生きるということは心の中にドライフラワーの花束が増えていくこと。

 2021年7月21日に“須澤紀信”が最新EP『遠近法-Reconstruction of perspective-』をリリース!1年前から続く新型コロナウィルスによって新しく生まれた、肘でのタッチ、マスク越しの会話、オンラインでの授業やテレワークなど、コロナ禍の「ニュースタンダード」とよばれる新しい「距離感」の中で、過去の常識との間で生まれる「孤独」を須澤紀信の独自の視点を通して再構築した5曲が収録されております。

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“須澤紀信”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。今回はその最終回。綴っていただいたのは、今作の収録曲「ドライフラワー」に通ずる想いです。彼が“ドライフラワー”という存在に重ねたものは…? 恋の終わりを引きずっている方、どうしても忘れられないひとがいる方、是非このエッセイと歌詞を受け取ってください。

~歌詞エッセイ最終回:「ドライフラワー」~

知り合いのミュージシャンに、お客様からいただいた花束は全てドライフラワーにして飾っているという方がいらっしゃいまして、興味本位に、部屋に吊るしてあるというドライフラワーの写真を見せていただいた。部屋の壁にズラッと逆さまに吊らされている花束。「こうやって水分を抜いていくんだよ」と説明を受けながら僕は、枯れているけど咲いているという矛盾を両立させているその不思議な存在に、どこかときめきに似た感情を抱いていたと思う。

枯れているけど咲いている。視点を変えると、咲いていないし枯れていない。忘れられない人や過去に想いを寄せ、現在も引きずってしまっているこの女々しい気持ちを比喩するに値するものと、ようやく出会えたと思った。

皆さんは恋の終わりからすんなりと立ち直ることができる人だろうか。それとも時間がかかる人だろうか。残念ながら僕はとても時間がかかるタイプだと思う。いや、思うというか、断言できる。ちゃんと引きずるタイプだ。軽く年単位で引きずる。ずーーっと匍匐前進(ほふくぜんしん)していると想像してくれるとわかりやすい。辛いし痛いし、いい加減ハイハイくらいには進歩したいと思いながら、一応前を向いている状態を年単位で。亀の歩みといい勝負だ。横をうさぎさんに追い抜かれながらいつか二足歩行になる日を夢見る。そんな傷心ボーイ。

いろんな考え方や捉え方があるけれど、僕は、一度大切に想った人はこの先決してどうでもいい人にはならない、と思っている。初恋の人然り、友人然り、家族然り…どんなに疎遠になっていったとしても、人生の一瞬一瞬をその人と色付けた事実は変わらない。結果として別々の道へ進んでいったとしても、あの時あの場所で同じものを見て聴いて感じた、その瞬間があるからこそ現在があり、それぞれの今がある。その時の二人でなければ咲かせられなかった色の花が、お互いの心に存在し続けているはずだ。

生きるということは心の中にドライフラワーの花束が増えていくことだと思う。記憶の中で色褪せていくものたち、けれど“思い出”というカテゴリーの中で枯れながらに咲き続けるそれらは、忘れさえしなければいつまでもそのままの形で残っていてくれる。二度と風に揺れることも匂いもしないけれど、散ることもない。そしていつか、そんな数えきれないほどのドライフラワーの中に数輪だけ、枯れることのない花が咲く。

古代エジプトの王アレキサンドロスは「真の愛にハッピーエンドはない 何故なら真の愛に終わりはないからだ」と言った。

永遠に咲く花を、今日も僕らは探している。

<須澤紀信>

◆紹介曲「ドライフラワー
作詞:須澤紀信
作曲:須澤紀信

◆『遠近法 -Reconstruction of perspective-』
2021年7月21日発売
YCCW-10387 ¥1,650(税込)/¥1,500(税抜)

<収録曲>
1.ドライフラワー
2.パセリ
3.希望のうた
4.一匙の魔法
5.アソート -remix-