MACO

みんなへのラブソング、私へのラブソング。

 2020年12月18日に“MACO”が、4ヶ月連続配信リリースの第4弾となる新曲「LOVE MYSELF」を配信リリースしました。代表曲「LOVE」が大胆にサンプリングされた、本人のこれまでのストーリーと自分を愛するというメッセージが込められた今作。ジャケットにはハッピーなMACOが映し出されており、あたたかく明るいMACOらしい楽曲イメージが伝わってきます。

 さて、今日のうたコラムでは、その4ヶ月連続配信リリースと連動して、MACOによる歌詞エッセイを4作連続でお届けいたします!今回は第1弾、第2弾、第3弾に続く、最終回です。綴っていただいたのは、これまでのMACOの軌跡。代表曲「LOVE」にまつわるお話。そして、新曲「LOVE MYSELF」に込めた想いです。4ヶ月連続配信リリース&4作連載のラストを飾るこのエッセイ。是非、歌詞と併せて、彼女の言葉を受け取ってください。

~歌詞エッセイ:「LOVE MYSELF」~

もう、このエッセイに書いてることと、
他のSNSに書いていることが
重複してしまっていたらごめん。
それほど、エッセイを書くまでに
この曲への想いが溢れてしまって
配信される前に色んなところで語ってしまった。


地元北海道でまだ趣味で歌を歌っていたとき
いまの事務所の方にスカウトされ、名刺をもらい、
「連絡ください」と言われていたのに
当時の私(22)は連絡も返さず平凡と暮らしていた。
ある日知らない番号から電話がかかってきて
もしやこれってあの東京の音楽関係の方かもしれない、やばい。やばいと思いながらもどんなこと言われるんかなぁ?と、軽い気持ちで「もしもし」。

あのステージで歌っていた曲に惹かれました、
ぜひオリジナルで曲を作ってほしいから
送る曲に歌詞とメロディをのせてほしいとのこと。
後日作って送ってみた。
なんのオーディションも受けたことのない自分だから、デモ音源を送るなんて人生で初めての経験だった。

私の連絡の遅さとは打って変わって
即座にまた私の元へ電話がかかってきた。
「すぐにでも東京へ来て活動してみませんか」
えー。こんなことってあるんだ。
うまい話に騙されるな、なんて言葉が頭に浮かぶことはなく、疑心暗鬼になることもなく。私の感覚的には
ただ電話の向こうの男性は私に必死なんだなということ。私は「また連絡します」と言い、一度電話を切ってとりあえず"荷造り"をしようと思っていた。何故だかもう気持ちは出来上がっていたのだ。


ママは、「大丈夫?」と心配そうながらも
あなたのやりたいことなら、、と背中を押してくれる様子。小さい頃にみんなが習う多種多様な習い事もあれもこれもと強制的にさせる人じゃなかった。やりたいことがあるならやればいい、そんな人だった。

パパは小さい頃から単身赴任だったからいつも電話越しだった。言うことはいつも同じで、風邪ひいてないかい?今日のごはんはなんだった?パパはね…と毎回いつもの会話。私は末っ子だから特別可愛がられた。パパも、私だけでなく兄弟のやりたいと言うことは引き止めたりする人でなく、あなた達のやりたいことなら頑張ってみなさい、といつも前向きな人で音楽が大好きな人だった。



東京へ行く日のことは今でも覚えていて、
キャリーを引っ張り「じゃ、行ってくるねー」
と、本当に本当に軽い態度で玄関を出たことをいまだに少し後悔してる。私は親にまで不器用なんだなぁ。

ママは外まで見送りにきて必死に涙は見せなかったけど送って行った後大泣きしていたのは言われずともわかる。本当はまこも泣きながら抱きしめたかったよ、ごめん。


あれよあれよという間にレコード会社が決まり、
YouTubeチャンネルを開設、
カバー動画が跳ねて、毎日称賛と批難の嵐。
増えていく再生回数に驚きながらも
どうしていいかわからなかったのと
次の曲の進行があり歌詞は毎日書かないと追いつかない。東京の仕事の日々についていくのに必死であっという間に毎日が過ぎていった。


MACOという存在がどんどん知られていく怖さと、
自分にファンができていくという摩訶不思議な体験。
でも私の体はどんどん東京に馴染み、忙しくも心地よい時間が過ぎていった。本当に周りの人のおかげだ。
そして音楽を作ることが楽しかった。

「We Are Never Ever Getting Back Together」で
メジャーデビュー。その後私は、どんな曲を書こう。
どんな曲だったらみんな聞いてくれるの??

