由紀さおり 55周年 シングル『人生は素晴らしい』<br>スペシャルインタビュー

由紀さおり、スペシャルインタビュー!「だから、私は変わりません…」1969年のデビューから 55周年!『あなたにとって』『初めての今日を』に続く最新曲『人生は素晴らしい』が 2024年4月17日に発売! 心に染みる大人のポップス! 55年の想い、憧れの歌手とのエピソードも!

 


インタビューの最後に、直筆サイン色紙 の 読者プレゼントあり!

 



Yuki  Saori
由紀 さおり

New Single『 人生は素晴らしい
Best Album『 由紀さおり ベストオブベスト
       〜55th anniversary〜
 』




★ 
1969年、由紀さおり として『夜明けのスキャット』で歌手デビューして 55周年!
★ 透明感は変わらないまま、より柔らかく、しなやかな、唯一無二の歌声!

★ 1970年代には、『手紙』『生きがい』『恋文』『挽歌』などヒット曲多数!
★ 1985年からは、姉・安田祥子 とともに童謡を歌い話題に!
★ 2011年には、ピンク・マルティーニ とのアルバムが世界的にヒット!
★「紫綬褒章」「勲四等 旭日小綬章」受章、今年も「松尾芸能賞」特別賞を受賞!

★『あなたにとって』『初めての今日を』に続く最新曲『人生は素晴らしい』!
★ フランスの作曲家による、心に染みる大人のポップス・バラード!
★ デビュー 55周年の 3枚組ベスト盤も同時発売!

★「だから、私は変わりません…」 

 

 

 

由紀さおり『人生は素晴らしい』
 
 
 
 
 

■ シングル リリース情報
 
 
 
由紀さおり『人生は素晴らしい』
シングル CD / Digital
2024年 4月17日 発売
UPCY-5121
¥1,400
Lighthouse Music / UNIVERSAL MUSIC
 
<収録曲>
1 人生は素晴らしい
    (作詞:松井五郎 / 作曲:Gioacchino Maurici (ジオアッキーノ・モリシ) / 編曲:坂本昌之)
2 やさしいさよなら(作詞:木暮みき / 作曲:美樹克彦 / 編曲:坂本昌之)
3 人生は素晴らしい オリジナル・カラオケ
4 やさしいさよなら オリジナル・カラオケ

 

 
 

 

 
 
 
 

 

■ デビュー 55周年 ベストアルバム リリース情報

 

 



由紀さおり『由紀さおり ベストオブベスト 〜55th anniversary〜』

アルバム CD(SHM-CD 3枚組) / Digital

2024年 4月17日 発売

UPCY-7968/70 

¥5,000

Lighthouse Music / UNIVERSAL MUSIC

 

【Disc 1】

01 夜明けのスキャット

02 天使のスキャット

03 枯葉の街

04 手紙

05 生きがい

06 恋におちないように

07 初恋の丘

08 ルームライト(室内灯)

09 恋文

10 春の嵐

11 挽歌

12 ルイ

13 慕情

14 つかの間の雨

15 こころもち気まぐれ

16 ふらりふられて

17 う・ふ・ふ

18 トーキョー・バビロン

19 たそがれタペストリー

 

【Disc 2】

01 シャンソン

02 両国橋

03 金糸雀

04 TOKYOワルツ

05 お先にどうぞ

06 ふられ上手 (初収録)

07 ゆらゆら

08 スイートワルツの流れる川に

09 あさきゆめみし

10 季節の足音

11 回転木馬

12 夢もうすこし

13 愛だとか

14 わたしのうた

15 そして…生きなさい

16 岸辺の恋人

17 あなたにとって

18 初めての今日を

 

【Disc 3】

01 パリのめぐり逢い

02 男と女

03 さらば夏の日(duet with ティモシー・ニシモト)

04 イズ・ザット・オール・ゼア・イズ

05 ユード・ビー・ソー・ナイス・トウ・カム・ホーム・トウ

06 オ・シャンゼリゼ

07 ユー・アー・マイ・サンシャイン

08 雨に濡れた慕情

09 黄昏のビギン

10 サバの女王

11 愛は傷つきやすく(duet with 川口大輔)

12 みんな夢の中

13 ラストダンスは私に(duet with 坂本冬美)

14 知りたくないの (duet with 平原綾香) 

15 別れの予感

16 あなたと共に生きてゆく(duet with テレサ・テン)

17 カンパリソーダとフライドポテト

18 愛は花、君はその種子(ベット・ミドラー「ローズ」)

 

 

各配信サイト

由紀さおり ユニバーサルミュージック


由紀さおり・安田祥子 オフィシャルサイト

由紀さおり ブログ

由紀さおり YouTube


由紀さおり 歌詞一覧(人気順)

由紀さおり&ピンク・マルティーニ 歌詞一覧

 

 




■ レギュラー番組情報
 
 
「名曲をあなたに うた恋!音楽会」
月1回 放送

 

 

 
 
 
■ コンサート情報
 
 
由紀さおり ~新しいわたし 55th in Paris~

2024年 5月17日(金)フランス・パリ「パリ日本文化会館」
2024年 5月18日(土)フランス・パリ「パリ日本文化会館」

 
由紀さおり 55th コンサート ~新しいわたし~

2024年 4月21日(日)大阪府「新歌舞伎座」
2024年 4月29日(月・祝)岐阜県「ぎふ清流文化プラザ」
2024年 8月 5日 (月) 東京「文京シビックホール」


最新 イベント/コンサート出演情報

 

 

 


 


■ 由紀さおり 55周年 シングル『人生は素晴らしい』インタビュー



 

 

 由紀さおり のような歌声の人は、ほかにいない。その歌声は唯一無二だ。1969年に 由紀さおり として『夜明けのスキャット』(作詞:山上路夫 / 作曲:いずみたく)で二度目のデビューをして、55周年を迎えた今でも、その印象は変わらない。歌謡曲はもちろん、童謡、唱歌、ジャズ、シャンソン、ポップスやロック、ラテンまで歌いこなす。

 

 もちろん、聴き比べれば、デビュー当時は若さゆえの可愛らしさも感じるが、それが、歳月を経て、今ではより豊かな響きに変わり説得力が増している。透明感は変わらないまま、より柔らかく、しなやかになっている。品が良く、押し付けがましくない歌唱が魅力で、口を大きく開けるわけでもなくアクセントも強く歌っていないのに、言葉が明るい響きではっきり聴こえる。

 

 『夜明けのスキャット』(1969年)をはじめ、『手紙』(1970年)、『生きがい』(1970年)、『恋文』(1973年)、『ルーム・ライト』(1973年)、『挽歌』(1974年)など、1970年代には多数のヒット曲を歌い、1980年代には、声楽家の姉・安田祥子(やすだ さちこ)とともに、1985年に発売された童謡アルバム『あの時、この歌』がヒットするなど童謡ブームを巻き起こした。1986年からは、姉妹で童謡コンサートをスタートし、1995年には、ニューヨークのカーネギーホールで 10周年コンサートも開催された。

 

 さらに、2011年には、米国のジャズ・オーケストラ「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)と制作された「由紀さおり & ピンク・マルティーニ」名義のアルバム『1969』が発売された。由紀さおり がデビューした 1969年の歌謡曲の数々に洋楽カバーを収録したこのアルバムは、「全米 iTunes ジャズチャート」、「カナダ iTunes ワールドチャート」で 1位を獲得するなど世界的にヒット。日本国内だけでも 40万枚のセールスを記録し、平成23年度「芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門」を受賞、2012年には「紫綬褒章」(しじゅほうしょう)を受章している。

 

 「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)のライブツアーにゲスト出演し、英国「ロイヤル・アルバート・ホール」をはじめ、米国では、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、ポートランドの 4都市(全6公演)の全米ツアーを開催、翌 2012年には、日本全国 22カ所でのジャパンツアーも開催され、年末の「NHK紅白歌合戦」では、「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)の地元、アメリカ、オレゴン州ポートランドからの中継で『夜明けのスキャット』が披露された。

 

 その後、昭和歌謡曲を中心としたカバーアルバム、2014年には『VOICE』、2015年に『VOICE II』、2016年に『あなたと共に生きてゆく~由紀さおり テレサ・テンを歌う~』、そして、2017年には『歌うたいのバラッド~ 由紀さおり シンガー&ソングライターを歌う~』と 4作を毎年リリース。

 

 近年は、自身のコンサートやテレビの音楽番組出演などに加え、2021年6月には、初主演映画『ブルーヘブンを君に』が公開。さらに、2017年からは三味線を本格的にはじめており、2023年のソロコンサートでは「弾き唄い」を披露するなど、実に精力的に幅広く活動している。

 

 先日、2024年4月17日に、デビュー 55周年記念シングルとして発売となった『人生は素晴らしい』(作詞:松井五郎 / 作曲:Gioacchino Maurici / 編曲:坂本昌之)は、アンリ・サルヴァドール、セリーヌ・ディオン らにも楽曲を提供しているフランスの作曲家 ジオアッキーノ・モリシ(Gioacchino Maurici)書下ろしのミディアムバラード。「♪夢見てさえいれば 人生は素晴らしい」と歌われる応援歌であり、同時に 由紀さおり 自身の人生を歌ったかのような 松井五郎 による歌詞が心に響く。

