Q)「My universe」では、長女のエマ(Emma)さんとデュエットされていますが、あまりにも声が似ていて、どっちがどっちかわかりません…
似てるでしょ〜。うちの両親にもわからない。

Q)(歌詞カードを見せながら)ここのブロックはそうじゃないかなと…
えっ、どこどこ…? (歌詞カードを見ながら)あ〜、みんなそう言うんだけど、違うんですよ。KAZUKIさんもそう言ってたんですけど、違うんです〜。

Q)だとしたら、本当に全くわからないですね…
わかんないでしょ。

Q)それほどわからないということは、ただ単に声が似ているというだけではなくて、歌唱力もすごいということです…。エマさんも音楽やっていらっしゃるのですか?
ええ、今、ウエイトレスをしながら大学に通ってますけど、彼女も音楽をつくっています。将来、音楽をやっていきたいって言ってるんで、この曲の歌詞を私と共作しました。その後、「ロスでレコーディングしている曲の仮歌を歌っておいてくれる?」って言ったら、「オッケー」ということで仮歌を歌ってもらったんです。そしたら、私とあまりに似ている部分があって、「ではそこはそのまま残して、コラボにしよう」ということになりました。

Q)エマさんは、八神さんの音楽を聴かれるのですか?
ええ、すごく好きなアルバムが「RENAISSANCE」って言ってます。

Q)うれしいですね…。下のお子さん、長男のノア(Noah)くんは、昨年、高校を卒業されたんですよね?
そうです。今、大学に行ってます。彼も歌を歌いますよ。YouTubeにアップしてる…。

Q)ホントですか〜? じゃあ、今度は、息子さんとデュエットがあるかもしれませんね?
ああ〜…、それは多分ないと思うなぁ〜(笑)、わかんないですけど…。

Q)ノアさんと言えば、2012年にシングルとして発売されて、今回のアルバムにも大江千里さんのピアノとで一発録音されたバージョンが入っている「さくら証書」は、ノアさんの卒業に合わせて書かれた曲ですよね…?
ええ、そうです。卒業をテーマにした曲をいつかは作りたいって、ずっと思っていたんですけど、ちょうど、ノアが高校を卒業するタイミングで出来ました。

Q)「さくら証書」は、卒業式の瞬間に感じる親の気持を歌った歌ですが、中でも、「生まれてくる時 子供たちは皆 父と母を選ぶのだと いつか教えられた…」という歌詞が印象的で耳に残ります…
あれは友達から聞いた話なんです。ノアと エマが小さい時に、私の友達が、「子供たちって、みんな親を選んで生まれてくるのよ…、ノアもエマもジュンコを選んで生まれてきたんだから…」って言ってたんです。

Q)こういう発想は、あまり日本的じゃないですね…
そうですよね〜。でも、日本の方、岐阜の方なんです…(笑)。

Q)ある程度、年齢を重ねた人の方が心に沁みる歌です…
そうですよね。この曲は、ずっと歌っていきたい曲のひとつですね。

 


Q)「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜」などは、曲は八神さんですが、三浦徳子さんが詞を書かれています。当時、ご自身ではなくて、なぜ、三浦さんの詞で歌うことになったのですか…?
だいたいは、ディレクターの判断ですけど、三浦さんの場合は、サウンドエンジニアの石塚(良一)さんが、「こういう人がいるよ」って紹介してくれました。

Q)原宿の歩道橋でメロディが浮かんだというエピソードが有名な大ヒット曲「みずいろの雨」は、「ラララ」でメロディを完成させて、その後、三浦さんが詞をつけたのだと思いますが、最初に、出来上がった歌詞を見てどう思われました?
そうですね。あれはね、すごいしっくりきましたね。本当に、自然にさらりと歌えたというか。でも当時は、あんまり意味も考えないで歌っていたかもしれないですね。あの頃は、歌詞も含めて、とにかくきれいに歌えばいいと思っていましたから、ひとつひとつの言葉を説得力を持って歌わなくてもいい歌詞だったのね。

