2025年6月25日に“BURNOUT SYNDROMES”がニューシングル「月光蝶」をリリースしました。今年バンド結成20周年を迎える彼ら。同曲は、バンド結成20周年を迎え“新たな物語の幕開け”を象徴する、幻想的なイメージと力強いメッセージが融合した、バンドの新たな一面を映し出す楽曲となっております。
さて、今日のうたではそんな“BURNOUT SYNDROMES”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。第1弾はメンバーの石川大裕が執筆。綴っていただいたのは、「いい歌詞とは何だろう?」という問いに対する、石川の2つの答えです。そして新曲「月光蝶」でもっともグッときたフレーズとは…。ぜひ歌詞とあわせて、エッセイをお楽しみください。
「いい歌詞とは何だろう?」
自分のバンドで歌詞を書いていない男がこんな問いを立てるのは、お門違いかもしれない。
けれども僕はこっそり研究しているのだ。ベースを弾きながらこそこそと。
20年バンドを続けてきた中で数えきれないほどの歌詞に触れ、そのなかでほんの少し見えてきたことがある。
僕なりの“いい歌詞”には、2つのポイントがあった。
①共感性が高いこと
僕の大好きな和歌を一首、ご紹介したい。
『君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな /藤原義孝』
現代語訳すると――
「君のためなら死んでもいいと思っていたけれど、いざ会えてしまったら……もっと生きたいと思ってしまった」
というような意味だろうか。
これを読んで、「わかる!」と思ったあなたは、たぶん誰かを本気で好きになったことがある人だ。
そして驚くべきことに、この歌が詠まれたのは970年頃。
つまり、1000年以上前の恋心が現代人の心にも刺さる(共感性が高い)ということ。
これはもう間違いなく、“いい歌詞”と呼ぶにふさわしいだろう。
さて、話は変わるが――
最近、僕の推しバンド“思い出野郎Aチーム”さんが、新曲をリリースした。
タイトルは「人生は失敗だった」。
ある日、兄が車を運転しているときにこの曲をかけたのだが、初聴きにも関わらず横にいた兄の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「どうした?」と尋ねると、兄はこう答えた。
「サビの“ある朝、君がやってきた”って歌詞にやられた」
兄には3歳の娘がいる。
そう、その娘が産まれたのが、早朝だったのだ。
その瞬間、僕は気づいた。
この歌は、“子どもを想う親の気持ち”を歌っていたのだ、と。
僕にはその感情はわからなかった。
共感できず、感動もできなかった自分に少し悔しさを覚えた。
同時に、兄の今の幸せを可視化してくれた、推しバンドに対して感謝の気持ちが湧いてきた。
詰まるところ共感性の“高さ”というのは“深さ”にも置き換わるのだ。
人生には色々である。誰かに深く、深く刺さる歌詞もまた“いい歌詞”なのである。
ここで、BURNOUT SYNDROMESの「月光蝶」の歌詞を見てみよう。
不器用なゴブリンと夢を語らって
大人びたピクシーと恋に落ちていく
ぱっと見ではRPGの世界観に迷い込んでしまいそうだ。
だがこの歌詞は、言うまでもなく“人生”を描いている。
僕にとっての不器用なゴブリンも、大人びたピクシーも、確かに存在していた。
あの友達のことだろうか。はたまた、あの女性のことだろうか――。
そう思った瞬間、この歌詞は僕のものになった。
共感のさらに先に、「これは自分のための歌だ」と思える“所有感”が生まれたのだ。
これこそが、「いい歌詞」のもう一つの正体なのだと思う。
②言葉のメロディを尊重していること
このポイントも、とても大事だと思っている。
RAPを勉強していたときに知ったのだが、言葉にはもともと“メロディ”があるという大前提が、作詞においても重要な影響を及ぼすという。
RAP界の神様・Zeebraさんの著書から、こんな例を引用させていただこう。
例)仕草(shigusa)と渋谷(shibuya)は、実は韻が踏めていない。
え? どちらも「i.u.a」の母音で、韻として成立しているのでは? と思ったあなた。
そう、教科書の1ページ目までは、たしかにそう書いてある。
だが、著書を読み進めていくとRAP沼の深さに驚くだろう。
A. 仕草
B. 渋谷
声に出してみると違いが明確になるはずだ。
“仕草”は音が下がっていくのに対し、“渋谷”は音が上がる。
RAPでは母音だけでなく、言葉の“メロディ”まで揃えてこそ心地よい韻が生まれる。
つまり、歌詞を書くうえでも、言葉が本来持っているリズムや旋律感を無視してはいけないのだ。
再び、「月光蝶」の一節に戻ろう。
キミと キミの旅路に幸あれ
この“幸あれ”のメロディと語感の融合に、僕は強く心を動かされた。
“幸あれ”と祈るとき、人はたいてい声を落として、そっと願うように呟くだろう。
その語感とシンクロするように、この楽曲では“幸あれ”のメロディが静かに下がっていき、間奏へと溶けてゆく。
なんて美しいのだろう。
もしこのフレーズが上昇するメロディだったら、きっと同じ感動は生まれなかった。
さて、ここまで語っておいて何だが…
つまるところ僕が言いたいのは――
僕はBURNOUT SYNDROMESのボーカル・熊谷和海の大ファンであるということだ。
いや、メンバーでありながらファンというのも妙な話だが、間違いなく、そうなのだ。
しかも、かなりのガチ勢である。
新曲が出るたびに、「今度はどんな歌詞だろう?」「どんなメロディに乗せてくるんだろう?」とワクワクが止まらない。
そして彼は毎回その予想を軽々と超えてくる。
ずっとファンでいさせてくれるのだ。
だから、僕らは20年続いた。
きっとあなたも、この歌「月光蝶」に自分の人生に重ねる。
ゴブリンも、ピクシーも、誰かの姿をしているだろう。
そして<キミと キミの旅路に 幸あれ>という歌詞を自分と、大切な人に捧げる。
この最高の瞬間を共有できるのが、ライブだ。
史上最高の天才が歌い、
あなたが手を掲げて応える。
その日を、僕は心から待っている。
そして、今この瞬間もバンドは続いている。
1人でも多くの仲間とこのバンドを思いっきり味わいたい。
そのために生きていると言っても、過言ではない。
さぁ今日もまた…
――――始めよう!