 

 前々作のシングル、2019年の『あなたにとって』(作詞・作曲:アンジェラ・アキ)では、「♪あなたにとって 愛でありたい」と歌われ、前作、2022年の『初めての今日を』(作詞・作曲:川村結花)は、祈りのような、讃美歌のような、そっと 心に寄り添うような人生の応援歌で、「♪初めての今日を生きてゆきたい」「♪初めてのわたしになる」と歌われている。

 

 今作の『人生は素晴らしい』は、前 2作との三部作のようで、これら「人生を歌った三部作」の完結編のように感じる。いずれも、美しいメロディと、やわらかく透明感のある抜群の歌声で、人生を振り返りながら今を考えさせられるような、大人が心に染みる曲だ。

 

 今年、2024年3月からは、55周年記念コンサート『由紀さおり 55th コンサート 〜新しいわたし〜」がスタートしており、5月には、『人生は素晴らしい』を作曲した ジオアッキーノ・モリシ(Gioacchino Maurici)の地元、パリでのコンサートも予定されている。

 

 由紀さおり は、2012年の「紫綬褒章」(しじゅほうしょう)のほかにも、2019年には「勲四等 旭日小綬章」(きょくじつ しょうじゅしょう)を受章していて、先日、2024年3月29日にも、「第45回 松尾芸能賞」で「特別賞」を受賞している。

 

 そういう勲章や受賞が似合うような、エレガントで上品なイメージで、凛としていて、剛毅な印象もある一方、1970年代〜1980年代には、ドリフの『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)といったコント番組で「あ〜ら、失礼こきました〜」などと言ったりもする。そういうギャップが面白い。

 

 一方、ドリフの『8時だョ!全員集合』がきっかけで出演した日本映画史に残る名作映画、松田優作 主演の『家族ゲーム』(1983年)では母親役を演じ、「第7回 日本アカデミー賞 優秀助演女優賞」「毎日映画コンクール 女優助演賞」などを受賞。その後も、1987年には NHK 朝の連続テレビ小説『チョッちゃん』で主人公の母親役を、2022年にも NHK で放送されたドラマ『雪国 -SNOW COUNTRY-』(川端康成)で三味線と踊りを教える師匠を好演するなど、俳優としての評価も高い。

 

 歌手、俳優、コメディエンヌと、多面的で振り幅の大きい豊かな人間性が魅力で、ストイックで音楽には厳しいが、いつまでたっても、色っぽく、お茶目で、キュートな人だ。




<もくじ>

1 三部作・完結編のような新曲『人生は素晴らしい』

  〜「本当に一度きりの一度だけの自分の人生だから…」〜

 

2 人生の応援歌であり、由紀さおり 自身の人生

  〜「それが私の日々の生きるチカラになるわけだから…」〜

 

3 5月のパリでは「三味線の弾き唄い」も披露予定

  〜「それを披露したんだけど散々な目にあって…」〜

 

4 唯一無二の変わらない歌声を維持するために

  〜「あの音色が出せるように常に努力する…」〜

 

5 デビュー 55周年の最新ベスト盤には初収録の曲も

  〜「もうこれが最後だと思う…」〜

 

6 「憧れ」で「お手本」の 越路吹雪、美空ひばり

  〜「目の当たりにして本当に震えたんですよ…」〜

 

7 55年で音楽を取り巻く環境も音楽自体も変わった

  〜「だから、私は変わりません…」〜

 



 

 

1 三部作・完結編のような新曲『人生は素晴らしい』 〜「本当に一度きりの一度だけの自分の人生だから…」〜

 

 

ーー 前作のシングル曲、2022年に発売された『初めての今日を』(作詞・作曲:川村結花)は、祈りのような、讃美歌のような、そっと 心に寄り添うような人生の応援歌で、「♪初めての今日を生きてゆきたい」「♪初めてのわたしになる」と歌われている。

 

由紀: もうなんか、自分の思いの丈を、(作詞作曲した)シンガーソングライターの 川村結花 さんに 3時間くらい喋ったかな。要するに、これから先のことを考えても、どこまでやれるかなんか自分で決められるわけじゃないし、神様しかわかんないんだから、そんな先のことは考えないで、「今日、あした、あさって」と「初めて迎える今日」を思いっきり 1秒たりとも無駄にすることなく生きると……。

 

由紀: 私のブログのタイトルは『生ききる』(『はじめの一歩 ー日々生ききるー』)なんですけれども、瀬戸内寂聴 先生が言った言葉で、「生きる」よりももっと覚悟がある言葉なのね、「生ききる」っていうのは。なので、やっぱり、その、なんだろう……、1秒たりとも無駄にしない日々を、悔いのない日々を暮らせたら……、そういう覚悟で、毎日を、「次の新しいあした」を迎えるということでね……、あさっては何が起きるかわかんないからね……(笑)。

 

ーー 誰にとっても「今日という日は、初めて」であって、誰もが「初めてのわたし」を生きている。当たり前のことだが、はっと気づかされる。

 

由紀: そうそう。なんか、自分のウチで植木を育てて、毎日、お水をやってると、本当にある時ふっと気がつく……、青い葉を出してくれたり、花が咲いてくれたりと……。だから、「あっ、そうだ、私にも水をあげて、花咲かせなきゃ」とか……(笑)、いろんなこと考えたりとかね。ま、そういう、その精神性みたいなことをちょっと大事にしながら、日々を暮らしていけたらなっていう感じですかね。

 

ーー デビュー 55周年記念シングルとして、先日、2024年4月17日に発売となった最新曲『人生は素晴らしい』(作詞:松井五郎 / 作曲:Gioacchino Maurici / 編曲:坂本昌之)は、2019年に発売された前々作のシングル『あなたにとって』(作詞・作曲:アンジェラ・アキ)、そして、前作の『初めての今日を』(作詞・作曲:川村結花)との三部作のようで、「人生を歌った三部作」の完結編のように感じる。

 

ーー 今回、発売された『人生は素晴らしい』は、アンリ・サルヴァドール、セリーヌ・ディオン らにも楽曲を提供してきたフランスの作曲家 ジオアッキーノ・モリシ(Gioacchino Maurici)書下ろしのミディアムバラードで、たとえば、ディオンヌ・ワーウィック が歌っていそうな雰囲気の洋楽のような曲だ。「♪夢見てさえいれば 人生は素晴らしい」と歌われる応援歌であり、かつ、由紀さおり 自身の人生を歌ったかのような 松井五郎 による歌詞が心に響く。

 

由紀: そうね〜。本当に、この(松井)五郎 さんの歌詞が、難しい言葉を使ってるわけじゃなく、本当に、日常、私達が使い慣れてる言葉でね……。「♪いくつも さよならを 胸に秘めて 生きてきた」って、これもう、出だしから私は泣けてね、「いやいや、すごいな〜」って。もうなんか、ク〜っと掴まれちゃった感じで。それに、「♪なにが幸せかは 忘れたことはない」とか、それから「♪夢見てさえいれば 人生は素晴らしい」とか、私が日常、自分に言い聞かせているようなことばっかりがここに書かれていて、「あ〜、すごいな〜」って。

 

由紀: それで、「♪地図などない道に 冷たい風も吹く」だったりとか、本当に誰もが経験する出来事なわけだけれども、それは、本当に一度きりの一度だけの自分の人生だから……。それで、ずっとこの話をしてるんだけども、最初、ジオアッキーノ・モリシ さんに書いてもらいたいっていうのは、パリで歌うっていうことが現実のものになったからね。

 

ーー 今年、2024年3月から、55周年記念コンサート『由紀さおり 55th コンサート 〜新しいわたし〜」がスタートしており、5月に、パリでのコンサートが決まったから、今回、ジオアッキーノ・モリシ に書き下ろしを依頼したということだ。

 

ーー フランス人の作曲家と言えば、1971年に発売された 由紀さおり 9枚目のシングル『男のこころ』『恋におちないように』(作詞:山上路夫 / 作曲:フランシス・レイ / 編曲:川口真)は、『白い恋人たち』『男と女』『ある愛の詩』『パリのめぐり逢い』など映画音楽の巨匠として知られる作曲家、フランシス・レイ の書き下ろし曲だった。

 

由紀: そうそう。私がデビューしたときって、フレンチポップスっていうジャンルがあったわけですよね。私たちの時代だと『恋は水色』だとか『夢見るシャンソン人形』だったりとかさ。それで、「ああいうジャンルのものが 由紀(さおり)さんには似合ってて、由紀(さおり)さんの音色にはこういうものがいいんじゃないか?」っていうふうに言われて、結構、そういうジャンルのものを、まだ 由紀さおり になる前ですけれども、意識して聴いてた時期もあったりしたのでね。

 

由紀: まあ、のちに、『夜明けのスキャット』で(由紀さおり として)デビューしたあとに、2年目の LP が『フランシス・レイを歌う』(『男のこころ 〜 由紀さおり フランシス・レイを歌う』1971年)っていう……、まあ、映画音楽の巨匠で、『男と女』だったりとか、『個人教授』だったり『ある愛の詩』だったり、トニー・ザイラー の『白い恋人たち』とか、あのへんのものをみんな歌って、オリジナル曲を 2曲いただいたっていう経験もあったりするので……。