Q)三浦さんの詞は、八神さんが書くメロディとのマッチングがいいですね。「みずいろの雨」もそうですが、たとえば、「想い出のスクリーン」も、「♪愛しているのなら 愛していると 言葉にすれば 良かった〜」というところが、言葉のメロディの乗り方が良くて、耳に残ります…
そうですよね〜。ああいうのは彼女は上手ですよね〜。彼女は、「あなたの声には私の歌詞が合うのよ〜」っていつも言ってましたね〜(笑)。

Q)その頃、ご自身で歌詞を書かなくても面白くないとは思っていなかったんですか?
あっ、ぜ〜んぜん! 私、もともとは、自分で曲も書かないでいいと思ってたくらいだから。

Q)えっ、そうなんですか?
ポプコンでも、最初は、地区大会で他の人が作った応募曲を歌う係として、歌だけ歌ってたんです。それで、私が歌うと、どの曲もみんな賞がもらえて、次の段階に行けるわけね。でも、その賞をもらえるのは私じゃなくて、作曲した人なわけ。その時、「これはなんかすごくソンしてる…」って思って、それじゃあ「賞をもらうためにはどうしたらいいか?」って考えて、「あっ、自分で曲を書けばいいんだ!」って思って、それで、「雨の日のひとりごと」って曲を書いたんです。

Q)えっ、「雨の日のひとりごと」が初めて書いた曲なんですか?
そうです、あれが1曲目なんですよ。賞をもらうために書いたんです。だから、作詞・作曲は、私が賞をもらうために、注目してもらうために始めたことで、もともと自分が表現したいことがあって書き始めたわけじゃないんです。


Q)そうだったんですか! シンガーソングライターを目指したわけではなくて、シンガーになるための、ある種のステップ、手段として曲も書きはじめたということですね…
そうなんです。自分で曲を書くってことへの執着心は、人が思うほどなかったんです。今はちがいますけどね。たとえば、カバーアルバムの「VREATH」は、ちょっと違った理由で作り始めました。ソニーの担当の加納さん(プロデューサー)が入院していて、彼がかねてから作りたかったコッキーポップのカバーアルバムを「作ろう!」と言えば早く元気になってくれると思ったのがきっかけです。歌手としての復帰第一弾としては良かった…。でも、その結果、やはり自分で作品を作りたいという気持ちが強くあることに気が付いて、オリジナルアルバム「Here I am」が出来たのだと思います。

Q)そのカバーアルバム「VREATH」では、中島みゆきさんの「時代」を歌われています。この「時代」って曲は、ポプコンでのグランプリを目指していた八神さんにとっては、1975年の第6回・世界歌謡祭でグランプリを争って負けた曲なので、ずっと「憎たらしい曲」ではなかったのかなと思います。なので、ましてや歌うなんてことはもちろん、聴きたくもない曲ではなかったのですか?
う〜ん、そうですね〜、たしかに「気に入らない曲」だったんですけどね〜(笑)。でも、それを、東北の震災が変えるんですよね…。

Q)それは、震災のあと、東北で被災地支援活動をされてた時のことですか?
そうなんです。ある町長さんが「中島みゆきさんが来て『時代』を歌ってくれないかな〜」って言ってるんだよね〜、ってことをヤマハの人から聞いたんですよ。それで、「あっ、そうかぁ〜、あの曲を聴きたい人がいるんだな〜」って思って、「じゃあ、私が歌おう」って思って歌い始めたんです。

Q)中島みゆきさんという人のことはどう思いますか?
みゆきさんですか〜? そうですね〜、すごい才能のある方だと思いますし、尊敬しています。ある番組でもコメントしたんですけど、日本を出てアメリカでやっていける人のひとりだと思います。日本語で歌ってうけるアーティストのひとりじゃないかなって思いますね〜。



Q)たとえば、デビュー曲「思い出は美しすぎて」の歌い出し、「♪やさしく〜」の「く〜」の音は、コードの音からはずれた音、音楽的には9thというテンションノートで(ラドミというコードに対してシの音)、それが、当時の日本の歌謡曲とは全く違って聴こえて新鮮でした。そういう、テンションノートをうまく使った、洋楽のようなメロディラインはどうして書けたのでしょうか?
そればっかりはわかんない…。そもそも、なんで曲が書けないのかがわかんないって言うか…。「みんな書けるんじゃないの?」って思うくらいなんです…。

