いろいろわかる… 森山愛子 ロングインタビュー! ぐっと大人っぽくなった「ご当地ソング3部作」の最終章! 歌声が切ない、原点でもある超王道演歌!

 

 

インタビューの最後に、プレゼント情報あり!(応募方法掲載)

 

 

 

Moriyama Aiko

 

森山愛子

 

13th Single 「伊吹おろし」

 

 

 

★ 2004年、19歳という若さで演歌歌手としてデビュー!
★ 歌声と話す声のギャップが印象的な、異色の演歌歌手!
★ コブシで、シンディ・ローパーを唸らせた抜群の歌唱力!
★「会津追分」「尾曳の渡し」に続く「ご当地ソング3部作」の最終章!
★「ばかね ばかですね〜」の歌声が耳に残る、切ないマイナー調の王道演歌!

 

 

 

 

 

森山愛子「伊吹おろし」

 

 

 

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■ リリース情報

 

 

森山愛子「伊吹おろし」
CD シングル

2020年 8月12日発売
UPCY-5090
¥1,350(税込)
Lighthouse Music / UNIVERSAL MUSIC

<収録曲>
1 伊吹おろし (作詞:麻こよみ、作曲:水森英夫、編曲:伊戸のりお)

2 甲州夢小路 (作詞:麻こよみ、作曲:水森英夫、編曲:伊戸のりお)
3 伊吹おろし  ーオリジナルカラオケー
4 甲州夢小路  ーオリジナルカラオケー

 

 

 

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■ 森山愛子 ロング・インタビュー

 

 

 森山愛子という歌手には、独特の存在感がある。

 2004年、19歳という若さで演歌歌手としてデビューし、その翌年からは、バラエティ番組『王様のブランチ』にレギュラー出演して人気に。演歌歌手としては異色だ。番組では、あのシンディー・ローパーを前に、童謡の『赤とんぼ』をコブシ入りで歌い、絶賛されたこともある。

 そして、何より特徴的なのは、その「声」だ。抜けの良い明るい響きの歌声、その抜群の歌唱力で、ポップスから王道演歌をまで歌うかと思えば、喋る時には、アニメ声優のようなキュートな声になる。歌声とのギャップが印象的だ。いつもニコニコしていて、いい意味で、何を言い出すかわからないところも楽しいし、機転もきく。

 明るく若々しいキャラクターと、その歌唱力ゆえ、テレビ番組などでは、ポップスの曲を歌うことも多い。2012年に、韓国ドラマ『イ・サン』挿入曲として歌ったポップス調のバラード『約束』がヒットしたこともあるかもしれない。

 もちろん、ポップスも好きだが、本人は、あくまでも、コブシをまわす王道演歌を歌うことが楽しいと言う。ポップスを歌っている時にも、思わず「コブシを入れたくなっちゃう」らしい。
 
 地元、宇都宮の高校1年生の時、作曲家の水森英夫にスカウトされ、高校卒業後は、デビューを約束されて上京し、その後、約1年ほどで歌手デビュー。しかも、子供のころから憧れていた坂本冬美と同じ事務所で、同じレコード会社という、まるで出来過ぎのシンデレラ・ストーリーのようだ。

 もちろん、実力があったからだが、歌手になる人というのは、少なからず、そういう引きの強さ、運のようなものを持っている。

 そんな森山愛子も、デビューから16年になる。後輩の若手歌手も続々デビューし、中堅とも言われるようなポジションだが、演歌歌謡曲の世界では、まだまだ若手でもある。いずれにしろ、難しい時期でもある。

 今回のシングル『伊吹おろし』は、2017年の『会津追分』、2019年の『尾曳の渡し』に続く、「ご当地ソング3部作」の最終章。前2作品のイメージそのままに、作詞:麻こよみ、作曲:水森英夫のコンビによる、マイナー調、渾身の王道演歌。森山愛子の「ばかね ばかですね〜」の歌声が耳に残る、ストレートに伝わるいい歌だ。

 この「ご当地ソング3部作」の第1作目『会津追分』から、楽曲そのものもそうだが、森山愛子の歌も、ぐっと大人びた感じがする。

 『約束』のヒットのあと、『忘れないで』、『待ったなしだよ人生は』(坂本冬美のカバー)と、メジャー調の曲が2曲続いたが、今回のこの3部作で、原点でもある超王道演歌に舵を切ったことは、良かった気がする。
 実際、前作『尾曳の渡し』は、カラオケ「JOYSOUND」の 2019年「令和発売曲 年間総合ランキング」で10位に入った。

 子供の頃、おばあちゃん子だった森山愛子は、いつか、祖母のお墓がある公演でコンサートをやりたいと言う。歌とは、その歌い手そのもので、歌にも性格が滲み出るもの。森山愛子の歌には、その優しい人柄が現れている。

 その優しさは、時には、アーティスト、スターとしては弱点、いや損をする場合もあるかもしれない。でも、そこがいいところで、そこが魅力だから、そのままであってほしいと思う。

 新型コロナ・ウィルスの影響で、歌えない日々のが続いた中、自粛生活には、意外な効果もあったと話す。

 

 

 

