ペルシカリア
僕らはずっと背伸びしていた。
2025年10月18日に“ペルシカリア”が6曲入り4th EP『迷子の迷子の僕達の本当の居場所はどこですか』をライブ会場限定でリリースしました。今作には、最新曲の3曲に加え、ライブ定番曲だったインストナンバー「knife」、Vo/Gtの矢口結生が17歳の頃に書き、結成初期にライブで披露していた「17」、そして、2ndミニアルバムのCD限定ボーナストラックとして収録されていた「バンドをしている」バンドバージョンが収録。
さて、今日のうたではそんな“ペルシカリア”の矢口結生による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、収録曲「たとえばなし」にまつわるお話です。ロックシーンのなかの“とあるジャンル”。そのなかでどこか背伸びをしてきた彼らが、自分たちらしく届ける新たなラブソングとは…。
ギターでオンコードを鳴らし胸の内を話す熱いMC。インディーズシーンのみならずロックシーンの中で、今はもはや“そういうジャンル”とも言える1つのライブ名物的な流行。
先人たちが残したロックバンドとしての生き様に憧れ、見様見真似で演奏するフロントマンの胸に今も強く熱を残している。
それは僕も例外ではなかった。
ライブハウスの色や文化や考え方は、その地域や箱によって全く違う。
1年に何百というライブを見ているであろうライブハウス店長、イベンター、ブッカーetc…
バンドを始めて6年弱しか経っていないが、ありがたいことにたくさんの人に囲まれ、たくさんの人と価値観を交換して話して、喧嘩して、みたいな日々を割と楽しみながら送っている中で、自分たちが“そういうジャンル”でどうやったら輝けるのか、という課題をずっと考えていた。
喋りがうまければ、ライブの運びがうまければ、もちろんそれもロックバンドとしての腕の見せ所だとは思っている。だが、僕たちはどちらかというともっとオリジナルに、もっと自分たちらしく、というのを突き詰めていて。最もペルシカリアのボーカルらしく、矢口結生らしく歌詞が書けたと思えたものが今回のEPに入っている「たとえばなし」だ。
“そういうジャンル”で戦っていく中で、僕らはずっと背伸びしていた。
カッコつけるために何かを背負って演奏していた。歌を作っていた。ライブをしていた。その中で自分の本質的な弱さ、情けなさ、幼稚的な考え、あらゆるマイナスを、割と積極的に取り入れた曲を作れたらとずっと思っていました。
今までの楽曲はオーディエンスに何か伝えなきゃいけないという使命感から、自分の中で有耶無耶になっていた感情を整理整頓した結果、生まれた答えに名前をつけて保存するように歌になっていたパターンや、曲を書くことによって整理整頓をしていた、というパターンが多かったと思います。ですが「たとえばなし」は、未完成なまま、弱いまま、答えが出ないまま形にすることで自分と似ている人に向けて歌を作れました。
背伸びして何者かになるのではなく、自分たちの元々持っているものを広げて表現することで、ロックバンドペルシカリアとして“そういうジャンル”と簡単に言われてしまうシーンで自分たちを確立しよう、といった形でまた新しく自分らしいラブソングが書けたと思っています。
恋の歌は、ロックバンドなのにラブソング(笑)と一部の層から冷笑の対象とされることもよくあります。
ロックバンドを愛する者としての反骨精神や逆張り、そっちのほうがかっこいいという声も理解もできます。
けれど普通に生きていく上で、恋心というものは避けて生きていくには難しい感情のひとつであり、そこに目を背けているのもなぜかモヤっとします。
だからこそ、生き様ソングのようなもので示すのではなく、自分らしい感情と睨めっこしてうまく織り交ぜながらラブソングで示すというのは、詩人としての腕の見せ所というか。追い求めると面白い美学だと思っています。
「たとえばなし」は、こう受け取ってほしいという気持ちはありません。自分と同じように自己嫌悪して“許し”を求めてライブハウスに来る、再生ボタンを押す、そんな人の宝物になりますように、と思っています。
<ペルシカリア・矢口結生>
◆4th EP『迷子の迷子の僕達の本当の居場所はどこですか』 2025年10月18日発売 <収録曲>
1. 神様の言うとおり
2. knife
3. PiN
4. たとえばなし
5. 17
6. バンドをしている(Band ver.)