Q)1987年、結婚とともにアメリカに移住されて、その後、しばらく音楽活動はお休みされていました…
向こうでアルバムを作ったり、コンサートをやったりしていた何年かはあったんですが、子供が学校に行き始めると、母親としてやらなければならないことが山ほどあって、それで、自分の音楽活動にはひと区切りつけたんです。「やるだけやった…」という気持もあったのでね。

Q)2012年からは、日本での音楽活動を本格的に再開されていますが、きっかけは何だったのですか?
アメリカのお母さんたちを見ていると、40代、50代、60代の人が、すごくきれいで、いきいきとしているんですね。70代でもすごくきれいな人とかもいて、「何が彼らをそうさせているんだろう?」って考えた時、それぞれ仕事だったり、みんな「自分を持っている」ってことに気が付いて、ちょっと不安になったんです。私は「やるだけやった」なんて、すごい勘違いをしているなって。だいたい、年齢の感覚が日本とは全然違うんですよね。「女性が子供を育てた後の、それからの人生」っていうのが、アメリカの女性っていうのは輝かしいものがあって、子育てで自分が得たもの、それを活用して「いかに第二の人生輝くか?」ってところがすごくあって、それで、「じゃ、どうしようか…?」って思ったんです。

Q)なるほど、アメリカらしいですね…
それで、一時は、全然違った世界に足を踏み入れてみることも考えたりしたんです。また学校に戻って、新たに手に職をつけてみようかなとか…、でも、どう考えても「歌を失くした八神純子」っていうのが想像できなくて、「じゃあ、下の子が18才になった時に、もう1回、歌を歌ってみようかな…」ってなんとなく思っていたころに、NHKの「SONGS」って番組のお話が来たんです。

Q)2010年のことですね…
はい。番組が放送されると、その反響が大きくて、「あっ、これは、やっぱりもう一度日本に戻って歌ってみる価値があるのかな…」って思ったんです。その後、2011年に、SHIBUYA-AX というところで、ザ・ブルースカイオーケストラというビッグバンドとのコラボでコンサートをやってみないかって、バンマスの奥田さんからタイミングよくお誘いがあって、「なんでもやってみよう…」っていう気持で、10年ぶりに日本での本格的なコンサートをやったんです。

Q)自然とそういう活動再開への流れになっていったんですね…
そうですね…、パーフェクトを望んで「パーフェクトな復帰」みたいなことを考えていると、何も出来ないんですよね。そのパーフェクトがいったい何だったのかって、今となってはわかんないんですけど、結果的には、このザ・ブルースカイオーケストラとのコラボがパーフェクトだったのかもしれない…って思っているんです。

Q)とにかく、何でもいいから一歩踏み出してやってみる…
そうそう! パーフェクトをずっと待っていたんですよ…きっとね…一歩を踏み出せないまま。でも、パーフェクトな第一歩って、本当は、そんな怖いことってないですよね。だって、パーフェクトじゃないといけないわけだから。とりあえず踏み出してみようっていうのが、結果的にパーフェクトになったんですね。とにかく、一歩前に進むってこと、何かをやってみるってことで、次への道がちゃんと見える、そういうきっかけを作ってくれたんです。

Q)その、ザ・ブルースカイオーケストラとのコンサートが、翌日、検索ワード1位になるほど、インターネットでも大きな話題になりました…
そうなんですよね…「八神純子、まだ歌えるじゃない…」みたいに言われて…。「まだ歌える…」の「まだ…」っていうのがとても悔しくてね(笑)、「失礼だなぁ!」とか思って(笑)。その「まだ声が出る…」とか「昔好きだった…」とか、そういう日本語独特の言い回しがあって、アメリカに住んで、普段、英語で暮らしている自分にとっては、「まだ…」とか「昔…」とか「…だった」とかが、すごく気になったんですけど…(笑)。でも同時に、「現役でやってみたい…」って、その時に思ったんですよね。