<もくじ>
1 ご当地3部作の最終章『伊吹おろし』 〜「挑戦状じゃないですけど…」〜
2 あまり考えずにシンプルに歌う 〜「最初は考えてないですね…」〜
3 新曲は、その場で覚える 〜「尊重してくれる感じです…」〜
4 明るいメジャー調の曲 〜「たぶんネクラなんです…」〜
5 「女の "のど自慢" 女子高校生大会」に出場 〜「勝手に応募されてたんです…」〜
6 憧れの坂本冬美のレコード会社と所属事務所 〜「ガチガチになっちゃって…」〜
7 ポップスも歌うが「ド演歌」が好き 〜「心の底で "コブシ回したい!" って思ってて…」〜
8 自粛生活の意外な効果 〜「人に依存しなくなったかな…」〜

 

 

 

 

1 ご当地3部作の最終章『伊吹おろし』 〜「挑戦状じゃないですけど…」〜

 通算13枚目となる最新シングル『伊吹おろし』は、前々作、2017年の『会津追分』、2019年の『尾曳の渡し』に続く「ご当地ソング3部作」の最終章。前2作に引き続き、作詞:麻こよみ、作曲:水森英夫のコンビによる作品で、前2作とイメージもそのままに、マイナー調、悲恋の王道演歌だ。

 「最初は、"ご当地三部作" のひと区切りの最終章っていうことだったので、多分、同じような感じの曲なんだろうなと思っていたら、やっぱり "マイナー調のこういう感じか" っていう印象でしたね。」
 「最初、タイトル見た時に、何ですかね……、すごいスッキリしているな〜って思いました。今まで、『会津追分』『尾曳の渡し』ってきてて、『伊吹おろし』って、字だけ見てもなんかスッキリしていて……。それで、歌詞も、水森先生が歌ってくださって、歌詞を見ながら聴かせていただいた時に、やっぱり、曲自体もすごく分かりやすい、さっぱりした、本当にクネクネしていない、そういう印象を受けました。」
 
 たしかに、叶わぬ恋を描いた歌詞は、ストレートに切ない女心が伝わる。2番の「♪膝で甘えた あの夜を どうぞ返して 今すぐに……」がとくに印象的だ。

 「2番の歌詞とか、すごいリアルだな〜って思ったりしますね。なんですかね……、この1番の歌詞の出だし "あなた失くした この胸に" っていうのは、やっぱり "演歌っぽいな" って思うけど、2番の出だしとかは、"あっ、これは自分でも分かる" っていう感じもあるし、本当にシンプルだから、全部が入ってくるんですよね。」

 とくに、サビの「♪ばかね ばかですね」の森山愛子の歌声が、一度聴いただけで覚えてしまうくらい耳に残る。

 「今までの2作、『会津追分』『尾曳の渡し』がすごく難しいなと思ってたんですね……。とくに前作の『尾曳の渡し』は、すごい難しいなって自分の中で思っていて、その2曲があって、この『伊吹おろし』を先生の歌で聴いた時に、最初は、"あっ、歌えるかもしれない"って思ったんですよ。だけど、実際に歌ってみたら、めちゃくちゃ難しくて、"あれ〜?" っていう感じでしたね。歌い込めば歌うほど難しいなって感じてます。」

 たしかに、一度、聴いただけでは、シンプルで簡単そうに聴こえるが、しかし、実際に歌ってみると難しい歌だ。

 「高いんですよ〜この曲。ヒィヒィ言いながら歌ってます……、一曲入魂みたいな(笑)。1回歌ったら、もうクッタクタになりますね。まあ、この曲に限らず、歌う時にはグッと集中して歌うので、クッタクタになるんですけど、とくに、前作の『尾曳の渡し』もそうだったけど、今作も、ヘトヘトになりますね。」

 聴いているぶんには、そんなことは全く感させないどころか、伸びやかな歌声に余裕すら感じる……。さらに、森山愛子の歌で特徴的なのは「裏声」だ。前作『尾曳の渡し』でも、「♪さだめあずける〜」「♪尾曳の渡し〜」などが耳に残るが、今作『伊吹おろし』でも、「夢の跡」「あの夜を」「もう一度」の裏声が耳に残る。ちょっと素人では真似できないような歌声だ。同じメロディの部分でも、たとえば、2番の「♪月日は夢ですか」、3番「♪涙がこぼれます」は裏声を使っているが、1番の同じ場所「♪ヒュルヒュル 吹き抜ける」では、裏声を使っていない。

 「気まぐれで……はっはっはっ(笑)」

 たしかに、メロディは同じでも、この1番の歌詞では、裏声にはしにくい感じだ。

 「ああ……、そうですね。裏声は、いけそうだったら行くみたいな……(笑)」

 裏声は、森山愛子の特徴的な部分で、歌声のいいところも出てている。

 「ホントですか〜? 自分としては、かなり高いし難しいので……。低音があんまりちゃんとしていないので、自分にとってもひとつの挑戦というか……。きっと、師匠の水森先生も、やっとこれぐらいの曲を与えても歌えるんじゃないかっていう、先生の期待もあると思うし、先生から自分に突きつけられた挑戦状じゃないですけど、そんな感じなのかな〜と思っています。」

 

 

2 あまり考えずにシンプルに歌う 〜「最初は考えてないですね…」〜

 今作の『伊吹おろし』もそうだが、この3部作の1作目『会津追分』からは、それ以前の作品と比べて、曲調もグッと大人になった気がする。

 「そうなんですよね。曲がそうなので、自分自身も、ワンステップ、ワンステップ登っていかないと……、『会津追分』があって、ひとつステップアップして『尾曳の渡し』があって、それで、今回の『伊吹おろし』に辿り着けたっていう感じですかね。」

 カップリングの『甲州夢小路』は、マイナー調のアップテンポの曲。サビのメロディが耳に残る夫婦演歌。サビも良いが、サビ前の「♪待ってて良かった あーなたのことをー」のびやかな歌声がいい。

 「ありがとうございます。そうですね……、テンポ感がラプソディみたいな、そんな感じですよね。でも、これも最初聴いた時には、"これはサラッと歌えるな……" とか思ってたんですけど、またこれも意外と難しくて……。意外と手強かったです(笑)。」

 カラオケファンが歌う場合、そのオリジナルの歌手が歌ったお手本がある。歌手も、カバー曲の場合は、見本となる歌があり、それを自分流にアレンジして歌えば良いが、自分のオリジナル曲の場合は、そう簡単にはいかない。何もないところから、自分がお手本を作るという難しさがある。そのために、レコーディングに向けて、どんな準備をしているのだろうか?

