それでいい、それがいいのよ。

 2021年3月3日に“関取花”がメジャー1stフルアルバム『新しい花』をリリースしました。今作には、タイトル曲「新しい花」のほか、「太陽の君に」や「逃避行」「今をください」「あなたがいるから」、2014年に発表された「私の葬式」のバンドバージョンなど、ボリュームたっぷりの全13曲が収録されております。

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを4週連続でお届け!今回はその最終回。綴っていただいたのは、収録曲「私の葬式」に通ずるお話です。いつかは必ず訪れる、大切なひととの別れの日。そのとき、わたしたちはどんなことを思うのでしょうか。そしてあなたが旅立つとき、どんな景色が見えるのでしょうか。是非、歌詞と併せてこのエッセイを受け取ってください。

~歌詞エッセイ最終回:「私の葬式」~

私はこれまで30年間生きてきて、数えるほどしか葬式に参列したことがない。大切な人が亡くなるのは、当たり前に悲しい。だからできれば、この先もう二度と行くことがなければいいのにと思う。そうは言っても命には限りがあるので、きっとどんどん機会は増えて行くのだろう。

テレビのニュースで誰かの訃報を目にするにしても、今となっては大抵が知っている名前だ。リアルタイムで見てきた方々の名前が流れるようになったのはいつ頃からだろうか。20代前半までは、まだまだ知らない名前が多かった気がする。自分が年々歳を重ねているということは、当然他のすべての人々も同様に歳を重ねているということだ。時の流れは早い。恐ろしいほどに早い。

最近、時々思うことがある。私は現在都内で一人暮らしをしていて、実家に帰って両親とゆっくり時間を過ごすのは年に数回ほどだ。忙しかったりタイミングが合わなかったりすると、年末年始だけになってしまう時もある。そうなると、現在還暦の両親が100歳まで生きるとして、仮に私が今後一年に一回しか帰れないとしたら、単純計算であと40回しか会えないということになる。おはようもおやすみも、ありがとうもごめんねも、数えるほどしか言えないかもしれない。そう思うと急に不安になる。

あまり悲観的になるのも良くないことはわかっている。でも、考えておくからこそできることもある。もちろん一番はたくさん両親に会ってできるだけ話をすることなのだが、自分には自分の人生があるし、やりたいこと、やらねばならないこともたくさんあるので、そんなに頻繁には実家へ帰れない。じゃあどうするか。少ない回数でも、確実に思い出を残して行けばいい。

少し前から、私は実家に帰る時には必ずフィルムカメラを持って行くようにしている。写真を撮るだけならスマホのカメラでも良いのだが、別にキメ顔を撮りたいわけではないし、何かの記念に写真を残したいというわけでもないので、撮り直しはむしろしたくない。何気ない今の一瞬を、当たり前の表情を、瞳に焼き付けたそのままの温度で残しておきたいだけなのだ。私が欲しい思い出とは、そういうものたちだ。ちなみに色々試した結果、最近は写ルンですを愛用している。他のカメラに比べて相手を構えさせないからとてもいい。

先日カメラを現像に出したら、料理中の母の写真が出てきた。年末年始に実家で撮ったものだと思う。それはもう見事なブレっぷりで、「キッチンという狭い空間でこんなに早く動くことある?」と思わず言いたくなってしまうような写真だった。半端ない躍動感がなんだか面白くてクスッとしてしまうと同時に、母は私たちが思っている以上のスピードと手際で、日々いろんな作業をこなしてくれていることにあらためて気付かされた。まあ、それにしてもなブレっぷりだったけど。風か? ってくらい。

ソファの上でゴロゴロしている父の写真もあった。仰向けになって足を組み、何やらスマホをいじっている。べつになんてことない写真なのだが、見ているうちに普段私が自分の部屋でスマホをいじる時とまったく同じ体勢だということに気が付いた。組む足も角度もまったく一緒。仕事で外に出る時はシャキッとスイッチを入れるくせに、ひとたび家に帰ると途端に気が抜けてしまうところとか、やっぱりそっくりである。写真には残っていないが、いつもの感じだとしたら、このあと立ち上がる時絶対に「イテテテテ……」と言っていたはずである。変な体勢でいるからすぐに足が痺れるのだ。そこらへんも私と同じである。おかしいなあ、実家にいた時はこのだらしない父の姿を見るたびにイライラしていたはずなのに。いやはや、血は争えないものである。

なぜ、これらの瞬間を写真に残そうと思ったのか、どうしてカメラを構えたのか、そんなこと全然覚えていない。特に意味なんてないのだろう。誰に見せるわけでもないから、構図や色味を気にしているわけでもない。絵になっているかと言われたら、なっていない。でもいいのだ。「お母さんってこういうところあったなあ」「お父さんって意外とこうなんだよなあ」と、両親と過ごした何気ない日常に溢れていた小さなエピソードたちが、一枚の写真から溢れ出す。自分の顔がほころんで行くのがわかる。いつか両親とさようならをする時に思い出すことは、結局こういうことたちなんだろうなと思う。そしてもし自分がこの世にさようならをする時が来たとしても、見送る人たちにはやっぱりそういう瞬間を思い出してほしいなと思う。

涙なんていらないわ 青い雲もいらないわ
笑い声を空に飛ばしてよ それでいい それがいいのよ

涙なんていらないわ 白い花もいらないわ
むかし話に花を咲かせてよ それでいい それがいいのよ


形式ばった挨拶をするよりも、黒い服をその日のためにわざわざ準備するよりも、そんな時間があるなら、私のどうしようもないエピソードの一つや二つをどうか思い出してほしい。そして思い切り笑ってほしい。小さな話のタネがいずれ枝葉のように広がって、「そういえばあの時も」「よく考えたらあれも」と、私に関するくだらない話で大いに盛り上がってほしい。飲んで歌って空の向こうに聞こえるくらいまで騒いでほしい。そして最後に、「寂しいぞこのバカ野郎!」ってちょっと叱ってほしい。それでいい、それがいいのよ。

<関取花>

◆紹介曲「私の葬式
作詞:関取花
作曲:関取花

◆ニューアルバム『新しい花』
2021年3月3日発売
1. 新しい花
2. はなればなれ
3. 恋の穴
4. ふたりのサンセット
5. あなたがいるから
6. 逃避行
7. 太陽の君に
8. まるで喜劇
9. 女の子はそうやって
10. 今をください
11. スローモーション
12. 美しいひと
13. 私の葬式(バンドver.)全13曲収録