これはきっと、自分自身を救う為の歌なんだと思う。

 “カノエラナ”が2022年デジタルシングル3作連続リリース決定!その第1弾シングル「キンギョバチ」が1月26日にリリースされました。同曲は、WOWOW開局30周年記念 新作長編アニメ『永遠の831』オープニングテーマとして書き下ろした楽曲。アニメファンであり、かねてからアニソンを歌うことが夢だった彼女の念願のアニメタイアップソングとなっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“カノエラナ”による歌詞エッセイをお届け。今回は第1弾。綴っていただいたのは、新曲「キンギョバチ」に通ずるお話です。金魚にまつわる遠い記憶。答えを出すことから逃げたあの頃。そして今も抱え続けている怒り…。是非、歌詞と併せて、このエッセイを受け取ってください。



「お母さん、金魚すくいがあるよ!」
「本当だね。でもうちに水槽は無いし…死んじゃったら可哀想だよ?」
「○○ちゃんが昔使ってた金魚鉢が裏庭にあるよ!泥遊びした後に、もう要らないって置いていっちゃった。だから一回やってもいい?お願い!」
「仕方ないなぁ…じゃあ一回だけね?」
「やった!ありがとう!」
 
 
「全然金魚掬えなかったねぇ…」
「でも屋台のおじさんが1匹おまけでくれたからよかったじゃん。家に帰ったらすぐ金魚鉢に入れてあげなね。それからちゃんと餌もあげること。いい?責任持ってね?」
「うん!大丈夫、任せて!」
 
 
ペットがいたことがない家に、家族が増えた気がした。握りしめた水巾着の感触が面白くて、何度もつっついて遊んだ。中の水をこぼさない様に。遊びながらぼんやりと、この手の中にいる小さな生き物の命を自分だけが握っている、ということに子どもながらに高揚感と緊張感、そして少しの罪悪感を覚えた。
 
帰宅後、綺麗に洗った透明の鉢の中でユラユラとキョトンとした顔をしながら水に身を任せている赤いヒラヒラ。そこに世界を隔てる確かな壁があることを知ってか知らずか、ぶち当たりながら泳ぎ回っている様を飽きる事なくただ呆然と眺めていた。
 
その日の夜の食卓に、煮魚が出てきた。ふと、顔を歪めてしまう。この煮魚と赤いヒラヒラに何の違いがあってこんなにも差ができてしまったのかと考えてしまった。片やヒトに食べられ死に、片やヒトに鑑賞されて生きる。見た目に多少の差はあれど、同じサカナなのにどうして???
 
…幼い自分は考えるのをやめた。平たく言えば逃げた。怖かった。認めたくなかった。この先を知るのはもっと大人になってからでもいいやと、まだ見ぬ自分に答えを無責任に押し付けた。
 
それからずっと前に進めずに、大人になることを先延ばしにしながら∞を漂っている。おぼつかない照明の中、誰も教えてくれない社会の仕組みや人間関係ヒエラルキーに頭ごなしに演説を浴びる毎日。幼い頃にあった正義感も、今ではすっかり箱に閉まって鍵をかけてある。
 
「もうウンザリだ」
 
だけどこの怒りは一体何処にぶつければいいんだろう? 言って何かが変わるものなのか? 誰に物申せばいいのか? 手で掬える大きさの赤いヒラヒラでさえも何も出来ずに死なせてしまったのに?
 
― セイレーン 嗚呼僕は 一体何処に向かってんだい?―
 
これはきっと、自分自身を救う為の歌なんだと思う。
 
<カノエラナ>



◆紹介曲「キンギョバチ
作詞:カノエラナ
作曲:カノエラナ