めてです。強いて言えば、前回、カバーアルバム(2023年『ザ・カバー ~昭和演歌名曲選~』)を出したときに、それをすごく聴いてたらしくて、それで、そのときも発音のことを言ってましたね。「サ行が全然なってないから、そこはもう本当に意識的に気を付けて歌わないと駄目だ」とか、そのへんは、すごい言ってましたね。

 

ーー そうやって、木村徹二 本人も、父・鳥羽一郎も納得できるテイクが出来上がった。

 

木村: はい。一番最後に歌ったテイクを使ってるんですけど、もう「これでオッケー」って納得するところまで録ったので、もうそこは、「これだったらいいよ」ってオヤジも言って、「じゃあ!」って、もう気持ちよく帰って行きましたね……(笑)。まあ、出来上がったものも、そこまで大きくは変わっていないので……、はい。

 

ーー その後、叔父の 山川豊 にも聴かせて好評だった。

 

木村: はい、山川(豊)さんも「すごくいいね。かっこいいね」って言ってくれました。山川(豊)さんは、結構、『二代目』が好きで聴いてくれてたので、「『二代目』はどうしてもインパクトが強かったから、それに負けないようにしてやんなきゃいけないな」っていうのは言ってましたね。



4 偉大な先輩歌手、父・鳥羽一郎の背中 〜「どこまで行っても、まだまだ全然だな…」〜

 

 

ーー デビュー曲『二代目』のミュージックビデオは、YouTube での再生数が演歌・歌謡曲としては異例の 150万回超えているが、新曲『みだれ咲き』も、公開されて約1ヶ月で、再生回数がすでに 30万回(2024/4/1 現在)を超えている。新曲キャンペーンなどでも、以前とは、お客さんの反応も違ってきているようだ。

 

木村: あの……、このへんはちょっと、本当に偉そうに聞こえたらアレなんですけど、今、キャンペーンやったりとか、地方に行ってコンサートのゲストに出たりとか、カラオケ大会のゲストで出たりとかってやってる中で、やっぱ、たしかにお客さんが増えたりとか、キャンペーンも人がすごい来てくれたりとかっていうのはすごくありがたいですし、人数が増えてるなっていうのは感じるんですけど……。

 

木村: でも、なんか……、あくまで、僕がずっとちっちゃいころから見てきたのが父親のステージなので、「どこまで行っても、まだまだ全然だな」っていう思いがありまして……。

 

木村: なので、たぶん、このまま行くと、一生、満足のいく景色にはたどり着けないかもしれないですけど、ただ、それは、僕は悪いことじゃないなとは思うので、ずっと「もっとこうした方がいい、ああした方がいい」とか考えながら仕事ができるんじゃないかなと思います。

 

ーー ソロの演歌歌手としてデビューしたあとも、兄・木村竜蔵とのポップス・デュオ「竜徹日記」での月1回のライブ活動は続けている。「竜徹日記」では、たとえば、2021年にリリースされた「JF共済 70周年記念ソング」(JF = 漁業協同組合)『めぐりめぐる』(作詞・作曲:竜徹日記)など、たとえば「Mr.Children」のような、さわやかなメジャー調ポップスを歌っていて、演歌とはまるで違う。ソロと「竜徹日記」では、歌う意識は違うのだろうか?

 

木村: ああ〜……、でも、「竜徹日記」をメインでやってた頃に、ちょくちょく演歌を挟むことがあったんですけど、その頃は、全然、意識してなかったんですね。もう、おんなじように、ポップスとおんなじように演歌を歌ってたんですけど、今、逆パターンと言いますか、演歌が基本的に日常のメインにありまして、「竜徹日記」が月に 1回ライブをやってるっていう状態なので、今、逆に、すごく違いが出てきたと言いますか……。

 

木村: やっぱり、言葉の強さとか、勢いとか、粒立ちみたいなものは、演歌の方は、しっかり立てていくようには歌っていますし、ポップスの場合は、逆に言うと、それが邪魔になる瞬間も出てくるんで。簡単に言うと、息が多めな発声だったりとかっていうのは、ポップスの方では多用するようにはしてますし、なんかそのへんは、意識的に変わってるのかなとは思います、最近は。