 「先生のところで何度かレッスンして、先生に指導していただいて、大きい声では歌えないですけど家でも歌ったりはしてます。でも、歌録りの時には、あんまり……、何か "ココをこうやって歌ってみよう" っていうのは、最初は考えてないですね。歌っていくうちに、"こんな風にも歌えるかな……" とか徐々に変わっていく感じですかね……。なんか無意識なんですけどね……。」

 どうやら、森山愛子の場合、あまり「ココは、こう歌おう」というような演出を事前に考えずに、「素の状態」で歌録りに臨んでいるようだ。無意識だと言うが、きっと、メロディと言葉が、森山愛子に、自然とそう歌わせるのではないだろうか。

 「そうですね……、たしかに、綺麗に言えば、自然と楽曲に導かれている感じというか……(笑)。だから、レコーディングの時が一番シンプルに歌ってると思います。"歌いこんでいくうちに、歌が崩れていく" って、よく水森先生がおしゃるんですよね〜、"あれっ?こんな歌い方だった?" みたいな……(笑)。」

 いいメロディ、いい歌詞、いいアレンジ、そして、それを忠実に再現する技術と、伝わる魅力的な声があれば、それだけですでに感動的に聴こえるはずだ。聴き手にとっては、むしろ過剰な演出は不要で、その作品を忠実に素直に伝えて、再現してほしいものだ。

 「そうなんですよね、シンプル・イズ・ザ・ベスト みたいな。だから、たぶん『会津追分』とか『尾曳の渡し』とかを、カラオケファンの皆様にたくさん歌っていただけたっていうのも、レコーディングの時に、難しく考えずに、深く考えずに歌ったことが、それが、なんかこうカラオケファンの方々には響いたのかなとか思ったりもしてるんです……。"自分でも歌えるかもしれない" みたいな……。もちろん、曲の素晴らしさがありきなんですけど……、かな〜っと思って……。でも、さっきも言いましたけど、本当は、"難しいな〜この曲……" って思ってたんです。」

 いい曲、売れる曲は、イントロからいいものだ。『伊吹おろし』もアレンジが良く、イントロのギターから切ない気持ちになるいい曲だ。

 「ですよね〜、やっぱ(笑)。オケ録りの日、最初に "ジャーン" っていうのを聴いた時に、自分もハッとしたくらいに、"あっ、名作だ!" って思いましたね……自分で言うのもなんなんですけど(笑)。詞があって、曲があって、アレンジがあって、それらがガッチリはまって、そこに自分がスッと入っていくっていう……、なんとも言えない期待感……、自分自身が期待しちゃうような……、"コレは!" って思いましたね。」

 いずれにしろ、前作『尾曳の渡し』と同様に、売れそうな曲だ。

 「売れて欲しいです〜。でも、今、こういう状況なので、これまでみたいなキャンペーンができないから、そこは何かひとつ方法を考えて……、やっぱり、一回も聞いてもらえずに、この時間が終わっちゃったみたいのが嫌だから、なんとかして一回でも耳に入るような方法を考えたいです。とにかく、聴いていただきたいですね〜。」
 「あと、残念なのは、今はこんな状況なので、まだ歌の舞台に行けてない……、岐阜で "伊吹おろし" を肌で感じられてないってことですかね。」

 

 

3 新曲は、その場で覚える 〜「尊重してくれる感じです…」〜

 森山愛子の曲は、企画ものやカバー曲を除き、基本的に、師匠である作曲家の水森英夫が書いている。石原詢子の『みれん酒』や、最近では、山内惠介や氷川きよしの一連のヒット曲を書いている売れっ子作家だ。森山愛子をはじめ、水森英夫門下の歌手は、定期的に水森英夫のレッスンに通っている。

 「最近は自粛期間中だったので、あまり行けてないですけど……。自粛中でなくても、仕事が入っていると、あまり行けないんで、月に1回行ければいいかなくらいの時もあります。週に2回、レッスン日があって、みんなその日に集まってレッスンするんですけど、今は、人を分けて、密にならないようにってやっています。」

 レッスン日が週に2日設定されていて、門下生は、行ける時に、それぞれ自由に集まるらしい。とくに、「誰が、何日の何時から」とか決まっているわけではない。

 「別々に時間が分かれているわけじゃないんです。もちろん、個人的にレッスン行くこともありますけど、ほとんどは、みんな一緒に……、デビューしていても、していなくても関係なく。その時に来ている人が、みんな一斉にレッスン室に集まって、みんなで一緒に発声練習をやって、それから一人一人レッスンをするんです。他の人がレッスンしている時は、見て、聴いて自分の番を待っています。」

 自分がレッスンを受けている間は、他の門下生にも聴かれるわけだから、緊張感があるし、また、聴いている方としても勉強になる。

 「そうなんですよ。指導を受けている人のアドバイスも聞いて、"あ〜なるほど" みたいな……。自分に置き換えて吸収できるというか……。」

 新曲は、その場で、口移しで覚えるらしい。

 「新曲は、私たち弟子たちの場合、先生の家に行って、その場で覚えるんです。先生が、譜面と詞を一緒に渡してくれて、先生がギターを弾きながら歌ってくださって、その場で覚えるって感じですかね。そこで覚えられない場合は、みんな録音しているので、それを持ち帰って聴いて覚えて……っていう感じですかね。ずっとそうですね。先生から音源でもらったってことは今までないです。先生ん家に行って、初めて自分の新曲を聴く……。」

 新曲をもらう時は、「新曲が出来たから……」と連絡があるのだろうか? 