Q)それで、日本での音楽活動を再開されたのですか?
「悔しいな…」とか思っていると、「だったら、コンサートツアーとかやってみない…」って言ってくれる人が、また現れるんですよ。その方は、ハンプトンジャパンって会社の社長の加藤さんなんですけど、「八神さん、僕は出来ると思うので、今まで行ったことのないような地方の小さい会場、行ったことがない場所でもコンサートやってみませんか?」って言われて、私は、ずっとお休みしていたので、いろいろお話をしながら、「行ったことのないところに行かせてください」ってことで、2012年のコンサートツアー「翼 -私の心が聞こえますか。-」が始まったんです。50箇所やりました。

Q)やってみてどうでしたか?
結構な数のお客さんが来てくれて、お客さんも、「まだ、歌えるのかな…?」って興味本位で来てくれる方とか、「30年間待ち続けたんですよ」って言ってくれる方とか、いろんな方がいらっしゃったんですけど、とにかく、私はまた本気で歌を歌いたいと思っているということを知ってもらわなきゃいけないってことで、まず、そのコンサートツアーをやったんです。アメリカと比べたら小さな国ですけど、でも、私みたいな形で戻ってくると、かなりの時間を費やさないとね、私がまた活動しているってことを知ってもらうにはね…。そういう意味では、まだ、その最中でもあるんですけどね。

 


Q)2012年1月に、日本での本格復帰作第一弾として、NHK ラジオ深夜便 「深夜便のうた」になったシングル「さくら証書」と、カバーアルバム「VREATH -My Favorite Cocky Pop-」を発売されて、今回、16年ぶり、21世紀初のオリジナルアルバムとなる「Here I am 〜Head to Toe」を6月に発売されました…
ある意味、この「Here I am」ってアルバムはね、私にとって「再デビューアルバム」だと思っているんです。今回は、自分のジェネレーションだけじゃなくて、下の世代へ伝えたいこともあったりするので、そういう曲も入ました。

Q)昔のイメージのままと言うか、声の印象は変わっていないんですけど、でも、声の厚みとか、やわらかさが増して、ざらっとした感じもあったりして、より説得力が増した気がします。本格復帰されて、コンサートで歌ったり、レコーディングをしたりして、ご自身の歌声ということに関しては、どうお感じですか?
今の声の方が、料理しやすいって思いますね。前は、つるんつるんすぎて、ストップがきかない声だったと思うんですよね。もう伸びるだけ伸びていて、それが気持よかったりもしたんですけど、昔の声だと、このアルバムの何曲かは歌えなかったと思いますね。今の声の方が表現力もあるし、いろんな歌が歌えると思います。

Q)デビュー当時は、クリスタルボイスとか言われていましたけど、その当時、ご自身では、自分の声をどう思われていたのですか?
うん…、まあ…きれいな声と言うか、透き通った声ですよね。でも、「ハスキーな声が出るようになりたいな…」って思ってました。もちろん、きれいな声も失いたくなかったから、両方出たらいいなあってね。シャウトとかもできたらいいなっあ…って。でないと、自分が表現したい世界が表現できないなっていう思いがいつもありました。

Q)当時のボーカルも、とても魅力的だと思いますが…
昔歌ってた歌っていうのは、表現力なくても歌えたんです。でも、今書いている作品っていうのは、表現力がないと歌えないんです。たとえば、「さくら証書」とかも、ただ、きれいに歌っただけではダメなんですよね。

Q)伝わらないということですか…?
うん。だから、前よりも、表現力はあると思います。

Q)あらためて聴き比べてみると、以前は、言葉も音として、サウンド的に聴こえてくる感じもしますが、今は、言葉の方が立って聴こえてきます…
うんうん、その通りだと思います。前は、とにかく、きれいに歌おうと思っていたんです。まず、音程が正確でなきゃいけなくて、それで、きれいに歌わなければいけないって思っていたんです。でも、今は、アメリカの音楽を聴いて、自分の人生の半分をアメリカで暮らしてきて、「ざっくり感」っていうことが、音楽には非常に大事なんだなと思いますね。


Q)そうですよね。音程やリズムが正確なだけで魅力的になるわけではないですからね…
いくら音程が完璧で、きれいに歌っても、ただ「きれいだね…」だけで終わってしまうんです。「パーフェクトだね!」ってコメントはもらえるんだけど、「いいね〜!」「くるね〜!」ってところにはつながらなかったりね。だから、私が「いいね〜」って思うような歌を歌うためには、「ざっくり感」を自分の中で受け入れないといけなかったんですね。