 

ーー 今回、シングル『みだれ咲き』と同日に、昨年、2023年9月に行われたファースト・ソロ・コンサートの模様を収録した DVD『木村徹二 ファーストライブ ~ファーストアイアンぶちこむぜ!〜』も発売された。コンサートでは、自身の曲はもちろん、「竜徹日記」の曲や、カバー・アルバムに収録されている演歌・歌謡曲の名曲カバー、そして、鳥羽一郎、山川豊 のヒット曲のカバーも歌っている。

 

木村: 選曲(セットリスト)は、もう「何を歌えるか?」っていうところを演出の方に伝えて、あとはもう全部作ってもらった感じっすね。なので、アルバム曲と、父(鳥羽一郎)と山川(豊)さんの曲と、あとはポップスっぽいのも入れた方がいいということで、基本的に自分が歌えるものを伝えて、その中で選んでいただいたって感じですね。

 

ーー アンコールでは、『酒と泪と男と女』(作詞・作曲:河島英五、1975年)を、ギターの弾き語りで披露している。

 

木村: はい、そうです。そんな大層なものではないですけど、ちょっとだけ……、弾き語りができるくらいは。

 

ーー コンサートでは、父・鳥羽一郎のデビュー曲でヒット曲『兄弟船』(作詞:星野哲郎 / 作曲:船村徹 / 編曲:丸山雅仁、1982年)などや、叔父・山川豊の『アメリカ橋』(作詞:山口洋子 / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:矢野立美、1998年)なども歌っているが、これらは、以前、自身の YouTube でもカバー動画を公開している。

 

ーー また、2023年7月に発売されたカバー・アルバム『ザ・カバー ~昭和演歌名曲選~』と、シングル『二代目』(特別盤)では、鳥羽一郎の『海の匂いのお母さん』(作詞:田村和男 / 作曲:船村徹 / 編曲:南郷達也、1983年)と『海の祈り』(作詞:星野哲郎 / 作曲:船村徹 / 編曲:丸山雅仁、1985年)のカバーが収録されている。そういう父や叔父の曲は、ほぼ全曲を知っているのだろうか?

 

木村: え〜っとですね……、山川(豊)さんは、全曲はわからないです。山川(豊)さんは、逆に言うと、僕がメインで聴いてたのは 5〜6曲ですかね。オヤジのは……、う〜ん……、でも、それでも、1/3 とか、半分はいかないと思いますね。とにかく、曲がめちゃくちゃ多いんで。



5 物心ついた時から、父は有名歌手 〜「やっぱ誇らしかったですね、すごく…」〜

 

 

ーー 物心ついた時から、父は有名歌手だった。

 

木村: う〜ん、そうですね……、有名なのかどうかっていうのが認識できるようになったのは、教えられてどうのこうのではなく、やっぱり小学校の頃とかに、まわりの友達から言われると言いますか……。「おじいちゃん、おばあちゃんが好きだからサインもらってきてくれ」とか、そういうので、「すごい人なのかな?」とかっていうのをちょっとずつ認識していたような気がするんですけど、それは、やっぱ誇らしかったですね、すごく。なんか、「すごいだろ、ウチのオヤジ」ぐらいの感じで常に思ってましたけどね。

 

ーー 小さい頃から、母親は、父・鳥羽一郎のコンサートに連れて行き、木村徹二 は、ステージの袖で見ていたという。

 

木村: これは、もう、物心がつくずっと前からそうなんですけど、もう僕が思い出せる範囲だと、本当に幼稚園ぐらいの頃には、ステージ横で見てたっていう景色は残ってますね。たぶん、それよりも前から、連れてってもらってたと思うんですけど。

 

ーー 母親は、父親が仕事をしている姿を見せたかったのだろう。

 