 「あっ、そういう時もありますけど、だけど、レッスンの日に、突然、先生が譜面持ってきて "新曲が出来たんだよ〜" って言って、みんなの前で……って時もあります。今回の場合は、ひとりでした。レッスンて言われて行きました。」

 水森英夫は、昔、「敏いとうとハッピー&ブルー」の初期のメンバーとして活動したのち、「三音たかお」の芸名で『たった二年と二ヶ月で』という曲をリリースしていたこともある。

 「先生は、歌うまいです。指導してくださる時も、実際に歌ってくれるんですよ…… "ここは こんな感じ" みたいに。でも……、先生が、2年くらい前ですかね、ご自身の歌『たった二年と二ヶ月で』をテレビで歌われたことがあるんです。『年忘れにっぽんの歌』だったかな? 美輪明宏さんが是非聴きたいってことで出られて。そしたら、"もう〜緊張した〜!" って言ってました(笑)。"やっぱり人前で歌えるっていうことは、すごいことなんだな〜" みたいなこと言ってましたよ、先生が……(笑)。でも、やっぱり先生スゴイです。もう70歳を越えていらっしゃいますけど、声はよく出るし……、先生ご自身は、出なくなったって言ってますけど、でも先生の声はスゴイです。」

 水森英夫のレッスンでは、あまり細かいところまでは言われないようだ。その歌い手の個性を大事にしているのだろう。

 「新曲をいただいて、2回目、3回目ってなると、やっぱり "ここは、もっと押す" とか "ここは、もうちょっと弾む感じで" とかは言われます。でも、先生がよく言うのは、技術っていうよりは、"ちゃんと声を前に出せ" っていうことが一番なんですよね。だから、最初に、声をひかないで歌えるように、先生が指導してくださるんです。そこから、やっと "ここはもっとやさしく歌ってみたら" とか、そういう提案と言うか、そういうふうに言ってくださいます。だから、先生が全てを押し付けるんじゃなく、自分でやってみて "お〜 いいね〜" とか言われることもあったりして、尊重してくれる感じです。」

 やはり、歌は、その演出よりも、その歌い手の声の良さを最大限に出すことが、まず一番だ。響きの良い声が出ていなければ、いい歌にもならないし、その歌手の良さも出ない。水森英夫も、その歌い手の個性を出すことを、まず大事に考えているのだろう。

 「先生の指導は……厳しいかなぁ〜、昔はもっと厳しかったっていう気がしますけど……。やっぱり、なんですかね……、年数を重ねていくにつれて、徐々にですけど、先生が歌い手として信頼してくれているのかなって感じがあります。委ねてくれるというか……。」

 

 

4 明るいメジャー調の曲 〜「たぶんネクラなんです…」〜

 マイナー調で王道演歌の3部作、その前のシングル、2016年の『待ったなしだよ人生は』は、明るいメジャー調、アップテンポの曲。同じ事務所の先輩、憧れの坂本冬美カバー曲で、水森英夫の曲ではない。

 「なんか、ちょっとリリースがあいた時期だったんですよね……、たしか、3年以上あいたんですよ。その間に、これからどんな方向性で森山愛子を売っていくのかっていうことで、一度、『待ったなしだよ人生は』のカバーに挑戦させてみてもいいじゃないかなって………。なんか、その当時、"こういう明るい曲がいいんじゃない?" みたいな感じだったんだと思うんですよ。」

 デビュー曲の『おんな節』(2004年)もそうだが、明るいメジャー調のアップテンポの曲も、明るいイメージの森山愛子にはよく似合う。

 「自分としては……、自分で自分を分析するとしたら、たぶんネクラなんです。実は、暗い……、はい……。明るく見られがちなんですけど、実は暗いから、自分としては、たぶんマイナーな曲の方が、どん底くらい暗い歌の方が合うのかなって思うとこあるんですね。そういう「暗い歌」好きです……、「暗い歌」って言っちゃうとアレですけど、マイナーな静かな曲とか好きですね。」

 セカンドシングルの『風樹(ふうじゅ)の母』も、メジャー調のいい曲だ。

 「あ〜『風樹の母』はね〜、好きです。好きですけど、コレは……ハタチのころかな? たしかハタチの時に発売したんですけど、その当時の風樹の母』と比べたら、今はもっと違う形になったと思うんですよ。ちょっと早すぎたって、今は思いますね。でも、この曲も大事に歌っていきたい曲です。」

 2006年、4枚目のシングル『おぼろ月夜の上州路』の時には、股旅の扮装で歌っていた。意外と、森山愛子の声の良さがよく出ている曲だ。

 「あ〜、股旅で、笠持って踊りながら歌ってましたね……(笑)。これは、最近は、ステージでもあんまり歌ってないですね……。」

 シングルの作曲は、基本的には師匠である水森英夫の作品だが、作詞家は曲によって違う。しかし、デビュー曲の『おんな節』と、今回の3部作『会津追分』『尾曳の渡し』『伊吹おろし』は、いずれも「麻こよみ」の作詞だ。そもそも、作詞家は、水森英夫自身が指名しているのだろうか?

