さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“河口恭吾”による歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、新曲「ぬれ椿」についてのお話。歌詞のテーマとなっている「会者定離」とは、一体どんなものなのでしょうか。日本語の美しさや意味、日本的なメロディーや情緒感を感じながら、このエッセイと併せて楽曲をお楽しみください…!
~歌詞エッセイ:「ぬれ椿」~
番組共演がきっかけでご縁をいただき、以来10数年お世話になっている片岡鶴太郎さんに歌詞をお願いしました。芸人、俳優、画家、ヨギーと様々な顔を持ち、そのそれぞれを極めんとする鶴太郎さんの人間性や個性、世界観を楽曲にしてみたいという私の個人的な想いから、今回思い切って鶴太郎さんに作詞をお願いさせて頂きました。
お好きなテーマで書いてください、とお伝えすると、その日のうちに送られてきたのが「ぬれ椿」の初稿でした。失ってしまった恋を万葉集の歌「巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を」へのオマージュを織り交ぜつつ鶴太郎さんらしい世界観で描かれていました。
鶴太郎さんから「会者定離」(この世で出会った者には、必ず別れる時がくる運命にあること。この世や人生は無常であることのたとえ)というテーマを頂いたので曲も日本的なメロディーや情緒感を意識しながら書き進めていきました。
<つらつら>や<ぬれ椿>などユニークな言葉が印象に残る歌詞ですが、もう一つ、2番の歌詞に出てくる<いろは歌>も「会者定離」を表現する上で大切な要素になっています。 平仮名47文字を、並べて歌にしたというものですが、仏教の教えから来ている言葉です。
色は匂へど散りぬるを
(鮮やかな花もいつかは散ってしまう)
・・・・・・・・・諸行無常
我が世誰ぞ常ならむ
(誰もがいつまでも生きられるものではない)
・・・・・・・・・是正滅法
有為の奥山今日こえて
(無常で有為転変の迷いを今日乗り越えていく)
・・・・・・・・・生滅滅已
浅き夢見し酔ひもせず
(儚い夢を見る事や、空想の世界にふける事もない)
・・・・・・・・・寂滅為楽
意味的には大体、こんな感じだと思いますが、生きていく中での無常感や真理が散りばめられていて「ぬれ椿」という作品を男女の恋のその先にある「人生とは?」「生きるとは?」に向かわせています。
鶴太郎さんから素敵な歌詞とテーマを頂き、素晴らしい作品が生まれたことに感謝です。「ぬれ椿」が一人でも多くの方の心に届くことを願っています。
<河口恭吾>
◆紹介曲「ぬれ椿」
作詞:片岡鶴太郎
作曲:河口京吾