人生甘くないからね。

2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットではインタビューも敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。

 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第3弾です。綴っていただいたのは、今作の収録曲「モグモグしたい」に通ずるお話。あるとき気づいた、甘いものとの向き合い方とは。そして、その向き合い方の変化とは…。みなさんはどんなときに甘いものを食べたくなりますか? 



小さい頃は、甘いものを食べるのに理由なんていらなかった。ただ食べたいから、そこに甘いものがあるから、おやつの時間だから、ただそれだけ。それがいつからだろう、何かしらの言い訳をしながら食べるようになったのは。
 
「大人とは何か」という問題について、たまに友人や知人と話をすることがあるのだが、その答えは人それぞれだ。ただ、甘いものとの向き合い方、もしかしたらこれは一つの基準になるかもしれない。大人の定義なんて曖昧だし未だによくわからないが、少なくとも子供の頃は、今より「人からどう見られるか」をそんなに気にしていなかったように思う。でも成長するにつれ、それを基準にファッションや体型、振る舞いなんかについて考えるようになっていった。
 
これが自分でいうと大体高校生とか大学生くらいの時。でも、この頃はまだ大人とは到底言えない自分だった。なぜならそこには美学があったわけではなく、周りと比べて自分がどうかという基準しかなかったからだ。あの子に比べて太っていると思えばわかりやすく食事を抜いたし、毎日アイスを食べている方が先輩から可愛がられるということに気付けば食べてみたりもした。
 
音楽活動をするようになってからもそれは続いた。甘いものというのは人を笑顔にさせる不思議な力がある。MCのトークにしても何にしても、甘いもののこと、とりわけ「甘いものを食べすぎた」エピソードというのは私みたいな者にとってはもはや鉄板ネタのようなもので、場の空気が一気に和むし、みんなが親近感を抱いてくれる。
 
芸人さんやタレントさんのようにいろんな出来事を面白く話せればいいのだが、どんなに憧れたってそう簡単にできることじゃない。その裏にはとんでもない努力と抜群のセンス、生まれ持った華なんかもあるだろうし、小手先で真似なんてしようものなら、滑って転んでさあ大変である。じゃあそういう時にどうするか。たしかなリアルさを持って、私だけが話せるネタってなんだ。そう、自虐ネタである。「私ってこんななんですよ、どうしようもないですよね」という話をすれば、誰も傷つけずにその場をそれなりに盛り上げることができる。
 
こんな文脈で言うと信じてもらえないかもしれないのだが、私は人を笑顔にするのが本当に好きだ。私のライブを見て一人でも気が楽になって帰ってくれたら嬉しいし、それは私の生きがいでもある。だから自分で言うのもなんだが、サービス精神は旺盛な方だと思う。こういう言い方をすると、「サービスしてあげてる」みたいにとられかねないのでこれもまた難しいのだが、そういうことではなくて、多少自分を痛めつけてでも誰かが笑顔になってくれるのなら本当にそれでいいと思う。なぜならその痛みよりも喜びが勝つからである。いや、これもなんか綺麗事っぽく聞こえるか。なんだろう、とにかくある種のアンパンマンイズムみたいなものである。僕の顔お食べ、的な。
 
だから私は一時期、みんなが喜んでくれるならと「甘いものを食べすぎた」(甘いものに限ったことではなかったが)エピソードをよく話していた。そして、嘘をつくのは嫌なので実際によく食べてもいた。味の感想も含めて話さないと、それは話にリアリティがなくなってしまうからである。コンビニで新作のアイスが出れば嘘抜きでその度に食べていたし、スタバのフラペチーノの新味も欠かさず飲んだ。いつの日からか、「仕事のために甘いものを食べる」、そんな感覚になっていた(大前提として甘いものは元々好きではあるが)。
 
でも、人生そう上手くはいかない。繰り返すが私は人を笑顔にするのは本当に好きだし、誰かに喜んでもらうためなら多少の自己犠牲も厭わないタイプだ。でも、自分を完全に殺して演じきれるタイプの真のエンターテイナーではない。自分の中の歯車がギシギシ言い始めたら、それを無視して走り切ることはできない、めんどくさい人間だ。
 
