別れについて。

 2023年5月11日に“ドレスコーズ”が新曲「最低なともだち」を配信リリースしました。リフレインするシンセサイザーに彩られた、どことなく懐かしさを感じるサイケデリック・ポップな雰囲気が印象的な楽曲。ジャケットは、「エロイーズ」よりドレスコーズ作品を手掛ける漫画家・イラストレーターの不吉霊二 描き下ろしイラストを用いたデザインとなっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“ドレスコーズ”の志磨遼平による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、新曲「最低なともだち」にまつわるお話。今回のコラムを執筆するにあたり、志磨遼平が事前にSNSで質問を募集。集まった多くの質問を踏まえた上で、この曲への想いを明かしてくださいました。歌詞と併せて、受け取ってください。



今年の春、ぼくが恩師のように慕ってきた人がこの世を去った。
 
彼の訃報はある日、真偽不明のままSNSで拡散され、それを受けてぼくと同じように彼を慕う人々が哀悼のメッセージを次々とポストしはじめた。
 
ぼくはそれを、憎々しい気持ちでただながめることしかできなかった。
 
だって、まだ死んだと決まったわけじゃないじゃないか。それをなんだ、みんなきっぱりと、ありがとうだとか、さようならだとか。
 
しだいに、ぼくのSNSのタイムラインは、彼が生前に遺した作品で埋めつくされていった。さながら、突然の回顧展がはじまったかのようだった。
 
そして作品のひとつずつには、彼にまつわる、ぼくの知らない彼のエピソードや思い出が丁寧に添えられていた。
 
彼はぼく以外の人とも思い出があり、彼はぼく以外の人にも愛されていた。
 
あたりまえのことだ。しあわせなことだ。それが可視化されただけのことだ。
 
一昼夜たって、ようやく彼の逝去がただしく報じられ、それをもって彼の不在はゆるがない事実となった。
 
それなのにおさまらないぼくの憎々しい気持ちは、つまり《彼はぼく以外の人とも思い出があり、彼はぼく以外の人にも愛されていた》ことが許せないのだった。
 
なんていやしいこころだ、まだありがとうもさようならも言えないで、ぼくはただ彼をひとりじめしたいだけだった。
 
彼がぼくに与えてくれたものを数える。真っ白な花畑、バルタン星人の爪、血にそまったシーツ、見下ろしたパリの街。アーウィン・ブルーメンフェルド、ジャンルー・シーフ、ピナ・バウシュ。
 
いつもぼくをうつくしいと言っては、そのたびに写真におさめてくれた。
 
誰よりも彼の寵愛をうけたのはこのぼくなのだと、別れの哀しみよりも憎しみにくらむ自分のいやしさがなによりもこたえて、その晩は寝つけぬままに朝を迎えた。
 
思えば、ぼくが親しい人を亡くすのはこれがはじめてだった。自分の歳を考えれば、実にしあわせなことだ。
 
そのうちぼくはこうした別れに慣れてゆくだろうか。この春はいやに訃報が続いた春でもあった。
 
幼い頃は、かつてのスターの訃報をどこか遠い世界の出来事のようにながめていたものだ。
 
それがいつしか、自分すらよく知る著名人のものとなり、自分の思春期をいろどった人となり、やがては自分と親しい人をも侵食してゆくのだろう。
 
死はまるで灯台のサーチライトのように、長く生きた者から順に、まんべんなく我々を照射する。
 
やがてこちら側にも向かって、ぐるりと巡ってきた光とついに目が合ってしまうときが自分にも訪れる、そんなことを思い知る。
 
ぼくは、こうした別れに慣れてゆくだろうか。
 
別れにも慣れたころを《晩年》と呼ぶならば、この春の別れこそがぼくの晩年初日、ということになる。
 
晩年初日に書いた歌。この歌を、そんなふうに呼ぶこともできる。
 
 
2023年 6月 ドレスコーズ 志磨遼平



◆紹介曲「最低なともだち
配信:http://dress.lnk.to/saitei
作詞:志磨遼平
作曲:志磨遼平