さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った関取花本人による歌詞エッセイをお届け! なぜか「麺が上手くすすれないのである」と幕を開けるエッセイ…。このとある“問題”が音楽や歌詞にどう繋がっているのか。ラーメンが教えてくれたこととはいったい何なのか。是非、最後までお楽しみください…!
~歌詞エッセイ:「ラーメンが教えてくれたこと」~
麺が上手くすすれないのである。
その事実が発覚したのは少し前、友人たちと飲んだあとのことだった。飲み会解散後、終電を逃してしまったためタクシーを拾えそうな場所まで一人で歩いていた時に、私は出会ってしまった。
ネオン街の中でもひときわ輝くその看板には、筆を投げつけたかのような文字で“濃厚”と書かれていた。私は見て見ぬふりをしようと思ったが、漂ってくる圧倒的な獣の香りと、店外まで響き渡る威勢の良い店員の声、店から出てくる人々の満足気な顔を見ていたら、そんな気持ちはすぐに揺らいでしまった。
そうは言ってももう29歳、体型や肌荒れなどいろいろと気になってくる年齢である。とりあえず一旦落ち着こうと思い、深呼吸をすることにした。しかし大きく息を吸い込んだその瞬間、冷え込む夜の空気を切り裂いて、豚骨ラーメンの匂いが私の全身に入り込んできてしまった。
もう抗うことは不可能だった。私の脳が、身体が、舌が、そいつをくれと叫んでいた。そして気付いた時には店内で「マー油豚骨ラーメン、濃いめで」と注文していたのである。
やがて到着したラーメンのスープを口にすると、にんにくの香りとマー油の旨味がいっぱいに広がった。ああ、懐かしい…と思った。
大学生の頃、よく深夜にみんなで食べに行っていたあのラーメン屋も、マー油豚骨ラーメンだった。マー油と豚骨スープが絡みついた中太麺を、男の先輩に負けないくらい荒々しくすすっていたあの日々。私はそんな思い出ごと吸い込むように、思い切り麺をすすった。
しかし、何かがおかしかった。思っていたのと違った。ラーメンではない、私が、である。たしかに勢いよくすすったはずなのに、豚鼻が鳴るばかりでまったく麺が入ってこなかったのだ。
おそらく、ここ数年糖質を気にしてラーメンをほとんど食べていなかったのが原因だろう。どうやら知らない間にすすり方をすっかり忘れてしまっていたようである。前は楽々できていたことでも、しばらくサボっていたりすると、やり方なんて意外とすぐに忘れてしまうものなのかもしれない。
それからというもの、私はインターネットで麺のすすり方を調べたり、動画サイトでラーメンを綺麗にすする人の動画を見たりして日々研究に勤しんでいる。もちろん、実際にラーメンもよく食べている(健康に無理のない範囲で)。
そのおかげか、お世辞にもまだ決して上手いとは言えないが、少しずつスムーズにすすれるようになっている気はする。やはり何事も積み重ねが大切なのだと実感した。
よく考えたら、それは音楽にも言えることである。ギターも、歌も、いきなり上手くできるものではない。続けてこそ、やっと形になるものだ。
もちろん歌詞もそうである。こうしてくだらないことから学ぶことだってあるし、物語が生まれることだってある。でも、大抵のことは忘れてしまう。だからこそ、コツコツと書き溜めて行くことが大切なのだ。
もうすぐ四月がやって来る。花の色、雲の形、豚骨ラーメンの匂い、なんでもいい。些細なことに心を揺らしながら、できれば文字にしながら過ごして行けたらと思う。私にとっては20代最後の春だ。特別なことがあってもなくても、それがいつか歌になればいい。
<関取花>
◆New Mini Album『きっと私を待っている』
2020年3月4日発売
UMCK-1652 ¥2,300+税
<収録曲>
1.「逃避行」
2.「はじまりの時」
3.「街は薄紅色」
4.「考えるだけ」
5.「青の五線譜」
6.「家路」