 

由紀: それで、もう 1回……、今のフランスの音楽がどういうものかちょっとよくわかんないけど、「今のニュアンスを自分がキャッチできたらいいな」って言ったら、もう本当に、(所属レコード会社の)ユニバーサル(ミュージック)の方がすぐコンタクトとってくださって、もう 1週間も経たないうちに 5曲ぐらい、彼(ジオアッキーノ・モリシ)が歌ったものが、ぱっとデータで来たんです。それを、みんなで聴いて、これっていう曲に決まったんです。

 

2 人生の応援歌であり、由紀さおり 自身の人生 〜「それが私の日々の生きるチカラになるわけだから…」〜

 

 

ーー 最新曲『人生は素晴らしい』を作詞した 松井五郎 は、『悲しみにさよなら』(安全地帯)、『勇気100%』(光GENJI)、『逢いたくてしかたない』(郷ひろみ)、『また君に恋してる』(ビリー・バンバン、坂本冬美)や玉置浩二らの数多くのヒット曲を作詞したことで知られ、最近も、市川由紀乃、山内惠介、林部智史、新浜レオン、純烈 ら数多くの作詞を手がけている。

 

由紀: あのね、彼(ジオアッキーノ・モリシ)は、(デモテープで)自分の好きな情景を歌ってるけれども、「それを日本語に訳して歌うってことはしなくて、このメロディの中で感じたものの世界観で日本語で歌ってもらって構わない」っていうことを言ってくださったんで、松井(五郎)先生が、2週間もかからなかったと思うんですよね、書いてくださったんです。

 

由紀: それで、「人生っていう言葉を歌うのは、なかなか難しいよね」「軽々にこの言葉は使いたくないけど、由紀さおり さんの 55周年を考えたときには、そろそろこの言葉を使って歌ってもらってもいいかなと思って、こういう世界観になったんだ」って言ってくださったんです。

 

ーー 『人生は素晴らしい』は、かなり音域の広い歌だ。

 

由紀: そうそう。自分が今まで歌った中で一番音域が低い歌なもんですから、だから、五線のそのさらに下に 3本線ぐらいがあるところで声出してますので、「どういう世界観になるのかな?」と思って、ちょっと心配だったんだけど……。ただ、(ジオアッキーノ・モリシ によるデモテープは)男性が歌ってるキーなもんですから、私に置き換えると、上に行っても変だし、これ以上低くてもおかしいなということで、そのままのキーをオクターブ下で歌ってるんです。

 

ーー デビュー以来のイメージである透明感のある歌声は変わらないまま、より柔らかく、よりしなやかな歌声と、品が良く押し付けがましくない歌唱で、美しいメロディに乗った言葉が伝わってくる。

 

由紀: ホント〜? あら嬉しい。ありがとうございます。それでね、オケ録りのスタジオに入ったときに聴こえてきた音が、坂本昌之 先生の編曲なんだけども、「いやあ〜、すごい!」と思って、ちょっと鳥肌が立つぐらいの……。「うわ〜、嬉しい」と思ったんだけど、(松井五郎)先生のこの歌詞を「う〜ん、どうやって歌って、私らしく仕上げたらいいのかな〜」って……、で、歌録りのときは、すごくそのことが私の頭にあって……。

 

由紀: だけど、「人生は素晴らしい」っていうその「素晴らしい」っていうことの意味が、「あっ、こういうことなんだ」っていうのは、3月に この 55周年(コンサート)がスタートしてるんですけど、お客様の前で歌ってみて初めてわかったんです。

 

由紀: 「素晴らしい」って、本当に「喜び」ばっかりではなくて……、ええ……、まあ、このところ、この私達の年齢になると、本当に別れることが多いなと……、とくに、また去年は、私達の仲間が旅立っていますからね。だけど……、でも、別れはあったけど、その前に出会えてたんだと。で、そのときに、いろんなものを、その人からね、経験値だったり、優しさだったり、作品だったり、いろんなものをもらって、この別れに至ると。だから、本当に別れを迎えたことはつらいけど、出会えたことに感謝だなと。そういう意味での「素晴らしい」っていう意味合いを、この歌で伝えていけばいいんだなっていうのをね、お客さんの前で気づかされたというか……、そこがすごく嬉しかったですよね。

 

ーー 我々、聴き手は、自然と自分の人生を重ねながら聴くから、自分に対する応援歌のように聴こえるが、同時に、この『人生は素晴らしい』は、由紀さおり 自身の人生が歌われているようにも聴こえる。

 

ーー 「♪いくつも さよならを 胸に秘めて 生きてきた」

ーー 「♪なにが幸せかは 忘れたことはない」

ーー 「♪ありがとう それだけを あなたの心に伝えたい」

 

ーー 作詞をした 松井五郎 も、そういう思いを重ねて書いているように感じる。

 

由紀: うん、そうね。その……、「ありがとう」っていう歌詞があるじゃない。そこは「感謝」なわけだから、それは応援してくださる皆様に対しての「ありがとう」でもいいわけだけれども、自分が出会って、いろんなものを私にくださって、触発して、ここまでブラッシュアップを手伝ってくださった方に対して、もうお目にかかれることは叶わなくなったけど、「でも、"感謝の思いを伝えたい" っていうことの "ありがとう" でいいんだな」とか……。

 

由紀: それと、「♪夢見てさえいれば 人生は素晴らしい」って、まさにそうで、夢を見続けているっていうことは、そこに近づきたいと思う自分がいるわけだから、そこを現実のものにするには、自分の今抱えている肉体条件だったりとかっていうようなことをきちっとしないと、この 1年、来年の春くらいまで、この(55周年の)コンサートをやらせていただこうと企画してますけども、この 1年を乗り切るっていうことの準備をね、ちゃんと、きちっとしていないと、みんなに迷惑をかけるなと。

 

由紀: だから、そこに行くにも、日々「血圧は大丈夫かしら?」とか……(笑)、2ヶ月に一度、定期健診行くとか、喉のケアは週イチ行くとか、自分のこの足腰を鍛えるために……、まだ 7センチから 8センチのヒールを履いて歌ってますから、だから、それを可能にする努力をし続けないと、もう難しいわけですからね。

 

由紀: だから、「夢見てる」ってことは、「そこに近づきたい」ってことは、それが私の日々の生きるチカラになるわけだから。そして、それが一度きりの、一度だけの私の人生は、そういうものなんだからと。

 

由紀: 皆さんね、聴いてくださる方も、そんなに大それたことじゃなくても、「泳げるようになりたい」とか、「買ってきた植木をきちっと花を咲かせたい」とか、どんなことでもいいんですけれども、「継続していく」っていうこと……。それのために、自分の体のケアをきちっと、免疫力を高めるとかさ、ま、そういうことに繋がるんですよと。そういうことが、みんなこの歌詞の中にあるので、本当に、「これからずっと歌っていける歌を、またいただいちゃった」っていうことですかね。

 

ーー 歌っていて、自然と感情が入るのではないだろうか。

 

由紀: はい、ホント。あの……、誰にも当てはまることだろうけども、なかなかここまで年齢を重ねてくるとですね、持続力がなくなるし、集中力がなくなるし、途中で諦める方のチカラが強くなるのでね……(笑)。だから、そうじゃなくて、もっと、何だろう……、「自分にいい意味での負荷をかけて、前を向いて歩いていきましょうよ」っていう、そういう意味の歌でもあるのでね。

 

由紀: 私がデビューしたときから比べたら、今は、55年経った今は、全く時代が大きく変わってしまいましたけれども、アナログの人生を生きてきた私にとってみたら、そんな私の物の考え方でも、今のこういう「生成 AI」がどうしたこうしたとか、「PayPay」でこうやってね、携帯で決済するとか、そんなことに「あっ、どんどん置いてかれちゃうな」って自分は思うことがありますけども、でも、別に「生成AI」を知らなくてもいいなって。

 

由紀: あのね……、この間、数学者の 藤原正彦 先生と対談したときに、「もう 10年も経たないうちに、AI なんてみんな飽きちゃうよ」と。「人間の情感みたいなものはないんだから、こんなもんね、面白くもなんともないよ」と。「便利だって言うけど、便利だけじゃ長くは続かないよ」と。「だからね、そんなものを恐れなくていい」って。「もう 10年も経ったら、"これ何だったの?" っていうことになるから、そんな恐れなくていいよ」って。

 

由紀: でね……、日本の歌……、私たちの童謡唱歌にしても、それから、お姉ちゃんなんかが歌ってる 松島詩子 さんの『喫茶店の片隅で』(作詞:矢野亮 / 作曲:中野忠晴、1955年)とかさ、『古き花園』(作詞:サトウハチロー / 作曲:早乙女光、二葉あき子、1939年)とかって、先生のご本を読むと、私がず〜っと歌ってたきた歌が全部書いてあってロマンチックなのね。

 

由紀: で、これにはね、「みんな生まれたときから、僕たちは死へ向かってるんだよ」と……、ねっ。どのタイミングでそういう運命を背負うかわからないけど、だから「もののあわれ」とか「郷愁」とかっていうものを背負って、今生に生まれ出てきていると。それを、こんなに慈しみ込められた文化というのは、世界どこ探してもね、そんなにあるもんじゃないんだよと。「だから、日本の文化というのは、本当に素晴らしいんだ」って、この間、力説しておられましたけれども、まさに、「そうなんだな〜」と思いました。