忘れもしない、あれはどこのコンビニにも置いてある某有名メーカーのアイスを食べている時のことだった。夜中に一人部屋でモグモグしながら、ふと思ったのである。「これ、今本当に美味しいと思って食べてるか?」と。甘いものって、自分へのご褒美とか、友達とみんなでワイワイとか、誰かからいただいたとか、そういうもっと特別なもので、美味しいと心から感じられる時に食べるものじゃなかったっけ。そうじゃないとすると、私は一体何のために300kcal以上もするこいつを口に放り込んでいるのだろう。仕事のため? リアリティを持って話をするため? こんな死んだような顔で食べているのに? 笑顔で「つい美味しいから食べちゃうんですよねえ」ってまた話すの? いつからこうなった? と、一気に頭の中をたくさんのはてながワーッと駆け巡った。そして私は泣いた。泣きながらアイスを食べた。人工的な甘さがだけがただ虚しく口の中で広がっていった。それは私が本来甘いものに求める美味しいという感覚とは、ずいぶんかけ離れた何かだった。
 
その頃は精神的にもかなり不安定で、特に仕事のことで悩むことが多く、体型なども異常に気にし始めた時期だった。やがて甘いものを食べることもお酒を飲むことも、何のためにそんなことをするのか徐々にわからなくなり、挙句の果てには食欲もまるでなくなり、体重もみるみるうちに減っていった。その頃のライブ映像を見返すと、全然腹から声が出ていない。でも自分では気づかなかったのだから恐ろしい話である。自虐ネタでいつの間にか自分の心身をこんなにも削っていたなんて、まったく自覚がなかった。あらゆる美味しいものの味がよくわからなくなるなんて、思ってもいなかった。
 
でも、自分にとってはこれがいい転機になった。何が自分にとって本当に必要で、何はいらなかったのかを、じっくり考えるいい機会になった。へんな話、「無理をすると自分はこうなりますよ」というのを、自分の身を持って提示することができたのがよかった。その後どうやって今の状況まで復活したのか、正直細かいところまではよく覚えていないが、間違いないのは自分には音楽があったということである。気持ちよく歌を歌うためにはどうするべきか、長く音楽を続けるためにはどういう自分であるべきか、それを考えていったら答えは自ずと出てきた。頑張ると無理するは違う、頑張るけど無理はしない。人を笑顔にしたいなら、まず自分自身が心から笑える人であること。ただそれだけ。
 
こんなに声が出ないのは嫌だ、だからもう少しご飯は食べよう。自虐ネタを作り出すために気分でもないのに甘いものを食べるのは嫌だ、じゃあ他のエピソードを見つけるために散歩に出かけよう。今日はどうしても甘いものが食べたいという日は、ちゃんと食べよう。そして、そういう気分になる日はどういう日か考えよう。頑張った日だ。自分を褒めてやりたい時だ。あるいは、ムカついた日だ。甘いものでトゲトゲした気持ちをなめらかにしてやりたい時だ。悲しい日だ。甘いもので涙をせき止めないとやっていられない日だ。
 
甘いものとの向き合い方を知ったタイミングで、私は自分との付き合い方を知り、少し大人になったように思う。言い訳しながらでもいい。誰かのためではなく自分のために。日々を心地よく生きていくために必要なものならば、食べればいい。それが続いて最近太ったなとかもし思ったとしても、大丈夫、なんとかなる。自分へのご褒美が続いてそうなったのなら、ご褒美をあげられないような日も絶対にあるはずだから、自然といつか元に戻る。そこの見極めを、自分を甘やかさずしっかりやればいい。
 
ストレスのせいだったなら、それはあなただけの責任ではない。イライラする出来事や、あなたを傷つけた何か、他の原因のせいでもある。甘いものを食べないとやっていられない日だってある。だって、人生甘くないからね。そういう時は好きなだけモグモグすればいい。そして明日から、また切り替えて笑顔で生きていこうじゃないか。

<関取花>



◆紹介曲「モグモグしたい
作詞:関取花
作曲:関取花

◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』
2022年7月6日発売
UMCK-7170 ¥3000+税
 
<収録曲>
1.季節のように
2.ねえノスタルジア
3.風よ伝えて
4.やさしい予感
5.長い坂道
6.明大前
7.ミッドナイトワルツ
8.道の上の兄弟
9. 障子の穴から
10.モグモグしたい
11.青葉の頃
12.ラジオはTBS
13.スポットライト