「ロックとは何だと思いますか?」

 2022年4月13日に“THE BACK HORN”がニューアルバム『アントロギア』をリリース。アルバムタイトルの“アントロギア”は、古代ギリシャ語で<花を集めること>を意味し、今日では詩文を集めた詩集を表すことに由来。様々な花が持つ色彩のように4人の“今を生きる希望”が描かれた作品となっております。今作には、これまで通りメンバー全員が作詞作曲で参加し、様々な組み合わせにより制作された全12曲が収録。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“THE BACK HORN”による歌詞エッセイを4週連続でお届け。第2弾は山田将司が執筆。綴っていただいたのは、「ロックとは何だと思いますか?」という質問に対する気持ち。そしてメンバー全員が作詞作曲をするTHE BACK HORNが、どのように音楽に向き合ってきたかのお話です。今作の歌詞と併せて、受け取ってください。



「ロックとは何だと思いますか?」
 
インタビューなどでこの質問をされた時が1番困る。そんなデカい言葉を一言で表すことで見えてしまう自分の小ささ、それを感じさせないで欲しかった。
 
それは結成した頃から今まで、ずっとそうだ。THE BACK HORNが結成されて3年後、メジャーデビューしたばかりの頃の取材で、インタビュアーがしたその質問に対し、「俺たちは生と死をテーマに歌っていて別にロックとかどうでもよくないですか? じゃあ逆に何だと思ってるんすか?」とメンバー一同インタビュアーに食って掛かっていた。
 
と言っても俺は当時コミュ障中のコミュ障。インタビューでも他のメンバーに喋りは任せっぱなしで口を開くこともなく、威圧的な視線をインタビュアーに向けながら(無意識)黙々とタバコを吸うだけで終わる取材も多々。自分の発言に何の自信も持つ事ができず大人に片足を踏み入れることもできていないクソ生意気な青年だった。
 
そんな俺でも、「ロックとかそういうのマジでどうでもいいわ」と心の中で同意していた。
 
THE BACK HORNはメンバーそれぞれが作詞作曲をする。今回、4月13日にリリースされたアルバム『アントロギア』でも、それぞれの作詞作曲がさまざまな組み合わせのもと作られた作品となっている。メンバー全員で作詞作曲をするこのスタイルはもう15年以上続いていて、きっかけは菅波(Gt)の、「皆んなで作った方が面白い」という言葉からだった。
 
全員が[THE BACK HORN]という光も闇も混在させた得体の知れないモノに向かい曲を書く。もちろん作詞や作曲が得意なメンバーもいればそうでないメンバーもいる。それでも少しずつ歩み寄り擦り合わせ続け一曲一曲をカタチにし続けてこれたのは、他のどのバンドにもないTHE BACK HORNだけのオリジナルなスタイルを確立していけているという実感と共に、CDを出したりカタチにしていける喜びは勿論、「生きる」というこのバンドが発するエネルギーを自分が歌として表現していくことで、その曲からも自分自身も力を貰い、聴いてくれるお客さんからも力を貰い、どんな姿であれ生きていていいんだと実感できていたこと、そして根っこには「やっぱりこのバンドが好きだ」という気持ちからなのだと思う。
 
メンバーを代表したような言葉になってしまっているが、今は俺が思う気持ちだけを。誰が曲を書こうと詞を書こうと、この4人で演奏する曲達は自然と[THE BACK HORNらしさ]になっていく。その時々の時代に感じた事を結晶として残してゆける。こういう歌詞を書かなければいけないなんていう決まりは無い。この4人が今感じている事をカタチにする。それが事実でありTHE BACK HORNとしての正解だ。
 
「気持ちなんてものは変化していく」それもリアルな事で当たり前のこと。また、メンバーのそれが許されるくらい、想いの宿った軽はずみではない言葉をその時々で表現してきたからこそなのだと思っている。
 
心が折れかけ、もうダメだと限界を感じた事は何度もあるが、その度に自分達の曲に励まされ、奮い立たされるこの感覚は何にも変え難く、自分の人生の半分以上を捧げてきたこのバンドにいられる事がなによりも誇りだ。十何年前だったか、「最後は希望を感じられる音楽をやろう」それをメンバー間で共有しながら曲を作るようになった。
 
希望をリアルに描く事は容易では無い。人生で一度でも大きな悲しみを経験してしまうと、どれだけ自分の闇を理解してくれているのか? という疑いから感情移入できなくなる、気がする。だからこそリアルな希望を描くために「闇」というものの理解の深さが必要となる。
 
しかし、肌感覚で理解できる闇は自分が経験したまででしかない。自分の場合、結成当初に抱えていた闇は十代に経験した父の死が大きな原因だった。いつか人は死ぬ。どうせ死ぬ。今、どれだけ想いを燃やせるのか、この瞬間に命が燃え尽きてもいい覚悟で、これでもかこれでもかと叫び狂った。それで自分が生きている実感を得られた。気がしていた。叫べば叫ぶほど心にポッカリと空く穴。フィジカルの犠牲がメンタルを超えた時に大体思う。
 
「何で俺はこんなにムキになって歌ってるんだろう」
 
もう既に埋まっているはずの穴で満足できないのは、ただ自分が持ってしまう渇望感だった。闇は消えてはいない。自分自身が持つ闇。自分ではない人が感じている想像もできない程の大きな闇。答えばかり出して生きる事は失礼だぞ。逃げるな。答えを出した途端になにかを諦めたような気分になってしまうから。悲しみの重さ? 自分が経験した分しか分からねえ。幸せの形? 人それぞれあっていいじゃない。幸せを感じられることもまた必要だが、悲しみを感じてしまう事から逃げないのもまた必要な事なのだと思う。瞬間の話であって、引きずっていくと言う意味ではなく。
 
「何が起こるか分からない」と怯えて生きるなら「どんないい事が起こるか分からない」と同時に思う事ができるか? 「思う事ができるか」なんて「課題」みたいな言い方になってしまっているが、本来「思っていいはず」なんだ。「生きる」という誰にでもできそうな事が誰にとってもの超難関になっている。
 
おこがましくも、THE BACK HORNの音楽を聴いてくれている皆を通じて「生きる」を感じさせてもらっている。ファンの皆さんと共に「生きる」を感じていきたいと思っている。THE BACK HORNは主に日本語詞を大事にしているバンドだが、言葉だけではなくサウンドが作り上げる情感、各々のセンスの光るプレイは勿論、全身を刻みつけるほどの全てが合わさった「音楽」としてTHE BACK HORNから「生きる」を感じて貰えればと思う。
 
話はだいぶ逸れたが
「ロックとは何だと思いますか?」
この質問に対し
「執着だと思います」
 
なんて答えた事もあったが、なんかむむむ、、、という感じだ。「ロックとは何だと思いますか?」「分かりません」やっていけば何か言葉に変わる日が来るのか。言葉にならなくともロックは死なないし、無理矢理カタチにされた言葉ほど薄っぺらいものはない。本意や実態が分からなくても、好きなものは好きだということ。いつか分かるんじゃない? それでいいじゃねえか。

<THE BACK HORN・山田将司>