 



3 5月のパリでは「三味線の弾き唄い」も披露予定 〜「それを披露したんだけど散々な目にあって…」〜

 

 

ーー カップリング曲の『やさしいさよなら』(作詞:木暮みき / 作曲:美樹克彦 / 編曲:坂本昌之)は、メジャー調ミディアムテンポで、シンプルなシャンソン風の曲だ。切ない歌詞が耳に残る。

 

由紀: そうそう。まっ、昔で言うとさ、ちょっとリズミックで『サン・トワ・マミー』みたいな感じね。

 

ーー 『やさしいさよなら』の作曲は、歌手として『花はおそかった』(作詞:星野哲郎 / 作曲:米山正夫、1967年)などのヒット曲でも知られる 美樹克彦 で、この曲の作詞をした歌手で作詞家の 木暮みき は、美樹克彦 の妻である。今回、美樹克彦 夫妻による楽曲を歌うことになった経緯を聞いた。

 

由紀: これはですね、私も出てたテレビの番組で、美樹(克彦)さんの(作った)歌を歌う歌い手さんがお出になってたんですよ、新曲としてね。それで、美樹(克彦)先生もいらしてたんですけど、そのとき、私に声かけてくださって、「由紀(さおり)さんに歌ってもらいたい歌があるんだけどな〜」って、「あ、そうなの? 嬉しいな〜」と。でも、私がもらっても、私に決定権がないから、「私のディレクターに、直接、先生からデータを送ってくださる?」って言ったんです。

 

由紀: で、ディレクターもとても気に入ってくださったんですけども、その『初めての今日を』から私の 55周年までの間に、いいタイミングでそれを出すきっかけがちょっとなかったのでね、「ちょっと預からせて欲しい」っていうことで、「いいです」と 美樹(克彦)さんもおっしゃってくださって。

 

由紀: それで、今回、カップリングとして、「なんか、軽やかな大人の別れの歌だけど、シャンソンぽくこんなアレンジでどう?」って(編曲の)坂本昌之 さんがアイディアを出してくださったんだけど、「あっ、いいんじゃないんですか〜」っていうので、それでカップリングで出させていただいたっていうこと。

 

ーー 由紀さおり の歌声がよく合う曲で、聴いていて実に心地よい。

 

由紀: まあ、嬉しい。ありがとうございます。そうですね、ちょっと懐かしい感じですよね〜。やっぱり、美樹(克彦)さんて「メロディーメーカーなんだな〜」と……、今回、作品を歌ってみて、すごく思いました。

 

ーー 場合によっては、A面でもおかしくないような曲だ。

 

由紀: うん、そうそう、(コンサートやテレビなどで)「歌えたら歌いたいな」と思うようなね……。本当に、そういう意味でいい作品です。

 

ーー 今回、3月からスタートしている 55周年記念コンサート『由紀さおり 55th コンサート 〜新しいわたし〜』は、5月にパリでのコンサートも予定されている。

 

由紀: そうです。今回、どうせパリで歌うんだから、最初の挨拶ぐらいはフランス語でやりたいと思って、フランス語の先生を 岩崎良美 ちゃんに紹介してもらって……(笑)。

 

ーー 岩崎宏美 の妹、岩崎良美 は、フランス語が得意なことで知られている。

 

由紀: そうそう。そしたら、そこの校長先生がとっても素敵な面白い先生で、私、今回、「新しい私」っていうサブタイトルが付いたコンサートをやるんですけども、「三味線の弾き唄い」っていうのにチャレンジしてやるんです。

 

ーー 2022年に NHK で放送されたドラマ『雪国 -SNOW COUNTRY-』(川端康成)では、三味線と踊りを教える師匠を演じているが、由紀さおり は、2017年ころから三味線を始めていて、三味線の第一人者として知られる 本條秀太郎 に師事している。女優としても 50年の節目の年、2019年には、東京・銀座の「観世能楽堂」で長年の夢だったひとり芝居『夢の花』を企画し、三味線を弾く芸者役として披露された。また、2022年に、東京・赤坂の「MZES(エムゼス)東京」で開催された『「新しいわたし」ライブ ~和は挑戦の証し~』では、コンサートで三味線を初披露した。

 

由紀: そうです。それで、歌謡曲の歌い手さんは、『さのさ』とか、『都々逸』(どどいつ)とか、それから、『奴さん』とか『木遣りくずし』(きやりくずし)とか……、美空ひばり さんをはじめね、石川(さゆり)さんもそうだし、皆さん、お歌いになるんだけど、「弾いて歌う」っていう人は、寄席に出る音曲師(おんぎょくし)の方ぐらいなんですよ。それなんで、「弾き唄い」……、それをちょっと習得して自分で弾いて歌うっていうことをやりたいなと。

 

由紀: で、それを始めてから 1年目に赤坂のジャズライブで、それを披露したんだけど散々な目にあって……(笑)、恥をかいて「どうもすいませ〜ん」みたいなのがあって……(笑)。でも、それにめげずに、2年目も何とかやって、3年目に「新歌舞伎座」(大阪)でやって、「こういう方向で 55周年いいんじゃない?」っていう方向が決まったときに、「55周年、関西から始めませんか?」とおっしゃってくださって、4月21日に「新歌舞伎座」(大阪)でやって、岐阜でやって、それで、5月の17日、18日、パリで歌うと。

 

由紀: で、もうひとつ、私に課題があって、(新曲の)後半のサビからのところのセンテンス、「1センテンスでもいいからフランス語で歌うっていうのはどうなのよ」とか。それから、そのオープニングは、今、ナレーションで幕をあけるようになってるんですけども、「フランス語でそれをやるっていうのは、どうなのぉ〜?」とかさ。もう大変なの……(笑)。それで、(フランス語の)先生のところに電話したら全然繋がらなくて……、どうも春休みの最中で、そんなんで、あんまり時間がないかなと思って、ちょっと焦ってるとこなんですけど……(笑)。

 

由紀: なので、今度の私の(55周年)ツアーは、ピアノの 佐山こうた さんらジャズチームの 3人と、パーカッションと、三味線の、この 5人でやるんです。

 

 

4 唯一無二の変わらない歌声を維持するために 〜「あの音色が出せるように常に努力する…」〜

 

 

ーー 由紀さおり のような歌声の人は、ほかにいない。その歌声は唯一無二だ。1969年に 由紀さおり として『夜明けのスキャット』(作詞:山上路夫 / 作曲:いずみたく)で二度目のデビューをして、55周年を迎えた今でも、その印象は変わらない。歌謡曲はもちろん、童謡、唱歌、ジャズ、シャンソン、ポップスやロック、ラテンまで歌いこなす。

 

ーー 歌声は、歌手にとっての商売道具で、お客さんである聴き手は、その歌声のイメージが変わってしまうことを好まない。『夜明けのスキャット』も『手紙』も『生きがい』も、当時のままのイメージの歌声で聴きたいものだ。

 

ーー もちろん、聴き比べれば、デビュー当時は若さゆえの可愛らしさも感じるが、それが、歳月を経て、今ではより豊かな響きに変わり説得力が増している。透明感は変わらないまま、より柔らかく、しなやかになっている。品が良く、押し付けがましくない歌唱が魅力で、口を大きく開けるわけでもなくアクセントも強く歌っていないのに、言葉が明るい響きではっきり聴こえる。

 

ーー その歌声のイメージを保ち、さらに進化させ続けるためには、相当な努力が必要だと思う。

 

由紀: え〜っとですね〜……、40周年を終えたときに、その舞台で歌っていて、ちょっと調子が良くないときがあったんですよね。「なんでこんなに調子が良くなくて、こんな(声が)ガサガサかな〜?」っていうときに、神様の啓示じゃないけど、「そうか、お酒をやめればいいのかな〜」と思って……(笑)。

 

由紀: それは、別にお酒が悪いんじゃないんですよ。お酒を飲むと陽気になって、しゃべっちゃうの〜……(笑)。歌うより、喋ることの方が(喉には)負担になるんですよ。本当に楽しくてみんなで騒ぐから、翌朝、ガッサガサの声になっていて、「私は歌い手だったな〜」ってすごい反省をするというかね……(笑)。

 

由紀: で、そこから、「長く歌いたいんだったら、ここで気をつけなきゃ駄目だな」と思って、ちょっとアルコールを控えるようになって、それから、耳鼻科の先生のところに、週イチで喉のメンテナンスに行くようになって……、もう、そういうふうになってから、10年ぐらい……、10年にはならないか、でも、7〜8年にはなります。

 

由紀: 3日も 4日も続けて歌うとかっていうようなことが、当時はありましたからね。で、喉の声帯は筋肉なので、この筋肉の動きと、そこにポリープだったりとか、声帯の中の血管が切れてないかとか、(声帯の)寄り具合とか、そういうものをやっぱりメンテナンスしないとね。今、一緒に先生とその声帯の写真とかビデオを見れるんですよ。で、「大丈夫ですよ」とか、「ちょっと痰がかかるから、きちっとうがいをしてください」とか、「ちょっと乾燥してるから、お水はちゃんと飲んでください」とかね。そういうことを言われて、「いつも通り歌って大丈夫」って先生に言われて、安心して歌うみたいな。

