自分の気持ちを抉ってでも伝えたい想い…。60枚目のニューシングル!

 2022年9月21日に“GLAY”が60th Single「Only One,Only You」をリリースしました。タイトル曲は、TAKUROが今の世の中に対する想いと祈りを込めた1曲。ロックバンド・GLAYとして、強い意志を感じるナンバーに仕上がっております。今回はそんな最新曲を書き上げたTAKUROにインタビューを敢行。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が制作のきっかけである今作のタイトル曲。兵隊をひとりの人間として見つめ、向き合い、伝えたかった強い想いとは…。さらに、自身の歌詞の出発点である地元・函館についてのお話。GLAYのメンバーそれぞれの歌詞の魅力など、じっくりとお伺いしました。最新作と併せて、TAKUROの歌詞愛を受け取ってください。
(取材・文 / 井出美緒)
Only One,Only You作詞・作曲:TAKURO充分と言える 戦いには疲れた いつかまた会おう
瓦礫の街に花戻る頃 未来誓った者同士
愛を込めてOnly We Can Make It Right Only We Can Make It A Good One
Only We Can Make It Shine Only You Can Make It Be
もっと歌詞を見る
俺はもうGLAYの4人以上のマジックには出会えないだろうな。

―― TAKUROさんには『言葉の達人』にもご登場いただき、ありがとうございます。大きな歌詞愛を感じました。

あぁよかった。僕は「歌詞」→「メロディー」→「ギター」の順番でものづくりをしてきたんですよ。キャリアのきっかけは作詞だった。だから自分の重心はわりと歌詞にある気がします。

―― 13歳ごろから日々の想いをノートに綴るようになったそうですが、当時のいち少年はどんなことを考えていたのでしょうか。

今聞かれて思い出したんですけど、書いていた半分は状況や情景描写、半分が気持ちだったんですよね。中学生だから不満や不安、未来について考えていたのかなと思いきや、意外とそうではなかった。

たとえば、初期に「函館」ってタイトルの曲を書いていまして。函館って夜景が有名なんですけど、僕が生まれる前に、函館が一斉に停電になったことがあるんです。そのとき、たまたま函館山に登って夜景を見ていたひとがいて、突然光が消えた。そして復旧されて灯りが点いた瞬間、「うわーっ!」って言った。…という歌詞なんですよ。まったく俺の気持ち関係ないじゃないですか(笑)。

―― そのお話をお伺いしただけで、ぶわっと情景が思い浮かびました。

そうやってルポタージュ的に、「起こったことを伝える」ことも歌詞になるんだなぁって。だから今でも自分の気持ちがうまく表現できないとき、煮詰まったりしなくなりましたね。そういうときは、「うまく言えない、うまく書けない」状況そのものを書けばいいという逆転の発想ができる。函館であの頃に手にした、小さな哲学みたいなものはずっと僕を助けてくれていますよ。

―― 函館で暮らしていたときと、上京されてからでは、かなり見える景色が変わりましたよね。

そうそう。だから、北海道の自然を歌ってきたGLAYが、頭10年ぐらいのとき明らかに、その貯金を使い切った感はありました。函館は強烈に四季を感じさせる街なんですよ。秋には木々が老いて死んでゆき、すべてを凍らせる冬があり、そして春がくる。その変わりざまに言葉が落ちているので。だけど、東京の人々の悩みごとって、大部分が人間関係じゃないですか。

―― そうですね。

自然との対峙みたいな感じではない。そのなかで、自分が東京の人間に移ろい変わっていくことに抗いながらも、やっぱり染まっていくところがあり、「もう函館にいた頃のような歌は書けないのかもしれない」と思いました。

それから函館に仕事部屋を作ったんです。何かヒントが欲しいときは函館に戻って、昔歩いた道なんかを歩きながら、たまに知らない路地に入って迷子になってみたり(笑)。何者でもなかった自分のあの気持ちをたくさん掘り起こす。それは作詞以外にも自分の人生、自分の心を整える意味で非常に有効でした。

―― 函館はご自身のすべての原点なんですね。

TERUも同じ思いなのか、函館にスタジオを作ったんですよ。起きて、裸足でブースに行って、そのまま歌うみたいなね。足の裏から感じる故郷感があるんだと思います。

そのせいか明らかに前回のアルバムぐらいから歌がよくなりました。もともとよいんだけど、さらに自分の歌がどこから生まれているのかちゃんと理解しながら歌っているひとは強いなと。そして僕も同じような気持ちでやっているから、作詞する側と歌う側のコネクティングがいい感じで。ここ最近より納得のいく作品が次々生まれていて、嬉しい限りですね。

―― ちなみに結成当初、TAKUROさんがおひとりで描かれていた歌詞の世界を体現できる声として、TERUさんの歌声はバチーンっとハマったような感覚があったのでしょうか。

なんというか…これはもうずっと言い続けているんですけど、僕は人生で2回しか腰を抜かしたことがなくて。1回は氷室京介の声を聴いたとき。2回目はTERUが歌ってくれたときなんですよ。

photo_01です。

TERUはもともとドラム担当だったんですけど、シンガーがなかなか見つからないから、「俺、仮で歌ってみたよ」ってテープを持ってきて。それを聴いたときもう、「あなたは明日から歌いなさい。ドラムのバチを捨てなさい」みたいな(笑)。あいつもシンプルな人間だから、「いいよ! なんでも好きだし!」って感じで。まぁそれから30年近い月日が経つんですけど、80年代に函館という地方都市で、TERU、HISASHI、JIROと出会えるってねぇ…。

―― 奇跡ですね。

はい。人生で最大の神様のいたずらと言いますか。ギフトと言いますか。冒頭でも言ったように、自分のなかでギタープレイのプライオリティが低いので、HISASHIがいてくれたことも大きいですし。TAKURO、TERU、HISASHIという超適当なひとたちのなかに、JIROという管理官がちゃんといてくれるおかげで人の道を外さずに済んでいるところもありますから(笑)。もう1回違うバンドを作れと言われても無理ですね。提供したアーティストには申し訳ないけれど、誰に曲を書いても明らかに自分のキャリアのピークはGLAYです。俺はもうGLAYの4人以上のマジックには出会えないだろうなと思います。

―― TERUさんの歌声は年々、表現力や温かみが増し、より味わい深くなっているようにイチファンとして感じます。TAKUROさんは今のTERUさんの歌声をどのように感じますか?

