自分の曇った部分にこそSunshineを…。ソロ活動10周年のニューアルバム!

 2023年1月25日に“藤巻亮太”が4th ALBUM『Sunshine』をリリース!今作は、ソロ活動10周年記念となる、約5年ぶりのオリジナルアルバム。先行配信曲を含め5曲の未発表音源を含む全12曲が収録されております。インタビューでは、自身の歌詞を培ってきた経験や景色、思想についてじっくりお話を伺いました。また、待望のアルバムについては歌詞先行公開中のリード曲「Sunshine」、TBS駅伝テーマ曲「この道どんな道」を中心に、歌詞に込めた想いや今のモードを語っていただきました。『Sunshine』というタイトルがふさわしい、現在の彼の言葉を歌詞と併せて受け取ってください。
(取材・文 / 井出美緒)
この道どんな道作詞・作曲:藤巻亮太大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫
僕らやれるはずさ
あらゆる困難をこえて
雨が上がり 虹が架かる
あの 空の向こう
続く道を歩いてゆこう
もっと歌詞を見る
自分のフレームを信頼しているけど、依存もしていると感じた。

―― 亮太さんの歌詞は、四季や日常風景の描写の美しさが大きな魅力のひとつだと思います。その視点はどのように培われたものなのでしょうか。

そんなふうに評価していただけることがものすごくありがたいです。もともと歌詞を書くことはそんなに得意ではなくて…。

―― そうだったんですか。

曲を作るのは好きだったんです。ただ、ストレートな歌詞が恥ずかしかった気がします。嘘っぽいというか。ずっと照れながら書いていく感覚で。だからこそ身近なものに焦点を当てて、乱反射していくように感情が宿っていくぐらいの佇まいのほうが、自分なりに本当っぽかった。風景に心象を託していたんでしょうね。そういうふうに歌詞を書き始めていきました。

―― 人生でいちばん最初に書いた歌詞は覚えていますか?

レミオロメンを結成する前のバンドで初めて作った曲かなぁ。僕は工業大学でコンクリートの勉強をしていたんです。だから「コンクリート」ってタイトルを適当につけて(笑)。歌詞の内容は、初めて免許を取って、地元の山梨から親戚がいる大阪まで車で旅をしたときのこと。車中泊もしたかな。

一人旅って、いろんな刺激が入ってくるんだけど、寂しいんです。よく言われることだけど、人混みのなかにいるほうがより孤独、みたいなね。全然知らない場所で、ひとがいっぱいいるのに、すごく寂しい。そういう感覚を歌詞にした気がします。

―― その曲もやはり「寂しい」という言葉を直接的に書くよりも、風景に託して感情が滲んでいくような歌詞だったのでしょうか。

そうそう。こう…整数じゃないなって思うんです。

―― 整数。

photo_01です。

1とか2とか、そういう整数的な感情って日常にあんまりないじゃないですか。「楽しい!」とかある意味、整数だと思うんですけど。ひとの感情ってもっと割り切れない、無理数である。1.111…みたいな細かい感情で。そういう歌詞を書きたいなと思っていたんです。つまり、すでにできあがっているひとつの概念ではなくて、それにいちばん近いものへ景色を通じて探しに行く感覚で歌詞を書いている感じなんです。それは今もそうかな。

―― 亮太さんは地元が山梨とのことですが、そこで生まれ育って見てきたものも、きっと歌詞に影響していますよね。

はい、間違いなく。山梨は四季がくっきりしているんです。盆地ですし。視覚的にも綺麗なんですよね。春には桃の花が咲いて、夏にはその桃が実って、秋には葡萄もなり紅葉して、冬は南アルプスが白くなって。それに伴って、夏は暑いし、冬は寒い(笑)。家が古い日本家屋だったので、とくに冬なんかは大変な場所でした。でもそんななかで毎日、「はぁ~、早く起きて学校行かなきゃ!」みたいなね。

そういう日々のなかで、五感を通じてくっきりしたものをキャッチしていた気がするんです。ただ当時、それをアウトプットする場所はなかったので、当たり前のものとして高校生まで育って。そして大学に入ってから、初めて曲を作ったんですけど、生まれ育ってきた場所の感覚が言葉にすごく宿っていた気がしますね。小さい頃に刻まれたものって、やっぱり100までもというか。自分の美しいと思う感覚とか、歌詞を書く上で大事にしたい何かを左右しているなと思います。

―― 今年、GLAYのTAKUROさんに取材させていただいたのですがその際、「北海道の自然を歌ってきたGLAYが、頭10年ぐらいのとき明らかに、その貯金を使い切った感はありました」とおっしゃっていたのが印象的で。亮太さんも活動をしていくなかで、そういう感覚ってありましたか?