 

由紀: 今、だから、本当に、(1日)2回公演なんか、ほぼ私はしませんけれども、どうしてもやらなきゃいけなかったりするときには、1週間に 2回ぐらい、その仕事があった翌日に、もう、すぐ先生のところに行って、「どう?」って聞いて「大丈夫」って先生に言っていただくと「安心して歌える」みたいなね。それで、しばらく、お芝居だったりっていうようなことで声帯の使い方が違うと、「そろそろ(歌で)声出しといた方がいいですよ」って先生に言われたりとか……(笑)。

 

由紀: まっ、そういうことと、あと自分の体幹……、7センチのヒールで歌ってますので、これがいつまでできるかっていうことがすごく大きな問題で……。7年くらい前に紹介していただいたパーソナルなトレーナーの方がいるんですけど……、私、長い間、スポーツマッサージを自分の体のメンテナンスのためにお願いしている先生がいるんですけども、その方から、「足にちゃんと筋肉をつけて、股関節を柔らかくしとかなきゃいけない。姿勢が悪くならないように、体幹をきちんと整えておかなきゃいけない」って言われて、そのパーソナルのトレーナーの方に付いて、その方のところには週に 1回行って、スクワットも含めたりして、自分の弱いところを運動してます。

 

由紀: ということと……、それと、定期検診は、2ヶ月に 1回「順天堂」(順天堂大学医学部附属順天堂医院)に行ってるとか、あと、もう少し身近に、お薬をすぐ出していただくホームドクターの先生がいるとかっていう……。まあ、そういう自分の心配なところは「この方に聞けばいい」「この先生のところに行けばいい」「こうすればいい」っていう、4人ぐらいの方にいていただいてます。体の変化はすぐわかりますから、もうこの年齢になると……。

 

由紀: それで、もう今度は、第1部を着物で草履で歌ってますので、15分の休憩で着替えてドレスになったときに、この 7センチが耐えられるのかどうかっていうのは、ちょっとやってみないとわかんないので……。ちょっと上げ底の靴で、その傾斜が 5センチくらいになるような靴を、いちおう注文して用意しておいたり……(笑)。

 

由紀: 「転ばぬ先の杖」じゃないけども、やっぱり、そういうことを常に考えておかないと、そうなっちゃったんじゃもう駄目なので、ならなきゃしめたもんだけども、なることを想定して、やっぱりそこはケアしていかないと、思うようにはことが進まないような年齢になってますので……(笑)、はい。

 

ーー 由紀さおり は、群馬県桐生市で生まれたが、3歳のとき横浜市に引っ越した。4歳のころから、家の近所に練習場所があった「ひばり児童合唱団」に、姉に続いて入団。小学校 1年生のころから、すでに、姉と共に童謡歌手としてデビューしていた。中学 3年生くらいになると、CMソングを歌う仕事もしていたという。

 

ーー そして、1965年、17歳、高校生の時に、最初の歌手デビューをしている。本名の 安田章子(やすだ あきこ)名義で、キングレコードからデビューシングル『ヒッチハイク娘』(作詞:東条寿三郎 / 作曲:小川寛興)が発売され、その後、翌 1966年まで計 4枚のシングルレコードが発売されている。

 

ーー 高校卒業後は短大に進学し、NHK『おかあさんといっしょ』に「歌のお姉さん」として出演していた。その『おかあさんといっしょ』に出演したことで、ふたたび CMソングを歌うようになり、明治製菓(現:明治)の「♪チョッコレート チョッコレート チョコレイトは メ・イ・ジ」や、味の素の『ハイミー』など多くの記憶に残る CMソングを唄い、その数は約300曲にもなるという。

 

由紀: そうです。「♪チョコレイトは メ・イ・ジ」はね、いろんな人が歌ってるんですけど、私も歌ってた。あと、私、「ガーナ・チョコレート」(ロッテ)もやってるんですよ。あと、「♪ハイ クラウン チョコレート」ってこれは、森永なんですけど、3社くらいやってるんですよ、チョコレートは。顔が出てないから、声だけだからね、成立しちゃう。

 

ーー その当時の明治製菓(現:明治)が一社提供していた TBSラジオの深夜番組『夜のバラード』の音楽を担当していたのが、『手のひらを太陽に』(宮城まり子、1961年)、『見上げてごらん夜の星を』(坂本九、1963年)、『いい湯だな』(デューク・エイセス、1966年)、『世界は二人のために』(佐良直美、1967年)、『恋の季節』(ピンキーとキラーズ、1968年)、『太陽がくれた季節』(青い三角定規、1972年)、『ふれあい』(中村雅俊、1974年)などを作曲し、CM音楽界の巨匠でもあった作曲家の いずみたく だった。

 

ーー 由紀さおり は、いずみたく と出会い、その『夜のバラード』のオープニング曲を歌うことになり、放送後に大反響となったことから、作詞家の 山上路夫 がスキャットではない 2番の歌詞をつけて、急遽、レコード発売となったのが『夜明けのスキャット』(作詞:山上路夫 / 作曲:いずみたく)だった。

 

ーー だから、たしかに、1969年3月10日に『夜明けのスキャット』で 由紀さおり としてデビューをしてから 55周年ではあるが、小学生のころからプロとして歌っていたわけだから、実際は 70年以上歌っていることになる。

 

由紀: あのね……、童謡歌手時代に、4年生ぐらいかな……、合唱団に行って歌ってるときに、風邪をこじらせて全く声帯が寄らなくなっちゃって(筆者注:声帯を寄せて震わせることで高い声が出る)、児童合唱団の先生から紹介していただいた耳鼻科の女医さんがいるんですね、及川先生っていう先生なんですけども、そこに初めて行ったんです。

 

由紀: 私が通ってる頃、雪村いづみ さんもいらしてたし、四家文子(よつや ふみこ)先生っていうクラシックの先生も通っておられたし、役者さんも何人もいらしたし、歌舞伎座で出ているような、清元とか長唄とか歌う方がいらしたりとか、そういう方たちがいらっしゃるところで、私が初めてその先生に「こんな声になっちゃった」って言ったら、「あなたの声帯はとても薄い、薄いからこの音色が出る」と。「だから、今回みたいにお風邪のときに歌っちゃいけません。無理して歌わないようにしてください」って、その先生に初めて言われたことが、いい意味でも悪い意味でもトラウマみたいになっていて、ものすごく気をつけるようになったんです。

 

由紀: そこから、自分がああいう『夜明けのスキャット』を歌ったときに……、「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)とのレコーディングのときでもそうだったけれども、(「ピンク・マルティーニ」のリーダーの)トーマス(ローダーデール)が「これがいい」と思って、私の LP を買ってくださった、「あの音色が再現されない限り、この仕事はクリアされないな」と、そのときも思ったし……。

 

由紀: だから、この音色ですね……、響かせ方……、それはやっぱり、年々いろいろ違ってはいると思うけれど、基本的なニュアンスは、あの音色が出せるように常に努力する。

 

由紀: それと、童謡唱歌を歌うときと、歌謡曲を歌うときでは違うので、そこの喉の使い方ね……。で、童謡唱歌は、姉がそばにいてくださるので、お姉ちゃんに自分の音色を沿わせるようにして、2人で作るハーモニーみたいなことを意識してやる。

 

由紀: 自分の楽曲のときには、この音色と、クリアな、濁らない響かせ方みたいな……、それをどこまで、これから先も守れるかっていうところが、続けて行けるかどうかっていうとこでしょうかね。

 

5 デビュー 55周年の最新ベスト盤には初収録の曲も 〜「もうこれが最後だと思う…」〜

 

 

ーー 最新シングル『人生は素晴らしい』の発売日と同日、2024年4月17日に、デビュー 55周年の最新ベスト盤『由紀さおり ベストオブベスト 〜55th anniversary〜』も発売された。CD 3枚組で、Disc 1 と 2 がオリジナル曲、Disc 3 がカバー曲と、全55曲が収録されている。

 

ーー オリジナル曲は、『夜明けのスキャット』(1969年)以降、前シングルの『初めての今日を』(2022年)まで全 37曲が収録されている。ヒット曲の数々から、いわゆる隠れた名曲と言われるような曲まで、実にいい選曲だ。

 

ーー Disc 3 のカバー曲では、フランシス・レイ 作曲の映画音楽『パリのめぐり逢い』『男と女』や、『オ・シャンゼリゼ』『サバの女王』などに、2021年に公開された 由紀さおり の映画初主演作『ブルーヘブンを君に』の主題歌になった ベット・ミドラー『ローズ』のカバー『愛は花、君はその種子』なども収録されている。

 

ーー また、由紀さおり と同年デビューの ちあきなおみ『雨に濡れた慕情』や 高田恭子『みんな夢の中』などに、坂本冬美 とデュエットした『ラストダンスは私に』(アメリカのコーラスグループのドリフターズ、越路吹雪)、平原綾香 とデュエットした『知りたくないの』(レス・ポール&メリー・フォード、菅原洋一)なども収録。

 

