頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ。

 2017年の今日のうたコラムは、今回が最後!毎日でも、時々でも、読んでくださっていたみなさま、誠にありがとうございます。来年もいろんな歌詞をご紹介して参りますので、何卒よろしくお願い致します。さて、今年ラストは12月31日放送の【第68回NHK紅白歌合戦】に初出場を果すアーティスト、竹原ピストル、WANIMA、SHISHAMOの歌唱曲をピックアップ。歌ネットでも歌詞人気が非常に高い3組です。

 ところで少しお話は逸れますが、今から3年前の2014年、映画『アナと雪の女王』主題歌「レット・イット・ゴー~ありのままで~」が大ヒットしましたよね。ただ、この歌の日本語詞<ありのままの 姿見せるのよ>というフレーズには賛否両論がございました。たとえば当時“美輪明宏”さんは「ありのままのお前がなんぼのもんじゃ」と述べつつ、次のようなコメントを残しております。

なんの努力もしないで、ずうずうしい。
例えば畑の大根だって、
引き抜いて、泥を落として、
皮をむいて、千切りにするなりして、
お皿に盛って、「はい、召し上がれ」って、
それで美味しく受け入れられるんでしょう。
泥だらけの大根を突き出してさあ食えって
失礼だと思わない?
(美輪明宏)

 たしかに【ありのまま】という表現を【変化を止めてしまうこと】と受け取った場合、それは同時に、進歩するための努力を怠っても良いということの無責任な肯定にも感じられるかもしれません。しかし、本来【ありのまま】とは【偽りのない姿】を意味する言葉。では【偽りのない姿】=【変化を止めてしまうこと】なのでしょうか。果たして【ありのままの生き方】=【泥だらけの大根を突き出すこと】なのでしょうか…。

よー、そこの若いの
こんな自分のままじゃいけないって
頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ

よー、そこの若いの
君だけの汗のかき方で
君だけの汗をかいたらいいさ
「よー、そこの若いの」/竹原ピストル

 その本当の意味での【ありのまま】を教えてくれるのが、竹原ピストル、WANIMA、SHISHAMOの楽曲である気がします。まず、竹原ピストルが「よー、そこの若いの」で描く【ありのまま】とは【変化を止めてしまうこと】なんかではないですよね。むしろ<こんな自分のままじゃいけないって 頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ>と。つまり“変化したい”という気持ちを抱きながら行動し、汗をかき続ける泥臭い【ありのまま】=【偽りのない姿】でいいんだと歌っているのです。

どれだけ過去が辛くて暗くても
昨日よりも不安な明日が増えても
悩んだり泣いたりする今日も
進め君らしく 心踊る その先には幸を…
「ともに」/WANIMA

仕事も 恋も 勉強も
一つも手抜きはできないな
明日の自分のためだと思えば良い
泣くのは別に悪いことじゃない
昨日の自分を褒めながら
今日をひたすらに走ればいい
走り方はまた教えてくれる
ヒーローに自分重ねて
明日も
「明日も」/SHISHAMO

 また、WANIMAの「ともに」も、SHISHAMO「明日も」も、それぞれ表現の仕方は異なりますが、おそらくメッセージの根っこの部分は、竹原ピストル「よー、そこの若いの」に通じていると思われます。たとえば、過去が辛くて暗くて、昨日よりも不安な明日が増えて、悩んだり泣いたりするのも【ありのまま】の自分。月火水木金と毎日に必死で、時には泣きながら、時には自分を褒めながら、ひたすらに走るのも【ありのまま】の自分です。
 
 そして、その【ありのまま】を抱えながら、美輪さんの言う『引き抜いて、泥を落として、皮をむいて、千切りにするなりして、お皿に盛って、「はい、召し上がれ」って』誰かに差し出せるうような自分になるために、とにかく懸命に進もう!という想いが込められているのではないでしょうか。今は【泥だらけの大根】でも、いつか【美味しい大根】なるために生きよう。そのための汗や努力や涙を恥じることなく生きよう。その生きざまを【ありのまま】と表現しているのです。

生きて耐えて時に壊れ泣いて迷う影に笑顔咲き誇る
生きていれば…命さえあれば…
「ともに」/WANIMA

 尚、竹原ピストル「よー、そこの若いの」とSHISHAMO「明日も」はプラチナリリックとして、WANIMA「ともに」はミリオンリリックとして歌ネットの歴代人気曲に認定されております。それだけ“変わりたい”と願いながらこの曲を大切に聴いているリスナーが、多いということでもあるのでしょう。大晦日の夜、是非【ありのまま】の自分で、彼らの歌声をガシッと、受け止めてください…!それではみなさま、良いお年を!