贅沢。風呂トイレ別ってだけで。

 2020年9月2日に“ヒグチアイ”が自身初のベストアルバム『樋口愛』をリリースしました。彼女は、静と動が混在するスリリングなライブステージで、聴く者に呼吸することを忘れさせてしまうくらいの表現力持ったアーティスト。自身の活動キャリアから名曲の数々を選りすぐった作品となります。新曲「八月」「東京にて」の2曲も収録…!

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作をリリースした“ヒグチアイ”による歌詞エッセイを3週連続でお届け!今回はその第1弾です。綴っていただいたのは、今作の1曲目に収録されている「ココロジェリーフィッシュ」にまつわるお話。この歌詞の背景を、想いを、リアルを、是非彼女の言葉から感じてください。

~歌詞エッセイ第1弾:「ココロジェリーフィッシュ」~

19歳。はじめての一人暮らし。

実は、父親に同棲させてくれと頼んだら、一人暮らしもしてないのに絶対ダメだと言われ、渋々同じマンションに引っ越すことにしたのだ。洗濯機も冷蔵庫も買わないはじめての一人暮らし。

はじめてならこんな物件がオススメですよ。不動産屋は口がうまくなけりゃ務まらない。父親のバックアップがあるとわかれば、相場より高い物件を勧めてくる。

世の中、当たり前だと思っていることが、実は全然違うことってある。一軒家で育つこと、クリスマスにはサンタが来ること、長い休みには祖父母の家に行くこと。両親が築き上げたものを、当たり前として提供してくれていただけのことだった。

風呂トイレ別。それだけで贅沢だった。塀をよじ登れば入れる、形だけのオートロックマンションは、今住んでいる家より高かった。

そこに住んでいた一年半で、どん底の貧乏を味わうことになる。お客さんの差し入れのお菓子を晩ご飯に食べて、ポケットや鞄に迷い込んでる100円を探して、銀行窓口へ通帳を持って行き三桁の小銭を下ろす。風呂トイレ別がわたしにくれたものは貧乏だけ。オートロックが教えてくれたものは、鍵を忘れて出ていくと大変なことになるってことだけだった。

それでも、下手くそながら作る料理も、それを一緒に食べる行為も、二人で布団に入りながらアニメを見る夜も、全てが楽しかった。その中で書いた曲が「ココロジェリーフィッシュ」だ。今作の中で一番古い曲。未だに人気のある曲。当時の彼氏がさしていた黒い折り畳み傘は歌詞に出てくる。

苦労から抽出されたエネルギーをいつまでも燃料にしていられない。でも未だに、その日々がわたしを照らしてくれている。その灯りで、わたしはわたしを見つけることができるのだ。

<ヒグチアイ>

◆紹介曲「ココロジェリーフィッシュ
作詞:ヒグチアイ
作曲:ヒグチアイ

◆BEST ALBUM『樋口愛』
2020年9月2日発売
TECG-33130 ¥3,000-(tax out)

<収録曲>
1. ココロジェリーフィッシュ
2. 前線
3. 東京
4. まっすぐ
5. わたしのしあわせ
6. ラジオ体操
7. 猛暑です- e.p ver -
8. 八月(新曲)
9. 黒い影
10. わたしはわたしのためのわたしでありたい
11. 最初のグー
12. 備忘録
13. 東京にて(新曲)