 「どぉ〜なんでしょうかぁ〜? たぶん、ディレクターさんと水森先生で、だと思うんですけど〜。ご当地3部作1作目の『会津追分』の時は、先生が "追分" って言葉を使った曲にしたいっていうアイディアがあったみたいで、それで、"会津" って言葉が出てきて、麻先生が福島のご出身なんで、それで『会津追分』になったんだと思いますけど。で、自分で言うのもなんですけど、『会津追分』をたくさんの方に歌っていただけたので、それで、"やっぱり次作も麻先生かな" ってことで、ポンポンポンと3部作が麻先生になったんだと思うんですけど。」

 

 

5 「女の "のど自慢" 女子高校生大会」に出場 〜「勝手に応募されてたんです…」〜

 森山愛子は、演歌が好きだった母の影響で、小さい頃から、演歌を聴いたり歌ったりしていた。

 「私が初めて歌ったのが、北島三郎さんの『関東流れ唄』らしいです。2歳の時に、母が車でカセットを流して聴いていたらしいんですけど、そしたらいきなり一緒に歌いだしたそうです……(笑)。そうですね、お母さんは、そういう男性の演歌とかよく聴いてました、北島三郎さんとか鳥羽一郎さんとか。そういう曲を聴きながら、自分も一緒に歌ったりしてましたね。」
 「それと、兄と一緒に日舞をやってて、そこで踊る曲が演歌も多かったし。たとえば、私は、香西かおりさんの『雨酒場』とかで踊ったし、兄が踊った北島三郎さんの『歩』とか、美空ひばりさんの『人生将棋』とか、そういうのを、自然に聞いて覚えちゃってた感じですかね。」

 そんな中でも、とくに坂本冬美の曲が好きだった。

 「ずっと歌ってたのは、冬美さんの『夜桜お七』とか『祝い酒』とかですね。カラオケ大会のステージでも歌ってました。記憶にあるのは…… 5歳ぐらいの時に『祝い酒』を歌ってた記憶があります。ばあちゃん子だったんで、ばあちゃんも、そういう演歌が聞くの好きだったし、冬美さんの歌は、結構、なんでも歌ってた感じですかね〜。」

 小学5年生から中学3年ぐらいまで、地元、宇都宮のカラオケ教室に通っていて、カラオケ大会などでも演歌をよく歌っていたようだ。もちろん、まわりの小学生や中学生と同じく、今で言う J-POP、歌謡曲やポップスも聴いていて、初めて買ったCDは、とんねるず『がじゃいも』と、光GENJI『ガラスの十代』だった。

 「そういうのも聴いてました。小学生の時とか、ちょうど "モーニング娘。" のオーディションをやってた時期だったりして、『ASAYAN』も見てましたよ。応募はしませんでしたけど。」

 中学卒業後は、地元、栃木県の県立高校の社会福祉科に進学した。将来、介護福祉士になろうと思っていたからだ。その頃は、歌手になろうとは考えていなかった。

 「う〜ん……、"なれればいいな" ぐらいですかね。"歌手になりたい!" と思ったことは、実は一度もないんですよね。"どうしても歌手になりたい" って思ったのは、水森先生と出会ってからですね。それまでは、本当に "淡い夢" で……。」

 2000年、高校1年生の夏休みに、日本テレビ『ルックルックこんにちは』の「女の "のど自慢" 女子高校生大会」に出場したことがきっかけで、後に師匠となる水森英夫に出会うことになるが、どういう思いで応募したのだろうか。

 「それは、勝手に応募されてたんです。私の母と、母のお姉さん……私からすると伯母なんですけど、二人で "夏休みにこういうのがあるから" って話して、勝手に予選会に応募してたんです。私は全然知らなくて、予選会がある前日に "あした予選会" って言われて、連れて行かれて……たしか、麹町の日テレだったと思います。」
 「もし、その予選会を通れば、本選はテレビで生放送じゃないですか。高校1年生だったから、"テレビに出るなんてなったら恥ずかしい!”って思ってて、"とっとと予選会で歌って早く帰ろうよ" みたいな感じだったんです。恥ずかしくてもう〜。」

 そこで、島津亜矢の『都会の雀』(作詞:吉岡治、作曲:杉本眞人)を歌った。

 「曲も、勝手にその曲で応募されてたんです。その曲っていうか……、その頃、島津亜矢さんも好きで、島津亜矢さんの全曲集をずっと聴いてて、母とカラオケに行くと歌ってたりしたんで……、それで、たぶん『都会の雀』を書いて送ってたみたいです。」

 実は、その伯母、母親の姉が、歌手を目指していたことがあり、その伯母自身も、昔、同じ番組に出たことがあった。

 「おばさんからしたら、私に夢を託したかったみたいな感じですね……。」

 伯母は、森山愛子の歌手デビューを見て、さぞ嬉しかっただろう。

 「そうです。でも、もう、亡くなっちゃったんですよ……、何年前だったかな……」

 

 

