このコーナーでは、当時のランキングやエピソードと共に、「ザ・ベストテン」に出演した歌手のヒット曲を紹介していきます。第43回は1979年8月16日のランキングを紹介。
今月のスポットライトは、長年にわたり「紅白歌合戦」を豪華衣裳で盛り上げ、今も幅広い世代から支持されるベテラン歌手・小林幸子。デビューから15年も売れない時代を経験した彼女を救った一曲、「おもいで酒」を取り上げます。
苦節15年で訪れた好機 B面曲が起死回生の大ヒットに
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 小林幸子は新潟市生まれ。実家は精肉店で、三人姉妹の末っ子だった。9歳の時、父親が応募したTBSの素人のど自慢番組「歌まね読本」に出演し、5週勝ち抜いてグランドチャンピオンに。この時審査員を務めていた作曲家・古賀政男から誘われ師事。1964年6月5日、10歳の時に日本コロムビアから「ウソツキ鴎」でデビューした。

 天才少女の出現に、マスコミは「第二の美空ひばり」と騒いだ。しかし一年ほど過ぎた時点で仕事がぱったりと途絶え、テレビにも出られなくなってしまった。実は同じレコード会社の先輩・美空ひばりの母親が「第二の美空ひばりが現れたということは、じゃあ第一のひばりはもういらないのね?」と発言。冗談に過ぎなかったが、過剰に反応した関係者が大スターに配慮した結果だった。だがそんな事情を知るのはずっと後のこと。「ウソツキ鴎」は20万枚のヒットになったが、その後は長い暗黒の時代に入ることに。

 新曲を出してもまったくヒットしない日々。キャンペーンで歌った後、観客に配った歌詞カードが地面に捨てられているのを見てみじめな気持ちになった。デビュー直後に故郷・新潟を襲った大地震も影響する。復興が進む市内に大手スーパーが進出、昔からあった商店街の店は打撃を受け、実家の精肉店も地震から5年後に潰れてしまう。その結果、末娘を頼って父母と姉二人は東京に移住。父もなかなか仕事に就けず、姉たちはまだ学生。唯一の稼ぎ手として、15歳の小林の肩に、一家の生活がのしかかったのだった。家族を支えるため、年齢を偽り、夜のキャバレーで歌うことで生計を立てた。同年代の女の子が青春を謳歌している時に、小林は生きるため、やめたくてもやめられない状況で歌っていたのだ。

 約15年の時が過ぎ、歌手活動に見切りをつけようとしていた1979年1月。28枚目のシングル「六時、七時、八時あなたは…」を発売。人気が出始めたのは、意外にもB面の「おもいで酒」の方だった。これでダメだったら今度こそきっぱり諦められると決意し、キャンペーンを開始。やがて、尼崎の有線放送でリクエスト1位になったという知らせが入る。そんなはずがない、当時ヒットしていた渥美二郎の「夢追い酒」の間違いではないのか…? 半信半疑で有線放送所に自分で電話して確認し、やっと信じる気に。3月にはA面とB面を入れ替えて再発売。キャンペーン現場には人が押し寄せ、全国規模でランキングは上昇していった。

 ザ・ベストテンには発売から半年後の7月19日に初ランクイン。計15週ランクインするロングヒットに。実家が精肉店でコロッケを作っていたという話から、番組内では「コロッケ姉さん」という愛称がついた。この年「おもいで酒」でさまざまな歌謡賞を受賞するとともに、念願のNHK紅白歌合戦に初出場。苦節15年、最終的に200万枚を売り上げる大ヒットになった。

 ザ・ベストテンでの忘れられない思い出がある。1979年12月27日、番組は年内最後の放送。「おもいで酒」はとっくに10位圏外になっていたが、小林はマネージャーに「生放送が終わった後で開かれるパーティーに出席するから」と言われてTBSに連れて行かれ、会議室で、番組が終わるのをただ待っていた。テレビでは年間ランキングの発表中。2位が発表された頃になって突然スタッフが呼びに来てこう告げた。「小林さん、おめでとうございます。1位です」。長期にわたってランクインした結果、年間1位に輝いていたのだった。そんなことなど想像もせず、ギリギリになって事情を知らされた小林は、ミラーゲートから登場すると既に大泣き状態。黒柳徹子と久米宏に祝福され、大きな花束を抱えて涙ながらに歌った。

 その後も「とまりぎ」「もしかして」「雪椿」などをヒットさせて人気歌手の地位を不動のものとし、紅白歌合戦にも毎年出演。92年頃から衣裳が大掛かりなものになり、紅白の名物に。「衣裳というより、もはや舞台装置」と揶揄されながらも巨費をかけて毎年衣裳を作ったのは、ただ「お客様の喜ぶ顔が見たい」というサービス精神から。そのためには歌・トーク・衣裳・演出まで徹底してこだわる、筋金入りのエンターテイナーなのである。

 2012年、事務所内トラブルが発端で活動に支障が生じ、紅白の連続出場は33回でストップ。しかし「ニコニコ動画」等のネットの世界に活路を見いだし、ボカロPや絵師など新世代のクリエイターたちと交流を深め、関連イベントにも積極的に出演。その派手な衣裳から、若者に「ラスボス」と呼ばれて親しまれた。そんな活動が話題となり、2015年には特別出演という形で紅白への復帰を果たしている。

 「おもいで酒」以前の苦労があるからこそできる周囲への気遣い、新たなものを取り入れる柔軟さ・好奇心といったものこそが、逆境に負けない小林の底力なのかもしれない。今でも紅白歌合戦の時期になると小林の大掛かりな衣裳を思い出す人は多いだろう。だが彼女は既に次のステージに進み、新たな活躍の場で輝いているのだ。

ザ・ベストテン☆エピソード
 ザ・ベストテンでは、11位~20位の楽曲にも得点が集計されていました。「おもいで酒」は最高位こそ5位でしたが、12月まで20位内をキープしており、得点が加算され続けた結果、「いとしのエリー」「関白宣言」「ヤングマン(Y.M.C.A.)」「銀河鉄道999」といった錚々たる曲を抑えて、年間1位に輝いたのです。この年は演歌勢の健闘が目立ち、演歌の楽曲でこの番組史上初ランクインとなったのが渥美二郎「夢追い酒」。その次が小林幸子「おもいで酒」でした。他にも森進一「新宿・みなと町」、五木ひろし「おまえとふたり」がランクインしています。
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