下川ちゃんに出会えて良かった!

 2023年4月5日に“挫・人間”が新曲「下川くんにであえてよかった」を配信リリースしました。下川リヲ(Vo, G)とマジル声児(B, Cho)の2人体制になってから初となる新曲。ゴスペルやスポーツの応援を彷彿とさせるコーラスが特徴的な1曲となっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“挫・人間”の下川リヲ(Vo,Gt)による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは新曲「下川くんにであえてよかった」にまつわるお話です。「下川って一体誰なの?」。そう彼女に問い詰められている<僕>の物語の行方は…? ぜひ歌詞と併せて、お楽しみください。



「下川って一体誰なの?」
 
涙目でこちらを睨みつけながら、彼女はスマホの画面を僕に突きつけた。
そこには、昨日自分で書いた『下川ちゃんに出会えて良かった!』と題した、挫・人間への愛を綴ったブログが表示されている。
 
「どういうことなの? もう意味わかんないよ」
 
意味など、もう誰にも分からなかった。
挫・人間というバンドは、何を叫んでいるのかも、行動原理も分からない。僕もどうしてこんなブログを書いたのか分からなかったが、人生を損なっていることだけは確かだった。
 
「こんなの、もう嫌。別れたほうがいいのかもね」
 
「そんなこと……」
 
「下川って誰? 何?! もう疲れた……一緒にいられないよ」
 
ついに泣き出した彼女を前に、現実逃避をするように「下川ちゃんもこういう気持ちだったのだろうか」と僕は考えていた。
 
挫・人間も次々とメンバーがいなくなっていった。
失踪、行方不明、神隠し、誘拐、キャトルミューティレーション……あらゆる不吉な噂が絶えないせいで、下川ちゃんはさながらバンド界のバミューダ・トライアングルといった扱いを受けていた。
 
「何度も私をこんな気持ちにして楽しい? そうでもしないと安心できないですか?」
 
「勝手にスマホ見る奴が悪いだろ……」
 
「最低……いつも不安にさせるから見るんじゃん」
 
「お前さあ、もうマジでうるさいよ。大体僕が下川ちゃんに夢中なことの何が悪いっていうの」
 
「嫌に決まってるよ! 彼氏がそんな訳の分からないバンド聴いてるとか、恥ずかしくて友達にも言ったことないよ」
 
「お前!!!」
 
頭に血が上った僕が彼女に掴み掛かろうとした瞬間、部屋の壁を突き破りながら猛スピードで直進する大型トラックが僕の躰を跳ね飛ばす。
 
その刹那――走馬灯。
 
静寂――
そして悲鳴。
 
不思議と痛みはなかった。茫漠とした時間の感覚だけがひたすらに弛んでゆき、0.1秒すら長い、とても長いトンネルを抜けるような感じがした――。
 
トンネルを抜けると雪国だった。
 
北方前線防衛巨大国家――ガンス・ヴェン・ヴァンタル。
 
貴族中心の政治が行われるこの国は貧富の差が激しく、僕はこの国の貧民街で、貧乏ながらも幸せな農民の子として転生していた。
 
生憎、僕には魔法の才能はなかったが、ファンタジーの世界でスローライフを送っていくのも悪くない。幼馴染同然に育ったハーフエルフのミサーキーの笑顔を見ていると、自然とそんなことを思うようになっていた。
 
でも……
 
そんな日々は……
呆気なく壊されるんだ…………。
 
月夜……ゴブリンの襲撃。
低級モンスターでも、ただの農民には脅威だ。家族が襲われているのに、僕は部屋の隅で怯えていることしか出来なかった。その時。
 
「キャッ……!ゴブリン?!」
 
……?! 怯えたミサーキーの声……。
 
まずい、ゴブリンに気付かれる……!
ミサーキーだけは……僕の命に替えても守らなくちゃ……!
 
意を決して飛び出した僕の目の前に広がる景色は……
撤退してゆくゴブリンたちと、尻餅をついているミサーキー……。
そして……剣と、それを構える、美しい少女の横顔……。
それは、剣と言うには、あまりにも大きすぎた、大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。
 
「怪我はないかニャ?」
 
月明かりに照らされ、少女が振り返る。
彼女は真紅のビキニアーマーを纏い、それと同じ瞳の色をしていた。長い髪に猫耳型のカチューシャを付けた彼女の微笑む口元には、大きすぎる剣に似つかわしくない可愛らしい八重歯が覗いていた。
 
そして僕は……その姿に見覚えがあった。
 
「下川ちゃん……?」
 
「はにゃ? どうしてわっちの真名をぬしは知っているのかニャ」
 
「だって、いくらなんでも別人にしては似過ぎて……」
 
「ふむ…… もしかして、ぬしもまた“挫・人間”なのかニャ」
 
「えっ?」
 
それから下川ちゃんは、この世界に転生してきた人間が僕だけでないことを教えてくれた。そして彼らの共通点は、“挫・人間”に深く関わっていたこと……どうやら脱退したと思われていたメンバーも皆この世界に転生しているらしい。
 
あと、どうやら僕が彼女の真名を呼んでしまったことで、僕らは離れらない契約を結んでしまったらしく、これから僕は彼女の主人“マスター”として共に戦わなければならないらしい、やれやれ。
 
「多分……そっちの世界の“下川ちゃん”が特異点になって、ぬしさまたちを転生させているんだニャ」
 
“挫・人間”……そして下川ちゃん。僕がブログを書いた直後に転生したことはきっと偶然じゃないんだろう。この先に何が待っているのかも全くわからない。
 
「上等だぜ!」
 
僕は拳を握り締め、顔を上げた。この先何が待っていたとしても、楽しみでしかない。僕はこの転生した世界を思いっきり楽しむと決めているからだ。何が起こるかわからないから、人生は面白い。それを教えてくれた下川ちゃんに、いや挫・人間にであえてよかった。文字通り、僕の世界を変えてくれたのだから。
僕は今、不確かだが希望もある未来への第一歩を踏み出した――。
 
 
こういう曲です。聴いてください。

挫・人間 下川リヲ>



◆紹介曲「下川くんにであえてよかった
作詞:下川リヲ
作曲:下川リヲ・マジル声児