6 憧れの坂本冬美のレコード会社と所属事務所 〜「ガチガチになっちゃって…」〜

 伯母と母に勝手に応募された『ルックルックこんにちは』「女の "のど自慢" 女子高校生大会」の審査員に水森英夫がいた。

 「放送の時じゃなくて、番組が終わったあとで、先生がプロデューサーさんに連絡先を知りたいって聞いたようなんです。後日、先生から直接おうちに電話を頂いたんですけど、出かけてたりで何回か入れ違いなっちゃって、それで、やっと先生とお話できた時に "歌手になる気はない?" って言われたんです。それで、その後、先生のお宅にお邪魔することになって、弟子入りしたというか……。」

 『ルックルックこんにちは』に出た時には、まだ「歌手になれたらいい」という漠然とした夢はあっても、「歌手になろう」とは思っていなかった。だから、運命の出会いだった。

 「そうですね。だから変な話……、自分がもし歌手になる運命なんだとしたら、何しててでもチャンスが来るって、どっかで思ってたんですよね。だから、先生から "歌手になる気はない?" って言われた時に、"それだ!" と思ったんです、その時……。運命的なものを感じましたね。"あっ、やっぱり……" って思いました(笑)、"やっぱり自分は歌手になれる道を辿っている" ってそこで感じましたね。」

 歌手になる人は、何かそういう強運みたいなものを持っているものだ。

 「でも、その時は、福祉の仕事の勉強してましたし、先生から "歌手になる気はない? レッスン受ける気はない?" って言われた時にも、正直、やっぱり、悩む気持ちもすこ〜しありました。でも、先生が "歌うことも、福祉に繋がることだと思うよ" って言ってくださったことで、"やれるとこまでやってみよう" って思って、その時に初めて、"歌手になりたい!" って思いました。」

 そこから水森英夫のレッスンが始まった。15歳、高校1年生の時だった。そして、高校を卒業するまでは、毎週1〜2回、地元の宇都宮から東京に通った。

 「先生から覚えてきなさいって言われて、懐メロをポンポンポンって宿題で出されるんですけど、初めていただいた曲が、『大利根月夜』と『岸壁の母』の2曲でした。それから、『名月赤城山』『赤城の子守唄』『リンゴ村から』『別れの一本杉』……とか、なんかそういうホントに古い懐メロばっかり。そのころの「レッスン帳」を今でも大事に持ってるんですけど、そこに全部歌詞を自分で書いて、それを持って行ってレッスンを受けるんです。」

 レッスンに通いながらも、高校では、もともと目指していた介護福祉士になる勉強も続け、介護福祉士とホームヘルパー1級の資格も取った。一緒にレッスンを受けていた門下生の中には、"君は向いてないね" と言われて辞めていく人も多かったため、常に将来への不安はあったようだ。

 「もし、先生にダメだと言われたら、歌手は諦めようと思っていました……。」

 高校卒業後は、歌手になるべく上京したが、幸い、不安は杞憂に終わり、その頃、すでに歌手デビューの話が決まっていたようだ。まず、水森英夫の家の近くで一人暮らしをはじめ、最初は、近所のドラッグストアでアルバイトをしていた。

 「まず、レコード会社が決まって、それで上京したんです……、ん? 上京してからかな……? どっちだったけな〜?」
 「とにかく、先生のレッスンに通っている間に、レコード会社の人に歌を聴いてもらうっていう機会は、2回くらいありました。でも、最初に聴いていただいた方のところはダメだったんですけど……(笑)。それで、今のディレクターさんに出会って、決まったのが 東芝EMI(現 ユニバーサルミュージック) でした。」

 レコード会社が決まり、同じ 東芝EMI 所属だった坂本冬美の事務所に所属することも決まった。

 「そうです、そこから今の事務所が決まって……、もし、最初のダメだった方のレコード会社で引き受けていただいていたら、今のこの事務所には決まっていなかったですね……」

 子供の頃から好きだった、憧れの坂本冬美と同じ所属事務所で、しかも、同じレコード会社、これも運命的だ。

 「うれしかった〜。初めて冬美さんにお会いした時は、緊張しすぎて、ガチガチになっちゃって……。ちょうど、演舞場で座長公演をされている時に、ご挨拶に行ったんですけど、今まで初めてあんなに緊張しました。」

 トントン拍子で話が進み、高校1年でレッスンを始めて3年9か月、上京してから約1年でデビューすることになるが、所属事務所が決まってデビューまでの間は、アントニオ猪木の事務所でアルバイトをしながら、レッスンに通っていた。

 「社会勉強として、社会を知るって意味で、猪木さんの事務所でアルバイトをしなさいって言われて、それで行きました。事務員として、半年くらい、電話に出たりとかしてましたね。」

 このことがきっかけで、アントニオ猪木が芸名の名付け親となり、「森と山、自然を愛する子」という意味で「森山愛子」と命名された。2004年5月19日、19歳で、東芝EMI(現 ユニバーサルミュージック)から『おんな節』で歌手デビュー。デビューイベントには、アントニオ猪木も駆けつけた。森山愛子はこの年、『第37回日本有線大賞』新人賞、『第46回日本レコード大賞』新人賞を受賞した。
 そして、デビューのちょうど1年後、セカンドシングル『風樹の母』をリリースした翌月、2005年5月7日からは、TBS系テレビ『王様のブランチ』のブランチリポーター(ブラン娘)としてレギュラー出演するようになった。新人演歌歌手としては珍しいパターンだ。

