コロナ禍での音楽への想い…。10組のアーティストの言葉をご紹介!

 2021年『今日のうたコラム』年内ラスト更新です。今年も様々なアーティストに執筆いただいた歌詞エッセイ。さらに、インタビューや特集、ピックアップ記事などなど、ユーザーのみなさま、ご愛読いただき誠にありがとうございます。そして、様々な形で音楽や言葉を届け続けてくださっているアーティストのみなさま、心より感謝申し上げます。
 
 新型コロナが収束したとは言い難い2021年。それでも、感染症対策を行いながら少しずつライブもできるようになり、2020年よりは光が見えてきた気がしますね。歌ネットのインタビューでは、アーティストのみなさまがコロナ禍にどんなことを感じていたのか、どうやって曲を生み出したのか、語っていただく機会も多くございました。今回は今年のまとめとして、その言葉たちを一挙ご紹介いたします…!



石崎ひゅーい
コロナ禍になって、生活だったり、音楽を作る環境だったり、演奏する環境だったりが変わっていって。そうなったときに、ひとと会えない分、音楽とすごく密になったなと。とにかく音楽のことを考えざるを得ないし、音楽ってどんなときも苦楽をともにするパートナーなんだって思ったんですよ。どんな時代になっても、音楽はそばにいてくれるし、そばにある。要するに音楽と結婚しているみたいなことなのかなって思えたんですよね。

― コロナ禍は、歌詞の言葉選びにも影響がありましたか?
 
めちゃくちゃありました。すごく混とんとしていたし、いろんな弊害がみんなの生活のなかにあったから、そんなときに届けたい歌、届けなきゃいけない歌っていうのは、シンプルなものだろうなと思って。寄り道しないで、まっすぐ心に届くようなものを作らなきゃという意識は強くありましたね。


足立佳奈
とくにコロナ禍は、自分を見つめ直す時間が多くなり、かなり大きな転機になったと思います。しかも20歳になって、2020年にアルバム『I』をリリースしてすぐ、というタイミングとも重なったので。ツアーもできなかったりして、あのときは何をしていいかわかりませんでした。みなさんもお仕事や活動が止まってしまっていたはずなんですけど、自分と同じことを誰もが思っているとは思えずに、「私だけが止まっているんだろうな」って不安に感じてしまって。でも、自分の過去を振り返る機会ができたことは大きかったです。だからこそ今回のアルバムは、私が過去に出会ったいろんな<あなた>に向けて1曲1曲を作ることができました。
 
 
会えないからこそ、想像するしかないというか。「名前がついてないこの気持ちを、どういう言葉にしたら正しく伝わるんだろう」ということをすごく考えていました。あとニュースとかSNSとか、言葉尻ひとつで揚げ足を取られるような風潮もありましたし。失言が許されない。だから作品だけではなく、自分が発信するすべての言葉に対してセンシティブになっていた時期でもありましたね。
 
 
いちばんショックが大きかったのは『ミス・サイゴン』という舞台が中止になったことでしたね。この作品は、1年間オーディションをやって勝ち取った役だったんです。だからもう…積み上げてきたつみきをバーンッ!って払いのけられた感じ。でも誰のことも責められないじゃないですか。なんか、こんなことってあるんだなぁ…って。でもだからこそ「チューリップ」という歌を書こうと思えたんです。ただ生きているって、素晴らしいことなんだなって気づけたから、それを歌にしたくて。
 
 
気落ちしたって言ったほうがアーティスティックですけど、それがまったくなかったんですよね。曲が書けなくなって困っているひとも多いじゃないですか。でも僕は「こんな情勢ごときで曲作りに影響なんてあってたまるか!」って気持ちがありました。
 
― コロナ禍だからこその歌詞を意識されることもなく。
 
全然なかった。そんなんやったら終わりだと思った。そこを気にされるアーティストもいるんですけど、柔道にたとえると、そっち側の方は柔道選手で、僕は柔道家なんですよ。点を取るため、勝つために頭で考えて試合をするのが柔道選手。試合で勝つ負ける以前に、礼節の問題や相手への敬意を重視するのが柔道家。だから僕としては「コロナ禍だから夏の歌を書いてもみんなに受け入れてもらえない」みたいなことを考えるのは違うわけです。そこを創造するのが僕らの仕事というか。だからいつもどおりの自分で今回のアルバムも作りました。
 