ーー さらに、2016年に発売されたカバーアルバムに収録され、テレサ・テン のボーカル音源とデュエットしたことで話題となった『あなたと共に生きてゆく』も収録されているという充実の内容だ。

 

由紀: そうですね、私の意見というより、やっぱりスタッフですね。あの、やっぱり、いろんなことをやってきたので、それを網羅してくださったんじゃないすかね。

 

ーー さらに、今回、『ふられ上手』(作詞:山上路夫 / 作曲:吉田正)という曲が初収録されている。1987年に、ビクターの専属作曲家だった 吉田 正 による曲『お先にどうぞ』(作詞:山上路夫 / 作曲:吉田正)を 由紀さおり が歌い、ビクターから発売された(由紀さおり の所属は、当時「東芝 EMI」、現「ユニバーサル・ミュージック」)。その時、同時にシングル候補曲としてレコーディングされていたが、発売されていなかった曲、いわゆる「お蔵」となっていた音源だ。

 

由紀: 吉田(正)先生の曲ね。吉田(正)先生のね、作曲家生活 40周年という年に、ビクターの専属の作家さんでおられて、ビクターの方がね「先生、40周年に曲を何か出しましょうよ」ってときに、「もう俺が書きたいって奴はいないよ」みたいなことは、先生がおっしゃったらしくて。

 

由紀: で、その前に、(吉田正)先生の特別番組があってね、「吉田学校」の方がみんな出てて、吉永(小百合)さんだとか、三田(明)さんとか、橋(幸夫)さんだとか、古都清乃 ちゃんとかが出てて、で、そのときに、『再会』を歌う 松尾(和子)さんがビクターを離れてて、いらっしゃらなかったんですよ。それで、NHK の番組でしたけど、NHK の担当の方が、「由紀さおり さんでどうですか?」っていうようなことになって、私が歌わせていただいたんだけども……。

 

由紀: で、指揮は、全部、吉田(正)先生がしてね、そして、歌い終わって、「先生、ありがとうございました」って言ったら、「う〜ん、僕の譜面通りに歌ってくれて、すごく気持ちが良かったよ」ってね、先生がおっしゃってくださたの。

 

由紀: 私は、逆に、松尾(和子)先輩が歌うようなね、先輩はジャズをお歌いになるから、その、ある種、ああいうテイストで「ちょっと遅れて歌う」とか、「ちょっとくって歌う」とか、「ああいうのがいいんだろうな〜」と思っていたんだけれど、「私は、ああいう歌い方はちょっとできないしな」と思ってたら、(吉田正)先生はそうじゃなくて、「譜面どおりに歌って欲しかったんだよ」っておっしゃって……(笑)、意外だったんですけど。

 

由紀: で、それ以来、その『再会』を歌わせていただくことをお許しいただいて、番組の中でも歌ったり、レコーディングしたりとかっていうことが前段にあって、それで、40周年に先生がなって、「じゃあ、由紀さおりさんはどうですか?」って言ったら、「あ〜、書いてもいいかな」みたいなことになったんです。

 

由紀: だけど、ビクターと私……、そのときは、私「東芝 EMI」(の所属)だったから……、でも、やっぱり先生のお祝い事だし、先生のキャリアを考えると、やっぱりこれは成就させたいということで、両方のレコード会社の総意のもとに、「私は LP の中で、ビクターはシングルで」みたいなことの協定ができて、(『お先にどうぞ』が)発売になったんです。

 

由紀: で、そのときに、(ほかにも)何曲か候補あって、日の目を見てないものがあったんですね。で、先生が旅立った後に、残された奥様が、「私が残ったっていうことは、主人の作品を全部世に出すという役割が私にあるはずだから」っておっしゃっていて、そのあと、『この世の果てまでそばにいて』(作詞:岩谷時子 / 作曲:吉田正、2006年)いう……、「これ、もし、由紀さおり さんが歌わないって言ったら、誰か他の方に歌ってもらいたい」っていう奥様のご要望があったから、「奥さん、そんなこと言わないで、私に歌わせて!」って言って……(笑)。

 

由紀: で、もともと『旅路』っていうタイトルだったんだけども、その何年か前に NHK の連続テレビ小説のタイトルが『旅路』だったな〜と思って。だから、なんか、そうじゃなくて、「"この世の果てまでそばにいて" っていう最後のフレーズがタイトルになっちゃ駄目ですかね〜?」っていうので、当時、(作詞の)岩谷(時子)先生が帝国ホテルにお住まいだったんで、「お昼ご飯を一緒に食べましょう」って(吉田正の)奥様をお誘いくださって、私とディレクターの谷田さんていう方と、(吉田正の)奥様と 岩谷(時子)先生で、4人でお昼ご飯食べて、「いいんじゃないの〜。よろしいですよ」って言って OK をもらって、それを出したの。

 

由紀: で、そこまでになっちゃったんだけど、その谷田さんっていう 吉田(正)先生のディレクターをずっとしておられた方が、「もう 1曲 あったんだよ〜」っていうことになって、で、今回、これ(『ふられ上手』)を入れさせていただいて……、うん。で、私が、先生の作品を歌うということで歌わせていただいた歌は、私が歌唱して録音してあるものは、もうこれが最後だと思う。

 

ーー そういうわけで、1987年ころに録音された 吉田正 作品『ふられ上手』が、今回、初めて収録された。

 

由紀: そうそうそう。だから、きっとね、かわいい声で歌ってると思います……、あっはっはっはっ……(笑)。

 

ーー 由紀さおり には、今回のベスト盤に収録されている曲以外にも、いい歌がたくさんある。たとえば、1972年に発売されたシングル曲『故郷(ふるさと)』(作詞:山川啓介 / 作曲:大野雄二)や、由紀さおり とコラボする前に「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)がカバーしていた 1969年の 2枚目のシングル『天使のスキャット』の B面曲『タ・ヤ・タン』(作詞:山上路夫 / 作曲:いずみたく)などが、ベストアルバムに入っていてもおかしくない。

 

ーー さらに、2009年のアルバム『いきる』に収録され、由紀さおり 自身が作詞に参加した『真綿のように』(作詞:由紀さおり、Nao / 作曲:YUKIYOSHI)も言葉が伝わるいい歌だ。「♪生きることは 愛すること  愛することは 歌うこと」と歌われている。

 

由紀: ああ〜、あれはね〜……、私が、すごく切なく、いろんなことを考えてた時期なんです……、そう。この間ね、しばらくぶりで、私の友達のところのカラオケで歌ってくれてる人がいて、「えっ、なんの歌だっけ?」と思って、「あっ、自分が詞を作った歌だったな」と……(笑)、「あっ、なかなかいい歌だな」と思って……(笑)。

 

由紀: だからね、「♪愛することは 歌うこと」っていうのは、やっぱり、歌うことを選んだ私なわけだから……。あの歌詞はね、すごい切ない……、自分の中ではつらい歌詞だったんだと思う。

 

 

6 「憧れ」で「お手本」の 越路吹雪、美空ひばり 〜「目の当たりにして本当に震えたんですよ…」〜

 

 

ーー 歌謡曲はもちろん、童謡、唱歌、ジャズ、シャンソン、ポップスやラテン、ロッド・スチュワート などのロックまで歌いこなす 由紀さおり だが、そんな 由紀さおり 自身が好きだった歌手、憧れた歌手は誰だったのだろう?

 

由紀: まっ、私、由紀さおり になる前は……、だから、子供のときには、古賀さと子 さんとか、近藤圭子 さんとかっていう方、童謡歌手の先輩たちですけれども、正子さん、孝子さん、美智子さんの川田さん三兄弟がおられたりとかね。

 

由紀: それから、その後は、「大人の歌い手になりたい」っていうときに、(伊東)ゆかり さんだったり、(中尾)ミエ さんだったり、それから、渡辺友子 さんだったり、ジェリー藤尾 さんだったり、田辺靖雄 さんだったりっていう方が、『ザ・ヒットパレード』(1959年〜1970年、フジテレビ系)をやってる頃、見てたわけですよ。そのへんの方が好きだった。

 

由紀: それで、高校生のころはね、「大人の歌い手」の、いわゆるリズミックなものね……、「ポールとポーラ」とか「コニー・フランシス」とか、アメリカン・ポップスを日本語で歌うことをしたいと思って、そういうものを聴いてたりして……。

 

由紀: そのあと、『夜明けのスキャット』になって、この歌い手の仲間入りをしたときに……、『夜明けのスキャット』だけじゃなくて、私は次の年に『手紙』(作詞:なかにし礼 / 作曲:川口真、1970年)っていう曲がヒットしたわけね。私の(デビューした)年にヒット曲を持ってる人で、次の年にヒット曲が出たのは私だけだったの。

 

ーー 由紀さおり がデビューした 1969年(昭和44年)は、カルメン・マキ、内山田洋とクール・ファイブ、高田恭子、和田アキ子、ちあきなおみ、新谷のり子、アン真理子、千賀かほる、藤圭子 らをはじめ、多くの歌手がデビューした年だった。

 

