さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放つ“postman”の寺本颯輝による歌詞エッセイを3回に分けてお届け。今回は第2弾。綴っていただいたのは、新曲のタイトル「アネモネの根」にも通ずる3つの“ご自身のルーツ”について。その二つ目はお笑いのお話。ミュージシャンとお笑い芸人の共通点とは…? 是非、歌詞と併せてお楽しみください…!
~歌詞エッセイ第2弾~
どうもお世話になってます。postman・寺本颯輝です。8月25日、配信シングル「アネモネの根」遂にリリースされました。もうお聴きいただけたでしょうか? シンプルで骨太なサウンドに、苦悩の中で見つけた前向きかつ気楽な詞を乗せた、正に自分の根っこを音にしたと言えるような潔い楽曲が出来上がりました。
このコラムでは「アネモネの根」に寄せて、寺本颯輝の根っこ=“ルーツ”、そう「テラモトの根」について書かせていただいております。ダサイのはわかってるって。引き続き廊下に立ってなさい。
では第二回である今回は二つ目の「テラモトの根」、“お笑い”について。音楽の次に好きなものは何かと問われれば、真っ先にお笑いと答えるだろう。それは音楽、そして第一回で書いた野球と同じく両親が大好きなもので、物心つく前からいつも側にあったのだ。
漫才、コント、新喜劇、大喜利、モノマネなどジャンルを問わずお笑い番組が大好きな一家で、毎晩食卓のテレビは何かしらのお笑い番組だった(しかし昨今はネタ番組がめっきり減ってしまった為、家族で食卓を囲む際「今日は◯◯年のにしよっか」と過去のM-1 グランプリをリアルタイムさながらの雰囲気で楽しんでいる)。
そこで今回着目したいのは、ミュージシャンとお笑い芸人の共通点である。一つ目は“ライブを中心としていること”、二つ目は“センスと技術のバランス”、三つ目は“世代による需要と供給の変化”、四つ目は“即興的な発想力”、最後に“流行や大衆性に対する模索と葛藤”。
細かく見ればもっと沢山あるが、大きく分けてこの五つが特に共通していると考えた。ライブハウスと劇場。曲とネタ。ブルースと寄席。ジャムとアドリブ。メジャーシーンとテレビ。
この中で最も深く触れにくい問題ではあるが、この場で敢えて赤裸々に語らせていただきたいのが、最後に挙げた“流行や大衆性に対する模索と葛藤”について。これは今回リリースした「アネモネの根」とも深く関わってくる事柄であると思う。
「売れる為にはわかりやすく!一人でも多くの人の好みに合うように!そう、そうそう!流行りも忘れずに取り入れるんじゃ!」
と、同時に
「自分のやりたい事を貫け!他人に惑わされるな!そう!ん、いいや!あ、そう!わかる人にだけわかればいいんじゃ!」
といった具合で、天使でも悪魔でもない自分の中に住み着く頑固腹巻きおじさんが取っ組み合いを始める。誰にも真似できないオリジナリティや、ルーツによる自分の好みの部分を欠かずに、一人でも多くの評価を得る為には何を意識すべきか。ミュージシャンもお笑い芸人も良いものを作る為、これが最も悩む所ではないのだろうか? しかし考え過ぎもよくない所も共通点である。あくまでもユーモアの上で藻掻き、悩み、苦しみ、生み出すのだ。
漫才を観に一人で大阪へ行った時の話を。隣に座っていた女性も一人で来ていて、その方は何となくお笑いライブへよく行くように見えた。全出演者の全ボケ、全ツッコミを声に出して笑っていたからだ。その姿は、お目当ての出演者を観に来たというより、心からお笑いそのものが好きな方なんだな、と思った。そして、その方と同じタイミングで声を出して笑った時、どこかで感じたことのある気持ちになったのだ。
名前も年齢も知らない人とタイミングよく声が重なり合うその瞬間は、まるでライブの大合唱のようで感動を覚え、その時、「この人といま同じ気持ちなんだな」と思うとどこか嬉しい気持ちになり、その後は僕も人目を少しもはばからず、大きな声で笑っていた。音楽で擦り減らし、忘れかけていた大切な気持ちをお笑いライブで思い出せた気がした。
現在、皆と声を出して歌うのは難しいご時世になってしまったが、皆の中でもこんな気持ちが生まれる瞬間を想像して曲を作り続けようと思います。ちなみにその日の僕のお目当ては、祇園、ニッポンの社長、見取り図、銀シャリでした。最高に良かった。
第三回へ続く。
<postman・寺本颯輝>
◆紹介曲「アネモネの根」
作詞:寺本颯輝
作曲:postman