ひとつ挙げるなら、持っている声の倍音具合とその伸びがここ2、3年かなりよくなっているなと。だから「クロムノワール」からの「Only One,Only You」あたりは、ロングトーンで聴かせる部分を増やしたかったんです。

かつてGLAYは言葉をたくさん詰め込んで、マシンガンみたいにメッセージを発することで、人々の耳をなんとか捉えようとしていたけれども。TERUの歌声が変わったので、言葉もメロディーも変わっていく。ここ何年かのTERUの声の伸びの素晴らしさにふさわしい言葉遣い、音遣いを意識していますね。

―― では、TAKUROさんご自身が年齢や経験を重ねるにつれ、歌詞面で変わってきたところはありますか?

歌詞かぁ…。まず正直、僕が今、20代のひとたちの歌を聴いて、心の底から感動することは、多分ないと思います。なぜならばその道を僕はもう通ってきたから。たとえば20代の頃、彼女に会えない時間が自分をとっても苦しめてはいた。けれどそこから僕は素晴らしい女性と出会って、結婚をして、今18年ぐらいになるのかな。愛をより深く知り、「一日会えないからなんだ?」って話になるわけですよ。会いたすぎて布団とか噛まないわけですよ(笑)。愛というものが、「相手がずっと健やかに穏やかに暮らせるように」という前提であるものに変わった。すると、ギラギラと焦がれるようなラブソングは、僕にとってもうリアルタイムではない。そういう歌詞は20代の頃に思いっきり書いてきたつもりなので、それはひとつの財産として大事にするんですけどね。

今ではもっと肩書きというか、顔が増えて。夫であり、父親であり、バンドのリーダーであり、会社の社長であり、今を生きる責任ある大人である。そういう面は20代の頃にはありませんでしたから。新しい顔を持ったら、新しい歌詞が生まれるんだなと感じます。もちろんマーケットを見て、今のメイン層に合わせた歌もアルバムの10曲中3曲ぐらいはトライするかもしれない。だけど残りは、今の51歳・久保琢郎として伝えたい想いに忠実で在りたいんですよね。生きる流れをドキュメントとして見せるのがGLAYなんだと思うから。

最近メディアに出るとき、メンバーの見せる顔が変わってたところもあるんですよ。ずっと一緒に生きてきているからわかるんですけど、穏やかに大きくなった。昔だったら頑なに隠していた人間味を、あえて今見せることで自分たちの音楽に対する理解を深めてもらいたくて。そういった人間的な成長がGLAYのメンバーひとりひとりに起きているんです。そして、世の中の状況に応じて、足りないものを出すようになった。たとえば、コロナ禍で世界的な分断が起きたとき、「今、人間に必要なものは何だろうか」と考えて音楽を作る。それは、30年間やってきたGLAYが仕事になった証でもありますね。

「自分のことをわかってくれ!」って、赤ちゃんのように泣き叫ぶ歌も、説得力があるんだけれども。それよりも今を生きる大人として、未来に残したい。今の下の世代に伝えたい。もし音楽の神様がいるとしたら、「お前らのやることはこうだぞ」って言っている気もして。もうセールスがどうとか、右だ左だの批判がどうとか、そういうのは恐れずに。よいものはよい、悪いものは悪い、俺はこう感じている、そこを決して無視しない。それは20代の頃にはなかった歌詞に対する覚悟ですね。

―― その「覚悟」というところは『言葉の達人』にも、「この言葉は誰かを傷つけるかも知れないが自分にはその覚悟があるのか否か?」を作詞の際に一番気をつけると書かれていましたね。

そういう覚悟って、20代の頃もなくはなかったけれど、軽かったと思います。年々、言葉の限界や可能性、定義を考えるようになってきた。歌ネットのなかにある、たくさんの歌詞。それはすべて文字で表現されているわけだけれども。文字はあくまでも人間があとから発明したものだから、人間の意図のもと、嘘をつける。たとえば俺は誰かに、「顔色悪いよ? 大丈夫か?」って聞かれたら、大丈夫じゃなくても「大丈夫」って言う。それは本心ではないですよね。

それなら、本当の感情は何だろうかと。嘘とは何か。優しさとは何か。それをずーっと揺れながら考えてみたけれど、やっぱり自分の人生を言葉が追い越すことはないと気づいた。じゃあどう付き合っていけばいいのか。これはもう、吐き出した言葉に対して、行動で示していくしかない。「俺は浮気をしません」と言っても、それが本当かどうかは口にした俺すらわからない。死ぬまで浮気をしなかったら、そのときようやく「しない」という言葉に本来の意味を与えられる。

それは歌詞も同じで。書いた時点では、それがどんな意味を持つことになるかまったくわからないわけです。だけれども、もしこの言葉で傷ついたひとがいて、何か真意を知りたがっているのであれば、寄り添い、向き合う覚悟は持ってないといけないなと思うんです。人間ってやっぱりどんな極限状態でも、言葉によって救われるから。たとえ結末が同じだとしてもね。

123