2023年4月5日に“日食なつこが”ミニアルバム『はなよど』をリリース。今作には、必ずしも明るく華やかではない、彼女らしい“春”を描いた7曲が収録されております。ストレートな思いや音があふれた、物悲しくも柔らかいコンセプチュアルな作品に。
さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“日食なつこ”による歌詞エッセイをお届け。今回が最終回。綴っていただいたのは、今作の収録曲「夕闇絵画」にまつわるお話です。
思い出すのはまず、灰色。
空も街も地面もセメントを塗り込めたようなグレイ一色。
冬の終わりにしては珍しく高温多湿な気候の日で、スタジオを出た夕方のおもて通りは今にも雨に降られそうに暗く、家路を急ぐ小学生やスーツ姿の大人たちが忙しなく行き交っていて、そこにあなたは溶け込んでいた。
まわりの喧騒をよそにコンクリートの路上にそのまま腰を下ろして、重たげな曇り空をおだやかな顔で見上げながら、落ちてくる雨粒に向かってのんびりした動作で手のひらを差し出していた。濡れることはお構いなしで、誰かとその時間を共有するわけでもなく、少し楽しげな表情まで浮かべて、全ての風景の隅っこで、ひとり。
あなたの日常を垣間見たような気がした。あるいは触れてはいけない他人の秘密を偶然暴いてしまった時のような、そんな一種の後ろめたささえも覚え、私は気づかれていないことを祈りながらそっと目を背けかけた。
同時に、誰に向けたわけでもないにしてはひどく優しすぎるその表情は、常日頃この人が世界を見るときに浮かべるそれなのだろうと理解もした。
退屈な灰色の空、さして美しくもない街の片隅にすら、この人の目は何かを見出していて、それが音となり、絵となり文字となり常にほとばしっていて、だからこんなさもない道端においてでもこれほど満たされた表情で在れるのだ、と。
その視線の奥にある思想を覗き見たくなった。雨粒に手を伸ばした心情について、その口から子細を伺い知りたくなった。なのに声をかけることはこれ以上なく無粋な行いに思えた。それほどにあなたの成す空間は周囲の慌ただしさから完璧に隔絶され、そして完成されていた。
それはさながら、夕闇の街角に置き忘れられた1枚の絵画。
結局目を離すことのできなかったその横顔は、今も褪せないまま記憶に強く焼き付いている。
なんともなしにあなたは世界に存在しているだけなのかもしれない。
でも、その風景に立ち入ることが許される者はきっと限られている。
そして私は、そちら側ではない。
機材を車に積み終えた仲間たちに声をかけられ、あなたはふいに自我を取り戻して立ち上がり、やはりゆったりした挙動と穏やかな笑みを伴ったままで「では」と言って去っていった。
三叉路の向こうに消える背中。ぬるく湿った弱い風。夕刻を告げるサイレンの残響。「では」のその次はあるのだろうか? 後に残るは、只々メランコリックな、グレイオレンジ。
覚えておきたい景色は多くはない。少なくとも、あなたが誰にも知られず道端に座して雨粒を受け止めていたあの瞬間を超える絶景なんて、そうそうありはしないのだ。
<日食なつこ>
◆ミニアルバム『はなよど』
2023年4月5日発売
<収録曲>
01. やえ
02. ダム底の春
03. 夕闇絵画
04. 幽霊ヶ丘
05. diagonal
06. ライオンヘッド
07. 蜃気楼ガール