笑いながらこの世と人間に絶望している人種について

2023年1月11日に“tonari no Hanako”がMajor 3rd Digital Single「ぜんぶ忘れてしまうって」をリリース!一生、愛する人を忘れないという幻想についてなど、人の本質を提唱した新曲。軽快なリズムに女性の心の芯に刺す歌詞が付け加えられた、ame(Vo.)の真骨頂となる作品に仕上がっております。

 今日のうたコラムでは、そんな“tonari no Hanako”のameによる歌詞エッセイを3週連続でお届け!今回が最終回です。綴っていただいたのは、2022年11月にリリースした楽曲「傷を隠して」にまつわるお話。人と出会い解れ合うことを通して、過去の傷が意味のあるものに、さらには愛しくも思えるようになる。リアルで胸に刺さるこの曲に込められている、自身が“音楽を創り続ける理由”も、歌詞と併せて受け取ってください。



何年か前、当たると評判の霊能師に
「魂に深い傷が付いている」と言われたことがある。
 
当時は何のことかサッパリ心当たりがなかったし
どちらかというと不自由なく生きてきた方だと思い込んでいたので
霊感占いなんて所詮デタラメなんだな、と思っていた。
 
数年後、ひょんなことから突然、
忘れていたトラウマ的記憶がフラッシュバックを起こした。
そこでようやく記憶の彼方に追いやった様々な悲しみを思い出した。
きっと自己防衛の本能で、蓋をしなければ生きることが難しかったんだと思う。
“自らの記憶を消していた”ことにも驚いたが、それ以上に、自分自身のことを自分は全く知らなかったんだ、ということに心底驚愕した。
 
言われてみれば、
自分の意見を殺して上手くやり過ごすのが得意だ。
愛嬌たっぷり中身空っぽの笑顔が得意だ。
明るく礼儀正しく優等生のように振る舞うのが得意だ。
誰かの機嫌を損ねないように、顔色を読み、模範解答を口にするのが得意だ。
そしてずっと“自分”というものがよく分からなかった。
それはそうだ。
本音や本性を後回しにしながら生きてきたんだと、大人になってようやく理解した。
 
“愛や思い遣りを大切に”と道徳の授業で教えられる一方で、
私はそんなふうに生きている大人をほとんど知らなかった。
小学生の頃から心理学の本を読んでいた。今思えば異常だ。
おかげで未だに独身を貫いているが、
私は勝手にそれを後遺症と呼ばせてもらっている。
誰かのせいにでもしないとやってられない時もあるのだ。今はまだ。
 
 
2~3年に1人くらい
「あ、自分と似ているな」と感じる人と出会うことがある。
 
拗らせていて、他人の痛みに敏感で、
他人の顔色を読む天才で、
当たり障りなく誰とでも付き合えて、
後先を考えすぎていて、責任を負いすぎていて、
優しすぎて、臆病な目をしていて、
笑いながらこの世と人間に絶望していて、でも諦めきれなくて、
今にも壊れてしまいそうに見える人。
 
こちらが似ていると感じる場合、向こうも大抵そう感じているらしく、
その相互理解の感覚も流れ込むように伝わってくる。
その瞬間、かろうじて私たちは心のベース(土台)が通じ合ったなとは思うけれど、他人を自分の懐に入れる上での適切な距離感が分からない私たちには、それ以上どうすることもできなくて、ただただ「理解し合える存在の出現」で終わる。
 
人はみな豹変する?
みな表面を取り繕っている?
世の中皆がそうじゃないと頭では分かっていても、今はまだこの壁を越える術を知らない。
 
であれば「理解し合える貴重な存在」を失わないよう適度な距離を保ちつつ、他人と共鳴できる喜びや幸せを噛みしめながら生きるのがベストではないか…と言うのが幸か不幸か現在地である。
 
少なくとも、憎しみ合い歪み合う人生よりよっぽどいい。
あの苦しみの傷跡がなければ、あなたと解り合えていないかもしれない。
こんな曲も書けていないかもしれない。
と思えば、古傷にも意味があったと思える気がする。
他人との距離感が分からない自分が、他人と共鳴するために、これからも音楽を創り続けるのだろうと思う。
 
負け惜しみだとしても、今の私には「誰かと通じ合った」と確信できる瞬間があれば割とそれで十分だと思える。
世の中には、自分と似た人がいる。
きっと似た苦しみも理解してくれる人がいる。
 
そして今宵も私たちは悪夢にうなされながら、かろうじて生きている。

<tonari no Hanako・ame>


◆紹介曲「傷を隠して
作詞:ame
作曲:ame