不可触の瞳

 2024年5月22日に“mol-74”がニューアルバム『Φ』(読み方:ファイ) をリリース! タイトルは“光束(光の明るさを表す物質量)”の量記号「Φ」に由来。また「Φ」は直径を表す記号でもあり、アルバムのプロローグ的な立ち位置の1曲目「Φ12」は人間の瞳の直径を意味しております。今作には、この「Φ12」をはじめとして、それぞれの楽曲の主人公たちが自らの瞳で捉えた光をテーマとした全11曲が収録。
 
 さて、今日のうたでは“mol-74”による歌詞エッセイを3回に渡りお届け。第2弾はメンバーの髙橋涼馬が執筆。綴っていただいたのは、収録曲「虹彩」にまつわるお話です。自分ひとりの力では生み出すことのできないひかり。近づいてしまうことを止められないひかり。そんな“ひかり”を込めた歌詞と併せて、エッセイを受け取ってください。



この世界はこんなにもひかりに溢れているのに、ひとたび部屋の明かりを消してしまえば、狭い視界はおろか、自分の身体のどこもひとつも発光していなかった。そうして気がついた。
 
自分は一生、自分の力でひかりを生み出すことはできない。
 
そのことがどうしようもなく悲しく、泣いてしまいたくなった。でも、感情はいつだって身体にうまく伝わってはくれないから、一向に泣く気配の訪れないまま、結局は黙って佇んだまま、いつまでも暗い部屋の中にひとりでいた。
 
だからこそ、ぼくは音楽をつくるようになったのかもしれない。それは映像も浮かばない、手でも触れられない、ただ耳から忍び込む密やかなひかり。
 
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最近、そんなひかりの一つになれるかもしれないと思える曲がひとつできた。「虹彩」というタイトルの曲。
 
瞳には触れることができない。
いや、触れようと思えば触れられると思う人もいるかもしれない。少なくともぼくにはできない、といった方が正しいのかもしれない。
 
その行為に恐れを感じるから? 何かを傷つけてしまうかもしれないから? それとはまた少し違うような感覚がありながら、しかし、結局その違和感が何であるのかうまく判別しない。
 
誰かにとって、恋はそんな瞳のようなものかもしれない。ほとんどの人は、触れようと思えば当たり前に触れられると思っている。しかし自分にはなぜだか到底触れられるとは思えない。
 
それでも、自分にはできないことを、さもできているといった顔をして過ごさなければならない、とも思っている。
それは、ばれてしまうのがこわいから? 無数の瞳に見られているような気がいつまでもするから。
 
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そんな、今までたくさん疎外されてきたであろう心を確かに内包するような、恋の歌が作りたくなった。
 
触れられる人も触れられない人も、等しく自分を重ねられる曲。人が何かを好きになるということ、その中身を細分化してむやみに分け隔てたりしないもの。ペルソナは無数のぼくかもしれなかった。
 
ひかり、としか形容のできない、ひと、もの、気持ちに、いつの日か出会うかもしれない。一度出会ってしまったら、きっと、接近しようとしてしまうだろう。
 
そうすれば、たちまち壊れてしまうことは分かっている。自分には壊さずに近づく術がないのだから。これははじめてなのだから。そこまで分かって、それでも、結局は近づいてしまうことを止められない。
 
だって、ひかりをみつけた時だけは、自分の身体もつられて発光しているような気分になれる。だからみんなひかりが好き。
 
何が発光しているのか、ひかりはそれをうやむやにしてくれる。そこには定義も区別も等しく存在しない、そう思えるほどまぶしく、ひかりは白く輝いているから。
 
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あなたなら、この曲をひかりと受け取ってくれるでしょうか。
淡い期待と、そこに可能な限りの祝福を込めて。
 
<mol-74 髙橋涼馬>



◆ニューアルバム『Φ』
2024年5月22日発売
 
<収録曲>
01.Φ12
02.遥か
03.オレンジとブルー
04.Mooner
05.通り雨
06.BACKLIT
07.虹彩
08.フランネル
09.アンサーソング
10.寝顔
11.R