木村: そうですね。簡単に言うと「何をしている人なのか」っていうのを認識させるためにも、やっぱりステージの現場に連れてってくれて、その楽屋で一緒に話させてもらったりとか、それこそステージ見させてもらったりとかっていう感じで……。

 

ーー 子供にとっては、刺激的で、印象的な瞬間だったに違いない。

 

木村: そうですね。だから、すっごい覚えてますね、楽屋とか、ステージまわりとか……、大人が入り乱れている感じといいますか、怒鳴られたりとかってしてるのをちっちゃい頃から見てたんで。だから、今、もうその現場にいるので、すごい心地いいですね。

 

ーー 当然、小さい頃から、鳥羽一郎の曲を耳にしていた。

 

木村: う〜ん……、幼稚園ぐらいですかね……、明確に覚えてるのはそれぐらいですね。『カサブランカ・グッバイ』(作詞:内館牧子 / 作曲:三木たかし / 編曲:若草恵、1996年)とかが新譜で出て、ウチに持ってきた瞬間っていうのを覚えてるんで、あれが、たぶん、96年とかなんですよ。それが、たぶん、5歳とか……、幼稚園とかですよね。

 

ーー 家の中で、よく流れていたようだ。

 

木村: はい、かかってました。その時その時の新曲を、よくオヤジがかけてましたね。もうウチの恒例として、レコーディングが終わると全員に聴かせたくて、爆音で流すんですよ、その新曲を……(笑)。それを全員で聴いて、そこから何日かそれが流れて、僕らも自然に覚えて……みたいなのが結構多かったので、すごい覚えてますね。まだ、8センチの CD のころですね。

 

ーー 子供の頃から、父・鳥羽一郎には、よく「お前は演歌を歌うといいんじゃないか」と言われていた。

 

木村: はい、言ってましたね〜。小学校ぐらいからですかね〜。

 

ーー しかし、そのころ、歌手になりたいとは思っていなかった。

 

木村: はい、思ってないです。何をしたかったのかは、もう記憶にないですけど、歌手になりたいっていう強い思いを持ったことはないですね。

 

ーー 物心ついたころは、どんな歌が好きだったのだろうか?

 

木村: え〜っと、ちっちゃいころから、母が 尾崎豊 が好きだったので、そればっかり聴いてましたね。大好きでした。尾崎(豊)さんの曲だったら、全曲わかりますよ。

 

ーー 小学校から中学3年まではサッカー部、高校からはバスケットボール部だったが、そのころは、どんな音楽を聴いていたのだろうか?

 

木村: あっ、ちょうど、その時期、男性 2人で歌ってる歌い手さんが多かったんですね。「CHEMISTRY」さんとか「EXILE」さんとか「KinKi Kids」さんとかもそうですけど、だから、そのへんのブームにはガッツリ乗ってましたね。あと、それこそ、その当時に流行ってたものだと、日本人のラップが出てきたような時代だったんで、そのへんもわりかし……、「RIP SLYME」さんとかも聴いてましたし、あとは、そうですね……、でも、まんべんなくやっぱりその当時に流行ったものは全部聴いてたような気がします。

 

ーー そういう流行りのポップスとともに、演歌も好きだった。

 

木村: はい、好きでした。オヤジの曲もそうですし……、あと、その当時、曲を聴く方法というのが iPod だったんですよね。iPod で聴く上で iTunes 使ってて、iTunes ってランキングが出るんですね。ポップスのジャンルでのランキング 100位までと、たぶん、演歌・歌謡曲も出てたと思うんですけど、そのへんからピックアップして、「いいな」って思う曲を全部、片っ端からダウンロードして聴いてたので、だから、演歌もまんべんなく聴いてたような気はしますね。

 

木村: まあ、でも、メインは、やっぱり、父と山川(豊)さんの曲でしたけど……、あとは「誰が好き」とかってことはなかったんですね。売れてた曲がやっぱ好きだったですね。それこそ、吉(幾三)さんの『酒よ』とかも好きでしたし、森進一さんだったら『襟裳岬』とか『冬のリヴィエラ』とか……、まあ要は、ヒット曲、その人の代表曲みたいなものは、ひと通り聴いてたような気がしますね。

 

ーー 学校の友達は、聴いていないような曲ばかりだ。

 

木村: そうですね。これは、やっぱり、親がやってたってことが一番大きいと思いますけど。



6 兄が売り込んでソロ歌手デビュー 〜「全部そこに乗っかってっていうような感じで…」〜

 

 

ーー 高校卒業後、駒沢大学に進学しているが、そのころ、大学に行って、どうなろうと考えていたのだろう?

