
今月のスポットライトは、1位獲得週数12回の「沢田研二」さんを取り上げます。



タイガース解散後、1971年11月に「君をのせて」でソロデビューした沢田研二。「危険なふたり」「時の過ぎゆくままに」などヒットを放ち、俳優としても活躍。1977年に発売した「勝手にしやがれ」は大ヒットし、各賞レースで大賞を受賞。同年年末には日本レコード大賞を受賞し、ついに歌謡界の頂点を極めた。「ザ・ベストテン」放送開始時の1978年1月は、そんな「勝手にしやがれ」に日本中が沸いた余韻が残る中であった。 発売から既に4カ月が経っていた「憎みきれないろくでなし」は2週のみランクイン。しかしながらこの時期の沢田研二のシングルにおいては、異端とも言える楽曲である。歌詞は、気ままに奔放に生きる男の気障な台詞を交え、そんな男を「ろくでなし」と軽蔑しながらも憎みきれない、女の問いかけを歌った内容。やや奇抜なコード進行とメロディが斬新で、サウンドはロックテイストが非常に強く、ハードなギターとベース、歌のフレーズの合間に入る派手なホーンセクションがカッコいい。 曲によって様々にビジュアルを変えて強烈な印象を残した沢田研二だが、この曲を歌う際の彼はレコードジャケットとはかなりかけ離れている。外国のポリスの白い帽子を斜めに深々とかぶり、襟元を大きく開けた白いシャツ、細く黒いネクタイをルーズに締め、サスペンダーで吊った黒い革パンツ。片耳に光るのはカミソリのイヤリングと、退廃的な雰囲気が漂う。小道具として煙草を持つことも。きっちりスーツを着ていた前作「勝手にしやがれ」とは対照的であった。
初回放送から沢田研二は「ザ・ベストテン」の常連であったが、すぐには1位を獲ることができなかった。この時期、彼は番組内で「早く一等賞をとりたいですね」と発言している。1位でなく「一等賞」。その言葉が司会の久米宏と黒柳徹子のツボに入ったようで、その後もこの番組において沢田研二に限っては「一等賞」という言葉が使われることになる。また「一等賞」になることを望む彼の気持ちを反映するように、ボードを作って曲順位の推移を折れ線グラフで示す、という演出が加わった。この番組において「折れ線グラフ」は、沢田研二にとって必須アイテムの一つとなっていく。本人が中継先でグラフのボードを持って歌ったり、スタジオ内に幅数メートルもある巨大なものが作られたりしたこともあった。
→ジャケ歌 沢田研二特集