由紀: そう。それでね、(『手紙』がヒットしたことで)「もしかしたら、私は、この業界で残れるかもわからないな」と思って歌い続けていたときに、誰がすごかったかって言うと、(美空)ひばり さんなんです。それと、日生劇場で「ドラマチックリサイタル」(『ドラマチックリサイタル 愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯』)をやってた 越路吹雪 さん。この おふたりが、もう私の……、今でもそうだけれども「生涯の憧れ」の「お手本」のふたりなの。

 

由紀: で、(美空)ひばり さんは……、私、わりと早くから(NHK『歌のグランドステージ』など)司会業をやらせてもらっていて、フジテレビの『今週のヒット速報』(1967年〜1971年)っていう番組の司会をしていて、その番組で(美空)ひばり さんの特集を組んだりとかしたときに、お出になったりしてたんです。

 

由紀: で、そのあと、お昼の時間にヤクルトホールで歌謡曲の番組(『お昼のゴールデンショー』のリニューアル版『ハイヌーンショー』)をやってたんですけど、そのときに、(美空)ひばり さんの特集があったときに、私は、その『今週のヒット速報』って番組の司会をしてたご縁で、その番組の司会をやらせてもらう栄誉を頂戴したんです。

 

由紀: そのころ、「歌の交換」みたいなのが流行ってて、私は『恋文』(作詞:吉田旺 / 作曲:佐藤勝、1973年)を歌った後だったので、(美空)ひばり さんが『恋文』を歌ってくださると。それで、私は、(美空)ひばり さんの歌はね、「これを歌えます」なんてとても自分の口から言えないから、「私は何を歌わせていただいたらよろしいんでしょう?」って聞いたときに、ややしばらくお考えになって、「由紀(さおり)ちゃんはファルセットが綺麗だから『哀愁波止場』なんかどうなの?」って、「いや〜、難しい歌だ〜!」って……(笑)。でも、そう言われちゃったから必死に覚えて。

 

由紀: それで、その番組で「歌の交換」をやらせていただいたのがご縁で、(美空)ひばり さんのハワイのコンサートに、ゲストで、私と ディック・ミネ さんと……。で、(美空)ひばり さんが「若手の中で、今、私が注目している人です」って言って紹介してくださり、で、ディック・ミネ さんは「私のお兄ちゃん」って言って皆さんが出るっていう、そういうのに連れてくださったのね。

 

由紀: そのとき、初めて、リハーサルしてるときの(美空)ひばり さんっていうのを見ることができたんですよ。そしたらね、その仮設の舞台で、この T字みたいにこう(張り出しに)なってる舞台で、そこの先で何か歌って、『人生一路』だったかな……、それから戻ってきてこの(本舞台の)センターで『柔』を歌うっていう、そういう段取りになってるときに、「何歩で『柔』のイントロのところで戻れるか」っていうことをすごい計算していて、ちゃんと稽古してるの。

 

由紀:そういうのって、見たことないわけじゃない。「『悲しい酒』で、こっち側から涙がいつも出るのはなぜかな?」と思って見たりとか……(笑)、そういうのはテレビで見て知ってるけど、「こんな大御所でも、舞台でこんなにお稽古するんだ」って……、もうそれくらいすごかった。「あっ、こういうことか〜」って思って。人が見てないところで、どれだけ努力しておられるのかっていうことを、目の当たりにして本当に震えたんですよ。

 

由紀: で、越路(吹雪)さんの場合はね……、『13日の金曜日』(作詞:山口洋子 / 作曲:いずみたく)(ライブアルバム『由紀さおりリサイタル vol.2』収録、1972年)っていう(舞台のための)歌を いずみ(たく)先生が作ってくださって、「縁起が悪いけれども、13日の金曜日にこういうことをやるようになって、本当に酔っ払っちゃってひどかった」みたいな……(笑)、そういう歌なんだけれども、そのパントマイムのところは 西村 晃(にしむら こう)さんが付けてくださって、セリフのところは、「劇団四季」に 藤野節子 さんっていう方が女優さんでおられてね、その方が見てくださったんです。それで、その「劇団四季」の 藤野節子 さんっていう方とのご縁ができて……。

 

由紀: で、私が、『王様と私』のミュージカルのオーディションを受けるときに……、タプティム っていう、今はミャンマーだけど「ビルマからの貢物の姫の役をやるオーディションを受ける」ことになって、で、「ここのセリフを言いなさい」っていう課題が出ていたので、その 藤野(節子)さんに聞いてもらうことにしたんです。

 

由紀: そのセリフを 藤野(節子)さんに聞いてもらうのに、「今、ちょうど日生劇場で 越路(吹雪)さんの舞台を手伝ってるから、そこの楽屋にいらっしゃい」って言って、越路(吹雪)さんの楽屋の前の通路のところにある椅子のところで、 藤野(節子)先生に「その 2行をちょっと言ってごらんなさい」って言われて、なんだか忘れたけど、それを言うと、「もうちょっとゆっくり言った方がいい」とか、「ここを粒立てて言った方がいい」とかって教えてもらって、「オーディション、頑張ってやってらっしゃいね」って言われたんだけど……。

 

由紀: でね、当時、浅利慶太 さんが、全部、越路(吹雪)さんの舞台を演出しておられたんだけども、そのとき、「越路(吹雪)さんいるから紹介しようか?」って 藤野(節子)さんが言ってくれて、楽屋に連れてってくださって、「初めまして」ってお会いしたんです。

 

由紀: そのあと、「紅白歌合戦」で、そのときまだ宝塚劇場だったから、宝塚の劇場に行くと、越路(吹雪)さんと私のお部屋がご一緒で、レコード会社同士の楽屋割りになってて、そしたら、「どうぞお召し上がりください」って、お寿司の折が ふた折 置いてあって「越路吹雪」って書いてあったの。

 

由紀: でも、そのときには、お目にかかれなくて、もう、そのときに歌って、越路(吹雪)さんはご卒業だったんですね(1969年、第20回 NHK 紅白歌合戦)。「美味しく頂戴しました」っていう御礼を申し上げて、越路(吹雪)さんが舞台に出て行くところまでを、(舞台)袖から見せてもらったんです。もうすごかった、やっぱり。

 

由紀: だけど、越路(吹雪)さんて、(舞台に)出る前までは、「もう今日は駄目、私はうまくない、調子が悪い」とかって、グズグズ言ってんの。グチグチ グチグチ言ってて、だけど、拍手で幕が上がるとバーッって出てくの……、ホホホホ……(笑)、その変わり身がすごいな〜と思って……(笑)。「あっ、スターってこういうもんなんだ」みたいな。

 

由紀: そういう楽屋裏を、ふたりとも見た。それが、すごい印象に残っていて……。で、まあ、客席から見るとさ、華やかだし、サンローランの衣装を着て本当に素敵だし、ファッショナブルだし、みたいな……、「あ〜んな華やかにやれたらいいな」みたいなね。それは、憧れだったし、(美空)ひばりさんは、歌が……、演歌と言うか、ジャズを歌ったりいろんなことをやりますでしょ、もう素晴らしかった。

 

由紀: だから、「生涯の憧れ」の「お手本」のふたりなの。今でもそれは変わらない……、うん。

 

 

7 55年で音楽を取り巻く環境も音楽自体も変わった 〜「だから、私は変わりません…」〜

 

 

ーー 55周年を迎えて、思うことを聞いた。

 

由紀: あのね……、2年ぐらい前、3年ぐらい前かしら……、(若者の)クラブで私の歌がよくかかるって聞いて、中古レコード屋さんで、「このレコードがないか?」って探しに来る人が結構いるっていうのは、『こころもち気まぐれ』(作詞:きすぎえつこ / 作曲:星勝、1976年)っていうね、星 勝(ほし かつ)さんが作曲して、来生えつこ さんの作詞なんだけども、それをテレビの番組を何回か歌った時期があるんですね。

 

由紀: そしたら、今回、パリで、日本のその時代の J-POP を研究してる人がフランス人でいて、その人が、私が(パリに)来るっていうので、「前の日にイベントをやってるから、そこに 由紀さおり さんに出てもらえないか?」っていうお話をいただいたんです。

 

由紀: だから、今も、まあ……、自分はコマーシャルソングをずっと歌ってたからかもしれませんけど、若い方たちの K-POP も J-POP も、もうみんなコンピューターで音を作ってるでしょ。だから、まあ、こんなこと言ったら失礼だけど、私なんか、なに聴いても同じようにしか聴こえないし、その方たちは、雨が降ろうが槍が降ろうが、ポッと押すと、いつも同じテンポのものが出てくるわけよ。

 

由紀: だけど、私達が、お客様を前にして歌うときには、「そのときの歌」にならないと意味がない……、ねっ。

 

由紀: で、若い方たちのそういう音楽を聴いても、音源は同じだけど、見せてくれるのが、プロジェクション・マッピングだったり、いろいろな、こういうさ、装置だったりさ……(笑)、そういうものが全体で自分を包み込んでくれると。だから、音源は同じかどうかっていうようなことはあんまりね、重要なことじゃないんだなと……、まあ、思ってみたり。

 

由紀: それと、今年のアカデミー賞で日本の映画が 2本受賞したじゃないですか。そして、コスプレなんかのそのイベントがあると、海外からもいらしてやるじゃない。だから、その「ジブリ」の影響はとても大きいと思うんだけれども、アニメーションの映像みたいなものは、もう全世界の皆さんが見てるじゃない。

