過去も、変化も、<でも>も、愛し続ける。全13曲入りニューアルバム!

 2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録されております。大人になるにつれ、慎重になってきた言葉選び。経験に伴う、曲作りの変化。そして、頭でっかちでない自然な今の自分だからこそ、届けることができた楽曲たちへの想い。インタビューでは、今の“ありのまま”の気持ちをじっくりとお伺いしました。
(取材・文 / 井出美緒)
明大前作詞・作曲:関取花嗚呼 そのまっすぐな眼差しで 変わらずくれる優しさで
胸が痛い ただ胸が痛いんだ 安心も宝石もあげれない 君一人守れない
だけどごめんねの先は何もない
嗚呼 そしてまた今日が終わる 僕は一人途方にくれる
何もできず 何一つ変われず ロックスターにもアイドルにもなれずに
ただ時が過ぎてゆく いつまでこんなことしてるのだろう
いつまでこんなこと でももっと歌詞を見る
技術に溺れたら、私の好きなミュージシャンではなくなると思った。

―― 花さんには、もう何回も「今日のうた」で歌詞エッセイを書いていただいていますね。どの記事を読んでいても、すごく“ひとが好き”であることが伝わってきます。

それは最近より思います。ひとが好きだな、ひとに興味があるなって。

―― 日々のなかで人間観察などはよくしますか?

あ、人間観察はしません。喋っていれば、どんなひとでも大体は好きになるというか。うーん、観察…。

―― あんまり「人間観察」という言葉自体が…。

photo_01です。

はい、好きじゃないですね(笑)。ちょっと上から目線な感じがして。以前なら、「人間観察しますか?」と聞かれたら、深く考えずに“ひとに興味を持つ”という意味で、「はい」と言っていたと思います。でも、その言葉に乗っかってしまったがゆえに、違う方向に話が行ってしまったり、違う意味で自分を捉えられたりする経験が、大人になるにつれ増えてきて。より音楽や言葉と向き合えば向き合うほど、「あ、これはちょっと違うな」と思う言葉は、避けるようになってきました。

―― 経験や実感があるからこそ、大人になるにつれ、言葉選びはどんどん難しくなっていく気がします。

そうなんですよね。もちろん時代的にもですけど、そのおかげで自分も今まで曖昧にして、「そうですね」と言ってしまっていたことを精査するいい機会になっているなと思います。歌詞面でも、たとえば恋愛とか、男の子女の子に関する話。私はあまり恋愛の曲が多くないタイプなので、まだ直面はしてないんですけど、みんながすごく模索しながら書いていることは肌で感じるものがありますね。

―― 私も曲紹介の際、「女性目線の」「男性目線の」といった言葉を避けるようになってきました。

それはありがたい部分も結構あって。私はわりと歌詞に一人称が<私>も<僕>も<俺>もあるタイプなんですね。でも、今ほどみんながそういう話題を意識しない頃、インタビューとかを受けさせていただくたびに、「これはなぜ<僕>にしたんですか?」とか、「どうして花さんは女性なのに、男性の一人称を使うんですか?」とか聞かれることが多くて。自分はそんなに深く考えたことがなくて、当たり前に出てきた一人称なんですけど。

―― 一人称が<俺>だとしても、ただ曲を作るときに自然に出てきた主人公が<俺>だっただけというか。

本当にそれだけだし、曲を作るひとはみんなそうだと思っていたんです。だからこそ答えに詰まっちゃうことが多くて。それでも以前は、「聞かれたことには、何か答えを見出して言わなきゃ!」って、何かしらはお話していました。ただ、心のなかでは、「ん? なんだろうこの感じは…」ってずっとモヤモヤしていて。なので、それを説明しなくてもいい世の中になってきたのは、私みたいなタイプはちょっとありがたい部分もあるんですよね。

―― 花さんが、自分の言葉や思いを、音楽で表現したいと思ったのはいつ頃からでしょうか。

曲を書き始めたのは高校生の頃なんですけど、表現したい、誰かに聴かせたいというより、自分のためだった気がします。私は学校生活が楽しかったタイプの人間で、学校も友達も大好きだったし、嫌な思い出ってなくて。でも、今も若干はあるんですけど、「こういう私でいなきゃ」みたいなものを勝手に自分に課してしまうんです。意識してやっているわけではなく、家に帰ってひとりになったとき、ドッと疲れていて気づくというか。だから、みんなの「花ちゃん」のイメージと違う自分を残しておくための日記みたいな感覚に近かった気がしますね。

―― ちなみに、いちばん最初に書いた歌詞って覚えていますか?