 

木村: う〜ん……、僕、今、こうやって、歌い手としてステージに立ったりしてますけど、実は、その当時は、こういうのを望んでたわけでもなくて……。何て言うんすかね……、昔からそうなんですけど、まわりの人の「こうした方がいいよ」とか、「こうなりなよ」とかっていうのに、そのまま乗っかってるといいますか……(笑)。だから、はじめは、大学も別に行くつもりもなかったんです。

 

木村: で、ちょうど大学に行く行かないとかっていう時期に、ウチのオヤジが食道ガンかなんかになったんですよね。で、ウチのお袋がやっぱいろいろ考えて、「将来、あんたたちが何をするかわかんないけれども、万が一、歌をやるんであれば、こういうことがある」と。病気になって、仕事が 2〜3ヶ月できない。そうなると、ウチにはお金が入ってこない。

 

木村: たとえば、これが治ればいいけれども、たとえばノドの病気になってしまって声が出ないとか、「一生、声が出ない」ってなって、「じゃあ何をする?」ってなったときに、「歌だけやってきたら仕事がないから、大学ぐらい出ておけ」ということで、僕は、それを言われて、「そうだな」と思ったので……。その時点で音楽をやるとは決めてなかったですけど、「何をするにしても(大学を)出てて損はないかな」と思って、勉強して入ったんです。

 

木村: で、僕、大学は 2年遅れて入ってるんで、21歳になる年に大学1年ですね。大学に行こうと思ったのが、それを言われたタイミングだったので、そこから、1年間勉強して入りました。

 

ーー 2年浪人して大学に入ったわけではなく、高校を卒業して 1年後に「大学に行こう」と決めて勉強をはじめたということだ。

 

木村: 要は、まわりが用意してくれたところに、そのまま乗っかっている感じで……。音楽の道もそうですよね、大学 4年生の時に、「どうしようかな?」って考えてたら、兄貴に誘われて、ふたりでデュオになりましたし、で、なんとなくそれでやっていく流れで……。「演歌でソロデビュー」も兄貴が決めてきた話なんで、上手いこと全部そこに乗っかってっていうような感じですね……、はい。

 

ーー 「運命には抗えない」と考えていて、いい意味で「流れに逆らわない」という生き方をしている。しかし、一度、大学在学中に、「演歌歌手としてデビューしないか?」という話を断ったこともあった。

 

木村: そうですね。21歳、大学 1年生くらいですかね。べつに、歌手になろうとは思ってなかったですし、あとは、シンプルに自分自身でも……、簡単に言えば、演歌歌手ってオヤジがやってたようなことなんですけど、「あれをやれるか?」って言ったらね……。

 

ーー そうして、兄から誘われて、大学卒業後の 2016年、25歳のときに 兄弟でのポップス・デュオ「竜徹日記」としてデビューした。「竜徹日記」というユニット名は、母親が 2人の幼少期を撮影したホームビデオに書かれていたタイトルからとった。そのころ、木村徹二 は、ソロ歌手を目指しコンテストなどを受けていたが、「演歌では父親に勝てない。父親にない土俵ならいつか勝てるかも」ということから、兄とのポップスでの活動を決めた。

 

ーー 兄の 木村竜蔵 は、その「竜徹日記」の活動と並行して、鳥羽一郎 や 美川憲一 らに、作詞・作曲家として楽曲提供をしていたが、その時、デモテープで仮歌を歌っていたのが 木村徹二 だった。そのデモテープでの歌声の評判が良かったことが、ソロ歌手としてデビューすることにつながった。