Q)「思い出は美しすぎて」だけではなく、初めて書かれた「雨の日のひとりごと」も「みずいろの雨」でもそういう洋楽のようなメロディセンスを感じます。そういうセンスは、聴いてきた音楽と関係があると思いますが、どういう音楽が影響していると思われますか?
たぶんね…、小学校のころ、うちの母が映画音楽をよく聴いていたからだと思います。母は、邦楽を一切聴かない人で、いつも、ウチの中では、洋楽が流れていて、それを自然と聴いていたんでしょうね。あと、私、ザ・ピーナッツが好きだったから、ザ・ピーナッツを通じてアメリカのポップスを聴いていたりとか…、たぶん、そのへんだと思います。ただ、もしかしたら、音楽を聴く耳っていうのが、他の人と違ったかもしれないですね…。

Q)聴きとっているところが違ったのかもしれませんね…
う〜ん、そうかもしれませんね。昔から、曲を聴いたら、すぐ覚えられるっていうのはありましたね。

Q)ほかに、当時、よく聴かれていたのは…?
ああ、えっとね…、ニール・セダカが大好きでした。トム・ジョーンズとか、アンディ・ウィリアムスとか、そういうのも大好きでしたね。あと、ミッシェル・ポルナレフも大好きだった…、ちょっと変わってるんだけどね(笑)。それに、もちろん、カーペンターズとかも大好きだったし、「サウンド・オブ・ミュージック」も死ぬほど大好きでしたね。「サウンド・オブ・ミュージック」の世界があったから、今回のアルバムの「ひめゆりの丘」が書けたりするんじゃないかな。

Q)「思い出は美しすぎて」も「みずいろの雨」もそうですが、ボサノバやサンバなど、当時は珍しかったラテン系のサウンドも、八神さんの特徴でした…
それは、セルジオ・メンデスが大好きだったからですね。初めて作った曲「雨の日のひとりごと」もボサノバなんですよね。作ると、みんなボサノバになっちゃうような、それくらい自然に私の体の中にあるリズムですね。ボサノバやサンバは、いつか、それだけでアルバムを作ってみたいって思うくらい大好きです。

Q)当時、八神さんのトレードマークと言えば、白い『CP80』(YAMAHAの打弦式エレクトリックグランドピアノ)と、首から下げた『サンバホイッスル』です。とくに、「みずいろの雨」やデビュー曲「思い出は美しすぎて」で使われていたサンバホイッスルは、世の中の人の多くは、八神さんが使い始めて初めてその存在を知ったと思います…
かもしれませんね…。「思い出は美しすぎて」の間奏にサンバホイッスルが入っているんですけど、でも、あれね…、実は、サンバホイッスルじゃなくて、体育の先生が使う「笛」なんですよ…。

Q)えっ! あの銀色で「ピリピリピリ〜」ってうるさい音のする呼子笛ってやつですか?
そうなんですよ〜。

Q)それはウィキペディアにも載りそうな衝撃的な事実です! まあ、基本的な構造は同じですけど…
そうそうそう。まあ、レコーディングですから、音を柔らかくしたりとかしているとは思うんですけど…、あれは体育の先生が使う笛なんです。でも、あれを下げて歌ったんじゃ様にならないっていうんで、それで、サンバホイッスルを手に入れたんですよ。実は、木でできたものもあって、それが、やさしい音が出るんですよね…、虫が鳴くような、やさしい、あったかい音がね。

Q)今も、コンサートで白い『CP70』(YAMAHAの打弦式エレクトリックグランドピアノ)を使っていらっしゃいますが、あれはもう製造終了になっています…
そうなんですよね〜、昔使っていたのは、もうないですよね。いろいろなところを探していたら、たまたまソニーの方が持っていらして、それを白くしたんです。

Q)鍵盤が、普通のアコースティックピアノよりも重く、鍵盤の戻りも遅い感じがして、弾きにくいピアノのように思いますが…、それほど気に入っているのですか?
そうそう、重いですね…、爪なんかみんな折れちゃう。まあ、いいと言うか…、もともと、あれは、私の所属事務所がヤマハだったので、ピアノの宣伝係の意味もあって使い始めたものなんですけどね…。でも、そのイメージが定着したので、今でも使っています。