 「最初は、何がなんだか分かんなくて、ディレクターさんとかにめちゃくちゃ怒られてました。正直、"なんで歌い手なのに……" と思っていた時期もありましたけど、やっていくうちに、普通に演歌歌手として活動していたら経験できないようなこともいっぱいさせてもらえました。色んな方にインタビューをさせてもらったりとか、ロケをさせてもらったりとかして、出会いはすごく多かったです。」

 有名な話だが、来日中のシンディ・ローパーとのロケがあり、一緒にライブハウスに行った時に、童謡の『赤とんぼ』をコブシ入りで歌い、シンディ・ローパーを感動させたことがあった。

 「ライブハウスに行くって話になった時、最初は、シンディ・ローパーの『Time After Time』を一緒に歌うみたいなこと言われてたんですけど、それを2〜3日前に言われて、英語も喋れないし、曲も初めて聴いた曲で、2〜3日ずっと聴いたけど覚えられなくて……。それで、"すいません、覚えられませんでした" って言ったら、"じゃあ、その代わりに、何か歌詞を見ないで歌える曲ある?" って『ブランチ』のディレクターさんに言われて、"『赤とんぼ』くらいしかないですかね……" って言ったら『赤とんぼ』になったんですよね。」
 「シンディローパーさんとは、一緒にロケバスとかで移動の時も、"愛子こっちに座りなよ" みたいな感じでご一緒させていただきました。」

 結果的に、『赤とんぼ』がよかった。森山愛子の歌唱力が話題となり、名前も広まった。「愛子」と「コブシ」を混ぜた愛称「愛コブッシー」と呼ばれて愛され、『王様のブランチ』への出演は、2012年3月31日まで、歴代リポーターとしては最長の6年10ヶ月にわたった。

 

 

7 ポップスも歌うが「ド演歌」が好き 〜「心の底で "コブシ回したい!" って思ってて…」〜

 そんな森山愛子も、2004年、19歳でデビューしてから、はや16年になる。後輩の若手歌手も続々デビューし、中堅とも言われるようなポジションになったが、演歌歌謡曲の世界では、35歳は、まだまだ若手でもある。いずれにしろ、難しい時期でもある。

 「そうですね〜、いつまでも、こう……若い気がしている(笑)。でも、あんまり意識してないですかね。なんですかね……、自分がそこまで……16年……、でも、16年って言っても、たった16年ですからね。それこそ、同じ水森門下生の青山くん(青山新、20歳)とか二見くん(二見颯一、21歳)とかと一緒にレッスンしてて、"あ〜 若いな、いいな〜" っては思いますけど、気持ちは変わらない感じです。」

 2016年に歌手デビューした「羽山みずき」は、2015年に日本クラウンの「新人オーディション」でグランプリを取っているが、その時に歌った曲が、森山愛子の7枚目のシングル『東京挽歌』だった。以前、森山愛子が坂本冬美に憧れたように、今度は、憧れられる存在にもなっている。

 「そうなんですよね、『東京挽歌』歌ってくださって……。まあ、う〜ん、なんですかね〜、でも、うれしいですね、そういう自分の曲を歌ってくれる人がいるっていうのは。うれしいけど……、ちょっとお手本みたいに見られてるのかなって思うと、多少、プレッシャーは感じますけど(笑)。番組とかで一緒になると、"ちゃんと歌わなきゃ!" みたいなのもあるし(笑)。」

 森山愛子と言えば、歌う時と、話す時の声のギャップが印象的だ。

 「そうですね、声はね〜、普段の声は変わってるってよく言われます。でも、自分では、生まれて気づいた時からこの声だし、別に意識して声を変えて喋っているわけじゃないから〜。どうなんですかね……、歌うとああなる……。たぶん、この話してる声で歌えって言われたら、意識すれば歌えると思いますけど……。だから、少なからず、自分の中で歌う時には、無意識に切り替えているところはあるんですかね?……。」
 「でも、たしかに、水森先生のところにレッスンに行って、歌ったあとに先生の指導を聞きながら "はい、はい" って返事してるのを録音で聞くと、"なんでこんなに変わるのかな?" って自分でも思いますけどね(笑)。」

 その、話す声とのギャップも楽しいが、歌声はとても魅力的だ。それに、だんだん、そのギャップも感じなくなってくる。テレビ番組などでは、演歌だけでなく、歌謡曲やポップスを歌うことも多い。もともと、ポップス向きの明るい響きの歌声でもあり、リズム感もよく、何を歌っても見事にうまく歌う。

 「いやいや、そんなことはないです。でも、な〜んか、ポップスを言われることが多いんですよね。なんでかな〜、若く見られてるのかな〜っていつも思ってて(笑)。私、ゴリゴリの演歌なのにな〜って思いつつ。もちろん、ポップスも嫌いじゃないですけど、心の底で "コブシ回したい!" って思ってて……(笑)」
 「たとえば、この前『俺の出番はきっと来る』を番組で歌わせてもらったんですけど、そういう「ド演歌」みたいなのを歌いたい気持ちがあるのに、なぜか、歌謡曲とかポップス風の歌を言われることが多いんです。」

 それほどまでに、演歌が好きなのだが、最近、聴いている音楽は、また意外なものだった。

 「あっ、最近は、K-POP とかよく聴いてますね。アマゾン・ミュージックみたいなので。今日も来る時に、聴いてきました。最近、テレビで『Nizi Project』とかやってたじゃないですか、あれに感化されて……(笑)。あのコたちはスゴイ、素晴らしいと思って。」
 「ほかには、アニソンとかも聴いてます。iTunes とかで買ったやつを "アニソン" っていうグループ分けにして、それこそ『鬼滅の刃』の『紅蓮華』とかエヴァの曲、あと、マクロスの曲とか入れて聴いてます。兄が二人いるんですけど、すぐ上の兄が、結構オタクなんですよ。で、お兄ちゃんの車に乗ったら、必ずアニソン流れてるみたいな感じだったし、アニメをテレビで見るのも好きだったし。もちろん、演歌も聴きますけど……フフフ(笑)。」