Q)それは、ずいぶん大きな変化ですよね。先ほども「パーフェクトな復帰を望んでいた」とおっしゃっていたように、以前は、完璧主義というか、ご自分のボーカルにもそういう完璧を求めるような感じだったのですか?
ああ、そうそう! だから、レコーディングをしていても、何小節目の何拍目とか、そういう細かいところばかりがすごく気になって、全体として、ざっくりと聴けていなかったわけね。でも、それは、私だけでもなくて、スタッフも含め、当時は、そういうもんだったんですよ。今は、機械がなおしてくれたりしますけど、昔はそれが出来なかったので、レコーディングの時には、スタッフ全員が歌詞カードとペンを持って…という感じだったんですよね。でも、今は、細かいところよりも、全体をざっくりと聴いて、ざっくりとなおす…。

Q)何かきっかけがあって、そういう風に変わったのですか?
それはね、いまだに覚えているんですけど、ハーブ・アルパートの大ヒットした「Rise」って曲には、明らかなミストーンが入っているんですよ。絶対に間違いなのね。でも、それをそのまま残してレコードにしたっていうのは、私にとってすごく勉強になったわけね。それが、すごく大きなきっかけ。いつもそれを思いだすんです。つまり、「完璧なトーンを目指すか、伝わるものをめざすか」っていうのは違うんですよね。それからは、「完璧さ」と「伝わること」の両方なくてもいい…、「伝わるものをやっていきたい」って思いました。

Q)ハーブ・アルパートの「Rise」が、日本でテレビCMに使われていたのは1979年ですから、それは、まだ日本にいらっしゃったころですね…
そうですね。ちょうど、アメリカに行きはじめたころですね。その頃、日本テレビの番組で、ハーブ・アルパートを取材したことがあったんです。彼のスタジオ、A&Mスタジオまで行ってね。そのあと、彼の音楽を聴いているうちに、「あれっ、これ間違ってるな…」って気が付いたんです。「取材の前にこれに気が付いていたらな…」って思ったから、よく覚えてるんです。ミストーンが入ってるけど、アメリカで大ヒットしたし、日本でもCMで使われたりするんですよね。だから、ミストーンなんて、どうでもいいのよね…、良ければいい。その「良ければいい」ってところに到達するには、どうしたらいいだろう…、やっぱり、ざっくり感だろうって思いましたね。それで、ざっくり感を出すためには、重箱の隅をつついてるようなレコーディングをしていちゃ出来ないんですよね。

Q)だから、今回のアルバムでは、大江千里さんのピアノと「さくら証書」を一発録音したみたいなことができたんですね…
そうそう、そうなんですよ〜。とにかく、「伝わるもの」、「全体を感じてもらえるもの」を作りたいですね。

Q)今回のアルバムで、とくに耳に残る、頭の中でグルグルまわってしまうのが、「Take a chance」のサビの「♪Take a chance〜」と、「Twenty-four seven」の出だしの「♪Twenty-four seven〜」というところですね…
ああ〜、あれね〜。「Twenty-four seven」は、ジョギングしてる時に出てきたんですよ。あのメロディと歌詞が一緒に出てきて、「これはいいな」って思って、ずっと歌いながら走って帰りました。アレンジとかも全部頭の中に浮かんでて、「これは早く形にしないといけない」って思った曲ですね。

Q)これまでは、メロディが先行で作られていたんですよね?
前はそうでした。でも、それやめました。

Q)「やめた」って…、やめられるもんなんですか?
そういうものは、そういうものでアリなんですけど、でも、キャッチーなものは、やっぱり、そうやって同時に出来るものなんだなって。

Q)「Twenty-four seven」は、日本の曲ではなかなかないような音の動きをしていて、しかも英語なので、まるっきりアメリカの音楽に聴こえます…。しかも、言葉も、音としてメロディとの相性がいいです。音としての言葉の乗りが悪いと耳に残らないですからね…
そうそう。リズミカルだしね。



