世界はひとつにならなくて良い。

 2022年9月7日に“インナージャーニー”が1stアルバム『インナージャーニー』をリリースしました。代表曲「グッバイ来世でまた会おう」、ライヴペインティングパフォーマー/画家の近藤康平とのコラボMVも話題の「深海列車」、オムニバス映画『THEATERS』エンディングテーマ「映写幕の向こうへ」、名曲の呼び声も高い「少女」、myeahnsの逸見亮太が楽曲提供した「とがるぺん」他、全10曲が収録されております。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“インナージャーニー”のカモシタサラによる歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、今作の収録曲「わかりあえたなら」に通ずる想いです。争いは避けるべきなのか。怒りは閉じ込めるべきなのか。みんながもっと楽に生きるために大切なことを考え続けているあなたへ。この歌詞とエッセイが届きますように。


みんながわかりあえたなら、わたしたちはもっと楽に生きることができたのだろうか?
 
と思うことがある。誰しも、生きている限りどうしようもない対立に直面することがあると思うが、わたしは争い事に遭遇するたび、決まって真ん中に挟まれ、「まあまあまあ、」と互いをなだめる言葉を並べ続けた。それが正しい道であり、なるべく争いは避けるべきだという平和主義のふりをしていたのである。
 
平和主義のふりをしたわたしが最後に感情をむき出しにして怒ることができたのは、記憶の限り小学校2年生くらい。大人になるにつれてなるべく温和に、穏やかに過ごすため、「怒り」を貯める感情の瓶のようなものに蓋をして生き延びては、次第に怒り方を忘れてしまった。
 
しかしそれでは、意味がない。怒りは、相手に伝えなければいけない。なぜそんなに苦しいのか。何にどれだけ腹を立てたのか。その気持ちと気持ちをぶつけ合わなければ、いつまでもお互いが生きづらい世界のまま、負の感情だけが日に日に積もっていくだろう。だから、馬鹿にされたとしても、感情を伝えるということは人間活動を営む上で、とってもとっても大事にしなければいけないと思う。
 
それに気づいたのはつい最近で、今までのわたしの偽平和主義は、ただその場の負傷者を減らす活動をしていただけに過ぎなかった。
 
最近は、みんなが同じ意見であることのほうに違和感を覚え、少し怖いと思うようになった。どこかに、自分の本当の気持ちを言葉にできないでいる人がいるかもしれない。表面に出ているものがあるってことは、必ずそこに隠れた存在があるわけで、そういった存在は声を上げなければ無かったことにされてしまうから。
 
だから、わたしはそういう声を聞き逃さないように感覚を尖らせて、歌詞を書いて、歌い続けたい。
 
たとえば、これを読んでくれてるあなたと、これを書いているわたしの考えが全て一致することはないだろう。
 
あなたとわたしは違う人間だから、わかり合えないのは仕方のないことだ。ただ、わかり合えなくてもいいから、わかろうとする努力はしていたい。
 
これは、「共感」ではなくて「理解」の話だと思う。
 
わたしのバンドメンバーはみんなバラバラで、聴いてきた音楽も、性格も、全部違うから、意見がスムーズに決まったことなんて一度もない。ただ、お互いの納得いく地点を探り合って、なんとか今日も続いている。
 
世界はひとつにならなくて良い。それでも、違う方向を向きながら、たまに共鳴する瞬間がある気がしている。

<インナージャーニー・カモシタサラ>



◆紹介曲「わかりあえたなら
作詞:カモシタサラ
作曲:カモシタサラ

◆1stアルバム『インナージャーニー』
2022年9月7日発売
 
<収録曲>
01. わかりあえたなら
02. 夕暮れのシンガー
03. 深海列車
04. エンドロール(Album mix)
05. 映写幕の向こうへ
06. すぐに
07. 少女
08. グッバイ来世でまた会おう
09. とがるぺん
10. Walking Song