杏沙子

でも。それでも、好きだった。わたしは彼のことが好きだったんだ。

 2020年7月8日に“杏沙子”がニューアルバム『ノーメイク、ストーリー』をリリースしました。今作はアルバムタイトルが表すように、女の子が内側に秘めている隠しておきたい気持ちや、見せたくない姿を描いたリアリティ溢れる10編の物語が紡ぐように歌われております。前作で各所から称賛されている圧倒的なポップネスはそのままに、繊細に揺れ動く感情を表現することにも挑戦した進化版とも言える一作です。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“杏沙子”による歌詞エッセイを3週連続でお届け!今回は第1弾第2弾に続く最終回。綴っていただいたのは、収録曲「見る目ないなぁ」にまつわるお話。友達には「見る目ないなぁ」と言われるし、自分でも「見る目ないなぁ」と思う、苦しい恋をしているあなたに、この歌詞とエッセイが届きますように…!

~歌詞エッセイ最終回:「見る目ないなぁ」~

最低だ。最悪だ。
もうすぐ日付が変わろうとしている。

わたしは湿った空気の夜道を早足で歩いていた。たぶん、この気持ちは怒りだ。彼に対する、もう、ぶつけようのない怒り。早く家に帰りたい。車道沿いを車の進行方向と逆に歩いていたから、向かってくるライトが眩しい。しばらく歩いて、だんだんと早足がキツくなってきた。少し速度を落とす。すると、熱った体温もそれに合わせて下がり、さっきは手がつけられなかった怒りの炎は嘘のように消えた。残ったのは、もう後戻りできない現実と、どうしようもない自分への情けなさだった。

まただ。わたしはこの気持ちを知っていた。またやってしまった。いつも恋愛相談をする友達が、「ほんと見る目ないね」って、ちょっと呆れた感じで言う顔が容易に想像できた。もう今言われたような気がして、笑ってしまう。いやぁほんとわたしって見る目ないよね。どうしてだろうね。 頭の中の友達に返事をする。

実際に会っていたら、きっとこの後は盛大に彼の愚痴大会が開催される。そして最後に「そんなやつは忘れな!」と言われ、大笑いして解散だ。そう、わたしはいつも見る目がないんだから、彼のことはもう考えず、綺麗さっぱり忘れた方がいい。友達は正しい。

でも。それでも、好きだった。わたしは彼のことが好きだったんだ。一緒にいた時間、思い出、あのときのあの言葉。これは全部、2人だけのもので、好きと言われたときの気持ち、好きと言ったときの気持ち、想いが通じ合ったときの気持ち。 これは全部、わたしだけのものだ。誰にもわからない。

こんな未練がましいこと、とても言えないけど、この事実だけは変わらないし、たぶんわたしの中で深く、強く、残り続ける。どんなにバッドエンドでも。いや、バッドエンドだから、なのかな。

この車道は交通量が多い。通行人もいないし、今だったら声を出して泣いてもいいんじゃないか。 人のいないコンビニの白い光、途切れることなく通り過ぎる車のライト、夏の夜のにおい。わたしに無関心で無機質な景色と、わたしが大好きな夏の空気に紛れて、少しだけ泣いた。

やっと、家が近づいてきた。同じようなことを繰り返しているのに、ちゃっかり悲劇のヒロインぶっている自分が急に恥ずかしくなった。ごまかすように適当な鼻歌を歌い始める。「見る目ないなぁ 見る目ないなぁ 見る目ないなぁ」たった今思いついたフレーズを、ひたすら繰り返す。スキップしてしまうほど陽気に。

そうだ、このまま曲にしてやろう。いつまでも見る目ない自分を笑い飛ばすんだ。わたしを裏切った見る目ない彼を過去にするために。家が見えてきた。2階建ての小さなアパート。2人の思い出が当たり前に溢れる6畳半のあの部屋に、さっきはあんなに帰りたかったあの部屋に、今はまだ帰れない。

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辛い思いをした恋ほど強く刻まれて、泣かせられた人ほど忘れられない人になる。わたしは確かに見る目がなかったけど、好きだと思えば思うほど心を消費する恋をしなければ、この曲はできなかった。今ではあのときのことを、あのときのわたしをちょっとだけ愛おしく思える。

「見る目ないなぁ」が誰かの心に寄り添って、いつか自身を許してあげる力になってくれたらいい。

<杏沙子>

◆紹介曲「見る目ないなぁ
作詞:杏沙子
作曲:杏沙子

◆2ndアルバム『ノーメイク、ストーリー』
2020年7月8日発売
初回限定盤 VIZL-1772 ¥4,000+税
通常盤 VICL-65383 ¥3,000+税

<収録曲>
1.Look At Me!!
2.こっちがいい
3.変身
4.クレンジング
5.見る目ないなぁ
6.outro
7.交点
8.東京一時停止ボタン
9.ジェットコースター
10.ファーストフライト
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