「カバーの人」からちゃんとMACOという歌手として認識してもらえるのか、曲が愛されるのか、自分次第だと思った。でも自分にそんな力があるのか不安だった。恋愛以外書くことのない私は葛藤やいろんな不安な妄想があった。


「LOVE」今でも魔法のような曲だと思う。
歌えばみんな笑顔になって
そしてみんな思い思いに泣いて、
私もたまに泣いてしまうことがある。
この曲がかかると空間に光が刺す。

「外は晴れあなたの夢見て起きる
今日も変わらず愛しく思っている」

この2行は、この曲を聴いたとき降りてきた歌詞で
そこからたくさん時間をかけて歌詞を書いていった。
歌詞についてはたくさん練り直したし、
チームのスタッフとぶつかることもあったけど
周りは私のために、そして私の作品のために最大の愛を注いでくれている証拠なのだと数年後に気付く。



2015年発売の「LOVE」から
私はラブソングの一本道を歩くことになる。


それから歌手活動において、数え切れないほどの壁や悔しいことは沢山あったけれど、一番きつかったのはパパの死。試練はいつも前触れがない。


病状を聞きながら家族と電話の日々。
倒れてから意識がもうないようで、
でも若干耳だけは聴こえているとのこと。
私は仕事があるため地元へ帰れなかった。
電話の向こう、耳元で喋ってあげて、と言われて
本当に起こっている現実とは思えなくて
そんな行為をするのが怖かった。
喉の奥に詰まった涙を堪えながら
「パパ、まこがそっちに行くまで頑張っててよ」
「聴こえてる??ねぇー、パパ。」
「まこだよ、まこ」と何度も問いかけた。
あなたが一番可愛がってた、娘のまこだよ。
返事くらいしてほしい。


ライブが終わったらすぐパパの病院へ駆けつけるからね。それまで頑張るんだよ。きっとパパは大丈夫。
久しぶりに会うのが病院だなんて本当に悲しい。でもまこも頑張ってくるから…と願っていた矢先
ママから夜電話があり、寝ぼけ声で出ると
「まこ、パパ、たった今、逝ってしまったと」と
嘘のような言葉に体が受け止められなくて、
不思議と涙がでない感覚、携帯持つ手が震える。


その日は眠れたのか寝ていないのか覚えてない。
気付けば羽田空港のロビー、地方のライブへ向かうみたいだった。
真っ赤に腫れた目と永遠と流れる涙でマスクが濡れてる。スタッフ一同私をそっとしておいてくれてるのがわかった。


ライブが終わって東京へ戻り一目散で実家へ。
東京から北海道へは、こんなに近かったっけ。
意識がずっと遠のいてる。
着くと家族の顔に少し安心して、一気に末っ子の自分に戻っていた。

大きなロウソクに沢山のお供え物、
その前に棺があり、パパがいる。

全身真っ黒の私がパパに向かって歩いていく。
ポニーテールを外したら、
東京の家で使ってるシャンプーの匂いがした。

パパ、こんな歳とってたっけ??
そんだけ会えてなかったね。
もっとイケメンだったはずけどなぁ。
あと口や鼻がこんな苦しそうにされて可哀想。
どうして目は開かないの。
あなたの大好きな娘が東京から飛んで来たんだけど。
歌えって言うなら、なんだって歌ってあげるよ。
棺に抱き着くように一晩、パパのそばにいた。



4ヶ月リリースも終盤、クリスマスソングは
ないよね〜なんて話をしながら
毎月開催してる配信ライブのリハへ向かう道中、
マネージャーが、私たちがだいぶ昔に作っていたLOVEをサンプリング(引用)した曲のリアレンジを聴かせてくれた。

「まこ、これすっごく良いでしょ」
「すごく良いね。」

後部座席の私はもう歌詞を書き下ろしていた。




上記に長々と書いたことが走馬灯のように蘇り、
パパが言ってた「まこの声は神様からの贈り物」
その言葉さえも蘇った。
そうだ、そうだった。


2020年はコロナ禍で色んなことが変わってしまって、自分のいまやり続けていることは本当に正しいのか自問自答の日々が辛かった。でも私の恩師が言ってた、「まこが幸せだとお父さんも幸せなんだよ」と。



「LOVE MYSELF」
愛すべき周りの方たちとファン、家族、そして私へ。
"愛する君へ"と言う歌詞は、
いまこれを読んでくれている君、ずっと応援してくれてるファン、家族、色んな人が当てはまる。
みんなへのラブソング、私へのラブソングが
今回初めて出来上がりました。



自分のことを認めてあげるのはとても難しい。
自身の「存在」という曲があるけど、
いまだに難しいと思う。人間って、自分って。


でも君も私も、こんな時代によく頑張っているよ。
それぞれの時間と生活を。
眠る前に褒めてあげてほしい自分を。
そして少しでも笑っていてほしい。



LOVE MYSELF、この言葉とこの曲を胸に
私は今日もこの瞬間を生きる。


<MACO>

◆紹介曲「LOVE MYSELF
作詞:MACO
作曲:MACO・Matt Cab・MATZ・Marchin

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