わたしはものすごく小さな穴が好き。

 2022年5月から“植田真梨恵”が、3カ月連続でシングルを配信リリース!5月28日にグランジテイストのギターロック「“シグナルはノー”」、6月29日にメジャー1stシングル「彼に守ってほしい10のこと」のカップリングに収録されていた「ダラダラ」のフルアレンジバージョン、7月24日にこれまで何度もライブで披露している「BABY BABY BABY」を配信リリース。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“植田真梨恵”による歌詞エッセイをお届け!今回は第2弾です。綴っていただいたのは、新曲「ダラダラ」にまつわるお話です。幼い頃に見ていたとある風景。そこに繋がっているかもしれないフェチ。「ダラダラ」の中にある宇宙の謎を紐解くエッセイを、ぜひ、歌詞と併せてお楽しみください。



昔母が父の、背中の、
にきびになりかけている、なるかわからない、硬い小さなものを、
両手の指でぎゅっと挟んで、出していた。
父がこれを読んだら、すごく嫌がると思う。ごめんなさい。
そんな時期が、あった、うちにも。
わたしの小さい頃はたまに見ていた風景だった。
 
時が経って私も、それをするのが好き。
この曲は私が21歳なりたてくらいの頃に書いた曲。
よくわからないけど好きなものって、あって、
わたしはものすごく小さな穴が好き。
例えば蟻の巣とかはわかりやすいかもしれない。
とても小さいのに、とてもまんまるで、どこまで深くつづいているのかわからない。ギリギリ崩れずに、きれいな小さな穴が空いている。
例えばその小さな穴が、例えばおまんじゅうの頭頂部に5つ開けてあって、
とても近い配置で並んでいるのに、
それでいて極めて小さいのに、ひとつひとつの穴が隣の穴と干渉せずにしっかりと穴として在る、なめらかに。
そんなところを想像すると、ほーーーー、と言いたくなる。感心する。ぞくぞくくる。
このぞくぞくはものすごく良いぞくぞくで、不思議で惹き込まれる。なんていうのか、興奮する。
例えばその穴をなにかやわらかいものを使って型で取って、美しく引き抜けたらと想像するとより、ぞくぞくする。
 
この穴についての話を母にしたことはないけれど、その背中の件と繋がっている気がする。
わかりやすいもので類似品をあげるとしたら、
海に行った後、家に帰って頭や背中の皮膚が剥がれるのをどれだけ大きく破かずに取れるかにも近い。
フェチっていうのは「なんで」っていうのが通用しないと思う。なんですきなのって聞かれても、自分でもよくわからない。謎で、謎なのだけど、ものすごく心が動かされる自分がいる。
 
2011年にダラダラという曲ができて、わたしのユーフォリア計画がはじまった。
多幸感、幸福感、高揚感、陶酔感という意味合いのこの言葉がこれについてきているのは、ダラダラという曲にそんなフェチの部分が含まれているからだったんだろう。たぶん。
 
 
今時が経って、そんな風景、二度と見ることはない。絶対に無い。でも、わたしにはフェチが受け継がれている。わたしの中には根付いている。ていうか、いつのまにか目覚めてしまっていた。
 
宇宙の話を聞くのが嫌いだ。
ものすごく大きなものなんだろう、と思う。
想像を絶する。何億光年、何万光年離れた先の死んだ星の光が届いている、なんて話、理解が追いつかなさ過ぎて、なんの話なのかわからなくなってしまうみたい。
そんな話をする人はとても嬉しそうで、嬉しそうに話をされることは好きで、なんとなく聞いているうちによくわからない気持ちになって、嫌いだと思うようになった。
宇宙が無いなんてことは思っていなくて、たぶんある。おそらく地球は青いんでしょう。ブラックホールとか、あるんでしょう。大きすぎて、途方もなくて、見たことな過ぎて、わからないだけ、それで不安になってくるだけ。たぶん私は、こわいんだろうと思う。
 
このダラダラって曲の中には、たぶん宇宙がある。ダラダラだけじゃなく、"シグナルはノー"にも、続くBABY BABY BABYという曲にもある。
小さな部屋と宇宙がなぜだかずっとある。私は宇宙なんて見たことない。よく知らない。深海も知らない。潜ったことない。あんまり潜りたくもない。
でも、輪廻とか遺伝とか、愛とか、恋とか、心とか、そういうものが巡ることを近く近くで向き合って考えるほどに、これは宇宙だな、と思わざるを得ない。
どれも深く知らないし、よくわからない。ただそこに在るということだけが、明らか。
細胞がばらばらにならずひとつにとどまって、個の体を形作っている限り。時間の中で混ざり合って、どうしてか私の中に生きている。
 
そんな昼間の、ラブソングです。

<植田真梨恵>



◆紹介曲「ダラダラ
作詞:植田真梨恵
作曲:植田真梨恵