 
自分の歌を聴いてくれるひとと会えなくなったことで「自分の仕事ってなんだったっけ?」と思ってきて。作ったものはすごく好きなんですけど、自分そのものをどう抱きしめて生きていったらいいかわからないのが日頃の悩みだったので、ますます自分にできることがよくわからなくなりましたね。だけど、向き合う時間が多かったからこそ、子どもの頃から解消できなかった悩みとか、こう…ラスボスみたいな存在と対峙する1年でした。それはそれで大切な時間だったんじゃないかなと思います。
 
対峙できたからといって、すべてが解決するわけではないんですけど。でもとくにライブって、個人的なことで感情が振り回されているとやりづらいというか。主人公のなかに没頭していきたいと思うので、多分なるべくそのこと以外を考えないようにフィルターをかけてきたんですね。だからライブがなくなったことで、自分のなかに降りていく時間になった気がします。
 
 
平井大
僕はそもそもあんまり人に会うのが好きじゃないから、逆にすごく楽でした(笑)。家からラジオ出演もできるし、出張のときの品川駅の人混みも味わわなくていいし、平和な一年だったんですよね。それに、意外と向き合ってみると、日々の感情って違って。天気によっても大きく左右されますし、飼っている犬と散歩に行くときの気持ちも違う。ちゃんと心にフォーカスしていくと気づくんです。そういう感情の変化は、生まれてくる曲に繋がっていたと思いますね。
 
 
最初は、(コロナ禍を)切り離して作ろうと思っていたんですよね。でも一昨日なんかも、夏の歌を書こうと思って書きはじめたんですけど…。たとえば、みんなでビーチに集まってキャッキャッ的なシーンを描きたくても、「いやコロナだしな…」って。ちょっと制限されている感覚がありますね。どうなるかもわからないし。もしかしたらずっとこのままかもしれないじゃないですか。だからタイトルに「~コロナ終息後~」とか入れようかなとか考えます(笑)。
 
あとつい最近、コロナ禍だからこそ遠距離恋愛をテーマにした歌を書いてほしいという依頼もいただいて。そのときは“離れていても繋がっている方法”みたいなものを歌詞に取り入れましたね。「付き合いたてでまだ写真も少ないから、寂しいときはLINEのトーク画面を見返している」みたいな。そういう“会えないあるある”をたくさん考えて。それもまたコロナ禍に寄り添っているのかなって思います。
 
 
Uru
私の曲は、心の中のジクジクと湿っていて痛い部分に手で触れて撫でるような歌詞が多いですが、素直に涙を流せるような曲も良いけれど、この状況だからこそ、心の底から元気が湧いてくるような前向きな曲も届けたいと思い、作ったりしていました。
 
人と会うことで得ていた自分の感情の気づきみたいものは確かに少なくなっています。でも、毎日のニュースやSNS、自分の元に届くメッセージなどで目や耳に入ってくる、自分とは違う場所でも一生懸命に毎日を過ごしている方の苦しみや痛みを知ると、胸がギュっと狭くなって絞られていくような感覚になります。
 
昨年、悲しいニュースが続いた時期には、ちょうど前回のシングル「振り子」をリリースする事が決まっていて、取材の時にその想いを話していると涙が止まらなくなってしまうほどに、自分の届ける音楽や歌詞のあり方について真剣に考えました。
 
 
このコロナ禍で変な意味じゃなく「のし上がってやる!」とか「俺が天下を取ってやるんだ!」みたいな気持ちが自然とスッと落ち着いて。そして、自分を応援してくれているひとたちが現状、コロナ禍で暮らしをしていて、ひょっとしたら同じようにイライラもやもやしているかもしれないから、何か楽しませることをしてあげられないものだろうかって。これまでの恩返しというか。どうにか全力でみんなの暇つぶしになることはできないだろうかって。そういう意識になっているんですよね。
 
内には向かなかった気がします。とにかく喜んでもらえそうなことを思いついたらやって。無観客配信ライブもその延長線上にあるものだし。だけれども、別に生演奏だろうが、画面越しだろうが、ひとに何か出し物を観てもらうってことへの執着という意味でのギラギラは色褪せなかったかもしれません。常に「何か楽しんでもらおう」という気持ちではずっとギラギラしていましたね。
 


 以上、10組のアーティストの言葉をピックアップさせていただきました。それぞれに異なる想いはありますが、誰もがただただ真っすぐに誠実に音楽と向き合っていたことは同じですね。そんなアーティストたちが2022年はどんな歌詞を届けてくれるのか、今から楽しみです…!それではみなさま、よいお年を。くれぐれもお身体にはお気をつけて。そして来年も何卒、よろしくお願いいたします!