口づけたのは、君じゃない、ただの切手。

LACCO TOWER
口づけたのは、君じゃない、ただの切手。
今年、結成16周年を迎えた“LACCO TOWER”が2018年8月22日にメジャー4thフルアルバム『若葉ノ頃』をリリース!今日のうたコラムでは、今作に収録されている新曲「切手」をご紹介いたします。歌の主人公は、大切な<君>と<遠く遠く離れる>ことになってしまった、その後に続く日々を生きている<私>です。 口づけたのは 君じゃない ただの切手 感情を散らした手紙 届きますように 「切手」/LACCO TOWER どうやら<私>は、別れるとき<君>に伝えることができなかった<感情を散らした手紙>を書いた模様。もし、この歌が、その手紙の内容をテーマにした楽曲ならば、タイトルは“手紙”でも良かったはずでしょう。でも、タイトルは「切手」です。つまり、歌の核になっているのは<君じゃない ただの切手>に口づけた<私>の姿なのです。手紙に「切手」を舐めて貼るという行為を<口づけ>と重ねているのです。なんだか強い情念を感じますね…。 その心(ハート)の端に針を通し 私に縫い付ければ 遠く遠く離れるなんて ありえなかったかもだけど 尖りながら震えた文字が 彩った言葉たちは 魔法じゃない この瞬間が 本当と教える そうね 悲しいわね 「切手」/LACCO TOWER あの時、相手の心をちゃんと<私に縫い付ければ 遠く遠く離れるなんて ありえなかったかもだけど>そうできなかった。最後の最後まで言いたいことを言えなかった。それゆえに<この瞬間>に至ってしまった。手紙の<尖りながら震えた文字が 彩った言葉たち>からは、怒りや悔しさ、悲しみ、いろんな感情が伝わってきます。 でもきっと何より強いのは、まだ“愛している”という気持ち。今すぐにでも<君>に会ってキスをしたいという気持ち。それは文字になど収まり切らない情念なのだと思います。だからこそ<私>は、叶わない本当の<口づけ>の代わりに<君じゃない ただの切手>に<口づけた>ことに、意味を見出しているのではないでしょうか。そして同時に、激しい空しさも抱いていることでしょう…。 口づけたのは 君じゃない ただの切手 感情を散らした手紙 届くように 届かないように 空気抜けたように しぼんじゃった 恋の淵で 私以上の未来を手にし 笑う君思う 誰かの悲しみで生まれるのが 誰かの喜びなら どうかどうか 前者は私 後者が君であるように 「切手」/LACCO TOWER さらに歌が進むにつれ、この<感情を散らした手紙>が届くかどうかは問題ではなく、投函すらしないようにも思えてきます。何故なら<私>はもう<私以上の未来を手にし 笑う君>を想っているから。どうか<私>の悲しみと引き換えに<君>の喜びが生まれますようにと、願っているから。そんな<私>が今さら<感情を散らした手紙>を送りつけるとは考えられません。ただただ自分の心をなだめるために、出さない手紙を書き、届かぬ<口づけ>を“切手”にしている。それが今の<私>なのです。 書き出しからもう ひどいもので 勝手だけれど せめて言わせて 紙の上でだけは その心(ハート)の端に針を通し 私に縫い付ければ 遠く遠く離れるなんて ありえなかったかもだけど ラストシーンの雨の中で 抱き合う二人みたいに せめて せめて ぐしゃぐしゃの顔 隠しててください やはり 悲しいわね 「切手」/LACCO TOWER また、実は<私>は、相手の心を自分に縫い付けることが“できなかった”のではなく“そうしなかった”のかもしれません。自分しか読まないであろう<紙の上>に広がる、ひどくて勝手な本音も“言えなかった”のではなく“言わなかった”のかもしれません。愛している<君>を縛り付けず、自分と離れることでの幸せを願い、最後は<せめて ぐしゃぐしゃの顔>は見せずに美しく終わるためです。 ラストシーンの雨のように激しく書き綴った文字も、ぐしゃぐしゃな顔や感情も、切手に口づけたときの想いも、その情念は誰にも知られることはないのでしょう。ただただ、ひとり<やはり 悲しいわね>とポツリ呟くだけ。でも、だからこそ、その“静けさ”と“激しさ”の差に心が揺さぶられるのが、LACCO TOWERの「切手」という楽曲です。是非、この歌に込められている様々な感情を歌詞からも味わってみてください…! ◆紹介曲「切手」 作詞:松川ケイスケ 作曲:LACCO TOWER ◆4thフルアルバム『若葉ノ頃』 2018年8月22日発売 COCP-40471 ¥3,000+税 <収録曲> 1.若葉 2.蜜柑 3.雨後晴(Album Mix) 4.薄荷飴 5.最果 6.狂喜乱舞 7.愛情 8.切手 9.非英雄 10.花束