「私が失ってしまったものがすべてここにある!」って。

―― 今回のアルバムでは、目の前に<君>や<あなた>がいないことが多い気がしました。部屋で待っていたり、頭の中で描いていたり、夢の中で会ったり。でもいないからこそ、相手に対する思いだけが強く伝わってきます。

あぁー、たしかに! 意識してなかったけど、自然に歌を作るとそうなるのかもしれません。たとえば、お買い物をしているときには、「あ、これあの子にあげたい」とか「これあのひと好きだろうな」とか思うんですね。本や漫画を読んでいたら、「これ今、私がグッと来ているところ、あのひとなら共感してくれるだろうな」とか。

別に一緒にいるときにはそんな話もしてないし、わからないのに。そばにいないときこそ、「私、あの子のことすごく好きなんだな」って感じます。で、「あのひとなら共感してくれるだろうな。じゃあ私はあのひとの何に対してそう思ったんだろう」とさらに考えたりして。まさに、いないからこそ思いが強くなりますね。そこも含めて、昔の私っぽい感覚がすごくあります。

―― さきほど、<僕><私><俺>いろんな一人称があるとお話されていましたが、たくさん曲を書いていくなかで、自分の主人公たちにはこういうところがありがちだなという特徴・性質などはありますか?

アルバムによって違うかもしれません。たとえば『きっと私を待っている』ってミニアルバムは、とにかく“ここじゃないどこかに行きたがっている”主人公ばかりだったんです。全曲において。自分自身、当時いた場所に対して、「なんか逃げ出したい」とか、「ここじゃないんだよな」って思いながら書いている時期だったから。主人公の特性はそのアルバムが形になって、初めて気づくことが多いですね。

―― 『また会いましたね』の子たちはいかがでしょう。

うーん、なんでしょう…。このアルバムに関しては、ひとことで言い表せない感じがすごく今の私らしい気がします。きっと今、いろんな場所でいろんな印象を持たれている私がいるので。だからこそ、いろんな主人公がいて統一性がないところが、頭でっかちで書いてない証拠なのかなって。なんか関取花の名刺として堂々と渡せるような一枚がやっとできたなって気もしています。

―― 花さんが、歌詞を書くときに大切にされることは何ですか?

歌っていて気持ちいいかどうか。言葉に出して、流れるように歌えるかってすごく大切で。頭でっかちに書いた曲でも、なるべくそうあるようには書いているんですけど、やっぱりいつまで経っても歌詞を覚えられないんですよ。ワンツアー終わっても覚えられなかったりします。血となり肉とならないというか、暗記ノートを覚えているような感覚。だからひとつフレーズが抜けちゃうと、もう歌が止まっちゃったり。でも今回のアルバムでは、そうなってしまうような歌詞がないので、すごく理想ですね。

―― 花さんにとって、歌詞とはどういう存在のものですか?

photo_01です。

分身的なものかなぁ。いろんな意味での深層心理なんだと思います。歌詞の内容が自分とも限らなくて、「こういう歌詞を書いているということは、誰かの共感を呼べるような歌詞に挑戦してみようというタームであります」みたいな感じ。あと、今回の「明大前」のように、書いたのがすごく前の曲だとしても、今その歌詞を出せることに対しての意味も含まれます。だから恋愛の歌を書いたからって、「すごくいい恋愛をしているんだね!」って言われると、「違います!」っていう(笑)。「今このようなマインドです」というのを提示する分身ですね。

―― 作詞をする際、意識して使わないようにしている言葉はありますか?

あー、<好き>ですかね。<好き>と言わずにいかに表現するか。そういうラブソングが好きなんです。今回だと「青葉の頃」がわかりやすいと思います。だから<愛してる>とかも多分、曲の中で歌ったことはないかなぁ。それは結構意識していますね。

―― 逆に、好きでよく使う言葉は?

<風>を使いがちかもしれないなぁ。今を通り過ぎてゆく、とどまらない感じ、実態がない感じが好きなんです。外を散歩しているときも、風がすごく好きで。いろんなものを感じるじゃないですか。季節の自然の移り変わりだったり、孤独だったり。おうちからカレーの匂いが漂ってくれば、人肌を感じるし。コンビニのおでんの匂いで、「あ、冬になったな」と気づいたりもする。瞬間的にビビビッ!って感じじゃなくて、「なんかいいなぁ」「なんか懐かしいなぁ」という感覚。

そういえばエッセイとか書いていると、わりと自然に、「なんというか、~のような感じ」って書きがちで。多分それって、歌詞で言うと<風>なんですよ。ひとことでは言いきれないけど、何か感じるものはある。あと、受け取り方次第でもありますよね。「今日は風強いなー!」って思うひともいれば、「嫌なこと忘れられるなぁ」って思うひともいる。その語り切らなさが好きなんでしょうね。そういう意味だと、<好き>って使わないってところにも繋がっている気がします。

―― ありがとうございます!最後に、これから挑戦してみたい歌詞を教えてください。

やっぱり歌いながら書くのが理想で、それはいちばん大事にしていくと思うんです。ただ、その書き方だと、Aメロ、Bメロ、サビみたいな構成が知らない間に組まれていて。「1Aでこういう言い方をしたから、2Aは同じような韻の踏み方をしよう」とか、そこも含めて歌っていて気持ちいいんですよね。それはもう感覚に染みついているもので。でも、そうじゃない歌詞を書いてみたいです。パッっと読んで、どこがサビなの?みたいな。

というのも、オードリーさんが司会の『バチくるオードリー』っていうテレビ番組に呼んでいただく機会があって。芸人さんが書いた歌詞に、私がメロディーを乗せて歌うというコーナーをもう何回もやらせていただいているんですね。そこで芸人さんが書いてくる歌詞って、まったく仕事っぽさがないんですよ。本当にぶわーっと思いを書いているんですよね。

―― 音楽的な構成が染みついてないからこそ。

そう、最初は改行もなかったり。それこそどこがサビかわからない。でも、とんでもない熱量が伝わってくるんです。語尾も<です>や<だ>がごちゃ混ぜだけど、読んだときの喰らい方がもう…。「私が失ってしまったものがすべてここにある!」って、かなり衝撃を受けて。楽しかったし、感動したし、あの仕事があったから、「明大前」を今出そうと思えたし、今回のアルバムを作れたぐらいの感覚もあります。そういう歌詞を書きたいですね。

―― 時には、1曲のなかで<君>と<あなた>、ふたつの人称が出てきたり。

そうそう。今の自分が歌詞を書く上では、絶対まっさきに直すんですけど。作詞教室の先生も、「<君>と<あなた>が出てくると、わかりにくくなるから統一しましょう」って赤ペンを入れるじゃないですか。でも本来、<君>だったひとが<あなた>になる瞬間って、日常のなかであるんですよね。愛しさが増した瞬間かもしれないし。距離が遠く感じた瞬間かもしれないし。この主人公の胸がいちばんグワッっとなるのはどこだ?って、本当の意味で向き合う作業も今後必要だなって思いますね。

でも、今の自分がただ詞先の曲作りをやっても、それはまた勝手に、「こういう歌詞の内容だったら、マイナーコードだよな」とかもう同時に脳が変換しちゃうので。歌詞という感覚じゃなく書いたものにメロディーを乗っけるとか。エッセイなのか、散文詩なのか。ためしに俳句や短歌を頑張ってみるのか。そういうものに挑戦してみたいです。


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