たしか、「alone」って曲です。まさに“ひとり”っていう。でも今考えると、言いたいことはずっとブレてないかもしれないです。<ひとりで生きて行ける 勝手に思い込むんだ 人ってそんなもの>みたいな歌い出しから始まるんですけど、最後は<こんな私でも 誰かに触れたいと願ってもいいですか>って終わりなんです。その最後のフレーズはすごく覚えていて。根底にあるマインドはあまり変わってないんだと思いますね。

―― 少し話が変わりますが、以前いきものがかりの水野良樹さんと花さんのトークショーにお伺いさせていただきまして。

あ!ありがとうございます!

―― とくに印象的だったのが、「大きく分けて10代、20代前半、20代後半、30代で、書き方が変わってきた」というお話で。そこを細かく聞いてみたいなと。やはり10代の頃は先ほどお話いただいたように、本当の自分を吐き出すというか。

はい、ドロドロッとした感情を出す。膿み出しみたいな感じでした。

―― 20代前半と後半でもかなり書き方は違ったのでしょうか。

20代後半はもうちょっと仕事脳になっていたんです。20代前半まで、着々とCDを出させていただいたり、ライブをやらせていただいたりしていたんですけど、そもそも音楽や私の歌にある程度は興味あるひとが集まる場でやる環境だったんですよね。だから賛否の否を浴びることも実はあまりなかったり、いい意味で無自覚に10代のマインドが残ったままでやっていたところがあって。でも、一歩先の大きいステージに行くためにはもっとたくさんのひとが見ていて、賛否両論がある場所に飛び込まなきゃいけないっていう自覚を持つようになって。

ちょうどテレビのお仕事とかがポコポコ入り始めたのも、25歳以降だったと思います。普段CDを買わない方、ライブにいらっしゃらない方も観る、お茶の間的なところを意識し始めたのが20代後半だったのかな。機会があればよりたくさんのひとに聴かれる可能性があるからこそ、「どういう歌詞がみんなに受け入れやすいだろう」とか、考えるようになっていたと思います。

―― それがまた30代に入って変わってきたんですね。

誰かのために書くことを覚え始めたのが30代ですね。いただいたファンレターに対して、ライブでそのひとの住む地域へ行けない分、曲を作ってお返ししようと思ったり。あと、実体験じゃないエピソードも、自分のことのように考えながら感じながら書けるようになったり。それまでは自叙伝か完全架空小説かどちらかしか書けなかったんですけど、その間のものをじわじわ広げられるようになったのは30歳になってからだったと思います。

一瞬の何かを掴むんじゃなくて、なるべく続く何かを自然にコツコツ拾い集めていくほうが、自分に合っているかもしれないなって。ただ、水野さんとのトークショーをした2021年からもまた変わってきていて…。

―― ご自身の曲作りに対して、「ちょっとテコ入れしなきゃな」ともおっしゃっていましたね。

そうそう。職業作詞家っぽい作り方になっている感覚があって。「もう書けない!」っていうのは抜けて、するする書けるようにはなっていたんですけど、このするする書けている感は私じゃなくてもいいなというか。技術は上がっていると思ったんですけど、技術…いるか?と(笑)。自分の作品作りをする上で、その技術に溺れたら、私の好きなミュージシャンではなくなると思ったんですよね。

―― 今回のアルバムの曲作りの際はいかがでしたか?

それこそ職業作詞家っぽくなりすぎていたところから、頭でっかちじゃなくなっている感がすごくありました。10代の頃、初めて音楽に触れて、何にも考えないで吐き出していた感覚に近い気もします。ギターをポロポロ弾きながら、同時に出てきた歌詞がほとんどなんです。そして、できた歌を聴いて、「あぁ私、本当はこういうことを思っていたんだ。こういうことが苦しかったんだ」って気づく。今回は詞曲同時のみですね。これが理想なんです、私の。理想の曲作りができたアルバムだなぁと思いますね。

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