宿題と時間と恋心は忘れるためにある。

 2021年7月7日に“Sano ibuki”がニューアルバム『BREATH』をリリースしました。今作には、ドラマ『ソロ活女子のススメ』のオープニングテーマ「Genius」や映画『滑走路』の主題歌「紙飛行機」、映画『ぼくらの7日間戦争』の主題歌「スピリット」「おまじない」を含む12曲が収録。彩り豊かな“BREATH”の世界をお楽しみください…!

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“Sano ibuki”による歌詞エッセイを2ヶ月連続でお届け。今回は第1弾です。とある日、混雑した病院へ行ったことがきっかけで改めて考えた、苦手なもの、一種のアレルギー。そして、印象的だった女医さんの言葉。どこか今のSano ibukiの音楽に通じているかもしれないお話を綴ってくださいました。

~歌詞エッセイ第1弾~

病院に行くときはスマホはマナーモードにしておくべきだ。

久しぶりに病院に行った。病院といっても歯医者なのだが。夏休みの子供達と親御さんでごった返しており、地方イオンのフードコート並に音で溢れていた。私は人の多い場所が得意ではない。苦手だ。

もう今日は諦めて帰ってしまおうかとも思ったが、そんな私を救うかのように、「予約をしていたサノさんですね。診察室Aへお願いします」と受付の方に奥に通された。半個室のようになっている診察室は待合室よりも少しだけ冷房が効いていた。そのせいか、ひやっとしており、カーディガン持ってくればよかったな…なんて事を思っていると、「椅子にどうぞ。あっ、荷物、そちらのカゴに入れてくださいね」と同い年くらいであろうか、今時の紺色インナーカラーをちらっと覗かせた女医さんに勧められた。手早く荷物をカゴに置き、椅子に座った私は、マスク越しでも分かる笑顔を向けた女医さんのおでこを見つめながら、診察室にも轟く、待合室の子供と親御さん達の声が鳴り止むことを願っていた。

音楽を聴くと辛い瞬間がある。いやもう少し語弊のない言い方をするならば、人の声が極端に苦手になる時がある。一般的な歌声のある音楽が総じて、苦手になるのだから、音楽を聴くと辛い時期があると言っても過言ではないだろう。作っている本人がこんな事を書くのはどうなのか? とは自分自身でも思うが、好きだが苦しくもなるのだ。仕方がない。

この症状を私は突発性声アレルギーと呼んでいる。このアレルギー、ある日突然ではなくジワジワと体感していくもので、気づいた時には発症していた。特に酷かった学生時代、友人に相談した際、人酔いじゃない? と一掃されてからは、治るまで待つ。という荒療治のみでどうにかしてきた。

しかし全く音楽を聴いていなかったわけではない。寧ろ、人よりも聴くことは多かったと思う。そもそも声が苦手になるということは、音楽だけではない。声で溢れている日常の世界は、船の上のようなもので、船酔いが止まらなかった。当時、今ではお世話になりっぱなしのノイズキャンセリング付きイヤホンを買うお金もなく、それに加え、クラスに居場所がなかった私にとって、音楽は一つの城壁であり、「敢えて一人でいるんです」と主張するための技でもあったため、酔うからと簡単に手放すわけにはいかなかった。

イヤホンを付けているだけでいいだろう。という声が上がりそうだが、それではいけなかった。万が一「何、聴いてるの?」とまだ見ぬ友人、恋人に、片耳からイヤホンを取り上げられた時、何も音が鳴ってないことがバレでもしたら、貼られるレッテルは口にもしたくないものであろうことは要因に想像できたからだ。

そんな好きなものに苦しめられるというジレンマを抱えた自分を支えてくれていた音こそが、サウンドトラックだ。ゲームやアニメ、映画の中で流れている音楽であり、台詞がある事を前提として作られているため、基本的には人の声が入っておらず、声が苦手な私でも聴けるものは多く、尚且つ思春期特有の自分だけが知っているという優越感にも浸れた。

周りの音をかき消すように爆音で聴きながら、本を読む時間はアレルギーの事も、一人であるという事も忘れさせてくれた。問題の本質から逃げていると言われれば、その通りだったが、逃げること、忘れることで私は私を救っていた。

「うーん」とも「むーん」ともつかない女医さんの唸り声で我に返った。しまった。雑談にしては重過ぎた。「人が多い場所って平気ですか?」なんていう質問をされたせいで、律義に声アレルギーのことを答えてしまった。早い者勝ちということわざがある。何か言われる前に冗句の一つでも披露しなければ。

「まあ、僕はちょっとネガティブな思考なので、もう少しこう、変わらないと駄目ですね」

うーん、と女医さんが唸りながら言った。「私、やっぱりこういう仕事なんで、歯が汚い人って苦手だなって思うんですよ。でもそれ以上に私が治してあげたい!って思っちゃうんですよね。だからどんどん惹かれていくことがあるんですよ。サノさんも世の中の音を自分好みに変えてやる!って思えば、良いんじゃないですかね?」

正直、好きなものも苦手になってしまうというジレンマを話した事への返答としては、的外れも良いところだったが、自分が音楽を作っている真理を当てられたような気持ちになった。

私みたく好きなものにすら拒まれ、苦しくなってしまう。逃げたい。忘れたい。と思っている人のそばにいられる音を作りたい。そんな一心で音楽を作ってきた。でもそれは当たり前のように、自分自身のためでもあった。生きるための逃げ場を作る。それが誰かのためにもなっていたら嬉しい。それこそが私の根底になっていた。

ユニットに座らされ、大きすぎるライトに照らされながら、「じゃあ、大きく口開けてくださーい」と語りかける女医さんの声、コポコポと鳴り続ける機械音、高らかに鳴り響く誰かの懐かしいゲームのバッタもんみたいな着信音、キュイーンという音と共に、響く、少年達の叫びにも近い泣き声、それを叱咤する母親の声、全て心地がいいと思えた。それは新鮮で、嬉しくもあり、心が温かくなった。

懐かしい。この着信音、ロックマンじゃん。あの中にも自分と同じようなものに惹かれ、好きになって、同じように、傷ついて、苦しんで、逃げ続けた人がいるのかもしれない。そう思うと一人じゃないのかもしれないな。寂しく思うことはないな。ありがとう、女医さん。アレルギーも克服できそうだ。

と柄にもなく、ポジティブな事を考えていた私に「サノさん。スマホ、鳴ってますよ。ゲームの音楽ですかね? こういうのって良い意味で、オタクって感じで良いですね」とにこやかに女医さんがロックマンのテーマを響かせるスマートフォンを渡してきた。

「やっぱり、おれは独りだ。それでいい」

これほど強く心に思ったのは久しぶりだった。終業式に「サノくんって下の名前なんだっけ?」と言われた時と同じくらいの強さだった。

あと“良い意味で”を枕詞にすれば、なんでもフォロー出来ると思っている人は、本を読んだ方がいい。もっと言葉が溢れている。とも思った。これは間違いない。彼女に勧める本を見せるために、スマホを受け取った。

おまけにもう一つ、私は忘れていないぞ。人の渾身の駄洒落を無視するな。

<Sano ibuki>

◆2ndフル・アルバム『BREATH』
初回仕様 UPCH-29396 ¥3,300(税込)
通常仕様 UPCH-20586 ¥3,300(税込)

<収録曲>
1. Genius
2. ムーンレイカー
3. ジャイアントキリング
4. pinky swear
5. lavender
6. あのね
7. おまじない
8. 伽藍堂
9. スピリット(BREATH ver.)
10. emerald city(BREATH ver.)
11. 紙飛行機
12. マルボロ