心とは。

 2022年3月16日に“LEGO BIG MORL”が、ニューアルバム『kolu_kokolu』をリリースしました。このアルバムは、バンドの結成15周年を記念した、メジャー復帰第1弾作品。昨年配信リリースされた「潔癖症」「愛を食べた」のリマスタリング音源、新曲8曲の全10曲が収録されております。
 
 さて、今日のうたコラムでは、最新作を放った“LEGO BIG MORL”のタナカヒロキによる歌詞エッセイを3週連続でお届け!今回は第2弾です。綴っていただいたのは、収録曲「心とは~kolu_kokolu~」に通ずるお話。どうして彼らはずっと、心や心臓を歌い続けているのか。そして、心とは一体なんなのか。そんな問いを考えながら、この歌詞とエッセイを受け取ってください。



心とはどこにあると思いますか?
誰かを想う頭か、誰かを想うと痛くなる胸か。
 
聴診器を胸に当てる。うちのボーカルの心臓音がマイクを通してパソコンの画面で波形になる。僕らのデビューアルバムの冒頭はドクンドクンと心臓音が聞こえた後1曲目のイントロが流れる。
 
心とか、心臓とかずっと歌っている。僕が歌詞を書いているのでその辺の苦情やご意見は僕に言って欲しい。他のメンバーに責任はございません。LEGO BIG MORLの歌詞は心、心臓などの言葉が多い。生死、光と闇などを歌う僕らにとってそれらを感じる心という概念は避けれないのだ。
 
しかし改めて思った。
心とはなんだろうか。
そんな臓器はないし、気持ちを味わう上では脳がある。
心とはどこにあるのだろうか。
 
もし心臓が打つ鼓動の数が生涯で決まっているとしたら。そんな空想の元、書いた歌詞がある。「end-end」という曲だ。タイトルは終わりから終わりへ。始まりから終わりや、終わりからまた始まりへ、みたいなテーマはよくあるとは思う。しかしこれは「終わりからまた次の終わりへ」がテーマだ。
 
そのテーマと空想を組み合わせたこの曲は、鼓動の数が決まっているが故に心拍数をあげないように生きるのか、短命でもトキメキを追い求めて死んでいくのかという物語である。これもまた心臓の話だ。
 
バンド結成10周年のタイミングでリリースされたアルバム『心臓の居場所』。これは心臓の“場所”ではなく“居場所”なのだ。心臓というものに人格があるが如く、僕という人格の中にまた小さな心臓という人格があるが如く。彼はここにいるよと毎日、毎秒、胸の少し左側で叫んでいる。 その叫びはトキメキとも呼ぶ。ドクンドクンと。
 
心とはなんだろうか。15年も心を歌っているのにまだわからない。まず「心」の語源を調べてみた。禽獣の臓物を見てコル(凝)やココルなどと言ったことが始まりとある。後に、人の内腑の通称を経て精神を表す意となった。諸説あるそうだ。昔の人は心が内臓に関与すると考えていたのだろうか。
 
何も壮絶な死生観ばかりを歌いたいわけではない。心や心臓というと、どうしても壮大で厳かな雰囲気を纏ってしまう。しかしコーヒーを飲んだり、ソファに寝そべったり、電車に揺られたり。そうしながらもこれを読んでいるあなたの心臓は今も脈打っているのだ。それは日常の話だ。 
 
LEGOは心とか、心臓とかずっと歌っている。それはLEGOは日常をずっと歌っているということなのだ。喜怒哀楽も、恋も、美しい景色も、底がないような絶望も、ドラマも、それは全て日常の中にある。それを掬い上げ歌詞にしているつもりだ。
 
これは答えではない。
たぶん死ぬまで答えを導き出せない。 
それでも書き続ける。 
 
15年間書き続けて、今提示できるものが「心とは」という曲の歌詞にある。明日には違うことを書いているかもしれない。その矛盾や揺らぎすらも「心」みたいで愛おしい。 

<LEGO BIG MORL・タナカヒロキ>


◆紹介曲「心とは~kolu_kokolu~
作詞:LEGO BIG MORL
作曲:LEGO BIG MORL

◆New Album『kolu_kokolu』
2022年3月16日発売
 
<収録曲>
1. ラブソングを聴いてしまった
2. Hello Stray Kitty
3. 潔癖症 (Remastered version)
4. 心とは~kolu_kokolu~
5. Gradation~多様性の海~
6. 痛い春
7. アソビ
8. 愛を食べた (Remastered version)
9. 分かつ
10.タイムマシン