Q)今回のアルバムで、ほとんどの歌詞を書かれている KAZUKI さんとは、いったい何者なのですか?
そうですよね〜、ネット上でも、「誰なんだろう?」って結構書かれていますね…。実は、2011年に、私が東北の被災地支援をしている時に、その人と出会ったんです。

Q)えっ? それじゃあ、この方は、もともと歌詞を書いていた人ではないのですか?
じゃないんですよ…。素晴らしい文章を書ける人だったので、試しに「かれ木に花を咲かせましょう」を書いてくれるか頼んでみたら快く引き受けてくれました。

Q)それでアルバムのほとんどの曲を…?
本当に一曲一曲、徐々にだったんです。たとえば「くじらの唄」…、この曲は、サビの「♪くじらの唄が聞こえますか… くじらの唄が歌えますか… くじらの唄を歌いながら…」の歌詞がメロディと一緒に出て来て、あとはコンセプトをKAZUKIさんと一緒に話し合いながら書いてもらいました。この曲も、すぐにコンサートで歌い始めました。

Q)それで、その後は、次々と…
そう、その後が、たしか「Take a chance」だったのね。とにかく、「言葉とリズム」のマッチングをよく理解している人ですね。

Q)「Take a chance」では、「どんな小さな1歩であっても 踏み出すのは勇気がいるよね」ところが印象的です…
私もその部分が大好きです。

Q)でも、年代関係なく、いくつになっても勇気づけられる曲です…
ええ。そうなんですよね。もともとは、悩んでいる学生に向けてだったんですけど、結果、大人たちだって同じことだった…ってことですね。

Q)あと、歌詞がすごいと思ったのは、「約束」ですね。こういうテーマって、シンガーソングライターの方は、あまり扱わないテーマではないかと…
そうですよね〜。この曲は、そもそもKAZUKIさんの歌詞が先にあって、ところがその歌詞に上手く曲がのせられなくて… そこで、その歌詞のイメージだけを使って、以前から温めていたメロディの切れ端を曲にまとめました。それをKAZUKIさんに渡し、再び新しい歌詞を書いてもらいました。ですから、この曲には、かなりの時間が、かかっています。

Q)「ひめゆりの丘」は題材としては重い内容ですが、サビになるとメロディがメジャーになって広がっていく感じになっていて、それで救われる感じがします。壮大な「祈りの歌」のように感じます…
6月に出た「東京新聞」(6/14)にも、この「ひめゆりの丘」のことを書いているんですけど、やはり、ひめゆりの学徒の生き残った人たちの祈りを、戦争を知らない世代に伝えて行きたいという想いですね。「それを伝えることが私たちが生きる意味」ということを彼女らは言っているんですけど、そういう女性がいる時代に私達はいるので、これをなんとかあとに伝えていくためには何をしたらいいかってKAZUKIさんと相談して、この曲が生まれました。歌は歌い継がれるものだから、私達がこの世を去ってもあとにも残るじゃないですか。

Q)八神さんは、もともとはご自身で歌詞を書かれていますが、今回、「さくら証書」と「」「My universe」以外は、ほぼKAZUKIさんに任せています。ご自身でも書かかれるのに、人に託すというのは、どうしてですか?
それはね、私が25年間、日本にいなかったってことが大きかったですね。もしも、KAZUKIさんがいなかったら、自分でもっと書いてたかもしれないんですけど、日本の歌詞もずいぶん変わってきていますからね。とにかく、私の想いを伝えると、私よりも、私が自分で書くように書いてくれたのでね。今の私の年齢を表現できるっていうか、「ああ、こういう風に書きたかったな〜」って思うように書いてくれるんですよ。

Q)そうすると、毎回、「こういうテーマの歌詞にしたいんだ…」ってことと、その「想い」をKAZUKIさんに伝えていたのですね…
うん、そう。でも、全く伝えなかった曲もあったんです。それで、出来上がった歌詞が、想像と全く違って、その裏切りがすごくうまくいったのは、「初めての愛」ですね。あれは、加納さん(プロデューサー)も私たちも、スタッフ全員、最初は、もっと大きな元気の出るようなメッセージソングをイメージしていたんです。大きな「平和を祈ろう!」みたいな応援ソングをね。そしたら、KAZUKIさんが「これはラブソングしかないでしょう…」みたいな…(笑)。「今日の終わりに」も、最初は全く違う私の英語の歌詞で歌っていました。

