“記憶とは呪いである”という持論
tonari no Hanako
“記憶とは呪いである”という持論
2023年10月11日に“tonari no Hanako”が新曲「金木犀の花の名を」をリリースしました。金木犀の甘い香りを教えてあげれば、金木犀の香りと共に私を思い出す。次の秋、別の人がそばにいても私はあなたの脳に咲き続ける。そんな呪いをかけた歌。少し狂気的にも愛を伝える歌詞、疾走感と共に力強さのあるサウンドで魅せる1曲となっております。 さて、今日のうたコラムでは“tonari no Hanako”のame(Vo.)による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「 金木犀の花の名を 」にまつわるお話です。みなさんには過去の記憶が呼び起される特定の“香り”ってありますか…? また、今回は音声版もございます。本人の朗読でもエッセイをお楽しみください。 過去の記憶を呼び起こすトリガーの最たるものは“香り”だと思う。 初恋の幼馴染がいつも学校でつけていた香水は、 今でも街でその香りとすれ違えばすぐにわかるし、 雨上がりの香りがふっと舞う日には、 「雨の匂いする」って笑い合ったあの人を思い出す。 ベビーパウダーの香りが舞えば、実家の幼き日へと脳がトリップするし、 塩素の匂いなんかしようもんなら、小学校のプールが目の前に現れる。 香水も雨もベビーパウダーも塩素も、 きっと私が生きているうちに絶滅することはないだろうから、 私は一生その香りに付随する記憶を思い出したり忘れたりしながら、生きていくことが確定している。 香りと良い思い出が結びついていれば何も問題ない、むしろロマンチックだ。 だけど、今はもう思い出したくもない人や、黒歴史のような事件と結び付いているともうそれは悲劇以外の何者でもない。 昔は大好きだった香りも、色々な人生経験を経ていく中で苦い思い出と結び付いてしまうこともある。 香りと記憶を切り離して洗い流せたらいいのに、そういうわけにもいかない。 逆に、消そうとするほど強く刻み込まれるような気がして、恐怖すら感じる。 10月上旬の昼下がり、私はとある男性と駅までの道を歩いていた。 ふと舞う甘い風。 甘ったるいようで凛とした、懐かしい香り。 その時、隣から声が聞こえた。 「この甘い花は何?」 この人は金木犀を知らないのか、と一瞬思ったけれど、 男性が花の名前を知らないことは珍しいことではないと思った。 「金木犀だよ、毎年秋に咲く」 「ああこのオレンジのが金木犀ってやつか! 覚えたわ」 「来年にはどうせ忘れてるでしょ」 「いや思い出せる、甘いオレンジの花、金木犀! たぶんね」 そんな会話をした時だ。 ふと脳裏に浮かんだことがある。 この人はもしかしたら、来年も金木犀の甘い香りに触れた時、 その花の名を思い出すと同時に、 その名を教えた私のことも思い出すんじゃないだろうか、と。 もし私のことを思い出さなかったとしても、 私が授けた花の名が、あなたと一生を添い遂げてくれるんだろうな、と。 滅多に触れることのない香りであれば、思い出されることもないだろうけど、 ここ日本で生き続ける限り、金木犀は毎年秋に必ず甘い香りを放ちながら街中に咲く。 香りと共に遺した花の名と記憶は、永遠に巡る四季に乗って、来年も再来年も、二十年後までも、 この人の中に咲き続けるのではないか。 なんだか記憶って呪いみたいだな、って。 きっと来年の秋には、私じゃない他の誰かがこの人の隣にいるんだろうけど、 せめて、自分の一部を相手の中に遺したいと思うのは、たぶん人間の本能だ。たぶん。 そして、何かを教えるということは、相手の中に何かを遺すということだ。 全て捧げて欲しいとは言わない。 他人の心は変え難いことも、交わらない未来があることも解っている。 ただ、ほんの少し、今世で生きる限りの時間だけ、思い出すキッカケを遺させてほしい。 人は忘れられた時に死ぬ、とよく聞くけれど、 であれば思い出してもらうためのトリガーを相手の脳内にこっそり仕込めばいい。 それくらいは可愛い愛錠として大目に見てほしいものだ。 「ちなみに他に知ってる花の名前はある?」 という私の問いに 「うーん、紫陽花と向日葵と、桜、、くらい、全然知らない」 と答えたので、 次の季節は花屋に並ぶポインセチアを覚えてもらおうと密かに思っています。 <tonari no Hanako・ame> ◆紹介曲「 金木犀の花の名を 」 作詞:ame 作曲:ame