アイスクリームが溶けていく。

いきものがかり
アイスクリームが溶けていく。
みなさま、明けましておめでとうございます!『第65回 輝く!日本レコード大賞』や『第74回NHK紅白歌合戦』など様々な音楽番組をご堪能されましたでしょうか。今年はいったいどんな歌詞との出会いが待っているのでしょうか。2024年も歌ネットを何卒よろしくお願いいたします。そして、早速ですが、今年最初の今日のうたをお届け…! 2023年12月13日に“いきものがかり”がニューアルバム『〇』をリリースしました。今作は、2人体制となって初のオリジナルアルバム。映画『銀河鉄道の父』主題歌「STAR」や、『映画プリキュアオールスターズF』主題歌「うれしくて」、『プリキュア』シリーズの20周年記念ソングでTVアニメ『キボウノチカラ~オトナプリキュア'23~』オープニングテーマ「ときめき」、フジテレビ系『坂上どうぶつ王国』テーマソング「きっと愛になる」などが収録。 さて、今日のうたコラムではそんな“いきものがかり”の水野良樹による歌詞エッセイをお届け! 今回が第2弾です。目の前に広がっている、「アイスクリームが溶けていく」光景。それを見つめながら、この文章の“表現”について考えていくと…。あなたは「アイスクリームが溶けていく」という文章からどんな物語を想像しますか…? アイスクリームが溶けていく。 実際に今、テーブルに置かれた皿の上で、一口サイズのピノのアイスクリームが溶けようとしている。外側のチョコレートの部分はかろうじて形状が保たれているけれど、内側のバニラアイスはぬるっとしてしまって、液状になって漏れ出している。このまま放置するのは、どうにも、もったいない気がする。 今、すぐに口に入れれば間に合う。おそらく、いける。 むしろ口溶けの具合が柔らかくて、美味しいかもしれない。横目で息子の背中を確認する。息子は食べかけのアイスクリームをそのままに、ポケモンの番組が始まったのに気をとられて、テレビ前のソファに移ってしまった。せっかくのおやつを前に、もったいないことをするものだ。行儀も良くない。叱って、息子を席に戻そうか。 いや、あいつはこのアイスクリームのことを忘れている。 皿を片付けても気がつかないだろう。ピカチュウに夢中だ。どうしよう、アイス、食ってしまうか。どうせ溶けちゃうし、いってしまうか。息子よ、父はずるい。覚えておけ、世間は甘くない。油断してはならないのだ。大切なものは目を離したすきに奪われる。アイスもまたしかり。それでは、いただこうか。 アイスクリームが溶けていく。 大人げない行為をする前に、よくよく考えれば、実に豊かな表現だなと思う。文章の“意味”としては明快だ。固形物が融解していく。かたちあるものが溶ける。つまりはただそれだけのことで、この文章の“意味”を読み違えることはない。 しかし、言葉は“意味”だけでは存在していない。そこにイメージを漂わせてしまう。もくもくと湯気をたてるように、“意味”という骨格の外側へと、イメージが膨らんでいく。やがて湯気だったものは実体を持ち、しなやかに脈打ち、肉づいていく。“表現”そのものとなる。 アイスクリームが溶けていく。 そこには時間と、温度と、匂いと、なにかが崩壊していく様と、食べ頃のアイスクリームが何も手を下されず放置されているという現実とが、立ち現れている。それらはすべて読み手の想像力を借りて、彼、彼女の主体的な発想をエンジンとして稼働するものだ。 アイスクリームは火でも当てない限り、瞬時には溶けない。“溶けていく”には時間の経過が含まれていて、なおかつ、その時間のなかで“何もしなかった”という現実が影のように張り付いている。“何もしなかった”という現実は、そのままメタファーになりえる。 恋人の二人が、別れ話をしている。 二人で何度も訪れた、いつものカフェ。 彼女は黙り込む。この店に来るたびに頼んでいたバニラアイスクリーム。 いつも笑顔で美味しいと言っていた。 彼女は今日も頼んだけれど、スプーンに指を触れることもできない。 さきほど彼が口にした言葉が、テーブルに沈黙をもたらした。 アイスクリームよりつめたい冷気が、二人のあいだに満ちている。 彼女はアイスクリームをただ、見つめている。 アイスクリームが溶けていく。 繰り返すが、言葉の“意味”を理解することは容易だ。だが、そこに立ち現れる“こと”(=これをわかりやすく、いささか乱暴に“イメージ”と言い換えているけれど)をとらえることは、そう容易ではない。でも、容易ではないがゆえに、豊かだとも言える。 人間が書いて、人間が読んでいる。 ものの本で読んだ。言葉は、“こと”の端、だという。 “意味”は情報でしかないから、言葉という道具を使えば、ほぼ寸分違わず、誰かから誰かへと受け渡すことができる。しかし“こと”は輪郭もなく、曖昧で、それでいて無限にも近く豊かなものだから、届け手と受け手とのあいだで、しばしばすれ違いが起きて、そのすれ違いこそが、表現の魅力となったりする。 ありがとうって伝えたくて。 さよならは悲しい言葉じゃない。 帰りたくなったよ。 書いたときはこれらが、どれほど豊かな受け手の“こと”を内包できるのか、想像もつかなかった。人生の最期の“ありがとう”につながるときもあれば、可愛い子どもたちが恩師にあどけない声で伝える“ありがとう”につながるときもあった。まだ多くの別れも知らない思春期の若者たちの“さよなら”につながるときもあれば、死別という圧倒的な“さよなら”につながるときもあった。帰りたくなる場所や時代は、ひとによって千差万別だ。一方で“帰りたくなったよ”という気持ちは、“帰れない”という事実を際立たせたりもした。“帰りたくなったよ”という一節を聴いて、もう帰ることのできない場所を想うひとが、いったいどれだけいただろうか。 “意味”を渡すために、言葉があるんじゃない。やはり、受け手とのあいだに豊穣な“こと”の海を広げられることが、言葉のすばらしさだと思うし、難しさだと思う。 よく、誤解されることがある。 わかりやすい歌を書いているのではない。 聴き手にとって、豊かになる歌を書きたいと思っている。 ポップソングとは、そういう歌のことだと思う。 さて、アイスクリームが溶けていく。 やはり、息子のアイスクリームを横取りするのは、気がひける。 「ほら、溶けちゃうよ! テレビ見てないで、早く食べちゃいなさい!」 妻が息子を叱る声で、我に返る。そう、早く食べないといけないのだ。息子よ、よく聞け。父のように、小難しいことをぐだぐだと考えているうちに美味しい時間は過ぎ去ってしまってしまう。考えるより先に、行動をしなくてはならない。 息子が大急ぎでテーブルに戻ってくる。 「パパ、一緒に食べよ」 「1個しかないよ」 「じゃあ、もうパパ食べて!」 「いいの?」 「いいよ。パパにあげる」 また小さな背中が、テレビの方へと戻っていく。 アイスクリームが溶けていく。 溶ける前にスプーンですくって、息子の背中を眺めながら、今、甘みと、なにかあたたかいものを、舌先で感じている。 <水野良樹(いきものがかり/HIROBA)> ◆ニューアルバム『〇』 2023年12月13日発売 <収録曲> M1 誰か M2 うれしくて M3 声 M4 ときめき M5 きっと愛になる M6 STAR M7 好きをあつめたら M8 HEROINE M9 やさしく、さよなら M10 喝采 M11 YUKIMANIA M12 ○