 昨年、2019年12月には、オリジナル4曲に加え、都はるみ『大阪しぐれ』、平和勝次とダークホース『宗右衛門町ブルース』、原田悠里『木曽路の女』などカバー8曲を収録したアルバム『こころ旅 〜ベスト&カバーズ〜』をリリースした。選曲もさることながら、森山愛子の歌唱が見事なアルバムになっている。

 「このアルバムは、ご当地の歌から選んでいるんです。ファンの人のアンケートを取ったんですよね、森山愛子にカバーで歌わせたい曲ってことで。それで、その上位にあったのが『ひばりの佐渡情話』だったんです。たぶん、テレビで何度か『ひばりの佐渡情話』を歌ったことがあったので、それでだと思うんですけど。」
 「私も、提案はしました、こんな曲はどうですか〜とか。私が言って採用されたのは、冬美さんの『播磨の渡り鳥』かな。冬美さんの曲で、歌ってみたいなと思っていたんで、作曲も水森先生だし。あと『ふたりの大漁節』も提案しましたけど、他の曲とのバランスもあって、『播磨の渡り鳥』が採用されました。」

 

 

8 自粛生活の意外な効果 〜「人に依存しなくなったかな…」〜

 仲の良い歌手の友達を聞いてみた。

 「西田あいちゃん、仲良しなんですよ〜。昨日も、あいちゃんの YouTube 生配信にもコメント入れちゃったし、"見てるよ〜" って(笑)。あと、ちょっと今は活動休止中ですけど、ジェロくんとか。時々、電話で喋ったりするのは大江くんとか。あとは、同じ水森門下の野村美菜ちゃんとかですかね〜。」

 先輩だから、友達というのとは少し違うようだが、市川由紀乃が大好きなようだ。

 「はい、由紀乃さん大好きです。メールのやり取りとかさせてもらってます。お互いにアプリで撮った "ヘン顔" 送りあったりとか実はしてます(笑)。由紀乃さんは、やさしさがたまらなく好きで、包まれちゃう……。」

 新型コロナの影響は別として、今、歌手として楽しいと言う。

 「楽しいです。コロナの影響で、歌えない、ステージに立てなくなっているってい状況は、自分だけのことじゃないですし。歌手に限らず、やりたいことが出来ないって人もいると思いますけど、歌い手としては、マイナスには考えないようにしようと思っています。」
 「だから、今は……、何ですかね……、この16年間は、"ひとりの人間として" っていうよりは、"歌手として" 歩んできた道だと思っていて、それを、今、あらためて、"ひとりの人間としてまた学ぶ"……、成長できる期間かなと思ってるんですよね。」

 「自粛で、こんなに家にずっといたりとか、人と会わない時間があったり、誰とも会話しないから声を発さない日とかもあったりして、本当に外にも出れなかったじゃないですか。じゃあ、そういう環境の中で、自分は家にいる時間、おうち時間になにができるかな?って考えて、"あっ、そうだ! 人間 大森愛美(本名)を、もうちょっと楽しんで生きてみよう!" って思ったんです。」

 「今までは、家に帰ったら自炊するのもめんどくさいみたいに思ってたけど……、起きる時間もバラバラで、寝れるだけ寝ようみたいな生活を送ってたのが、最近は、もう規則正しく "この時間に起きる" って決めて起きて、食事も自分で作って、外出もそんなにしなくなって……、だから、人に依存もしなくなったかな……。」
 「前までは、すぐ誰かと連絡取ってみたり、誰かとご飯に行きたい、誰かと遊びたい……と思ってたのが、最近はなくなって、いい意味で、なんかこう自立の一歩を踏み出せたかなって思ってるんですよ。もともとは、めちゃくちゃ寂しがり屋だから……。だけど、そこから抜け出しましたね……。だから、分かりやすく言うと、"人に依存しなくなった" ってことが大きいですかね。」
 
 自粛生活の意外な効果だが、そうなれたのも、前向きな姿勢を常に持っていたからだ。

 「そうなんですかね……。でも……、だから、悪いばっかりじゃなかったな〜って思います。今は、来るべき時に備えて、ジムにまた通って体力づくりしてるんです。たぶん、久しぶりに立ったステージって、思っきり発散できると思うんですよ。それがすごく楽しみです、自分でそれを期待してます。」

 最後に、今後の夢を聞いてみた。

 「そうですね〜、ずっと言ってることなんですけど……、私、ばあちゃん子だったんです。でも、ばあちゃんが中3の時に亡くなって、だから、歌手になるために東京に通ってたことも知らないし、歌手になったのも知らないんですよ。」
 「その ばあちゃんが、栃木の矢板っていうところにあるお墓に眠ってて、その墓地のすぐ隣に『長峰公園』って公園があるんです。その公園の屋外ステージで歌ってみたいっていうのが夢ですね……、それは、ずっと思ってる実現させたいこと……。」

 「あと、座長公演をやりたいのと、車の免許が取りたいです。車で実家の栃木に車で帰って、ドライブしたいですね。」

 

 

 

(2020年7月13日 / 取材・文:西山 寧)

 

 

 

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