 

木村: あの……、それもひとつあります。やっぱり、とくに、クラウンさんが多かったですね、兄貴が作ってる曲っていうのは。それで、作っていく流れで、やっぱり、兄も(日本クラウンに)所属してたってのもあって、クラウンのスタッフさんにも知り合いが多かったので、そんな中で仮歌を聴いてもらって、「こんな歌えるのか!」みたいなところで話はあったみたいなんですよね。

 

ーー そうやって、兄の 木村竜蔵 が売り込んでくれていたということだ。

 

木村: そうですね。僕には、とくに相談とかはなかったですけど、「やれるんで」「歌えるんで」みたいなことで、結構、話はしていたみたいなんですね。

 

ーー 木村徹二 本人には、デビューが決まってから、初めて知らされた。

 

木村: はい、そうです……(笑)。もう、だから、僕に連絡が来た時点で、デビュー日ぐらいまでは決まってましたね。それが、デビューする 10ヶ月くらい前ですかね。

 

木村: だから、あの……、とにかく、一旦、話を聞かせてくれと……(笑)。給料の話とかも、なんも聞いてなかったので……(笑)。どういうプランで、そもそもなんでデビューするのかとか何も聞いてなかったんで、そのへんをちょっとずつ聞いて、その時点では、もちろん曲も決まってないですし、なんにも決まってない状態なので、「この時期に出る」っていうことだけ決まっててっていうのが、そのクラウンに行って、社長と話をして伝えられましたね。

 

ーー もし、演歌歌手としてソロ・デビューしていなかったら、「竜徹日記」を続けていこうと考えていたのだろうか?

 

木村: それも、なんか「流れ」と言いますか、兄が辞めるって言ったら、たぶん辞めてたと思うし……。なんか、その「流れに逆らわず」っていうのが、僕の人生の教訓のような気がするので……、そうですね、「その流れで」って感じですね。

 

ーー ソロ・デビューした後、現在も、演歌歌手と並行して「竜徹日記」での毎月1回の定期ライブも続けている。

 

ーー そして、デビュー曲の『二代目』は、実は、もともと 鳥羽一郎 のために書かれた曲だったが、ボツになった曲で、そのボツになった曲に、新たに詞をつけたものらしい。

 

木村: そうなんですよ。本当です。もともと、大分のある会社があるんですけど、そこの社長さんとウチの父が知り合いで、「お父さん(鳥羽一郎)に、ウチの社歌を歌ってほしい」ということで……。で、「誰が曲を作るのか?」ってなったときに、その会社の人たちが「息子さん(木村竜蔵)に作ってほしい」ということで、兄貴に依頼が来たんですね。

 

木村: で、兄が社歌を作って、で、カップリングは別で、その社長さんの歌を作ったんですね。それで提出したんですけど、「社歌の方は全然これでいい、すごい素晴らしいです」ってなったんですけど、そのカップリングの方が、いまいち向こうが作って欲しかったのとイメージが合わなかったみたいで……、それが近かったら良かったんすけど、全く違ったんですよね。

 

木村: そこで、「もうちょっとこういうのが欲しいです」っていうことを言われて……、なので、もうボツにするしかないということで、別で、兄貴はそれをカップリングに作ったんですけど、そのボツになった曲がすごい良かったんで、リサイクルしたのが『二代目』です……(笑)。

 

ーー そうして、木村徹二 は、31歳のときソロの演歌歌手としてデビューした。叔父の 山川豊(鳥羽一郎の弟)は、1981年、22歳の時にデビューしたが、父の 鳥羽一郎 は、1982年、30歳のときだった。

 

木村: まあ、でも、タイミング的にはもう完璧だなとは思いましたね。

 

ーー ソロ・デビューの時には、父・鳥羽一郎が芸名を提案してきた。

 

木村: はい、そうなんですよ。「渡鳥 哲也」(わたりどり てつや)っていうのを考えてくれました……(笑)。

 