Q)これまで聴いてきた曲の中で、とくに歌詞が印象に残っている曲を教えてください…
う〜ん、そうだなぁ〜。やっぱり、中島みゆきさんの歌詞ってスゴイなって思いますね。たとえば、「かもめはかもめ」、あれって、「かもめはかもめ」って言っただけで、全てがわかるじゃないですか。素晴らしいと思います。

Q)他にもありますか…
そうだな〜、ユーミン(松任谷由実)も素晴らしいと思います。とにかく、歌詞についていつも思うことは、言葉のリズムを上手く使ったものじゃないと、私は聴いててつまんないってことですね。言葉のリズムを崩したものだと、ソングライターとしても、ちょっと評価が低くなっちゃうんです。そういう意味で、素晴らしいなと思ったは、尾崎亜美さんの「♪あっ 気持が 動いてる たった今 恋をしそう〜」(「マイ・ピュア・レディ」)、あのフレーズはすごいと思いましたね。自分が曲を書く時、「ああじゃなきゃいけない…」って、毎回、姿勢を正される曲ですね。

Q)他に、アーティストとして、スゴイなって思う人はいますか?
ああ…、私、槇原(敬之)さんてすごいと思いますね。彼は素晴らしいなって。

Q)どういうところがいいんですか?
あのね〜、やっぱり彼はいい音楽を聴いて育ってきてるなって思うんです。外国の音楽を聴いて、それを、うまく日本にしてるって思います。私と同じように、映画音楽を聴いて育ったとしか思えないんですけどね。

Q)うまく日本のポップスとして昇華している…
そうそう。で、心を耕すような歌詞を書いていますよね。お会いした時に、「私の日本の心が耕された」って表現をしたんですけどね。そういう歌詞ですね。久しぶりに日本に戻った時に、彼の音楽を聴いて「ああ、日本の音楽が変わってきたんだ」って感じましたね。しばらく、日本の音楽からは全然遠くにいたんですけど、彼の音楽以降、なんかすごくよくなった気がする。

Q)最近聴いた音楽で、すごくいいと思ったアーティストとか曲はありますか…
私、きゃりーぱみゅぱみゅ大好き…。

Q)そんなの聴いていらっしゃるんですね…
聴きますよ〜。いろいろ聴いてます。

Q)大好きなのですか?
素晴らしいなって思います。違った新しい言葉を作りましたからね。今まで、日本語で外国に出て行こうと思った人ってたくさんいましたけど、結局、言葉の問題があって行けなかったでしょ。でも、彼女のスタッフは、外国でもうける日本語を作ったんだよね。それが素晴らしいと思って…。韓国の音楽が外国でもうけるのは、やっぱり言葉がね、きれいなの…。

Q)リズムがあって平坦じゃない?
そう。だけど、それを日本語でうまくやってのけたのが、彼女のスタッフだと思って。

Q)ほかに、好きで聴いているものを教えてください…
スピッツも大好き!すごいなって思う。でも、最近は、素晴らしいアーティストがいっぱい出てきてるなぁって思いますね。

Q)ところで、今もカリフォルニアにお住まいですが、4月から日本でツアーをやっていらっしゃいます。その間は、ずっと日本でホテル住まいですか?
そうですね、基本的には、ずっと日本にいますが、1ヵ月に1回くらいは帰ってます。

Q)行ったり来たりで大変ですね…
う〜ん、そんなに大変でもないですよ。私の人生、今大変なことはひとつもないんです。

Q)何か不便なこととかはありませんか?
あの〜、あまり文句を言わなくなったので…(笑)。たとえば、ホテルのチェックイン・チェックアウトですら、面倒くさいと思えば、限りなく面倒くさくなるし、飛行機だってね…、気の持ち方ですよね〜。もう、今は、なんにも気になんないです。

Q)日本とアメリカで、同じくらいの長さ生活をされていますが、それぞれに良いところ、悪いところを感じていらっしゃると思いますが…
そうですね〜、たとえば、日本の子供のしつけとかは、すごくいいなと思う部分がたくさんありますね。アメリカの子供たちって、結構自由にやらせてもらっていますからね。あと、早く大人になっちゃうんですよね、アメリカの子どもたちって。まあ、どっちも善し悪しなんですけどね〜。

