クジラ夜の街
忘れる(ひかる)について
2025年11月26日に“クジラ夜の街”がメジャー3rdフル・アルバム『ひかりあそび』をリリース。今作は、名前のとおり“光”をモチーフにしており、ジャケットや歌詞カードにはたくさんのこだわりが詰め込まれています。さらに、新たなアーティスト写真は、真っ白な衣装の4人を色とりどりの光が照らし、ファンタジーでありながらロック・バンドでもある彼等を象徴するようなビジュアルに。
さて、今日のうたではそんな“クジラ夜の街”の宮崎一晴による歌詞エッセイを3週連続でお届け。第2弾は、収録曲「 ひかるひかる 」にまつわるお話です。私たちにとって“忘れる”とはどういう機能なのか。そしてこの歌で“忘れる”が“ひかる”に結びついた理由は…。ぜひ歌詞とあわせて、エッセイを受け取ってください。
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なのだ。
いわば
僕たちの、膨大な記憶の数々は。
消えているようで案外残っている。
脳か、どっかで眠っている。
ただ、完全とは言えないこと。
呼び戻ったとして鮮明ではないこと。
出来事は記録できていても
心が追いつかないこと。
想起と同時に沸き立つ感情に
モヤがかかること。
具体的に言えば
好きだった人や
その人と過ごした場所や時間を思い出しても
もう叫びそうになったりしないこと。
それが人の、“忘れる”という機能。
消去と忘却の差。
だとしたら
僕は“忘れる”ことに
ずっと、救われてきている。
なにせずっと背負い込んでいては
肩を(心の肩を)
脱臼してしまいそうな荷物(心の荷物)ばかりだ。
友人への憤りも
恋人への後ろめたさも
自分への呆れも
あるいは
寧ろ枷になってしまうほど大きい嬉しさも
僕は華麗なる忘却を繰り返し
都度、メンタルを取り戻してきた。
(10代の頃に
“忘れることは傷を癒すことではない”
などという歌詞を書いたことがあるが
当時は、忘却にもはや依存し
あまりに失敗を繰り返していたから
カウンター的な詩を書いて
そんな状態から脱したかったのかもしれない)
僕たちは忘れられるから
前に進めると
そう思う。
初恋の人を想ってももう苦しくなかったり
縋るように聴いてた歌がそうでもなくなったり
当時の感情の再現ができなくなるっていうのは
少し寂しいけど
どこかあったかい。
缶ジュース飲みながら
したり顔でぶらつきたくなる
妙な浮遊感をもたらすのです。
少年期を過ごした
武蔵境という街に、数年ぶりに降り立って
俺はまあそんなようなことを思い
あえて言えば
“忘れる”ということを
“忘れない”でおこうと思い
「ひかるひかる」という曲を書きました。
なんで、ひかるひかるかっていうと
なんか、ひかってるから。
記憶はひかるから。忘れると。
なんかね、忘れてくと、情景が
ひかりになるんですよ。
それは
遠く離れていく駅のホームを
電車最後両の窓から眺める。と
街が段々小さくなって
やがて光の点になる。
のと似ていて
今はクリアな記憶も
まだ確かなその感情も
月日が経てば次第にぼやけていって
ひかりだけがのこるのです。
悲しみも喜びも
過ぎ去れば、すべて、ひかりです。
<クジラ夜の街・宮崎一晴>
◆紹介曲「 ひかるひかる 」 作詞:宮崎一晴 作曲:宮崎一晴
◆メジャー3rdフル・アルバム『ひかりあそび』
2025年11月26日発売
<収録曲>
1. 有明の詩
2. スターダスト・ジャーニー
3. ハッピーエンド
4. 嵐の夜のプリンセス
5. ひかるひかる
6. 憑依(Interlude)
7. 夕霊
8. REAL FANTASY
9. 星は何にも喋らない
10. 新聞配達少年