あー、ありましたね。まず、僕ら「神社時代」というものがありまして。レミオロメンがデビューする前の1年間のことなんですけど。僕は大学を卒業したものの、デビューのきっかけも掴めずにいたので、メンバー3人で腹を決めまして。「東京に出よう!」じゃなくて、「山梨に戻ろう!」って(笑)。

―― 逆に原点に。

そうそう。お金はないけど、スタジオをなんとか確保しようとしていたとき、近所の神社の横に空き家になっている母屋があって。「使っていいよ」って言ってくれたんです。で、スタジオに改装して、ひたすら曲作りをしていく時期があったんです。そこでレミオロメンの「雨上がり」とか「南風」とか、自分たちの武器になるような曲ができていって。4月からその神社時代に入って、8月くらいにはもうデビューのきっかけが掴めていたので、短い時間ではあったんですけど。

実家から近かったので、歩いて神社まで行って、練習して帰ってきてというのを毎日繰り返して。あるときはもう、道端でギターを弾きながら歩いて行って、またギターを弾きながら帰ってくるみたいな(笑)。あれは田舎だからできたことでした。そのなかでこう…「あぁ、道端に苔がむしているな」とか、「あ、入道雲だ」とか、書いた言葉って自分そのものなんですよね。

それがデビューして東京に来て、違うものに囲まれていったとき、なんというのかなぁ…やっぱり感覚が変わっていったとは思います。山梨が“懐かしいもの”になっていくのもあったし。具体的に何が変わったかはわからないけれど、山梨で積み続けていたものとは確実に違っていったな。感覚って一期一会だと思っているので、すべてがそのときならではのものだとは思うんです。

―― レミオロメンとソロの活動期を併せると、もう約20年になりますもんね。いろんな感覚や価値観が自然と変わってきますよね。

20年ってビックリですよね。あと変化でいうと、バンドからソロになったときも大きかったかな。やっぱりバンドって、うまくいく時期もいかない時期も含めて、それでも仲間のために曲を作っている感覚があって。そこから音楽を作るモチベーションをもらっていたんです。でも10年ぐらいやっていると、レミオロメンの藤巻と、個人の藤巻にギャップが出てきてしまうことが多くなり、リアルから乖離していく感覚があって。もっと自分のなかにあるものを吐き出したい、みたいなところからソロ活動が始まったんです。

だけど実際に吐き出してみたら、すっきりしたのもあるんですけど、空っぽになってしまう感覚があった。ソロになって、僕は初めて歌詞に苦しむようになっていった気がします。うーん…、自分だけのために音楽を作るのはすごく難しいなって。改めて、バンドの素晴らしさ、誰かのために曲を作れる強さも感じました。

ただ、そこからソロ活動を続けてきて、たとえばタイアップの曲を頼んでくださる方がいて、そのために作れることとか。ひとと出会っていくこととか。そういうなかで、シンプルなんですけど、自分がミュージシャンとして、ひととして、できることを一生懸命に頑張っていこうと思えたんです。とにかく自分が出せるものを出して、ひとつひとつのことにしっかり答えていこうという気持ちが、自分の大きなモチベーションになったんです。

―― なるほど。バンドからソロになって曲作りのモチベーションの変化もあったんですね。

そう。そしてここ5年ぐらいでもまた変化がありまして。自分が経験値として積んできた世界というか、モノの見方というか、その…フレームですね。自分のフレームを信頼しているけど、依存もしていると感じたんです。ひとって生まれた環境、家族、友だち、文化的なもの、歴史的なもの、経済的なもの、いろんな影響を受けて人格と価値観が形成されていくじゃないですか。それがよすがになって、目まぐるしい社会のなかでも、自分として生きていける。自分を保つことができる。

ただ、こうやってキャリアを重ねながら、フレームがより強いものになってきたとき、逆に自分は世界についていっているのかな、みたいなことを感じて。とくにこの2年、コロナ禍もあり世界の情勢もあり、今まで以上にめまぐるしく世の中が変わっているじゃないですか。それに伴って、自分という人間も変わっているはずなんだから、フレームだって変化していかなきゃいけないんじゃないかって。

ソロになって、多くの方と出会って、そのまわりを取り巻く社会に触れると、自ずと価値観って揺れざるを得ない。そして、自分が採用しているフレームが少し壊れたり、チューニングされたり、再構築されたりして、新しい発見がある。そういうことに気づいたんです。これが今、また曲を作るモチベーションになっているんです。自分が変わっていくことを恐れずに挑戦していきたい。自分のフレームって、変わらずにい続けると、曇っていく部分も作ってしまうものなんだなって、この5年ぐらいで思うようになりました。

―― その「曇っていく」とは具体的にどんな感覚なのでしょうか。

うーん、目の前の出来事とちゃんと出会ってない感じかな。年を重ねるほどに、いろんなことがクリアになっていくと同時に、思い込みも増えていくじゃないですか。だからこそ、出来事と自分の間に「経験」が挟まってしまって、接近しなくても「これはこういうものだ」って価値判断してしまう。あと、そうすることで自分が傷つくことを避けることができてしまう。もしかしたら、そこにある大事なものを見失っているかもしれないのに。

でも、曲を作ると、ひとつのものとすごく向き合うじゃないですか。そこで、「あ、これ自分の経験じゃ測れないんだ」って初めて気づいたり。結局、自分の経験値って過去だから。どんなに過去を足し算していっても、今に届かないことってあるんですよ。だからこそ、作りながら思い込みを捨てていく。そうすると新しいものに気づける。そういうおもしろさを今は感じます。…すごく話が長くなってしまってすみません(笑)。

123