Q)「People will be people」は、日本語を乗せるのがとても難しいメロディです。たとえば、英語のように子音が多くてリズミックな言語だと乗りやすいメロディですが、これに日本語の歌詞をつけるというのは大変なことです…
そうなんですよね〜。KAZUKIさんは、リズムを崩さない言葉を選んでくれるんですよ。たとえば、「♪Good people そんなに善人じゃなくて〜」って、強いところがくるところも、ちゃんと合わせてくれるんですよ。音符の数に合わせて何通りも言葉を選んで、実際に歌ってみて、どれが一番はまりがいいかを決めているみたいです。気が遠くなるような作業ですね。

Q)八神さんの「想い」を理解して言葉に出来るだけではなくて、メロディのリズムも理解されているということですね…
そうなんですよ〜。たとえば、「Take a chance」の「♪ダララン ダララン 〜」って私が歌うとね、その「ダララン」のリズムを壊さないように言葉を選んでくれます。大事なのは、「♪ダララン〜」の「ン」のところがわかる人、決して「♪ダラララ〜」じゃないんですよね。そこがわかる人はなかなかいないですね。

Q)しばらく日本にいらっしゃらなかったとは言え、本質的に思っていることは共通で、時代も国も関係ないと思います。ただ、それを、「より伝えるために、今の日本を感じている人を使った方がいい」というジャッジは、ご自身を客観視しないと出来ない、ある種プロデューサー的な感覚ですね…
ライブで、どんどん新しいものを歌ってみることができたし、お客さんの反応も良かったし…、私は、こういう歌詞を書ける人を見つけたってことがすごいなって思いますけど…(笑)。


  八神純子 コンサートツアー 2013 「Here I am」
  公演スケジュールはコチラ!

アルバムCD 「 Here I am 〜Head to Toe〜 」  

2013年 6月 5 日発売
Sony Music Direct
MHCL-2282 ¥3.000(税込)

<CD収録曲>

01. Here I am
02. Take a chance
03. 初めての愛
04. 翼 (Symphony)
05. 約束
06. Rising
07. くじらの唄
08. ひめゆりの丘


09. Twenty-four seven
10. My universe (Recorded in LA)
11. People will be people
12. さくら証書 (Recorded in NY)
13. 今日の終わりに
14. かれ木に花を咲かせましょう (Live)
15. Smile (Live)


愛知県・名古屋市出身、米国カリフォルニア州在住のシンガーソングライター。1974年、16歳で初めて作詞作曲した「雨の日のひとりごと」が、第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト(POPCON)優秀曲賞に入賞し、同年第5回世界歌謡祭に出場。翌1975年に行われたPOPCON第9回大会でも優秀曲賞に入賞し、同年の第6回世界歌謡祭では歌唱賞を受賞。1978年、20歳の時、シングル「思い出は美しすぎて」でデビューし、いきなり12万枚のヒット。その後、「さよならの言葉」「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「パープル・タウン〜You Oughta Know By Now〜」「Mr.ブルー 〜私の地球〜」などヒット曲多数。1986年、イギリス人の音楽プロデューサーJohn Stanleyと結婚し、1987年にはアメリカに移住。1男1女の母。2011年には、東日本大震災を受けて5月からは被災地支援の『トランス・パシフィック・キャンペーン』を企画し現在も継続中。同年11月には、10年ぶりとなる日本公演を東京 SHIBUYA-AX で行い、翌2012年、アルバム「VREATH -My Favorite Cocky Pop-」とシングル「さくら証書」を発売し、日本での活動を本格的に再開。25年ぶりとなるコンサートツアーを全国50か所で行う。2013年3月には、東北支援チャリティーシングルCD「翼/かれ木に花を咲かせましょう」を発表。 4月からは全国ツアー『Here I am』がスタート。 6月5日には、16年ぶりとなるオリジナルアルバム「Here I am 〜Head to Toe」を発売。

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