ーー それくらい、鳥羽一郎は、次男の演歌歌手としてのソロ・デビューが嬉しかったのだろう。

 

木村: はい、ノリノリでした……(笑)。たぶん、嬉しかったんでしょうね。まあ、それをめちゃくちゃ望んでましたしね。25〜6歳のころまで(「演歌歌手になったらいい」と)言ってました。だから、「竜徹日記」をはじめてからも 1〜2年は言ってましたね。「演歌やってくれよ〜」「いやいや」って。でも、その父が、あれだけ言うってことは、相当、やってほしかったんだと思いますね。普段は、自分の欲求を表さない人なので。

 

ーー 口下手で、多くを語らないイメージの 鳥羽一郎 だけに、多くは語らないだろうが、本当に嬉しかったのだろう。陰でニヤッとしている顔が見える。

 

木村: いや〜、でも、よくステージでも「やっぱ嬉しい」とか言いますよね。



7 目指す歌手は鳥羽一郎 〜「鳥羽一郎が "木村徹二の父親" と言われるように…」〜

 

 

ーー 2022年11月16日に、シングル『二代目』でデビュー、翌 2023年7月26日には、『二代目』(特別盤)が発売され、同年、2023年末の「第65回 輝く!日本レコード大賞」で「新人賞」を受賞した。鳥羽一郎 からは、どんな言葉をかけられたのだろう?

 

木村: う〜ん……、あんまり、やっぱ、そのへんは言いたがらないと言いますか、「そこを言わないカッコよさ」みたいなものを美学として持ってる人なので……。なので、まあ、本当に直後ですね、終わって帰ってきたその日かなんかに、「良かったよ」とかっていう、本当、ひと言だけでしたね……(笑)。それでもう、それ以降も、それ前も、とくになんも言ってなかったような気がしますね。

 

ーー 有名歌手である 鳥羽一郎 を父に持つ、まさしく『二代目』ではあるが、木村徹二 には、そういういやらしさが全くない。「鳥羽一郎の息子」という看板を背負いながらの歌手活動では、色眼鏡で見られたり、きっと、嫌な思いをすることもあったのではないかと思う。しかし、もちろん、そんなことは決して口にはしないし、そんなことは微塵も感じさせない。実に潔く、清々しさ さえ感じる。歌手・鳥羽一郎である父をリスペクトし、「目指す歌手は、鳥羽一郎」と言う。

 

木村: そうですね。う〜ん……、なんすかね……、イメージと言いますか、「ステージを見にきて、元気になって帰ってもらう」っていうのが、この仕事の醍醐味なのかなとは僕は思うので、なんかそれは突き詰めていければいいなとは思いますね。ステージの作り方にしても、歌の届け方にしてもそうですけど、なんか「パワーをもらって帰る」っていうのが、歌の強みかなとは僕は思うので、それは指標にしていきたいなと思います。

 

木村: あとは、ゆくゆくですけど、父がやってきた活動が……、もちろん、いろんなことやってるんですけど、チャリティー的なものが結構やっぱ多かったので、とくに海の関係のチャリティー・コンサート(「海難遺児チャリティー漁港コンサート」)とかもやったりとかしたいですね。

 

ーー 2016年の「竜徹日記」のお披露目も、岩手県宮古市の漁港の特設ステージで行われた「海難遺児チャリティー漁港コンサート」の時だった。「海難遺児チャリティー漁港コンサート」は、漁師の家に生まれ育ち、若き日は遠洋漁船の乗組員として働いていたことから、鳥羽一郎 のライフワークとして、1988年から続けられていて、その数は、昨年、2023年までに 91回を数えている。

 

木村: そうです、そうです。「音楽はじめました」っていうのは、そのときに発表しましたね。ま、それもありますし、あとは、たとえば、刑務所の慰問だったりとか、本人がこだわりを持ってやってる仕事って結構あるので、そういったものは、なんか無くさないで受け継いでいけたらいいなとは、すごい思いますね。「オヤジがいないからできない」ってことでは、たぶんないと思うので……、はい。