Q)やはり、子育てという部分での違いを強く感じるのですね…
私は、アメリカに暮らして、子育てをアメリカでしてたので、最初は、「日本のいいところと、アメリカのいいところの両方を…」って思ってたんですけどね。でも、それは実際は難しいことだったんですよね…。

Q)たとえば…
そうだな〜、たとえば…アメリカの門限て遅いんですよ…、夜中の1時とか。

Q)え〜っ! そうなんですか?
そうそう。たとえばね、高校生で、スポーツの試合とかがあって、チームでラスベガスとか行くじゃないですか。それで、ラスべガスの真ん中で、みんなで夕飯食べて、「あした試合だから、ホテルの部屋には2時までには帰るように!」って、コーチが言うんですよ〜。

Q)それは、日本的には遅すぎますね…。だいたい、日本だと試合前日なら外出禁止です…
でしょ〜、日本だったらあり得ないでしょ。それで、子供たちは、2時までに帰るって言って、「それまで遊ぶから、お母さん、また、その頃にまた迎えに来て!」って平気で言うんですよ〜。考えられないでしょ。でも、そういうとこって、思いっきり遊ばせてもらえるのよね…アメリカって…。

Q)でも、それもアメリカの良さでもありますよね。特徴って表裏ありますし、どっちがいい悪じゃないですよね…
そうそう。どっちも、いいこともあり、悪いこともあり。だから、私がアメリカで暮らして良かったと思うことは、文化っていうのは、本当に全く違うんだなってことですね。それぞれ良さがあるんだなって気付けたこと。だから、なんでも受け入れられるようになったし、物事、いいことと悪いことと背中あわせなんだなってね。

(2013年06月、取材・文:西山 寧)


  八神純子 コンサートツアー 2013 「Here I am」
  公演スケジュールはコチラ!

アルバムCD 「 Here I am 〜Head to Toe〜 」  

2013年 6月 5 日発売
Sony Music Direct
MHCL-2282 ¥3.000(税込)

<CD収録曲>

01. Here I am
02. Take a chance
03. 初めての愛
04. 翼 (Symphony)
05. 約束
06. Rising
07. くじらの唄
08. ひめゆりの丘


09. Twenty-four seven
10. My universe (Recorded in LA)
11. People will be people
12. さくら証書 (Recorded in NY)
13. 今日の終わりに
14. かれ木に花を咲かせましょう (Live)
15. Smile (Live)


愛知県・名古屋市出身、米国カリフォルニア州在住のシンガーソングライター。1974年、16歳で初めて作詞作曲した「雨の日のひとりごと」が、第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト(POPCON)優秀曲賞に入賞し、同年第5回世界歌謡祭に出場。翌1975年に行われたPOPCON第9回大会でも優秀曲賞に入賞し、同年の第6回世界歌謡祭では歌唱賞を受賞。1978年、20歳の時、シングル「思い出は美しすぎて」でデビューし、いきなり12万枚のヒット。その後、「さよならの言葉」「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「パープル・タウン〜You Oughta Know By Now〜」「Mr.ブルー 〜私の地球〜」などヒット曲多数。1986年、イギリス人の音楽プロデューサーJohn Stanleyと結婚し、1987年にはアメリカに移住。1男1女の母。2011年には、東日本大震災を受けて5月からは被災地支援の『トランス・パシフィック・キャンペーン』を企画し現在も継続中。同年11月には、10年ぶりとなる日本公演を東京 SHIBUYA-AX で行い、翌2012年、アルバム「VREATH -My Favorite Cocky Pop-」とシングル「さくら証書」を発売し、日本での活動を本格的に再開。25年ぶりとなるコンサートツアーを全国50か所で行う。2013年3月には、東北支援チャリティーシングルCD「翼/かれ木に花を咲かせましょう」を発表。 4月からは全国ツアー『Here I am』がスタート。 6月5日には、16年ぶりとなるオリジナルアルバム「Here I am 〜Head to Toe」を発売。

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