やえ

 2023年4月5日に“日食なつこが”ミニアルバム『はなよど』をリリースしました。今作には、必ずしも明るく華やかではない、彼女らしい“春”を描いた7曲が収録されております。ストレートな思いや音があふれた、物悲しくも柔らかいコンセプチュアルな作品に。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“日食なつこ”による歌詞エッセイをお届け。今回は第1弾。綴っていただいたのは、今作の収録曲「やえ」にまつわるお話です。



花見の季節は毎年ふつうに寒い。
 
桜の木の下でシートを広げ、春の装いで飲めや歌えや、なんて絵に描いたような理想の宴には桜の開花時期の気温からすれば正直まだ気の早い話で。しかも花見というのはたいていが巨木の下で催されるものだから、花や枝や葉にすっかり遮られてまだ弱々しい春の日差しなどはまるで人間に届いてこない。
 
うすっぺらいお花見シートにひとたび腰を下ろせばその真下の硬く冷たく湿った土にみるみる体温を奪われ、気まぐれに吹きつける春一番に鳥肌を立たせられて、ひざ掛けや温かい飲み物で必死に暖をとりながら、それでもここまで来たんだからとみんな半ば意地になって声を上げ楽しんでいる…。
 
花見と聞けば、そんな記憶ばかりが思い起こされる。
 
だから桜を見る時は、通りすがりざまふと目についたなんてことのない桜の木のそばで足を止め、眺めるともなくしばし惚けて立ち尽くすぐらいで私には事足りる。
 
間近で見ると桜の幹は長年風にさらされた岩肌のように出っぱったり剥がれたりいきなりあらぬ方向へ湾曲していたり、葉は葉で錆びたノコギリのようにぎざぎざ尖っていたり、あの淡くやわらかい花弁とその遺伝子を同じくする植物であることがにわかに信じがたくなるような頑強さでそれは目の前にそびえている。
 
その姿には、春の盛りに向けて養分を蓄え眠りつづける花弁を、開花の瞬間まで外界のあらゆるものから護るべく立ちはだかる守護者、あるいは母体、そういった存在としての揺るぎない頑なさがあるようにも見て取れる。
 
…そんなところまで思い至ったあたりでふと、自分の身体が暮れ始めた街の夜気ですっかり冷え切っていることに気がついた。
 
ほんの数分だったのか、ずいぶん長いことそこに留まっていたのか、笑ってしまうほどに呆気なく、人は桜の花が醸す情景に促されて雄弁にものを考えてしまう。この肌寒さがなければきっと際限なくそこに立ち尽くしただろう。
 
だから桜の季節は、これくらいの寒さでちょうどいいのだ。咲き溢れる淡い情景にいつまでも留まりたいと焦がれても決してその時間のすべてには寄り添いきれず、もどかしい気持ちで背を向けるくらいで、きっとちょうどいい。
 
そして寒さが邪魔をしなくなる季節の頃には花は散り果て、若々しい緑に染まった葉桜を見上げながら、ずっと追いつけない速度で足早に巡る桜の花に、だからこそ人は惹かれつづけるのだ。
 
目の前の大通りをトラックが走り去る。巻き上げられたダストの向こうに、早咲きの八重桜がぼんやりと滲んで揺れている。
 
さ、そろそろここを離れて地下鉄の駅へと潜ろう。待ち合わせの時刻にはまだ余裕があるけれど、駅前の雑踏に待ち人の影を探す時間も存外悪くはない。
 
言葉や距離が温まりきる前にいつも背中を向けてしまうあの人も、きっとそれくらいで私には一番ちょうどいいという、そういうことなんだ、きっと。

日食なつこ>



◆紹介曲「やえ
作詞:日食なつこ
作曲:日食なつこ

◆ミニアルバム『はなよど』
2023年4月5日発売

<収録曲>
01. やえ
02. ダム底の春
03. 夕闇絵画
04. 幽霊ヶ丘
05. diagonal
06. ライオンヘッド
07. 蜃気楼ガール