 

由紀: でも、それは、日本の声優さんのセリフそのものが流れていて、その下に、スーパーインポーズで、ブラジルのポルトガル語だったり、ミャンマー語だったり、ベトナム語だったりが出てて……。だから、(日本語の)語感はもう、みんなの体に染み付いていて、それプラス、映像のサポートがあるから……、ねっ。

 

由紀: で、私、「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)の海外公演に連れて行っていただいたときは、ほぼ日本語の歌を歌ってるんですよね。日本の歌謡曲を歌ってるわけ。で、そのとき、違和感があったかっていうと、ないのよ〜あんまり。

 

ーー 日本のアニメや、日本の歌謡曲が海外でも人気になったことで、昔よりもずっと日本語に慣れてきているのだろう。われわれが、昔、言葉の意味はわからずとも、アメリカやイギリスのアーティストが好きだったのと似ている。

 

由紀: そうそうそう、よかったじゃない。それで、意味を知りたいって言ったら、もうみんな辞書ひいたりとかっていうのがあるじゃない。でも、今、そんなことよりも、全体像なんだなと。で、体で語感を……、だから、今は、意味がわかんないとかじゃなくて、語感とか映像とか、そういうもの全てが大事なんだなと。

 

由紀: だから、私がパリで歌ってね、できれば、パリで「都々逸」(どどいつ)もフランス語で……、ネタですけど……(笑)、やるんですけどね、「こういうものよ」と。「フランス語であればこういう感じです」ということをお伝えしたくて、みんながワハハと笑ってもらえればいいんですけどもね。

 

由紀: そういうことをやって、ま、多少の架け橋になることはあるけれども、私が日本語で歌うってことに違和感がないんじゃないかなって……。私が「Pink Martini」(ピンク・マルティーニ)で歌ったときよりも、もっと、そういうことは世界が身近になってるし、身近になって、日本語の語感は皆さんが体感してらっしゃるというふうに思っているので、絶対そうだと思う。だって、全然、違和感ないんだもん。

 

由紀: だから、私達よりも、もっと若い人たちは、もっと外に出ていくということをやっておられるでしょ。

 

由紀: この間ね、坂本美雨 さんの『ディアフレンズ』っていう TFM の番組に、皆さんがキャスティングしてくださって、彼女といろいろ 8年ぶりぐらいで彼女の番組出していただいたんだけれども、そうしたら、彼女が、(森山)直太朗 くんの奥さん(妻はピアニストの 平井真美子)と一緒に、香港のイベントに行くんですって言うわけ。でも、じゃあ中国語で歌うかっていうと、そうじゃなくて、日本語で歌うの、2人はね。だから、そんなことがもう普通にある時代。

 

由紀: それに、今度は、その『千と千尋の神隠し』だって、ロンドン公演をするじゃない。で、それは英語でみんながやるかっていうと、やんないよ〜。日本語でやるはずでしょ。だから、渡辺謙 さんが、『王様と私』を英語でなさったっていう、あれも素晴らしいことだけれども、やっぱり、そういうことの、このなんかキャッチボールみたいなものが、当たり前のように、そこ ここのフィールドで起きてる時代なんですよ。

 

由紀: だから、私は、できれば、もっと外に、日本の楽器を持って、日本の和の文化を、多少、皆さんにお披露目できる、そのための(三味線の)「ひとり弾き唄い」なので。

 

由紀: でね、今、私と一緒に三味線を弾いてくれる人はアメリカ人なんです。ロサンゼルス生まれ。お母様が二世で、そのお母様が日本舞踊を習っておられて、それで、音源を聴いたみたいなの。三味線の長唄とか、そういうものでお母様が踊っておられるわけだから。

 

由紀: そういう三味線音楽を聴いてて、で、自分が高校生のときに、夏休みって長いじゃない、ホームステイで日本に来て、三味線音楽を習えるのはどこかって言って、桐朋(学園)に邦楽部っていうのがあって、三味線の学科があるっていうことをリサーチして、そこに通いながら、ウチの 本條秀太郎 先生の内弟子になって、今、30歳なの。で、自分は、英語で「都々逸」(どどいつ)やったり、『夜の雨』って端唄(はうた)を歌ったりするの。すごいでしょ。

 

由紀: でも、だって、今、スウェーデンの方で落語をやる人とか、子供に「じゅげむ じゅげむ」をスウェーデンの人が落語で聞かせるとかって、そんなのあるのよ〜。だから、もう「何でもあり」っていう言い方は、ちょっと違うかもしれないけど、今度は、彼と一緒にアメリカに次は行きたいなと。そういうことができるようになったら、すごいな〜と思ってる。

 

ーー 由紀さおり がとしてデビューした 1969年から半世紀以上の時間が経ち、レコードは CD や MD になり、そして、今では形のない配信が主流になるなど、音楽を取り巻く環境が大きく変わった。同時に、音楽そのものも、流行歌や歌謡曲と言われていたころから変わってきている。

 

ーー 由紀さおり は、今も、音楽番組『名曲をあなたに うた恋!音楽会』(BS-TBS)の司会を務めているから、三山ひろし、新浜レオン、松阪ゆうき ら若手歌手との交流もあるが、そんな今の日本の音楽状況をどう感じているのだろう?

 

由紀: え〜っとね〜……、まず、たとえば、Ado さんとか、「YOASOBI」の ikura さんとか、それから「Perfume」の皆さんとかっていう、ああいうそのコンピュータの音楽みたいなものは、さっきも言ったけど、何が起ころうが、変わらないテンポで、同じことがね、ボタンをポンと押せば同じに出ると。

 

由紀: だから、私は、やっぱり、ああいう音楽……、そして、これはわからないけれども、生で歌ってらっしゃるとは思えないし、歌って重ねてるいるかもしれないけど、そこの中に自分の音源も薄く入ってるかも、自分の耳には届いてるのかもしれないけど……、だから、みんな後奏みたいなのがないわけね。歌い終わったら、ガンと終わっちゃうじゃない。そのときの、ダッて終わったときの「一瞬の素(ス)になる間」があるでしょう。それが、あの歌たちの余韻の筈なんだけれども、そこに、たとえば、テレビとかだと「ありがとうございました〜!」と司会の人がすぐ出てくるのよ。あれが、私は嫌なの。

 

由紀: 音楽って、やっぱり余韻なんですよ。だから、私は、その余韻が作れる音楽をずっとやってきたし、日本語の言葉のアクセント、イントネーションが、結局、リズムに乗せるためにみんな平板になってっちゃうのよ。だけど、それは、私が歌ってきた日本語ではないので、究極に、日本語のアクセントと、イントネーションと旋律を歌えることをやり続けたいと……。

 

由紀: それの究極は、やっぱり「都々逸」(どどいつ)だったりするわけ〜……(笑)。っていうことに気づかされて、だから「都々逸」(どどいつ)は、自分の「節付け」ができたり、音も別に「♪タタ タンタン」っていうのをそれでやらなきゃいけないっていう決まりはない。だから、「♪タン タタ タンタン」からやってもいいし……、ねっ。それで、下から出ても、上から出ても、自分のその言葉を自分が受け取ったときのフレーズで歌えばいい。

 

由紀: だから、こんなに自由に自分の思いの丈を、情感を含めて歌えるキャパシティを持ったこの和の音楽っていうものの懐の深いところって、すごいなって思う……。今、それが完璧にできてるわけじゃないんだけども、そこにたどり着いていて、「これをやれたらいいな」っていうところに来てるので、私は、日本語のイントネーションと、アクセントと、旋律と、あと、濁音、鼻濁音を表現するということは、最後まで守り切りたいと……。「それを歌うのが私」だというふうに思って歌っていけばいいなというときに、強力な世界観を持った楽器の三味線に出会って、これから先、自分の楽しみでもあるし、それを自分に引き寄せて自分のものにするには、まだまだ時間がかかるかもしれませんけども、究極は「ひとり芸」をやれたらいいなと。

 

由紀: そこでね、できれば、漫談やりたいんだけど……、おっほっほっほっ……(笑)、思ってんの〜。

 

由紀: だから、私は変わりません。それはそれで、そういう(若い)方たちが自在に楽しくおやりになればいいけど、「本来、日本語は、こういうものじゃないですか?」という世界を、私はやり続ける。

 

由紀: だから、できたら……、もしかしたら、童謡唱歌も三味線で歌えるようなことになってったらいいなと。三味線で『どんぐりころころ』なんか歌ったら面白いなと思ってみたりね……(笑)。ま、そんなことを、この先、師匠に「教えてください」って言って、そういうことを教えてもらえれば、この三味線の、「じょんがら」(太棹)ではない細い竿の世界観みたいなことを求めていきつつ、自分の今までの歌も大事に歌えるような状況がキープできていればね……。

 

由紀: そういうこと全部が私だから、それの出発点として、「55周年の新しい私」というところを皆さんに見ていただいて、ジャッジしていただいて、及第点を少しでもいただけたら、それを広げていきたいなと……。そういう夢というか希望が見えてるので、それをやり遂げるには、自分の体をメンテナンスしないとできないので、頑張りたいと思ってます〜。

 

(取材日:2024年 4月4日 / 取材・文:西山 寧)

 




 
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