第163回 ハンバート ハンバート
 今月はハンバート ハンバートを取り上げる。彼らといえばNHK連続テレビ小説『ばけばけ』主題歌「笑ったり転んだり」が大評判であり、紅白歌合戦でも見事なパフォーマンスを披露したわけだが、この作品は一番最後にとっておく (笑)。

ジャケット画像1 2010年9月15日発売
ライブを何のためにやるのか 誰にとどけるのか
 最初に書きたいのは「ライブの日」という歌だ。この作品はまさにタイトルの通り、ライブ当日、前後のステージに立つ側の心理を描いている。どうやら主人公は、ステージに立つ前日は、夢見がよくないようで、[客席は誰もいない]夢をみて目覚めたりする。

でもこれって、ステージに立つ人達の多くが見る夢のようだ(僕も何人かのアーティストから似た話を伺ったことがある)。ただ、この歌の感動ポイントは、歌の最後に明かされる、[君が聴きに来ているから]ちゃんと歌おうとする、そんな主人公の姿にこそある。

なぜ人を歌うのか。それは、届けたい人がいるから歌うのだろう。実に根本的なことを再認識させてくれる歌なのだった。それをシンプルかつ、ブレない形で表現している。

ジャケット画像2 2022年9月7日発売
母親の性癖を若干コミカルさも加味して歌う
 次は「うちのお母さん」という作品だ。カントリー・ダンス調のアップテンポな曲調であり、歌詞も実にリズミカル。ついつい引き込まれる。で、引き込まれるのは曲調だけではなくて、そう、特徴ある歌詞の世界。

この歌に描かれるお母さんは、愛護の精神が強くて、いろいろ動物を保護し、家で世話してあげたくなるタイプのようだ。で、主人公が帰宅すると、新しい“家族”が増えていたこともたびたびあり、そしてこの歌の誕生と相成ったわけだ。

正直、こういう内容・視点の歌は他で聞いたことなかったので、とても印象に残った。なお、この作品もそうだが、ハンバート ハンバートが共演するミュージシャンは、音楽性豊かな人達が多いようである。

ジャケット画像3 2005年5月25日発売
デュオというより会話がそのまま歌になってる
 次は歌ネットでも人気の高い「おなじ話」。この作品はデュオ(二人でパートをわけて歌うスタイル)を越え、会話そのものが歌を構成していくかのようだ。全体がなんというか、“もーいいかい”“まーだだよ”みたいな問答形式になっている(二人で力強くハモる部分も少し用意されているが…)。

しかし男女の会話といえど、ラブラブ状態で意思の疎通を図っているわけじゃない。二人の会話は成り立っているようで成り立ってないような、微妙な距離感にも聞こえる。

歌詞で一番注目すべきフレーズは歌のタイトルとも重なる[いつもおなじ話]だろうけれど、この[おなじ話]をどう解釈するかで、全体の印象も変わるような気がする。

僕の感じ方としては、[おなじ話]ゆえにそこに心の充足を得られているあたりがポイントなのだと思う。“おなじ話”というのはイコール、“取り留めないけど必要でもある話”というか。だったらまさに、これぞポップ・ミュ-ジックの使命である、日常に隠れた宝石のような感情を採掘する瞬間と言えるのだ。

ジャケット画像4 2022年9月7日発売
困難さに打ちひしがれる相手に、“だけど”で切り返す。
 どんどん紹介しよう。次は「君の味方」。この作品に限らないが、佐藤良成の書く詞は平易な表現でありつつ考え抜かれたものであり、逆に言うなら、考え抜いたからこそ結果として平易なのだ。この作品などまさにそう。コトバに一切の無駄がない。

[生きてるって本当に難しい]という事実を、まるで夏目漱石の「草枕」のなかの対句法であるかのように展開していくところに特色がある。それがいちいちウンウンと頷くだけの説得力なのだ。

こうして生きてく困難さを印象づけておいて、伝家の宝刀(?)の[だけど]が繰り出される。[だけどぼくは君が好き]。しかもこの場合、相手の欠点とおぼしきこともすべて包み込んで好きだと宣言する。ちなみに欠点というのは、[めんどくさい]であったり[しょうもない]であったりするわけである。

ジャケット画像5 2025年10月1日配信
お待たせしました、「笑ったり転んだり」を!
 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』主題歌としてお馴染みだろうが、あのドラマのために佐藤良成が書き下ろした内容だそうだ。確かにドラマのストーリー、登場人物たちの心情を代弁するフレーズも多い。[帰る場所などとうに忘れた]などは、まさにそう。

でも、なにしろ一行目が[毎日難儀なことばかり]だったりするわけで、聴く方の我々も、しっかり腰を据えてこの歌を受け止めようと思うのだった。


全体の特色として、以下のことが言える。たとえ生きづらい世の中であろうと、それを“誰かのせいにはしない”ということ。だから本作は清々しい。最初のほうに[そんなじゃダメ]と[これでもいいか]が対になって出てくる。でもこれは両方とも、自分たちに言い聞かせている言葉である。

ほっとするのは、いや、ほっとどころか、ぎゅっとなるのは[君とふたりで歩くだけ]という“宣言”の部分である。“歩くだけ”の“ダケ”が効いてる。

そして、救済があるとしたら、[今夜も散歩しましょうか]で歌詞を締めくくっているところだろう。このエンディングがあるとないとでは余韻がまったく違う。

ちょっと突飛な連想かもしれないが、僕はこの歌、ドロップアウト後にふと眺める景色に癒されるあたり、リビングストン・テイラーが歌った「シティ・ライツ」という歌に(その部分は)近いと思うのだが、さてどうだろう。なぜかそんなこと想ってしまったので、忘れないように書いておく。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

お正月に最初に書く原稿は、まことにありがたいことに毎年本コラムなのだけど、最近はキーボード叩いて「書く」まえにざっと「喋って」書く(口述筆記)こともふえた。まずそうやって、それをキーボード叩いて推敲する。「喋り脳」と「書き脳」は、なんか違う気がしている。「喋り脳」のほうがのびのびしているので、新たな発想が生まれやすく、いっぽうの「書き脳」は、手堅さが取り柄である気がする。混ぜれば最高。今年はこのスタイルで書きまくろう(その前段階で喋りまくろう)と思う。