鬱って英語でなんて言う?

 シンガーソングライター“ヒグチアイ”がこの夏、ラブソング三部作を立て続けにリリースしました。第一弾は2023年7月26日にドラマ『初恋、ざらり』エンディングテーマ「恋の色」を。第二弾は8月9日に映画『その恋、自販機で買えますか?』主題歌「自販機の恋」を。そして第三弾は8月30日に映画『女子大小路の名探偵』主題歌「この退屈な日々を」をリリース。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな“ヒグチアイ”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。今回が最終回です。綴っていただいたのは、新曲「この退屈な日々を」にも通ずるお話。かつて、ヒグチアイの日常のなかにあった、とあるインドカレー屋。みなさんにも、自分自身の物語にとって、ちょっと特別な場所ってありませんか…? ぜひ歌詞と併せて、最後までエッセイをお楽しみください。



何年か前、わたしはインドカレー屋にいた。帰国子女の友達を連れて。
 
一緒に住んでいた恋人が特大の鬱を患って、突然入院した。「あ、なんかおかしいぞ」となってから瞬足で「絶対やばい」に突入したため、病院に連れて行くと着の身着のまま入院することになった。帰ってくるのはそこから随分先のことで、その間にそいつがTSUTAYAで借りた漫画を部屋で見つけて返却しに行ったら10000円だったり、スマホの持ち込みが禁止だったのでテレホンカードを買いに行ったり、当分復帰できない旨を仕事先に伝えたりしていた。
 
そいつが働いていた店の一つにインドカレー屋があった。何度も食べに行ったことのあるインドカレー屋は年中無休通し営業で、一度店の名前が変わったが人も内装も何も変わらないという、体力と気力が無尽蔵の店だ。ランチタイムに行けばたくさんの客がいたが、ディナータイムは客が1人もいないというインドカレー屋あるあるにしっかり当てはまるこの店がわたしはとても好きで、昼でも夜でも食べたくなったら行っていた。
 
ウーバーイーツがなかった時代。そこでデリバリーを始めるということで、彼氏が配達要員となって働いていた。普通のママチャリで配達をしていたので間に合わないことがあり配達先でよく怒られていたが、そんな時でも店の人は怒ったりしなかった。
 
そんな愛に溢れるインドカレー屋にも、当分働けないことを伝えなければならなかった。日本語があまり達者でない人たちだったので、英語が喋れる友達に来てもらった。

ランチのピークが過ぎた時間に行ってカレーを二つ頼む。そこで店長らしき人(多分店長という概念がなかった気がする)に「彼氏が勝手に仕事休んでごめんなさい」ということを英語で伝えてもらう。何かあったの? という顔をする店長。「鬱…鬱って英語でなんて言う?」「いや知らん」「心の病気になって」「心の病気になって(英語)」「お仕事をお休みさせて欲しいんです(英語)」と言うと、店長は少し無言になり厨房の方に行ってしまった。友達と怒ってるのかな? と顔を見合わせる。と、店長が手にラッシーを二つ持って帰ってきた。「これサービス」「〇〇(彼氏の名前)に元気になって、って伝えて」というと少しだけニコッとした。
 
その後一度も行くことはなく、彼氏とは別れて、その街にも行くことはなかったけれど、あの地下にまだきっとあるインドカレー屋は誰かの生活の隣にいるんだと思う。
 
誰にでもある、だけど誰にもないわたしだけの物語を少しだけ支えてくれるんだ。

<ヒグチアイ>



◆紹介曲「この退屈な日々を
作詞:ヒグチアイ
作曲:ヒグチアイ