あの子とあの子とあの子。

 2022年5月から“植田真梨恵”が、3カ月連続でシングルを配信リリース!5月28日にグランジテイストのギターロック「“シグナルはノー”」、6月29日にメジャー1stシングル「彼に守ってほしい10のこと」のカップリングに収録されていた「ダラダラ」のフルアレンジバージョン、7月24日にこれまで何度もライブで披露している「BABY BABY BABY」を配信リリース。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“植田真梨恵”による歌詞エッセイをお届け!今回が最終回です。綴っていただいたのは、新曲「BABY BABY BABY」にまつわるお話。描かれている<あの子>とは…。あなたにとっての“愛おしい命”を思い浮かべながら、この歌詞とエッセイを受け取ってください。



正直なところ彼女は何も覚えていませんでした。
 
あの子は1999年、夏祭りの神社の大きな石段を一段ずつ両足で降り、蒸し暑く黒い夜にたくさんの灯篭が川を流れていくのを見ていました。不思議な夏の儀式に少々の怖さと、夜のおでかけのドキドキの両方を感じていました。家族揃って車に乗って、降りれば大勢の人人人。はぐれてしまわないように母の手を握っていました。
 
あの子は父親の肩の上、くるくるの巻き毛は森永チョコレートの銀色の天使のキャラクターのようでした。部屋の中でならぺたぺた走り回るのに、外で靴を履くとうまく歩きませんでした。その様子をもどかしく思いながら、そして愛おしく思っていました。
 
愛おしいという気持ちがそういうことだとは、その時のあの子にはわかりませんでした。今思い返せばそんな気持ちが愛おしいという名前で呼ばれていることを、今の私が知っているのでそう呼んであげるのでした。
 
あの子は脱衣所の白い床の上、お腹をぺったりと冷たいタイルにくっつけて微睡んでいました。長い毛足がところどころ絡まっていました。でも体を櫛で梳かされるのは基本的にいつも迷惑でした。こんな暑い日はいつも白い床の上で白い体を同化させて溶けていました。
 
あの子がベッドに入ると、白い床を離れてベッドにのぼりました。マットレスの端っこで、あの子の髪の毛が自由気ままに横たわるのを手で押さえながら毎晩目を閉じました。人間にとっては手だけれど、これは手と言うべきか、どちらかと言うとこれは前脚なのでした。
 
あの子と私の家に、女の子が泊まりに来ました。全然違う匂いがするけど、2人は声が似ていました。それ以外は別段どうでもよくて、時々私の背中を撫でたり、高く抱き上げたりしました。あの子は何日かするとどこかへ帰って行きました。ちがうところにおうちがあるのでしょう。
 
あの子は東京に住み始めました。靴を履くと歩かなかったなんてこと、今や本人には覚えもないことでした。大人になるにつれてか、くるくるの巻き毛でもなくなっていました。とてもわがままで可愛いと思っていたあの子は、自分の気持ちをあんまり話さなくなっていました。だけど、カメラに写ると変な顔をしてしまう癖は、変わらずにあの頃のままなのでした。
 
1人で暮らし始めた彼女の部屋に私は、何度か泊まりに行きました。何日かそばで眠って起きて、何も喋らない時間に家族の幸せを感じたりしました。天井を見つめているようで、何も見ていない無の瞬間が10秒ほど続いていました。私はそれを見つめて、きれいと思い、歌を書きました。彼女もまた、歌を歌い始めていました。
 
 
あの子のことを抱き上げているようで、本当のところ私の方が抱きしめられていました。私よりも10倍小さい、いや私の0.1倍ほどしかない体で、自分よりも10倍大きな私のことをあの子はいつも抱きしめていました。命が終わる時もまた、私はあの子を抱き上げたけれど、その最後の瞬間にも彼女は私を抱きしめました。その事にやっと気づいて、これからも私はいつも、彼女にずっと守られていくのかと、母のような大きさを感じたのでした。
 
小さな生きものでした。
あの子も、あの子も、あの子も、小さな生きものでした。
あの子とは、子供の頃の私のことで、
妹のことで、
猫のララのことでした。
 
 
正直なところ、私は何も覚えていませんでした。
この曲を書いている時の気持ちを。
ただただ心に浮かんでくるのは、わたしたちはとても小さき生きもので、命が生きてて、とても愛おしい。これを書いた11年前の私もまた別のあの子となっていて、小さかったあの子やあの子やあの子が、今の私に向かって呼びかけてくるように思うのでした。

<植田真梨恵>



◆紹介曲「BABY BABY BABY
作詞:植田真梨恵
作曲:植田真梨恵