2023年7月5日に“挫・人間”が新曲「夏・天使」を配信リリースしました。同曲は渋谷CLUB QUATTROで開催されたワンマンLIVE「挫・人間(新)メンバー募集2023 -バンドやんない?-」で初披露された楽曲で、挫・人間史上初となるサマーソング。疾走感溢れるバンドサウンドとキャッチーなメロディが夏にフィットしており、引きこもりバンドとして夏と無縁の存在であった挫・人間にとっての新機軸となる楽曲に仕上がっています。
さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“挫・人間”の下川リヲ(Vo,Gt)による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、今作「夏・天使」にまつわるお話です。夏と天使という、下川リヲとっての憧れに繋がる、幼い頃の夏の記憶とは…。
バンドマンが夏の歌を制作している時、日本中が冬であることをご存知だろうか。
アレンジやレコーディング、ジャケット制作あれこれ、あらゆる行程を経てリリースされる夏の歌は、夏に作ったんじゃ夏のリリースに間に合わないのだ。
つまり、夏に猛威を奮う人気アーティスト達も、コタツに入ってミカンを剥きながら「真夏のジャンボリー」だとか綴っていたのかもしれないのだ。
事実はどうであれ、少なくとも僕は『夏・天使』という曲を2023年の1月頃に書いた。
なんとなく作ったデモに、これまたなんとなく『夏・天使』と名付けた。
夏と天使は、僕にとって憧れの二大巨頭だ。夏と天使と阪神タイガースの歌しか歌いたくない僕は「これは良い歌詞にせねば」と思う。
ところで、僕は人生の後悔ばかりを歌詞にしてしまうような人間なのだ。それでも出来るだけうつくしい歌詞を書きたいと思った時、いつも手に入らなかったものを書いている。
制作当時、バンドは2人体制になったばかりだったのもあり、リスタートの気分で自分の原点がよく分かるものを作りたかった(そのうち一曲が、前回コラムに書いた『下川くんにであえてよかった』なのだが)。
となると、やはり! 夏である。我々は皆、夏休みにときめくようなメモリアルがなかったせいで読み返す小説や擦り切れたヴィデオに焼かれた物語の夏を生きてしまっている。
そうしていつからか夏の記憶は、憧れの夏と幼い夏の記憶が時間とともに混ざりあい、僕の中で現実と妄想の区別がつかない「何か」になっていた。
例えると、皆さんがインターネットで見たことがある「夏の美しい画像スレ」に貼られる神絵師の夏イラスト、あれは実は皆さんひとりひとりの集合的無意識が作り出した幻想であり、僕の記憶そのものだ。
そしてこれは間違いなく経験したことだが、幼い頃近所に住んでいた幼馴染の女の子と毎日遊んでいた。夏休みは毎日夕暮れまで冒険の連続だった。
オレンジ色の屋根の家を探して町内を歩き回ったり、映画館で貰えるブラックウォーグレイモンのカードを自慢したりした。マクドナルドの油でベタベタな64のコントローラーは「しんだら交代」の誓いで交わされ続けた。
蚊柱たつ下り道を突き抜けたところに廃ビルがあり、ある日ドキドキしながら忍び込んだ。「元の生活に帰れなくなったらどうしよう」と不安になった。だだっ広い空間に立ち止まったきみ、差し込む夕陽が影を伸ばしていく、不意にきみが振り返る。
そのとき何かを言ったような言ってないような、しかしなんとなくこの瞬間を忘れないでいるような直感があり、それはある意味呪いのような形で脳内に残り続けた。
そしてあの日隣にいたきみは、妄想にすりきれて、いつのまにか天使になってしまった。
おれの、夏の天使。
二十歳の頃、彼女と再会した。ふたりで今度は夜のプールに忍び込んだ。水面に月がゆらゆら光っていた。
好きな人の話を聞く。随分と普通な恋をしていた。それでいいのだよ、と僕は思う。
……ということを作っている最中に考えていたのかは謎だが、『夏・天使』はそういう歌である。つまりは青春である。
そして確かなことは、現実と妄想の区別が完全に付かなくなっていることは、作詞にリアリティが出て便利だということである。
ただ、ひとつの真実として、思い出したりもしないのに心の奥底から浮かんでくるような景色や記憶が誰かにとっての天使なのだ。
生きてて良かった思い出は天使になって僕を守ってくれた。この曲を聴いてみんなも心の中の天使と、この夏、再会しよう!
え? 結局全部お前の妄想で共感出来ないって?
バカ野郎!!!!!!!
みんなちがって みんないい
Diversity