 

ーー 今は、「鳥羽一郎の息子」と言われるが、いつか、鳥羽一郎が「木村徹二の父親」と言われるようになりたいと言う。

 

木村: そうですね、それは、まあ、遠い先の目標ですけど……。どうしても、しょうがないんですよね。

 

ーー 鳥羽一郎 は、1982年にデビューして 歌手活動 40年を超えている。

 

木村: そうですね……(笑)。まあ、なんか、それは、追いつけるように頑張っていかなきゃいけないなと思いますね……、40年は。

 

ーー 今後、音楽活動以外で、やってみたいことを聞いた。

 

木村: なんだろうなぁ〜……。でも、それこそ、よく話をするんですけど、歌以外だと、もちろん、お芝居とか、歌い手さんがあんまりチャレンジ……、たとえば、何でもいいんですけど、テレビに映るようなお芝居でもいいですし、バラエティでも何でもいいんですけど、とにかくその歌以外のことで、なんか幅を広げられたらいいのかなっていう……。それを、僕、結構、父を見ててずっと思ってたんですよね。「やったらいいのにな」と思ってたんですけど、結構、本人が、こだわりを持ってそのへんを断ってた人なんで、なんかそこは柔軟に……。

 

ーー 鳥羽一郎 は、役者としてもいい味が出そうだ。

 

木村: そうそう、(いい味が)出そうなんですけど、本人が、そのヤクザ映画ぐらいしか興味がないので……(笑)、ヤクザ映画は何本か出てるんですけど、そういう役以外に興味がないんで。なので、なんかそれは柔軟にといいますか、あえて、父が頑固で、こだわりを持ってやってくれたおかげで、ギャップが使えると言いますか、「あっ、息子さん、こんなにいろんなことやってくれんだ」っていうのが生きると思うので、そこは柔軟になんかいろいろチャレンジしたいなと思いますね。

 

(取材日:2024年 3月11日 / 取材・文:西山 寧)

 



 
■ 読者プレゼント!


木村徹二   直筆サイン色紙 を 3名様にプレゼント!
 
 
X(旧 twitter)で、大人の歌ネット(@MUSICGUIDE1003)を フォロー&下記リンクの投稿をリポスト(リツイート)して頂いた方の中から、抽選で3名様に、アイアン徹二くん が 持っている 直筆サイン色紙を プレゼントさせていただきます。締め切りは、2024年 4月21日 (日) まで!
 
【ご注意ください】
当選された方には、x(twitter)の DM(ダイレクトメッセージ)にて、ご連絡させていただきます。
(せっかくご当選されたのに連絡の取れない方がいらっしゃいます。)
 
また、「大人の歌ネット @MUSICGUIDE1003」を名乗る偽アカウントからプレゼント当選のDMが送られてくる事例が発生しています。
公式アカウントは「@MUSICGUIDE1003」です。
締切前に、当選者を決めたりご連絡することはありません。
DMでアカウント登録やクーポンを配信することはありません。
偽アカウントからDMが届いても、個人情報を入力したり、リンクをクリックしないで下さい。

 

 

 

 

 

■ インタビュー記事 関連動画

 


デビュー曲「二代目」MUSIC VIDEO(2022年 11月16日 発売)
 
 
「つむじ風」(「二代目」カップリング)MUSIC VIDEO(2022年 11月16日 発売)
 
 
「夢の花道」(「二代目」特別盤 カップリング)MUSIC VIDEO(2023年 7月26日 発売)
 
 
鳥羽一郎の次男・木村徹二が演歌歌手に! デビュー曲は「二代目」(木村徹二 デビュー・コンベンション・ライブ)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた「 兄弟船 」(鳥羽一郎カバー)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた「カサブランカグッバイ」(鳥羽一郎カバー)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた「男の港」(鳥羽一郎カバー)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた『海の匂いのお母さん』(鳥羽一郎カバー)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた『アメリカ橋』(山川豊カバー)
 
 
木村徹二が本気で歌ってみた「函館本線」(山川豊カバー)